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PULLUSTERRIER 《プルステリア》  作者: 杏仁みかん
Section8:空を翔(か)る者たち
67/94

66:差し込まれた疑念 - 1

 西暦二二〇四年一月一日

 仮想世界〈プルステラ〉東ロシアサーバー 上空


 黒竜は考えあぐねていた。

 このまま南下しつつ見回りをしていこう、と思っていたのだが、あの少年のトラップで思ったよりも時間を食ってしまい、約束の刻限が迫っていた。

 冥主は気が短い。かと言って、日本サーバーを攻めずにセントラル・ペンシルへ向かうのは冥主にとっても、あの少女にとっても期待外れ、というものだろう。


 五大陸の北側に位置する東ロシアサーバーは、北側が東ロシア、南側が日本になっている。

 その距離は、人間の足では数ヶ月もかかり、乗り物を使えば一ヶ月近くまで短縮出来る。もっとも、国を跨ぐなら歩くよりもセントラル・ペンシルからフラグピラーを使った方が格段に早いわけだが。


(まあ良い。少し立ち寄るぐらいなら一分と要らぬ)


 既にいくつかの集落を脇目で確認してきたが、見るに耐えぬ程の出来ばえだった。

 もう少し鞭を与えた方がいいかもしれない――と黒竜は考えたが、彼の頭の中はある一つの集落のことで一杯だった。

 日本サーバー、第〇六三一番地域、第五五三番集落。

 ここには優れた鍛冶職人が一名と、今は一人不在だが、誰よりも早く生産システムの秘密を嗅ぎつけたという少女が二人いた。

 衣、食、住――それぞれが非常に安定した供給を保ち、敵への対策も怠っていない。住民は怠ける事もなく、割といいペースで働いている。理想の集落だ。


 そんな理想の集落を目茶苦茶にしたら、あの少女や住民たちは、どんな反応をするだろうか。

 黒竜は子供のように心を躍らせ、ターゲットをその集落に絞る事を決めた。……というより、若干、悪戯心に近いものではあったが。


 見覚えのある、小高い丘があった。黒竜は口の端を歪ませ、集落へ向けて急接近する。


「黒竜が来たぞー!」


 見張り(やぐら)の警官が叫んだが、銃を構える暇もなく、黒竜が少し風を送っただけで吹き飛ばされる。

 空中で急旋回しながら、彼は火の玉を口の中に貯め込んだ。だが、見たところ、人の姿があまり見当たらない。家の中にいるのだろうか。

 考えながらも、黒竜は火の玉を放つ。集落の中心に落ちた火球は、容赦なく集落の家々を焼き払い、吹き飛ばした。


「……む?」


 だが、どうも手応えがなく、黒竜は眉をひそめた。

 まさか、またトラップでも用意しているのか、と警戒したが、そうでもない。

 そもそも、人がいないようだった。


「……やるな、ヒマリ。既に手は打った、ということか。……ならば」


 黒竜はゆっくりと地に降り立ち、櫓から落ちた警官の前に首を伸ばした。

 警官は仰向けで倒れたまま、震えながら銃を構えたが、黒竜は器用にそれを爪の先で奪い取ると、真っ二つに折った。


「勇敢なる人間よ、名演技であった。よって、貴様には一つ、名誉ある仕事をくれてやろう」



 ◆




 西暦二二〇四年一月三日

 仮想世界〈プルステラ〉東ロシアサーバー 郊外


 キリルが目覚めたのは、あれから二日後の真夜中の事だった。

 蒸気甲冑車は歩みを止めており、自分はテントの中で温かい毛布に包まれ、寝かされていた。

 隣には、無防備にすやすやと眠っている、長い黒髪の女の子の姿。


「ヒマリ。起きてよ、ヒマリ」


 キリルがその背を軽く叩くと、ヒマリは軽く身を捩って寝返りを打った。

 今度は柔らかい頬を軽く叩いてみる。ヒマリは顔をしかめて、小さく唸ると、うっすらと瞼を開いた。


「……キリル、くん?」


 虚ろな瞳で、かろうじて言葉を発する。

 キリルは溜め息をついた。


「なに寝ぼけてるんだよ。取ってきたぞ、蒸気大鷲(スチーム・イーグル)


