84:錯乱 - 3
まさか、と思った。わたしですら、ずっと忘れていたことだった。
父さん──大神湊は、確かにフラットエンジンという会社に勤務していた。表向きはVAHというゲームの開発会社で通っているけど、元々は貿易会社として作られたんだ。
……そう、だからカイとわたしは、VAHで遊んでいた。他に色々遊んできてはいたけど、父さんが必死に海外に向けて売り出しているあのゲームだけが、本物の遊び場だった。唯一、家族の誇りみたいなものだった。
リアルのスモッグを気にもせずにダイブし──だけど、煙に塗れた世界で古式の銃をぶっ放し、爽快感を得るという矛盾。
汚れているけど現実ほどではない贅沢な世界。時には国境で新鮮な空気を堪能し、ピクニック染みた晴れやかな気分すら味わえる。
それが、VAHってゲームだったんだ。
「偶然、かもしれないけど」
キリルくんはそう言って書類をテーブルから拾うと、お兄ちゃんに突き付けた。
「ここに通っていた理由が聞きたいな」
お兄ちゃんはそれを受け取り、やれやれ、といった風に頭を掻く。
「……そりゃあ、父さんの仕事場だからな。仕事に困ってた時に何度か顔見せに行ったんだ」
「嘘でしょ」
これはわたしの言葉だ。思わず口にしていた。
驚いた顔でお兄ちゃんがこちらを向いた。もう一度、わたしは言う。
「嘘でしょ、お兄ちゃん。だって、言ってたじゃない。『父さんと趣味が被るのだけは勘弁したい』って」
「…………」
あれは、エリカと初めてVAHに潜ろうって話になった時のことだ。
──やっぱり、本当はタイキが行った方がいいんじゃ……。
──いや、俺、どっちかって言うとアウトドア派だしさ。父さんと趣味が被るのだけは勘弁したいんだよね、ホントは。
──言ってくれるな。
──家族全員インドア派よりはマシだろ? それに、いざって時にエリカ一人より、俺とゾーイの二人の方がいい。
……記憶の大半を失ったはずなのに、こういうのだけはきっちり覚えている自分が憎たらしいぐらいだ。
「参ったな。まさか、妹にまでそんな目で見られるとは思わなかった」
「秘密にすることないのに」
「お前にだけは、知られたくなかったんだ。……例えお前が、ユヅキでもな」
お兄ちゃんは適当な椅子にどっかりと座り、両手で顔を覆い、それから髪をかき上げ、ふうっと溜め息をついた。
「秘密にしたかったのは、裏稼業の方だよ、ヒマリ。俺は、お前を……妹を、アニマバンクから無事にプルステラへ送るために手段を選ばなかったんだ」
「ユヅキはそうまでしなくてもお金を稼げたよ? 何せ、アニマリーヴ対策で給料の底上げ対策があったぐらいなんだから。なのに、何で裏稼業に就く必要があったの? 理由はそれだけじゃないんじゃない?」
アニマリーヴ計画の施行が決まったあと、日本政府はその資金対策として支援金制度を設けた。本当に急な話だった。
簡単に言えば、必要の無くなった年金を支援金に当てるというもので、あまりマイナーな企業でなければ、申請一つで毎月、働いた分に応じて支援金がもらえるというシステムだ。だから、別名「給料の底上げ対策」とも言われている。
「そう、理由はそれだけじゃない」
お兄ちゃんはわたしの指摘をあっさりと認めた。
「裏稼業をする一方で、俺は資金稼ぎの一方でプルステラに関する情報を集めていたんだ。アニマリーヴ計画が、本当に信用に足る移住計画なのかどうかってね。さっき話していたように、海底都市へ住まわせるという選択肢だってある。環境を変えれば、ヒマリの病だって治るかもしれない。……そんな可能性をずっと考えていた」
「でも、それだけじゃあ、フラットエンジンと繋がってたっていう説明にはなってないんだけど」
キリルくんは手厳しい。だけど、わたしも同意見だ。
お兄ちゃんはちらっとわたしに目を移した後、言い辛そうに何度も頭を搔いた。……こんなに焦っているお兄ちゃんを見たのは、初めてだった。
