67:差し込まれた疑念 - 2
折角の澄み渡る青空も、ヒマリには張りつくように冷たい真冬の風しか感じられなくなっていた。大鷲に跨がったままキリルの背に身を委ね、ただただ、その鼓動だけを聞いている。少なくとも、罵倒を聞くよりは心が休まった。
「……ほら、ヒマリ。彼女がいる」
胸元に響く声にはっと顔を上げると、集落の外れ、森の木陰に佇む小さな人影が見えた。
大鷲はゆっくりと地表に近付いたが、待ちきれずに大鷲の背から飛び降り、親友の下へと駆け寄った。
だが、彼女は気まずそうにヒマリから顔を背けると、唇を堅く結んだ。
「どうして何も言わないの、ミカルちゃん!? 一体何があったの!?」
ミカルは今にも泣きだしそうな顔で、とうとう我慢できずにヒマリに駆け寄ると、その勢いで抱きついた。
ヒマリの肩の上でしゃくり声を上げるミカルに、ヒマリはただならぬ不安を感じ取った。
「何があったんだ?」
今度はタイキが繰り返し尋ねた。ミカルは腕で涙を拭き取ると、かすれた声でポツポツと話しだした。
「ヒマリちゃんのお母さんが……報せたから逃げたんだけど……、今度は櫓のお巡りさんに呼び出されたの。ドラゴンがヒマリちゃんと取引して、自分だけ助かろうとしたんだって……」
全身を撫でるような寒気に、ヒマリは肩を震わせた。
確かに住民は助かったが、代わりに信頼を失ってしまった。ユウリに危険を報せたのも、ディオルクと会った事を示唆するようなものだったのだ。
これは、自分が蒔いた種だ――ヒマリは唇をギュッと噛みしめ、それから、握り締めた拳に怒りをかき集めた。怒りのあまり、どうにかなりそうだった。
「……みんな、どこにいるの?」
正気を保ちながらようやく紡いだ言葉に、ミカルは首を横に振った。
「ごめんね。ヒマリちゃんのこと、信じないわけじゃないんだけど……教えられない」
「…………」
親友でさえ、自分を疑っている。そんな馬鹿なことがあるか。
これまで一緒に過ごしてきた時間は、積み重ねてきた信頼は、一体なんだったんだ?
「ヒマリ。話なんて聞かなくてもいいよ」
抑揚のない声で、キリルが呟いた。
「僕には分かる。南にある森の中だ。そこに集落の人が集まっている」
「……パウオレアの森に……!?」
ミカルはとうとう観念したようにがっくりと肩を落とした。
「森に逃げて野営をしていたら、そこに住んでいる原住民たちが、匿ってくれたの。……その中にはリザードマンも一緒にいてびっくりしたけど、他のリザードマンを追っ払ってくれた」
ヒマリは驚きを隠せなかった。
マウ・ラの民は、赤のリザードマンと和解したのだろうか。
「ヒマリ。どうやらそっちの心配はしなくていいようだな」
タイキが笑いかけてくる。ヒマリは、頭が混乱して喜んでいいのか分からなかった。
「ミカルちゃんはどうしてここに? 一緒に逃げたんじゃ……」
「あたしは心配になって……こないだ手に入れた蒸気甲冑車で戻ってきたんだ。でも、あんな状況で……何も言えなくなっちゃって……」
ミカルはヒマリに嫌われるのを覚悟した。
たった一人の友達――現世では絶対に出会うことのなかった唯一無二の親友だというのに。
でも、ヒマリには隠し立てなど出来ない。一時的な逃避などすれば、それこそこの永遠の世界で永久にたった一人の親友を失うことになる。
ミカルはぎゅっと目を瞑り、ヒマリの言葉を待った。
「良かった」
だが、ヒマリが返した一言は、ミカルの想像を超えていた。
肩に入った力がひとりでに抜けていく。
「本当に……?」
それは、本来なら噛み合わないはずの言葉のやり取りだった。
ヒマリは頷き、黙ってもう一度ミカルを堅く抱き締めた。
――何も言わなくても解るよ。