 ヒマリは「蒸気大鷲(スチーム・イーグル)」と言葉を繰り返し、ようやく弾けるように目を見開き、勢い良く身体を起こした。

 分かりやすいリアクションに、キリルは小さく笑った。


「おはよう、ヒマリ」


 ヒマリはどう反応していいやら、と、寝ぼけた頭で懸命に考えたが、どうにか、喜んでいい、ということだけは理解できた。


「えっと……、とにかく、ありがとう、キリルくん! ……それで、どうしよう!?」

「今から準備をすれば、出発の頃には夜が明ける。……タイキは?」


 テントにタイキの姿はない。入り口を開けると、直ぐそこにタイキが焚き火を焚いて寝ずの番をしていた。


「おはよう、二人とも。無事に持ってこれたんだな」

「うん。これで二人の集落までひとっ飛び出来る」


 だが、キリルの顔は浮かなかった。どんなに早い乗り物を手に入れたとしても、既にディオルクが集落を焼き払った後だろう。ヒマリの家族や友達は無事逃げられただろうか。


「しばらく大変だろうから、しっかりと飯を食ってから行こう。直ぐに用意する」


 タイキは、あらかじめ用意してあった朝食用の鍋を焚き火にかけた。


「お兄ちゃん、それ、何が入っているの?」

「直ぐそこの川で釣ったニジマスの味噌汁だよ。それと、キリルの集落であらかじめ買っておいたパンもある」

「いつの間に……」


 パンと味噌汁という組み合わせは如何なものだろう、とヒマリは思ったが、贅沢は言わないことにした。

 一方、キリルは美味しそうな匂いに二日分の空腹を思い出させられた。


「……VR世界にいると現実での感覚を忘れちゃうな」


 ヒマリは笑う。


「キリルくん。ここだって現実じゃないよ?」

「はは。それもそっか」


 三人で鍋の中身を空にして荷物を片づけた後、キリルはインベントリから、鷲を象った古びた真鍮製のホイッスルを取り出した。


「それが甲冑車のキーみたいなもの?」


 ヒマリの問いかけに、キリルはニヤリと笑った。


「まあね。蒸気大鷲(スチーム・イーグル)ぐらいになると、インベントリには収まりきらないから、呼ぶ必要があるんだ」

「……ってことは、既に外に出ているわけ? 大きな鷲が」

「世界のどこかには居るよ」


 そう言って、キリルは胸いっぱいに息を吸い込み、ホイッスルを思いっきり強く吹いた。

 甲高い、鷲の鳴き声に似た音が遠くまで響き渡り、遠くの山々にこだました。


「一体どこから……」


 ヒマリが言いかけたその時、急に晴天のはずの眩い空が暗くなった。

 はっと見上げると、体長五メートルはあろう巨大な大鷲が翼を大きく広げ、叩きつけるような強風と共に降下してくるではないか。

 三人は近くの木に何とかしがみつきながらやり過ごし、大鷲が着地するのを待った。


「これが……蒸気大鷲(スチーム・イーグル)


 大鷲は口元から蒸気を吐き出しながら着地すると、ガシャガシャと音を立てて翼が畳まれ、足を曲げ、地面に胸元を擦りつけるようにして身体を沈めた。


「大変だったよ。コイツを懐柔させるのは」


 キリルはやれやれと首を横に振った。


「やっぱり、強敵だったの?」

「強敵なんてもんじゃない。最初は無敵じゃないかって思えるほどだった。なのに、ジュリエットは反射神経を武器に、足りないステータスを自分の身体能力だけで補ったのさ。お陰で、致命傷を受けたのは一発だけ、後はことごとく攻撃をかわして、少しずつ時間をかけながら反撃して体力を削っていったんだ」