「……実は、その仕事をしている時に、カイ……と思しき人物と会ったことがある」
「え……!?」
わたしはもちろん、その場にいる誰もが言葉を失った。
「もちろん、本人かどうか定かじゃないけどな。けど、ヒマリが見せてくれたあの写真に面影があったし、まさかって思った。そして、さっきのキリルの推測で、確信に変わったんだ」
「……お兄ちゃん、詳しく聞かせて」
どんな怖い内容でも構わない。わたしは、カイについて些細なことでも知りたいと思った。
今となっては会えるかどうかも分からないアイツだけど、それでも……それでも「僕」の、弟なのだ。
「カイは、情報を集めていた。俺と同じだ。ただ、プルステラの構造自体を知りたい俺とは違い、カイはアークの内部構造の秘密や、アークを製造している業者との繋がりについて知りたがっていた。彼は、情報を知るついでに密輸なんかの危ない仕事をこなし、資金を調達していたんだ」
「ちょっといいかしら?」
エリカが手を挙げて言葉を遮った。
「現世じゃほとんど人がいなくなるっていうのに、何で密輸なんて仕事をしていたの?」
もっともな質問に、お兄ちゃんは渋い顔をした。
わたしやキリルくん、エリカ、ジュリエットの問い詰めるような強い眼差しに、お兄ちゃんはとうとう堪忍したのか、諦めたように肩の力を抜き、その言葉を発した。
「……アニマリーヴ計画の反対派が、反乱を起こすためだ」
「反乱!?」
「そうだ。一年の試用期間が終わるより前に、少しずつ内密に動きながら各地の首都を占拠するという計画さ。俺やカイは、そのための準備として武器などの密輸に関わった」
わたしの心臓が早鐘を打つ。
「カイは……!? カイはその反乱に関わっていたの!?」
「分からない。俺はただ資金が欲しいだけだったから、なるべく反対派の行動には関わらないようにしていたんだが、カイの方は何とも言えない。恐らく、アークの情報を欲しがっていたところを考えると、もしかしたら……首謀者に加担していたかもな。……俺がフラットエンジンに通っていたのは、そういった裏の情報を諜報員から受け取るためなんだ」
お兄ちゃんはいきなり立ち上がると、その場で膝をつき、額を地面に叩きつけ、わたしに向かって土下座した。
「ユヅキ、すまない。今更謝ったって許さないだろうが、せめて秘密にしていたことだけでも謝りたい……!」
「…………」
静かに溜め息をついた。
呆れてない……と言えば半分は嘘になるけど、そういうわけじゃない。
「ヒマリの命がかかってたのなら、それは仕方ないと思う」
わたしはユヅキとして、お兄ちゃんに言った。
正直、腹立たしいぐらいに腹の中が煮えているけど、お兄ちゃんは何も悪くない。
「けど、カイは……! カイは何のためにあんなことを……!!」
カイのことが分からなくなった。アイツは、一体どこまで兄を心配させるんだろう……!
もう一度、オーランドさんからくれたデータを読み返す。……アークから出て行った、と確かに書いてあった。それなら、父さんは? カイだけがアークから出て行った、とでも言うのか。
カイが……理由は定かじゃないけど、本当に反乱に加担しているのだとしたら、アークを抜け出したことにも頷ける。わたしや父さんを出し抜いて、反対派の拠点にでも向かったってことだろう。
………………。
…………?
……いや、ちょっと待った。
アニマリーヴの時、カイはアークの監視カメラに映っていた。そのような記録が残るぐらいなんだから、アークから出て行ったところも確かに目撃されたってことだ。
それじゃあ、何故カイはアークの情報を手に入れようとしていたのか。わたしや父さんを出し抜くだけなら、そんな情報、要るはずがない。
アークの内部構造、そして製造業者……この辺りに何かヒントはないのか……?
