88:選定の時 - 2
「ひ、ひええっ!? く、く、来るな! コッチ来るなァァァ!!」
目の前に現れた「そいつら」にブレイデンは後ずさりし、尻餅をついて倒れた。
その内の一人がブレイデンに一瞥をくれると、細い腕を鎌のように振り下ろし──
「ぎゃあああああああ──ばッ!? ──────」
悲鳴が断たれる。
粘度のある赤黒い液体をまき散らしながら転がる頭。
首からも同じような赤黒い噴水が噴き上がり、意志無き犯行者をドロドロの危険色に変えた。
まるで安っぽいゾンビ映画だ。
アークで眠らされた人々が一斉に目覚めたようだが、その目的は我々ではない。更に遠くを見据えているようだ。
いったい、どこへ向かうというのか……?
いや、それよりもこのままでは我々が追いやられてしまう。背後には、唯一の脱出口である潜水艦しかないのだ。
「止むを得ん! あのゾンビ共を撃て!!」
非人道的だと、私ですら感じている。
なのに、エリックは……あのお人好しですら、今回ばかりは自らハンドガンを取り出し、隊と共に射撃を始めた。
私も加勢しながら、エリックの隣へ移動する。
「どういう心変わりだ、エリック。それとも、これが本当のお前なのか?」
エリックは私の曖昧な問いかけに顔色一つ変えず応じる。
「どんな汚れた仕事でも、誰かがやらなければならない──そう教えてくれたのは貴方ですよ、大佐」
──それもそうだったな。
この状況が彼を変えてしまったのか、或いは、ジュリエットの死が……。
……いや、今はそんなことを考えている場合ではないか。
「総員! 退路を断たれる前に、潜水艦に引き返すんだ!」
射撃音が頭の中でガンガンと響いている。
潜水艦に乗る直前、狂ったように発砲するエリックはまるで別人のようだった。
……ああ、我々がこれまでに守ってきたものは、いったいなんだったのだろうか。
◆
かつて人間だった者。
彼らが再び現世を見ることは叶わず、今は、その大半が仮想現実を現実として生きている。
新たなフロンティアを築き、第二の人生を送る──それも、悪くなかったはずだ。
そして、我々。現世に留まる者。
使命を全うするために己を犠牲にした者たち。
……しかし、その意味はとうに失われた。
退路を断たれたのは前者ではない、後者の方だ。
我々は……いや、彼らは、滅びゆく星の上で、最期まで戦い続けるしかない。
「ミカゲ ヒマリ。……かつて大神悠月だった者よ」
その名を呼ぶと私自身が奇妙な感覚に苛まれる。
これは必然であった。
私が冥主としてここにいるのなら、「彼」がそこにいてもおかしくはない。
ヒマリは強く、真っ直ぐな眼差しで私を見上げている。
その瞳には、怒りと、疑惑と、哀しみが混ざっていた。
かつて、私もそうだったように。
「お前には特別に世界を見せてやろう。最高のネタばらしだ」
「え……?」
「他の皇竜達が選定した者たちと共に、展望台まで上がってくるといい」
……ああ、そういえば、彼女を選んだのはディオルクだったな。
いつの間にやって来ていたのか、ヒマリの背後に佇むアイツに目をやる。
「お前は本当に素晴らしい選択をした、ディオルク」
ヤツは口の端を軽く吊り上げた。
「……それは、貴方自身が選んだ結果でもある。それを賞賛するのであれば、まるで自画自賛ですな」
「ふ、言ってくれるじゃないか」
ディオルク。皇竜の中でも、唯一私が直接命を吹き込んだ存在だ。
故に、日本サーバーを含むアジア圏は彼に託された。
──大神悠月の意識を持つアニマを探し出すために。
だが、それは私の意志ではあって、彼のモノではなかった。
結果的に誤算ではあったが、良い方向に転がったと思う。
彼は私の目的に勘づいていたようだが、今も領主として守るべきものを守ってくれているだろう。それでこそ皇竜だ。
「そもそもこの選定は、貴方が他の『開発者』に挑むために設けたルール。これに負けたなら、貴方の計画は台無しになるだけだ」
ディオルクの暴露に、ヒマリ達は驚愕して振り返る。
「負けた時は……分かっていましょうな、我が冥主よ」
「無論だ」
……まぁ、負けることなどありはしないのだが、皇竜達は知る由もないか。
「では、ディオルクよ。あとは任せたぞ」
「御意」
私は一足先に到達点で待っていよう。
誰が選ばれたとしても、私は私の信じるアイツが私の下に来ることを望んでいる。
……そして、この手で抹消するのだ。
◆
冥主はディオルクに任せて中央の「芯」に乗り、姿を消した。
つまり、この「上」があるってことなんだ。
「ディオルク」わたしは竜を呼んだ。「開発者に挑むってどういうことなの? 彼の目的はわたしを殺すことじゃなかったの?」
「無論、目的は両方だ。開発者とは、この世界を共に創造した者たちのこと。だが、冥主は一人でなくてはならない」
「どうして? みんなでこの世界を治めればいいのに」
ディオルクは大きな首を下げ、わたしの目線に合わせた。
「お前たちの世界で言えば、国は多々あれど、治める領主は基本的に一人であると聞く。君主は多ければ多いほど意見の食い違いで争いになる。長がその調子だと、世界はいくつかの勢力に分断されるからだ。それでは、多数の街が国という単位の一部であるように、国を治める世界という単位に置き換わっただけに過ぎない。世界という唯一の単位を管理するのは、常に一人である必要があるのだ」
「じゃあ、他の開発者はどこに……?」
「現世では死んだ。全員殺したのだ。冥主がな」
殺した……? なのに、冥主は他の開発者に挑んでいる……?
「物理的な死は、開発者を傍観者に変えて縛りつけるためだ」
ディオルクがわたしの疑問に補足した。今日は極めて饒舌だ。
「そのアニマは肉体を持たずしてこの世界のどこかに存在している。姿を見つけることは我とて不可能な状態だ」
つまり、AIのように意思を持った生体データだけが、ふよふよとあちこちを彷徨っているってことか。
「それじゃあ、その開発者たちをプルステラに留まらせた理由って、冥主の計画の整合性を認めさせるためだけ?」
「いや、冥主が自分を追い込むためだ。勝負とは勝ちと負けの両面があってこそ成り立つ。冥主は、自身の選択が正しいことを証明するために、選定という形を取って人類……即ち、プルステリアの代表を選ぶのだ」
力による支配ではなく、あくまで正統な統治者となるために勝負を決めた。
選定って、わたし達が挑むものだと思ったけど、誰を選ぶかってのも冥主の責任だと感じているのかもしれない。
だとしたら、なんでわたしの命を狙っているの?
ディオルクは選定の候補にわたしを選んだけど、彼を作ったのは冥主自身だ。それこそが冥主の勝負に用いられる武器だとしたら、ディオルクが選ぶわたしを殺そうとするはずがない。
(多分、わたしが直接、アイツに訊かなきゃならないんだ)
選定がどのような形式で行われるか、選定された代表者に何をやらせるのかはまだ明かされていないけど、わたしは必ず勝たなきゃならない。
冥主の目的と、この世界の総てを知るために。




