86:錯乱 - 5
更新頻度がかなり遅れてて申し訳ありません。
ラストどうまとめるか……長編でここまで書いたのは初めてなので、余力のあるときに慎重に進めています。
漬け物みたいなお話で申し訳ないですが、あと10話ぐらいで終わりそうなので最後までお付き合いいただけますと幸いです。
「長旅お疲れさま、オーランド・ビセット大佐」
監視室に連れて来られると、東洋人の青年が流暢な英語で私達を出迎えた。
顔に見覚えがある。特に最近見た顔だ。
「……やはり貴様だったのか、カイ・オオガミ」
「ちょっと気付くのが早かったんじゃない? とはいえ、ここまで辿り着くというのはまあまあの想定内だ」
我々の来訪を予測していた……?
なるほど、あの兄にしてこの弟ありというわけか。私立の名門校に通っていただけはある。
「ウチの兄ちゃんは元気? あんたには世話になっているみたいだけど。……あ、いや、今は女の子だったっけ」
カイは冗談めかして笑う。私はそれを無視した。
「あのサーバーエラーは、お前の仕業だったのか」
「ああ、そうだよ。VR・AGES社のトップはオレ達兄弟に固執していてね。反対派からすれば弱みを握ってるようなものなんだ」
「弱み、だと?」
「オレは『アイツ』の正体を知っている。兄ちゃんは多分忘れちまっただろうが、その秘密はアイツの唯一の弱点になるからな」
アイツ、というのは冥主のことか。
我々でも知り得ない冥主の秘密を、何故この青年が知っているのか。
考えられることは一つ。冥主というのが彼にとって縁のある人間だということか。
「なら、何故兄の記憶を消してまでアニマリーヴさせたのだ?」
「消すつもりはない。記憶を植え替えただけさ。その時に若干嘘の記憶も混ぜ込んで、一年が経つ前に記憶を取り戻すようにセットした。この方法はブレイデンが編み出してくれたんだけどね」
振り返るとブレイデンが不気味に肩を震わせて笑っている。
「こ、こ、この方法は、キ、キリルでも気付かないよぉ。な、何せ、時限装置の発動はバベルから、だからねえ」
なるほど。どんなマジックを使ったかわからんが、アニマに付随した爆弾のような記憶再生プログラムは、アークではなくバベルの方で管理されていたというわけか。
「それほどの技術力があれば、初めからバベルを制圧することも可能だったのではないか、カイ?」
「いいや。バベルは、プルステラやバベルのような、基盤に悪影響を及ぼすようなプログラムは通さないように出来ている。けど、アニマに対してだけは別だ。ある程度の干渉が出来る。人間の心なんて機械じゃ測れないところがあるから、ある程度自身でメンテナンスが出来るようになっているんだ。とはいえ、RPGのような数値パラメータじゃないんで、コードで解析しようとしても無駄なんだけどね。例えるなら……バイナリデータで作られた画像や動画のようなものか」
だからなのか。ジュリエットに伝書鳩を送り込めたのは。
「現世からバベルと通信が出来るのは、アークで行われるアニマリーヴの一回だけなんだ。それが終わると、肉体とアークとを結びつけていた一時的なアカウントは削除され、以降はプルステラとバベルの間だけで相互通信をしてやり取りを行う。だから、バベルをどうこうしたいって言うなら、プルステラ側からアクセスするしかない」
「では、何故自分の兄にそのような仕掛けを……しかも、時間が経たないと記憶が戻らないような設定にしたんだ?」
「決まってるだろ。兄ちゃんを隠すのと、内側からバベルに侵入ってもらうためさ。まあ、ほっといてもアンタ達がやるって言うから、オレ達はそれに乗っかってたってわけ。コッチの存在にさえ気付かなければ穏便に済んでいたのに、まさか兄ちゃん自身がソイツに気付いちゃうなんて、ね」
オオガミ ユヅキの記憶。それはつまり、冥主の正体を知っている頃の記憶であり、ヒマリは今度こそ本当に大神悠月として目覚めることになる……。
(待て……。なん……だ、この違和感は……?)