 ひゅう、とヒマリは高らかに口笛を吹いた。


「今度、時間があったら実戦を学びたいな。きっと役に立つだろうし」

「そうだね。僕らは、あのドラゴンを相手にしなくちゃならないわけだし、ゲームだけじゃなく、プルステラの中でも必要とされる技術だと思う。……さあ、行こう。今はキミの集落へ行くのが先決だ」

「うん!」


 三人は鋼鉄の大鷲の背によじ登り、L字状に都合よく飛び出している鋼鉄の羽毛の座席に座った。

 キリルは手綱を引き、大鷲の首をもたげる。大鷲は従い、再び大きな音を立てて翼を目一杯広げた。


「大鷲にはAIが付いている。簡単な言葉なら通じるはずだ」


 キリルが大鷲の首もとでヒマリの集落へ行くように囁くと、大鷲は甲高い声で答え、力強く羽ばたいて真っ直ぐに飛び立った。

 強烈なGに目を瞑って耐えていると、気付いた時にはあっと言う間に雲の上の上空を優雅に飛んでいた。


「凄い……!」


 見下ろせば青々とした大地が広がり、見上げれば、透き通った空がいっぱいに広がっている。

 ヒマリは言い知れぬ高揚感に胸躍らせ、微かに残っていた実の母の記憶を思い出した。


 ――そうね。だから、尚更憧れるのよ。空が見える、プルステラってところに。


 母が憧れ続けていた蒼い空。隔たりもなく、自由を示すようにどこまでも続いているこの空をどこかで目にしたような気がしたが、直ぐには思い出せなかった。

 母が憧れたのは無理もない。それだけ、胸に沁みるような美しい、広大な景色だったのだ。

 ヒマリは大鷲に跨がっている両脚にぐっと力を入れ、両腕を大きく翼のように広げた。


「母さん、ここにあったよ! ここが、母さんの夢見た、理想の大空だよ!」


 ヒマリの突然の行動に、後ろにいたタイキは一瞬ヒヤッとしたものの、彼女の喜ぶ顔を見て表情を綻ばせた。

 これが、今のヒマリの喜ぶ姿。そこに、昔のヒマリの面影は少ししか感じられないが、この笑顔を、自分が永遠に守っていこう――。


 大鷲は、ヒマリ達が一ヶ月かけて歩いてきた距離を、およそ十分程度で縦断した。とはいえ、フラグピラーの南側は見たこともない地形ばかりで、その辺りは訪れたことのない地域だ。

 山、川、森を幾つも超え、ヒマリとタイキにとって見覚えのある丘が遠くに見えた。向かって左側――東の空から光の筋が差し込むと、大鷲の背に乗った三人はあっと声をあげ、息を飲んだ。


「……集落が……燃えてる……」


 既に鎮火した様子ではあるが、赤々と光る残滓がポツポツと見える。

 大鷲は速度を落とし、ゆっくりと翼をはためかせながら集落の中央に着陸した。

 同時に、周囲から集落の住民が一挙に集まり、まだ朝方にも関わらず、三人を取り囲んだ。


「みんな――!」


 真っ先に降り立ったヒマリは、懐かしい顔ぶれに「ただいま!」と声をかけるか、「大丈夫だった?」と声をかけるか迷ったものの、朝焼けに照らされた皆の顔は、どこか尋常じゃない険しい表情をしていた。


