82:錯乱 - 1
ネタばらしのため、会話シーンが続きます。
西暦二二〇四年一月三十日
仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 第三有形文化財再現集落 郊外
『皇竜の目的は分かった。すると、残るは冥主の動きだけか』
「ええ。二カ月後に各サーバーの代表者を選定し、プルステリアの代表者を決めると」
『伝書鳩』による二回目の通信はプルステラの近況報告から始まった。
気のせいか、オーランドさんの声に覇気がない。現世で何かあったんだろうか。
「こちらの近況は以上です。次はそちらの報告をお願いしますわ」
ジュリエットが促すが、オーランドさんは黙ったままだ。重苦しい空気が部屋中に充満していく。
「大佐……、こうしている時間が勿体ありませんわ」
さすがのジュリエットも不安そうに眉をしかめている。
ふう、と通話越しに溜め息が聞こえた。
『まずは謝らなくてはならない。ジュリエット、キミを二度も死なせてしまった』
「…………え?」
オーランド大佐は、いつになく暗い声でこれまでの経緯を打ち明けた。
ジュリエットをプルステラに送り出した後、彼女の肉体を強制的に目覚めさせたということ。
エリックさんとジュリエットを加えて、VR・AGES本社に乗り込んだこと。
……そして、その結果としてジュリエットを失ってしまったことも。
「そういうことでしたの」
ジュリエットは、驚くほど落ち着いた様子で返した。……気のせいか、その背中は落ち込んでいるようにも見えなくはない。
「大佐、それは私が望んだことです。ですから、現世でも死を迎えられたことは、私にとってこの上ない報酬ですわ」
『もう、現世に帰る余地はないのだぞ?』
つまり、プルステラにもしものことがあれば、逃げ先なんてない──オーランドさんはそう言いたいのだ。
しかし、ジュリエットはそれを鼻で軽く笑い飛ばし──
「ええ。元より現世に戻るつもりはありませんし、話を聞く限り、戻ることなんて不可能じゃありませんか? だってそうでしょう? 現世とプルステラ、その記憶を共有することは、元々出来なかった、ということなんですから。それよりも、大佐にそこまで想われていたことがとても嬉しいのです。私はこれまでに、あなたから人間として見られていなかったのですから」
『……そうだったな。本当にすまなかった、ジュリエット』
ジュリエットの瞳から一粒の涙が零れた。もちろん、嬉しいからだと思う。現世の彼女にとっての「死」とは、曲げようもなく人間として認められる、理想の終わり方だったんだ。
「そんなことより、大佐」
ジュリエットはオーランド大佐に気付かれないよう、平然とした声で話題を変えた。彼女なりの照れ隠しなのかもしれない。
「現世の私が手に入れたというデータには、何が記載されていましたの?」
『うむ、それなんだが……、一つは現実化についての応用、二つ目は本社で使われているアンドロイドの実用化について、そして三つ目は……』
三つ目は、冥主が持ち出しを許さなかった唯一のデータについてだ。
『……これは先の二つのも合わせて、データをそちらに送るとしよう。あと、我々の方で調べた調査書もだ。ブレイデン、やってくれ』
『へ、へへっ……り、り、了解だよぉ』
相変わらず気色悪い話し方のブレイデンが答えると、ものの五秒ほどでソレは届いた。
『内容は単純なドキュメントファイルばかりだ。少しばかり欠けていた部分はこちらで修復しておいた』
「助かります、大佐」
ジュリエットは受け取ったデータをDIPから開封した。
そっと後ろから覗き込むと、「アニマリーヴ」という文字がちらっと見えたのだが……。
『三つ目と調査書の件については、どちらかと言えばそちらに関わるものだから後で読んでもらうとして、この時点で何か言いたいことはあるかね?』
すると、キリルくんが前に出た。
「オーランド大佐。キリル・トルストイだけど」
