79:迷子の先の迷走 - 1
ここから伏線回収です。
結構昔の話も出てくるので、分からなくなりましたら一度おさらいしておくのもアリかと。
作者ですら忘れかけていた……。
西暦二二〇四年一月二十三日
仮想世界〈プルステラ〉インドネシア群島サーバー 郊外
キリルくんの後を追って「迷いのジャングル」を抜けると、DIPの各種通信機能が復活した。サーバー表記を見れば、アジア大陸サーバー最南端のインドネシア群島サーバーだと分かる。幸い、時刻も昼の真っ只中だ。
目前に広がっているのは背丈の低い草地と、少し斜面を下った先には広大な河がある。滝のような轟音が鳴り響く程の急流で、泳いでいけるほど狭くもなく、底も深いだろう。せめて、小舟でもあれば渡れそうではあるが……。
「集落、あっちにあるね」
よく見れば、下流の遠くの方にぽつりと見える簡素な家々。
草地に生える木は少ないので、ここからは蒸気甲冑車で行くことにした。
「結構揺れるなあ」
お兄ちゃんがぼやいた。
道らしい道はなく、草地に河原の石が転がっているのでガタガタとよく揺れる。
それでも甲冑車は馬車と違って背が低く、横転の心配がない。多少強引に走らせても安定するのだ。
五分ほど強引に走らせたところでDIPに遠隔チャットが届いた。
『マリー!? やっと繋がったわ!!』
久々に聴くエリカの慌てた声だった。
『もう! いったいどうしたのよ!? 全然連絡してこないし!』
『ごめん、エリカ。色々あって……』
わたしは、激しい揺れで何度か舌を噛みそうになりながらも、これまでの経緯を簡単に説明した。
セントラルペンシルで出会った五匹の皇竜に破れたこと。ジャングルに落ち、迷っていたこと。
そうして話している間にエリカは落ち着きを取り戻したようで、大きな溜め息を挟んでいつもの口調に戻った。
『定期連絡まであと一週間よね。どうする?』
どうすると言われても、こちらは地理が分かっていない。おまけに蒸気甲冑車しか乗り物がないのだ。
近くに集落が見えていてそこに向かっている旨を伝えると、エリカはジュリエットと相談し、やがて結論を出した。
『……分かった。そっちへ行くわ。場所は掴めたし、ジュリエットも問題ないって言ってる』
『うん、お願い、エリカ』
あちらにはもう一羽の大鷲があるのだ。どこから来るのか不明だが、そこまで時間は掛からないだろう。
「そろそろ二月か」
通信を切った後で、今日は手綱を握っているキリルくんがぼうっと呟いた。
「残り二カ月ぐらいで最初の三百六十五日が訪れる」
「皇竜たちがそれまでに行動を起こす可能性はあるかな?」
問いかけると、キリルくんは何も答えなかった。難しい顔をして前方をじっと見つめているだけだ。
「何かあったとして、どう対処するか、だ」
後部座席に座るお兄ちゃんが代わりに言った。
「恐らく、今の俺たちの手にかかれば、皇竜もタダでは済まないんじゃないか?」
「いや」キリルくんはきっぱりと答えた。「これでも互角までには達していないと思う。三人合わせてもね」
……わたしもそんな気はしていた。
どんなに鍛えられたとしても、それはあくまで身体能力のみだ。例えばディオルクが翼を扇いで強風を生み出せば簡単に吹き飛んでしまうし、炎を浴びれば黒こげにもなる。
「しかし、どういうことだろうね。前にも議論したけどさ」
「皇竜の目的、か?」お兄ちゃんが話の意図を汲み取って返した。
「うん。あいつら、わたしたちを殺そうと思えば殺せたはずなのに、まるで遊んでいるみたいだった」
最後に一撃を加えたディオルクでさえ、手加減をしたと見える。
そもそも、あの時何故ディオルクが割り込んで来たのか分からないが……わたしたちを庇ったようにも見えないだろうか。
「その話は集落で落ち着いてからにしよう」
そう言って、キリルくんは前方を首で促した。いつの間にか、目的の集落が直ぐそこまで迫っている。
