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76:迷路(メイズ) - 1

ヒマリに戻ってきました。Section9の続きです。

 白い天井と、温かみのある木材の壁。

 退屈なリズムを繰り返す原始的な電子音。

 誰が飾ったのか、花瓶には部屋に合った淡い色──具体的な色は分からない──の花束もある。


 ──また、わたしはあの夢を見ている。


 見覚えのある病室。

 かつてユヅキが長期的に入院していた場所だ。

 どういう因果か、母さんと同じ病院でもあった。


 母さんが死んで間もなくのことだ。

 ユヅキは自暴自棄になって、自分を傷つけていた。

 自殺までは考えていなかったが、悪い夢を見ているんだとばかり信じていて──死ぬ間際まで傷つけば、きっと痛みで目が覚めるんだろうとか思っていた。

 しかし、そのことごとくは失敗して軽傷で済んだし、カイや父さんに止められたこともあって、ほぼ未遂に終わっていた。


 ……その、一回だけを除いては。


 ユヅキは今時、最もあり得ない方法で重傷を負ったらしい。交通事故だ。

 四輪駆動の自動操縦。最も安全なシステムだというのに、事故は呆気ないぐらい簡単に起きたという。

 運転席には誰も乗っておらず、全く接点のない車の持ち主は出張中、ハッキングの形跡だけが残されていた。


 事故後、ユヅキはそれ以前の記憶がほとんど抜け落ちたらしい。

 幸い、というべきか、家族に関する記憶だけは必要最小限で覚えていた。

 事故後、初めて目が覚めた時に目の前にいた弟のカイのこと。いつも笑わないぐらい仕事病な父さんのこと。死ぬ間際の母さんのこと──覚えていたのはそれぐらいで、学校で何をしていたか、どんな友達がいたのか……その辺りの生活についてはこれっぽっちも覚えていない。