そもそもユヅキは反対派ではない。記憶が蘇ったところで、何か明確な目的があるというわけではないのだ。
カイは行動を起こすつもりだ。だから現世に残った。ユヅキの記憶が戻ったところで、弟とは違って何か明確な行動を起こすわけではないのだろう。
「何故、ユヅキだけアニマリーヴさせたんだ。隠した記憶とは、いったい何なんだ?」
カイは不敵な笑みを浮かべたまま、自身の背後の暗闇に目を向ける。
「その問題には私が答えよう」
痩せた長身でスーツ姿の──私よりも若干若い男性だ。
黒縁の眼鏡の奥に、知性と冷徹さを兼ね備えた小さな瞳が覗く。
──まるで、黒ヒョウのような男だ。私はこの男の顔に見覚えがあった。
「貴様……! オオガミ……ミナトか!?」
大神湊。VR・AGES社の子会社である、貿易会社で営業部長を務めていた男だ。
彼はアークから出て行った痕跡がなく、アークのログでは「転送失敗しデータロスト」したことになっている。
つまり、自力で起きることがなかったはずだが、こうして目の前にいるということは……。
「ジュリエットと同じか」
確かめるようにエリックに目を向けると、彼は無表情で小さく頷いた。
口の中に仕込んだガムか何かでカプセル内の排出口を押さえ、睡眠ガスの吸引を防いだのだろう。
「私は、肩書では営業を務めていたが、仕事柄、VR・AGES社を含む周辺の内部情報に詳しくてね。この施設の地図は頭に叩き込んであるし、無人機の巡回パターンですら把握している」
「なるほど。ウチのジュリエットよりも効率よく地下施設に辿り着けたわけだ」
「そういうわけだ。改めてようこそ、無名の反対派組織へ。私がそのリーダー、大神湊だ」
私は……ただ、笑うしかなかった。
まさか、身内同士のケンカに首を突っ込む羽目になるとは思わなかったからだ。
「……詳しい話を聴けるんだろうね?」
「無論だ。でなければ、貴方はとっくに牢に入れられている」
話す余地があるだけ、まだマシってことなんだな。
やれやれ。世界規模の話だというのに、どうも小さな揉め事にしか見えないのは私だけなのか?
◆
西暦二二〇四年一月三十日
仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 郊外
わたし達はすでに大鷲で動き出していた。不安がっていたエリカもようやく腹をくくり、キリルくんがいつの間にか準備した簡易転送装置に寝かされている。
「ごめんなさい、キリルくん。わたしがあんなことをしたばっかりに」
伝書鳩はもう使えない。分かっていたことだけど、自分でも止められなかった。
うん、分かってた──そう言いたげに、キリルくんは苦笑する。
「不測の事態ってのはいくらでも起こり得るんだ。本当にダメなことだったら、僕が無理矢理にでも止めただろうけど、それを補うだけの余地は残されている」
「なんで、そこまでしてわたしを止めなかったの?」
「これからしようとしていることは、とてもデリケートな作戦なんだ。そんな時にキミが余計なことに気を取られて失敗するぐらいなら、好きなようにさせてやろうって思っただけだよ」
キリルくん……。
ああ……、嬉しい。わたしを信頼してくれたんだね。
「……キミの笑顔はホント、可愛いな」
「ふえっ!?」
「そうやって驚いた顔もね。……さ、始めようか」
あ、ずるい。
言うだけ言って、恥ずかしくなったから顔背けるなんて。
「まずはエリカをバベルへ転送する。僕はサポートに回るから、その間、ヒマリとお兄さん、ジュリエットはセントラル・ペンシルへ向かってくれ」
「うん、分かった。その後は?」
「鉛筆の芯の部分がエレベーターになっている。セキュリティを突破した場合、それで屋上まで上がれるはずだ」
潜入ってほどじゃない潜入。
あのエレベーターは、前に訪れた時に普通に乗っている人がいたぐらいだから、使えないこともないんだろう。要は、隠された階が見えるか見えないかってだけで。
「屋上には皇竜に冥主がいる。それなりの武器は用意してあげたけど、充分に気を付けてくれ」
「了解!」
握った拳の中で汗が浮き出る。
……最後の戦いだ。
ディオルクが言っていた選別──その結果、何が起こるのかはまだ分からない。
少なくとも、これまでの襲撃の度合いから考えて、穏やかに表彰式が行われる……という様子ではないと思う。
だからといって、現世で起きていることを無視するわけにはいかないし、このまま冥主の言いなりにはなるべきじゃない。
わたし自身、分からないんだけど……そうしろって心のどこかで何かが囁いている気がする。
これは、正しいことだ。
プルステラを本当の楽園に戻すために、わたし達は戦うべきなんだ。
「……行くよ、お兄ちゃん、ジュリエット」
二人は小さく頷く。緊張しているのか、少しばかり躊躇しているようにも見えた。