「どうやら、あまり怪物対策をやっていないようだ」
お兄ちゃんが簡単に感想を述べた。
木の柵はあるが、見張りがあるわけでも監視塔があるわけでもない。
これではどのように防衛しているのかが分からない。
「或いは、あまり防衛する意味がないのか」
「まあ、大きな河があるし、背後にはあのジャングルだろ? 空を飛ぶ生き物ぐらいしかまともにやり合う必要がないんじゃないか?」
「その可能性もあるね」
当然ながら、怪物にも棲息するための棲家はあるだろう。わたしたちの集落には付近に洞窟やら森やらあったから、多分そこからやって来たのだ、ということは予想できる。
しかしこの辺りには例のジャングルしか身を隠せるような場所がないのだ。良くて疎らにある小さな木々ぐらいで、ここは小鳥たちが住まう程の安全な場所である。
……思い返せば昨年の七夕。突然現れた怪物は、四月にこの世界にやって来たお兄ちゃんたちですら出会っていなかった。
この一年のうちで最も早くアニマリーヴを実行したのは四月の移住民たちだ。あの時点で怪物がいればそういう世界だった、で片付く可能性はあっただろうが、七月になって初めてそいつらは現れた。つまり、四月からの僅か三カ月の間に怪物が投入されたとしか思えない。だから、お兄ちゃんはあの時、外部からの操作──ハッカーの仕業ではないか、と疑ったのだ。
しかし、パウオレアの森でのやり取りから、リザードマンたちは昔からいたという証言を得た。敵対するマウ・ラの連中もそれを認めていたぐらいだ。
そういうプログラムを抱えて投入されたのが四月なのか。或いは、本当に前々から住んでいたのか。
皇竜についてもそうだ。有形文化財再現集落で聴いたディオルク本人の発言を思い出すと、色々不可解な点は多い。
「ヒマリ、着いたぞ。何ぼーっとしてるんだ?」
「ふえっ!? ……あ、うん」
後ろからお兄ちゃんに頭をポンポンと撫でられ、わたしは思考を遮断された。
そして、蒸気甲冑車を鍵に戻し、インベントリにしまい込んだ。
「ひとまず寝る場所を借りたら、これまでの事を整理しよう」
早く集落で落ち着きたいのだろう。キリルくんは少し疲れた声で先を急いだ。
◆
西暦二二〇四年一月二十三日
仮想世界〈プルステラ〉インドネシア群島サーバー 第五三四九番地域 第二八六二番集落
この辺りは人がやって来るのが相当に珍しいようで、宿という施設はまるでなかった。
代わりに、今後のための倉庫として作った空き家があるので使ってくれと紹介され、都合よく気兼ねなく会話出来る家を確保出来た。
家であれば滞在許可は必要になるが、倉庫なら共用スペースなので、所有者の権限でどうにも出来るのだ。
「さて、エリカやジュリエットが来るまでにさっきの話をしようか」
キリルくんは硬い床に胡座になりながら話を始めた。
わたしも今は女の子なので胡座で座るのはどうかと思ったが、これだけ硬い床に直接座るのだから楽な姿勢がいいだろう。着替えも済ませたことだし、今はミカルちゃんお手製の半袖のTシャツとハーフパンツ姿なので、特に問題もない。
「えっと、皇竜のことだね?」
「ああ。彼らは一撃で僕らを倒せる力を持ち合わせていながら、一人一撃ずつという縛りルールを自ら提案し、墜落させた時もディオルクは手加減をした。しかも、何故最初はいなかったはずのディオルクが最後の一撃に割り込んだのか」
「どう考えても庇った、としか思えないよな」
お兄ちゃんは顎に手を当てながら、わたしに視線を送った。
「わたしもそう思う。アカネちゃんの集落──有形文化財再現集落で出会った時も、そんなに悪そうなことは言ってなかったし」
「何か言ってたのかい?」
わたしはその時にあった出来事をかい摘んで話した。
特にあの時、ディオルクが言っていた言葉は不思議と一言一句覚えている。