『ああ、久しぶりだ』
相変わらず年上にも敬語を使わない──少なくとも翻訳ではそう聞こえる──キリルくんだが、オーランドさんも特に気にする様子はない。確か、翻訳の語調はその人の態度を魂の心で判定して相応しい口調に解釈するんだとか。
「今の話を聞いたところ、僕の中でいくつかの推測が浮かんだんだ。まず、現実化について、VR・AGES社……或いは冥主は、現実化を応用して現世──つまり現実世界に何かを作ろうとしているというのだけは分かった。例えば……そうだな、正しく使うなら地球環境の再生、っていったところかな」
『なるほど。そいつは本当に正しい使い方だ』
オーランドさんは、皮肉混じりな口調で返した。
「そして、二つ目のアンドロイドについては、コイツにアニマリーヴして動かすってことだと思う」
『やはり……可能なのか? そういうことが』
「理論上は可能だ。むしろ、プルステラへ送るよりはずっと簡単だと思う。何故なら、単純に警備マシンとして動かすのであれば、視覚、聴覚、触覚といった最低限の感覚と、AIとしての人間らしい知能だけを受け継げばいいんだから。それに、一旦アニマリーヴというログインさえ済ませれば、サーバーを介さなくても動かせる。複雑な管理は必要ないんだよ」
キリルくんはさらりと言ってのけたが、かなりぞっとする話である。
記憶も含めて他の情報は捨て去り、意志とは無関係にアンドロイドを動かすだけの存在になるのだ。
いや、或いは残留思念のようなものがアンドロイドを動かしている──そう考えた方がいいのかもしれない。キリルくんが言うようにサーバーを介さない場合を考えると、二度とヒトの身に戻ってこないとも考えられる。
『……これで納得した。本社ビルにいた警備用アンドロイドの数々は、VR・AGES社の社員だったのだ』
「実際に遭遇してそう思ったのなら、仮説は間違いないってことだろうね。ということは…………まぁいいや。そっちにはブレイデンもいることだし、ある程度この先の推測は立てられるはずだ」
すると、その通りだというように、あの気持ちの悪い笑いが聞こえてきた。
「それじゃあ、ジュリエット、キミに返すよ」
「ええ。今端折った話については後で詳しく聞かせてもらいますわ」
キリルくんは応える代わりに笑ってみせた。
『それで、あと二カ月だったな。その間に何をするつもりだ? まさかそんな長い時間、律儀に待ってはいないだろう?』
「ええ、そうですわね。機械人形なんかのゲーム上の怪物が次々と生み出されている以上、どうにかしてセントラルペンシルの最上階に乗り込みたいですわ」
「だが、ジュリエット」
と、いつものように心配性のお兄ちゃんが言葉を挟んだ。
「ディオルクの言う通りなら下手に動かない方がいいだろうし、あの塔には皇竜達が待ち伏せしている。やはり入るのは容易じゃないぞ」
「タイキたちは確か最上階に突入しようとしたようですが、中に入るだけなら普通に入れるんじゃありませんの?」
「いや。とは言ってもね……」
今度は、キリルくんが苦々しい面持ちで口を挟んだ。
「中身はセキュリティの塊なんだ。壁一枚突破するのに何日もかかるし、そんなことをしたら冥主にバレるよ。けど、外からだったら窓は開きっぱなしだ。皇竜をどの方角からでも受け入れられるようにするためにね。だから、接近した僕たちを邪魔したんだ」
なるほど、とジュリエットは頷く。
「ねえ、キリル」
今まで黙って話を聴いていたエリカがキリルに尋ねた。
「さっきの、VR・AGES本社にいたアンドロイドのことだけど」
「それが……どうかした?」
「同じようなアンドロイド、もしかしてバベルにもいたりしないかしら?」
キリルくんは一呼吸後に、あっと目を丸くした。
きっと、このような形でキリルくんを出し抜いたのは、エリカが初めてだと思う。
「ああ! 僕としたことが、そんな簡単なことを忘れていたなんて! ……ブレイデン! 聞こえるかい!?」