「…………」
ぐるりと目を動かしたら、偶然にもジュリエットと目が合った。
「………………あ」
……偶然だった。
背中に電撃を受けたような、悪寒とも言える衝撃が身体の芯を駆け抜けた。
「まさか……カイは」
わたしの推察に、ジュリエットとキリルくんが同時に気付いたのか、あっと小さく声を上げた。
「……アークに何らかの仕掛……」
「まさか! それだけはあり得ない!」
すかさず、キリルくんが言葉を遮った。
……けど、わたしの推察はここまでだ。キリルくんは、「その先」について何か気付いたのだろう。
「無数にあるアークの一つにそんな仕掛けを施すなんて、製造工程に遡ったとしてもあり得ないことだ。もし、やれたとしたって、どうやってそのアークに乗り込むんだ? ……考えられるとしたら……つまり」
その言葉は、頭のいいキリルくんらしからぬ当然の疑問だった。わたしに、というより、どちらかと言えば自分に言い聞かせているらしく、顔に狼狽の色さえも浮かんだ。恐らくは、今まで否定していたアレコレを決定づける何かを考えていたのかもしれない。
「いいかい、ヒマリ。昨年の七月七日、この日に起きた事故……あのサーバトラブルは、キミが転送する時にだけ起きたものだ」
「……まさか、カイがアレを起こしたって言うの!? どうやって!? 何のために!?」
「順番を追って話そうか。まず、カイはアークを出ていった。その事実が覆らないのなら、彼自身があの場でサーバトラブルを起こしたとは考えにくい。何故って、厳重な監視カメラが動いているわけだし、事件が起きた時には、カイはそのアークの中にいなかったんだからね」
うん、と頷く。キリルくんの言う通りだ。サーバトラブルはアニマリーヴの後。つまり、退出者がいなくなってから起こったものだ。ってことは、アークの中で何かを起こしたわけじゃない。
「でも、アーク自体に仕掛けを施せるのなら、話は別だ。恐らく、カプセルに仕掛けがあったと見ていいだろう」
アークの製造業者。それを知ったカイが、アークのカプセルを作る工程で何かを仕掛けた……?
それこそ、どこに回ってくるか分からないカプセルだ。カプセルの番号って言ったって、どのアークのどのカプセル、とまではアークの搭乗券には記載されていない。
カプセルは、どれが当たってもいいようになっていた。何と言っても、途中退出する人が少なからずいたわけだから、アニマポートでカプセルの番号を発行し、その都度、出来るだけ家族が一緒になるように気を付けながら詰めていたんだ。
「ピンポイントでカプセルを選んで仕掛けを施すなんて、無理なんじゃないの?」
「いや、ピンポイントである必要はないのさ。元々のヒマリの転送時がそうだったように、カプセルと搭乗者を紐付けるIDは仮のものなんだ。アニマ・バンクに預けられた者は必ず空席に入ってくるからね。だから、カプセルを閉じると、無数のナノマシンがカプセルを満たし、生体スキャンを行って本人だと識別される。……つまり、生体IDがキミだと分かったそのタイミングで、トリガーは引かれたんだ」
まったく、信じられない。アークそれぞれの共通のOSに、ユヅキのID情報がサーバトラブルの条件として組み込まれていた、とでも言うのか。
「そ、それが本当に出来たんだとしたら……そうまでして、何で……!?」
「理由は二つ考えられる。一つは、監視カメラを欺くため。もう一つは、キミをヒマリに変えるためだ」
尚更ワケが分からない。そんなことをして一体何になるの? 大体、ユヅキとヒマリに接点は……。
「接点……?」
そうだ……接点。接点ならあるじゃないか!
わたしは、慌ててお兄ちゃんの袖を引いた。
「お、お兄ちゃんは、カイにヒマリのことを話したの!?」
「……まあ、少しだけ、な。お互い名乗ってはいなかったが、仕事の理由を訊かれて、妹がいるってことだけは」
そのぐらいでは、繋がりを持ったとは考えにくい。であれば、他の協力者がいたってことになる。……もどかしいけど、それについては、今はどうでもいい。
「ねえ、キリルくん。何でわたし……ユヅキは、ヒマリにされたの? そうまでして、カイは一体、何をしたかったんだろう?」
キリルくんは、その答えを知っていた。
わたしも、何となく気付いてはいた。それでも、事実をハッキリさせるために尋ねるしかなかった。
……この答えを口に出す勇気がなかったから。
「分かっているだろうけど、キミが狙われているから、だと思うよ」