「……様子が変だね」


 キリルは注意深く周りの顔色を伺いながら、静かに着地した。その後で、タイキが飛び降り、ヒマリの肩にそっと手を置き、「気をつけろ」と囁いた。


「裏切り者め!」


 誰かが言った。


「俺たちを売ったんだ!」


 別の誰かが言った。

 ヒマリ達は大鷲に寄り添うように身を退いた。良く見れば、取り囲んだ連中は皆、手に武器を持っている。


「どういうことだ!? 一体何の真似なんだ! 俺たちが分からないのか!?」

「分かるとも、タイキ」物見櫓で監視をしていた警察官が前に出て言った。「あの黒い竜と取引したんだろう!? 自分の命を助けて貰う代わりに集落を襲っていいってな」

「まさか! そんなことあるわけないだろう!? 大体、それを信じるっていうのか!?」

「都合よく集落を空けていたのがいい証拠だ! それに、お前達は以前、丘の向こうの洞窟であの竜に会ったそうじゃないか。なんで生きて帰って来られたんだ!?」

「それは……」


 レンやコウタを助けに行った時のことだ、とヒマリとタイキは思い出し、顔を見合わせた。何のつもりか、ディオルクはその時の話もしたらしい。


「重傷者をアレだけ出した化物を相手に、二人で立ち向かってほとんど無傷で済んだのはおかしい話じゃないか! 何か……結託しているに違いない!」


 そうだそうだ、と周囲の人々が口々に叫ぶ。

 ヒマリは戸惑いを露にしながらも、必死で友達や家族の姿を探した。

 すると、取り巻きの一番後ろの方に、ミカルの姿があった。


「ミカルちゃん!」


 もっとも信頼出来る友人。彼女ならきっと、解ってくれるはず。


「…………」


 ――なのに、ミカルはいつになく暗い表情でヒマリを一瞥すると、踵を返し、何処かへ走り去ってしまった。


「そんな……」


 なおも探す。

 レンやコウタ、ムツミは?

 ……彼らの姿も見当たらない。

 じゃあ、ユウリママや、ダイチパパは?

 ……彼らの姿も見当たらない。


 どういうことなのか。

 肝心の家族と友人に会えず、あんなに優しかった集落のみんなから一斉に嫌われるだなんて。


「出て行け!」


 誰かが言った。


「せめてもの情けだ。これ以上災いを呼ぶようなら、容赦はしない」


 他の誰かが言った。


「待ってよ! おかしいよ、こんなの!!」


 前へ出て叫ぶヒマリに、タイキが肩を掴み、ぐいっと引き寄せて止めた。


「……ダメだ、ヒマリ。一旦退こう」

「でも……!」

「母さん達が見当たらないのも気になる。……連絡も付かないんだ。何にせよ、一旦離れた方がいい」

「同感だね」キリルも言った。「冷静さを欠いている。説得するのは後にしたほうが良さそうだ。それに……」


 キリルはフン、と鼻で笑った。


「これだけやる気満々なら、しばらくは大丈夫そうじゃないか。同じような虚栄が、ドラゴン相手にも通用するか見物だね」

「なんだと!?」


 取り巻き達は更に頭に血を上らせたが、キリルはそれでも挑発を続けた。


「何なら、僕達を殺してごらんよ。それでディオルクの攻撃が収まるんだったらね。……でも、僕達は強いよ。タダでは殺されない」


 ヒマリの顔から血の気が引いた。


「キリルくん!」

「ヒマリ。大丈夫だ。こいつらに僕らは倒せない。ただ、起きた災厄や己の無力さを、誰かのせいにしたいだけなんだ」


 ヒマリは振り返った。誰もが、焦ったような、怯んだ表情をしている。

 図星なんだ、と直ぐに分かった。


「……そっか。だったら、ここにいる人たちは憎めないよ」


 ヒマリの呟きに、キリルはその通りだと頷いた。

 キリルは首だけで大鷲に乗るようヒマリに促し、ヒマリは黙って頷いた。


「も、戻ってくるなよ!」


 先程よりも勢いを欠いた警察官が、震えた声で言い放った。


「戻ってくるよ、絶対に。だって、ここが我が家なんだから」


 ヒマリは強く断言すると、乾いた唇を強く結んで、大鷲の背に飛び乗った。

 キリル、タイキも同じように飛び乗ると、大鷲は大きく翼をはためかせ、そこにいた連中を軽く吹き飛ばした。


「はははは! こりゃあ傑作だ!」


 キリルは悪戯っぽく笑ったが、ヒマリは笑う気にはなれなかった。

 むしろ、ディオルクへの怒りが、ふつふつと腹の底で煮え立っていたのだった。

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