その想いは、ミカルに充分伝わっていた。
「ごめんなさい……!」
凍った氷がゆっくりと小川となって溶けだすように、二人の間を阻んでいた壁は消えていった。
気持ちが落ち着いてくると、二人は互いに、恥ずかしそうにはにかんだ。
「えっと……ヒマリちゃん、おかえりなさい!」
改めて親友としての一言を言うと、ヒマリも笑いながら「ただいま」と返した。
◆
「なんだか、ヒマリちゃんが急に大人になったみたい」
ミカルは寂しそうにヒマリを見つめる。
「どんどんあたしの知らないヒマリちゃんになっていく……あたしは、それが怖かったの」
ミカルの本心だ。ヒマリは一瞬面食らったような表情をしたが、直ぐに和らいだ。
「変わらないよ。わたしはずっと、ミカゲ ヒマリでいると、この胸に誓ったから。それに、たとえ大人になっても、いつまで経っても、プルステラは永遠の世界なんだよ」
「うん。二人でずっと生き続けて、いつか転生して……今度は幼馴染みになろう!」
ヒマリは頷いてから、心の中で「みんな、ゲートが開いても心変わりしなければね」と付け加えた。
プルステラが変わらなければ、みんな変わらずに生きていける。
しかし、今はそんな不変の平和を脅かす存在がいる。これを何とかしなければ、いつまでも安心してここにいられないのだ。
ヒマリは決意を固めると、一つ深呼吸をし、口を開いた。
「ミカルちゃん。わたし、約束を守る。だから、今は一旦さよならを言わなくちゃ」
「え……?」
呆然とするミカルと握っていた手を放し、ヒマリは再び大鷲の背に飛び乗る。意図を悟ったキリルは、大鷲の耳元で飛ぶように命じた。
「みんなに伝えて! 全部終わらせるって。わたし達が、自分の意志でね!」
「待っ……!」
手を伸ばし、近付きかけたミカルは、大鷲の翼が生み出した風で押し返された。
「また……また離れなくちゃならないの……!?」
ミカルの悲痛な叫びは翼のはためく音でまったく届かない。
ヒマリは胸がチクリと痛むのを感じながら、ミカルが見えなくなるまで笑顔を繕った。
「……ごめんね……さようなら」
溢れる涙が自然と風で拭われていく。
大鷲の巨体が雲を抜けると、ヒマリは笑顔をピタリと止めた。
「さて、これからどうするんだい?」
キリルが振り返らずに尋ねた。
「決まってる。ディオルクを追うんだよ。行き先はもう決まってる。これまでに遭遇しなかったんだから、ずっと南だ!」
「てっきりキミは、家族に会いたがると思ってたけど」
意地悪そうに言うキリルに、ヒマリは顔色を変えず「ううん」と否定した。
「そんなことしたら、隠れているのが台無しでしょ?」
「そうさ、その通り。……ところで、さっきから無口なお兄さんの方はいいのかい?」
キリルが促すと、タイキは小さく溜め息をついてからヒマリの両肩を大きな手でがっしりと掴み、耳元で囁いた。
「正面衝突は避けられないぞ。本当に大丈夫なのか?」
ヒマリはふっと笑った。
「お兄ちゃんがそう訊いてくるんだったら、反対はしないんだよね」
「俺はお前を守るだけだ。無茶をするようならどんなことをしてでも止めるけどな」
「じゃあ、これは無茶じゃないってことだ」
その質問には答えず、代わりにタイキは、ヒマリの頭を軽くポンポンと叩くようにして撫でた。
「行って! キリルくん!」
「了解」
大鷲はぐんとスピードを上げて飛翔した。
とてつもない速度だ。気を抜けば振り落とされてしまうぐらいに。
ディオルクが向かった場所は、具体的には分からなかったが、この先にある巨大な建造物が、一つの可能性を示していた。
――則ち、セントラル・ペンシルであると。
2015/02/05 誤字、誤表記修正。