「にいちゃん、元気になったら、いっしょにVAHやろうぜ!」


 元気すぎる笑顔で覗き込んでくるアイツを見て、わたしはある疑問を抱く。


「ホント、にいちゃんが無事で良かったよ。オレ、すっげー心配したんだからさ」


 おかしい……。

 カイの顔が、だんだん分からなくなってくる。

 ちょっと前まで覚えていたはずのアイツの顔が、どうしても視界に入って来ない。まるで、意図的に拒否されているかのように……。


「…………あのさ、にいちゃん」


 ひとしきり騒いだ後、彼は声のトーンを落として真面目な顔──だと思う──になった。……ユヅキが最も知っている顔だった、はずだ。


「にいちゃんが無事だったの、夢、じゃないよな?」


 ユヅキは呆れたように笑って応える。これも夢では毎度のことだった。

 ──何バカなこと言ってんだよ。ほら、この通り、兄ちゃんは元気だぞ。


「そ、そうだよね! うん! にいちゃんの言う通りだ!」


 その時の慌てふためいたようなカイの態度を、ユヅキは忘れたりはしなかった。



 ◆



 夢の中で聞いた電子音はキーキーキー、というコオロギの音に変わった。

 真っ白な天井はいつの間にか暗い夜空に変わっている。

 ……どんな夢を見ていたのだろうか。大切な夢だった気がするのに、起きたら急にフェードアウトしてしまうのはここでも同じだった。


「…………うー……ん」


 ズキズキと身体が痛む。

 怪我によるものではなく、ここ何日も続いているタダの筋肉痛だ。


 プルステラの筋肉痛というのは、筋力パラメータの増加の一時的な限界を示すものらしい。

 当初のチュートリアルにあったように、良く食べ、良く眠り、良く動くことで、ほぼ際限なく身体が強化される。それがプルステリアという種族だった。

 ここ一カ月近くのわたしたちは、安心して落ち着ける状況になかった。

 ディオルクから叩き落とされたジャングルは、DIPの通信が行えない場所で、今までに出会ったどの怪物よりも凶暴な連中が大勢たむろしている危険領域だ。


 もちろん、通信が出来ないということはデリバリンクやVAHへの接続、ひいては現実化(リアリゼーション)も行えないということになる。

 物資や食糧は現地調達し、足りないものは何かで代用するか自ら作っていく──そんなサバイバル生活を行っていた。


 当然ながら、使う道具や装備は耐久度が次々とダウンし、見るも無残な「ぼろ切れ」と化している。

 仰向けになったまま腕を持ち上げると、垂れ下がった布と泥にまみれた、汚らしい肌が目に映った。


「……もうやだ……こんなの」


 ぼやいたって仕方ない。けど、わたしだって今は女の子なのだ。

 風呂に入らなくても匂いを発しないというのはいいとしても、やはりベトベトになった身体はそろそろ洗い流したい。

 髪も伸びきってボサボサだし、水たまりに映る自分の顔はまるで別人のようだった。


 横向きになってから何とか身体を起こす。

 お兄ちゃんやキリルくんはまだ眠っているようだ。


「……って、野営で眠ってしまうなんて……!」


 ツリーハウスがあるわけでもない。そんなものを作る余裕は全くなく。

 わたしたちは逃げ回った後、落ち着ける場所でこうして野営をしていたんだった。

 今日の日付は確か……



 西暦二二〇四年一月二十日

 仮想世界〈プルステラ〉???サーバー ???????



 分かるのは日付だけで、通信機能が使えないからサーバー名も場所も分からない。

 うっかりしてた。ちょっとだけ目を閉じようなんて思ったら、そのまま横になって眠ってしまった。

 お兄ちゃんを休ませたい一心で夜営を引き受けたのに、反省せねば。


(二人とも、よく眠ってる……)


 今日……というか昨日は、大蛇とかプテラノドンみたいなのに襲われていた。

 地上の怪物は大体簡単に対処出来るようになっていた。

 ……けど、相変わらず空を飛ぶ奴らは面倒臭い。


「わたし、強くなれた……かな?」


 わきわき、と手を握ったり開いたり。

 今のわたしの握力なら、分厚い電話帳を引きちぎるぐらい簡単だろう。

 そして、鍛えられたのは筋力だけじゃない。


「…………もう来た」


 ──生物の気配。後ろに三体いる。

 翼を持っていない。重量感のある、中型の獣らしい。


 わたしたちはいつの間にか、気配を感じ取る力を手に入れていた。

 キリルくんの話によると、それはオカルト的な第六感ではなく、周囲の変化や研ぎ澄まされた聴力などから感じ取れる無意識の感覚らしい。つまり、鍛えられた五感から得られる僅かな情報を、何も考えずに感覚で捉えられるように進化した、ということだ。わたしたちはコレを「気配」と呼んでいる。