──集落だけではない。草原や森、泉、そして、この美味い水、美しい夕日を作り出す空気さえも……この一帯の景観はけして、何人たりとも壊してはならぬ。……故に、風情を知らぬ愚か者を近付けぬよう、我が配慮してやったというのだ。
「配慮……つまり、ディオルクは有形文化財再現集落を守っていると?」
「うん。それに、そういった集落は『形ある記憶』だとか言ってたし、そこはハッキリしてたよ」
……言葉にはしないけど、ディオルクが嘘をつく性格には見えない。
キリルくんはDIPを素早く操作して何かを調べた。
「……ふむ。その辺りはどうも別の大陸でも同じみたいだな」
「共通のルールでもあるのかな。有形文化財再現集落だけは壊しちゃいけないっていう」
「それはあるだろうけど、そもそも、一番最初の襲撃を除いて死傷者は殆ど出ていないんだ。特に皇竜の場合はね。ということは、彼らの襲撃の意味は、人を殺すことではなく、もっと別のところにあるんじゃないかな」
これは前にも一度話し合った話題で、コミュの噂を辿ると、どうも皇竜たちは極端な殺戮をしないらしいのだ。
ゲームや映画なんかのドラゴンのように人を食べるわけでもない。となれば、強者が弱者を生かす理由を考えると、自然と突拍子もない答えが浮かんでくる。
「……彼らはプルステリアを必要としている?」
「皇竜自ら支配とか言っているからそういうことになるのかな。暴君ではあるけど。もしそれが本当だとしたら、尚更彼らの目的が知りたくなってくる」
問題は循環する。
結局のところ、何を求めているのかが理解出来ない。乱暴には扱うけど守っているようでもあるし。
「彼らが名の通りの皇竜なのだとしたら……、やはり国民を守る王としての役割、なのかもしれないな」
いつものように沈黙を続けていたお兄ちゃんが言葉を挟んだ。
「何せディオルクも俺たちのことを『我が民』とか言ってたぐらいだからな」
「そういえばそうだ……。使命があるとか何とか言ってたし……」
あの時交わした何気ない会話に、さりげなく相当なヒントが含まれていたことにようやく気付く。
それについては、コトラやアカネちゃんがディオルクと対等に話したお陰とも言える。
「王に民……更にそれを取りまとめる冥主という名の大王か……なんかイヤな予感がするな」
「どうして?」
「絶対王政ってのは争いの連続だからだよ」
根拠はないけど、どこか納得するような話だ。
わたしの脳裏には、VAHの光景が思い浮かんでいた。──アーデントラウムと帝国との戦争だ。
「争いがないのが絶対条件の世界で、敢えて争いを生み出すの?」
「既にそうなってるじゃないか」
そう言って、お兄ちゃんはその場に大の字になった。
「そうだけど……人間相手じゃないよ?」
「そもそも、人がヒトである限り、争いなんてものは無くなりゃしないんだよ……」
何処か諦めたような正論に、頭の中がもやもやする。
キリルくんの方を伺うと、彼もまた、その通りと言わんばかりに目を閉じた。
「僕らが考えられるのはここまでだね。後は現世のオーランドとエリカたちの報告を待とう」
──本当に、それで解決するのだろうか?
もし解決したとしても、わたしたちは何をすればいいのだろう?
皇竜に立ち向かうのか、或いは冥主を倒すのか。
そんなことをした後で一番困るのは、ここに住まう大勢の魂に他ならないのではないか。
冥主を倒すことで世界の均衡、或いは世界そのものが保てなくなれば、わたしたちのしてきたことは大間違いだってことになる。
そうなれば取り返しはつかなくなってしまう。最悪、魂が現世に戻れなければ……その存在は永久に消えてしまうのだ。
(今やっていることが全て間違っているんだとしたら……だとしたら、わたしは何故ここにいて、何故何かに抗おうとしているんだろう……?)
歯車はどこから狂ってしまったのか。
思い出そうとしても、一体いつからだったのか……それすらも分からなくなっていた。