『なっ、ななっ、何かな!?』
「バベルだ! バベルのアンドロイド! コチラ側からなら接続できるはずだよ!」
『……ッ!? ほ、ほ、本気かい!? か、か、考えてることは理解出来たけど……じ、じ、自殺行為だと、お、お、思うんだな』
わたしにも、キリルくんの考えが読めた。
プルステラから直接繋がりのあるバベルに逆接続し、その付近にいるアンドロイドに乗り移ってやろうって話なのだ。
そもそも、今となっては脱け殻で、データ収集ぐらいしか役に立たないような本社ビルを警備していたぐらいなのだ。バベルにはそれ以上の規模でアンドロイドが配備されていると考えた方が自然だろう。もし、本社と同じものが使われているというのなら、その付近にあるアンドロイドは誰かがアニマリーヴしたものに違いない。
「魂がアンドロイドに乗り移ったら、あとは直接コンピュータを弄ってハッキングし、セキュリティを開放する」
『しかし、先程記憶を持たない、と話したばかりじゃないか』
オーランドが疑問をぶつけた。
『それでは、向こうへ辿り着いた瞬間に、ただの警備用アンドロイドに成り下がってしまうだけだと思うが?』
「普通なら、ね。だけど、こちらには適任者が一人いるんだよ」
キリルくんはくるりと振り返り、名案を出したエリカを見上げた。
エリカの顔が段々引きつっていく。
「エリカ。この仕事はキミに頼みたい。二つの魂を持つキミなら、ゾーイと意思を交わしながらアンドロイドを操作出来るはずだ」
「…………嘘でしょ?」
◆
結果、エリカがバベルへの潜入を行うことになり、キリルくんは二月末までに結果を出すと言って通話を切った。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
いつになく不安な面持ちのエリカにキリルくんは「大丈夫だ」の一点張り。
キリルくんがそう言うんだから、大丈夫なんだと思うけど……。
「キミもタイキに劣らず心配性だなぁ。向こうへ飛ばした時にはある程度の情報を失くしてしまうけど、直ぐにこちらにいるゾーイがその分を補完してくれるんだよ」
「でも、向こうにいる間は私でなくなっちゃうんでしょ? その情報がゾーイに伝わって……」
キリルくんはしょうがないな、と頭を掻き、丸太で作った椅子に腰掛けた。
「いいかい。エリカがバベルへ飛ぶと、フィルタにかけられたように制限されたデータがアンドロイドに乗り移る。自我はあるよ? そして、同時にキミのデータがプルステラへ送り返され、これをゾーイが受信するんだ。……ここまではいいかい?」
「う、うん……」
「キミが心配しているのは、無事に帰れるか、ということと、ゾーイと意識を繋げている今のように、ゾーイがバベル側のキミのようになってしまわないか、ということだと思うけど、アンドロイド側から返ってくる答えは、感情うんぬんを省いた、いつもより少ない情報なんだ。これでマイナスになることはない」
「でも、戻ってきたら、私は少ないデータで戻ってくるんでしょ? なくなったものはどうなっちゃうの?」
「それは今のゾーイが覚えているから、意識共有をした際に全て補完されて返ってくるんだ。個としての性格もね」
聞いてて理屈は分かるけど……わたしにはどういう感覚なのかが分からない。
わたしの場合、ユヅキとしての自我はあってもヒマリの方は全くないはずだから……。
(……あれ?)
ふと駆け抜けた疑問の糸に、わたしは自分の答えに自信が持てなくなった。
長いことヒマリとして生きてきたからなのか、それとも、ユヅキであったことを忘れているからなのか。
「……何だか、ヒマリも納得がいかないように見えるけど」
考えているのが顔に出てしまったんだろう。キリルくんが声をかけてきて、はっと我に返った。
「う、ううん。わたしの方は別に。それより、さっきのドキュメントデータって?」
「ああ。そうだった。確認しようか」