「二人は起こさなくてもいいか。あまり強そうには見えないし」


 これが一カ月前なら、直ぐに逃げていただろう。

 でも、今は違う。わたしたちは正真正銘、「闘えるプルステリア」になったのだ。


 疾駆する獣に対し、わたしは真正面から近づいていく。

 何やら赤くて硬そうな甲殻と、クワガタムシを思わせるハサミ状の鋭い顎を持った獣で、カバのような太い四本脚を持っている。昆虫と獣の中間ぐらいの印象だ。


 まずは広範囲に及ぶ素早いハサミの斬撃を真上に飛んで躱し、頭を強く踏みつけながら奴らの後ろへ逃れる。

 甲殻を持った連中は振り返るのが遅いというのは今までの経験で分かっている。


「えいやーっ!!」


 無防備な尻を下から掬い上げるように蹴り上げる。

 面白いくらいにポーンと飛んでいくのを尻目に、二体目は踵落としで背中に穴を開け、三体目はとりあえず横から蹴り飛ばした。

 一体目が落ちてくるところへ全力で走っていく。

 無数の落ち葉をまき散らしながらスライディングし、落下に合わせて右の拳を思いっきり突き上げる。

 拳は比較的柔らかい腹に穴が開き、しまった、と思った時には気色悪い体液が噴出した。


「うえええっ!?」


 幸いにも毒……ではないようだ。直ぐに拳を抜いて仮称「ずんぐりむっくり」をもう一度向こう側へ蹴り飛ばす。……後で水源を探して手を洗わないと。

 背中に穴の開いた二体目は既に瀕死らしく、よたよたと歩くのが精いっぱいだ。

 そいつを放っておき、まだ元気な三体目に対して追撃する。


「……うわっ!?」


 しかし、あろうことか、口からクモのような糸を吐き出してきた。避け損ねてあっという間にぐるぐると巻き取られる。

 力づくで引きちぎろうとしたけど、ネバネバするのと、弾力があって思うように千切れない。

 おまけに筋肉痛まで邪魔をする。ズキズキとした痛みに耐えながら、完全に締め付けられるのに抵抗する。

 糸は口の下にある小さな手のようなものでくるくると巻き取っていき、終いにはあの大きな顎で真っ二つにするというのだ。

 さすがに素手で刃物のような顎を防ぐことは出来ない。……油断してしまった。


 踵を使って綱引きをするが、足元の土は腐葉土で柔らかく、踏ん張りが効かない。

 半分足元が浮いた状態で巻き取られていくうちに、わたしは本格的に焦りを感じた。


「ヒマリ!」


 わたしを呼ぶ声。目の前の土が抉られながら、糸はプツリと切れる。お兄ちゃんたちだ。


「まったく。何で起こしてくれないんだよ!」


 呆れた声と共に放たれた火球は、あっという間にずんぐりむっくりの体をこんがりと焼いてしまった。

 三十分に一度しか放てないという、キリルくんの「マクロ」による攻撃だ。


「あはは。心配かけてごめんね。みんなぐっすり眠ってたもんだから」

「二人とも起きなかったら間違いなく死んでたぞ。夜営の意味を忘れるんじゃない」


 やれやれ、とため息をつきながら、お兄ちゃんは刃の欠けた大きな剣をインベントリに仕舞った。


「しかし、終わりが見えないな、このジャングル。本当に出口はあるのか?」


 これまで何度も口癖のように呟いてきたお兄ちゃんの言葉だ。


「まだ推測でしかないけど、どうやらこのジャングルは、方向感覚を狂わす何かが働いているらしいね」


 キリルくんが腕を組んで言った。


「でも、気配は正確な位置を特定できるよ?」

「そりゃあ、動いている個体に対しては、だからね。もしかしたら僕らが気づかないうちに方角が変わっているのかもしれない」

「どういうこと?」


 キリルくんはDIPを開き、メモを取り出した。

 そして、セントラル・ペンシルを小さな円で、その周辺のジャングルを大きな円で描いた。


「例えばこういう理論さ。セントラル・ペンシルを中心に、その周囲にジャングルがあると仮定する。しかし、そのジャングルはバウムクーヘンのように何層にもなっているんだ」

「ふむふむ。それで?」

「ゲームでよく、迷いの森ってヤツがあるだろ? あれと同じ原理で、一定区間を過ぎると、層の境目で別の層の中に入り込む。つまり、ワープされるんだ」


 わたしは、ロシアに向かった時のことを思い出した。


「フラグピラーのワープのように?」

「そう。あれよりも短距離だから、シームレスに飛んでいくことになる。しかも、景色は一続きになっていて見分けが付かない」

「いや、待てよ。これまで日の傾きを参考にして歩いて来ただろう? ワープなんてものがあったら、光の射す位置が変わってこないか?」


 お兄ちゃんの言う通りだ。今では気配なんてものが感じ取れるぐらいだし、周囲に変化があれば気づかないはずがない。


「もしかしたらそいつはカモフラージュかもしれない。偽物の空ってことさ。僕たちの目に映っている景色は、実はどれ一つとしてアテにならないかもね。そういう領域を、ゲームでは『結界』とか言うけどさ」


 そもそもこの世界は仮想世界なんだ。

 デジタルで構成されている以上、偽の視覚情報を見せることなんてたやすいことだろう。


「このままずっと、ジャングルから出られないのかな……」


 わたしが呟くと、キリルくんは「いや」と否定した。


「方法はあると思う。何せ、この上空を飛んできたんだから」

「今度は空を飛べるようになれって? いくらなんでもそれは無理じゃない?」

「……まあね」


 あっさり認めるキリルくんにわたしたち兄妹は同時にうーん、と唸った。


「いや、待てよ」お兄ちゃんが顔を上げた。「これまでに何度か、とんでもなくでかい木を見かけたことがなかったか?」

「うん? そういえば、あったね。多分同じ木かもしれないけど」


 逃げるので精一杯だったから、周囲の地形なんてあまり考えていなかった。

 しかし、よくよく思い出してみると、確かに大きな木は何本か見かけた記憶がある。


「……なるほど。使えるかもしれないよ、それ」


 キリルくんがニヤリと不敵な笑みを見せた。


「ジャングルの大きさがどれだけかは予想が付かないけど、こういう所には必ず抜け道があるはずなんだ」


 まさか、と思った。

 高い木と聞いて、やることは一つしかない。


「…………登るんだね、ソレに」

「半分ご名答」

2016/05/06 改稿

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