65:未練
蒸気大鷲というのは、名の通り、蒸気機関で動く大きな鷲、なのだが、設定では自動操縦でAIが搭載されている、機械獣の一種、ということになっている。
「……でも、アレって、とんでもなく難しい捕獲イベントをクリアする必要があったよね? しかも、所有者になるには、戦闘中に捕獲を成功させた人じゃないとダメだって……」
「うん。確かに難易度は高いけど、そこに短期間で強くなったマスターがいるじゃないか」
――と、キリルくんが顔を向けた先に、全員が一斉に振り向く。
その当人――ジュリエットは、珍しく歳相応の驚いた表情で自分を指差した。
「…………わ、私っ!?」
「そりゃそうさ。何せ、一ヶ月もあのゲームを攻略していたんだし、たった一人で僕の屋敷まで来れたんだから」
「それなら、キリルにだって出来るんじゃない? 自分の屋敷まで持ってて、ヒマリに蒸気甲冑車をあげたぐらいですもの」
「アレは誰でも手に入れられるアイテムだからね。大鷲クラスの乗り物だとそうはいかないんだ。サーバーで個体数が決まってて、所有者の数も限られている。下手に増やせば運営に気付かれるよ」
蒸気甲冑車の入手方法は実に簡単だ。まともにレベル上げをしてきたジュリエットなら既に持っていてもおかしくはない。
VAHのクエストは実にオーソドックスな形式で、スタート地点となるアーデントラウムでクエストをこなし、慣れてきた頃に街の外へ行く遠出のお遣いを頼まれる。それらを二、三こなしながら隣町へ移動すると、都合よく「乗り物取得クエスト」が現れるのだ。これで列車を使わずとも、自力で街と街を移動することが出来るようになる。
一方、大鷲の方は、蒸気甲冑車やそのワンランク上の蒸気バイクでも満足出来ないプレイヤー向けに用意された、いわば、個人所有版の飛行船だ。
そのスピードや利便性たるや、チート級とまで言われるぐらいなので、サーバーごとに個体数が定められており、誰もが入手出来ないようになっている。
当然ながら、その入手は早いもの勝ちになるのだが、プレイヤーが死亡するとランダムな確率で所有を離れ、野生化する。或いは、同レベル以上の敵と戦わない期間が一定期間を超えるか、燃料を与えないことでも、「マスターに愛想を尽かされた」と判断され、同じく野生化する。
そういう仕様なので、入手だけでなく、所有を維持するのも難しいアイテムなのだ。
「でもこれ、ゲーム内では戦っていればどうにか所持権を維持出来るでしょうけど、プルステラに持ち込んだ時はどうなるのかしら?」
「さすがにそれはやったことがないから分からないな。けど、少なくとも燃料さえあればリアルで一ヶ月は保てる仕様だったはずだ。僕らのチームとジュリエットのチームとで一羽……いや、一機ずつ持ち合わせていれば、当分の調査には充分じゃないか?」
それでも、過度に期待されたことに不安が残るのか、ジュリエットは困った顔で問い詰めた。
「……所有権の問題は? 捕獲した人にしか扱えないんじゃなかったかしら」
「現実化の時に所有者を一度だけ変更出来るんだ。ゲームで遊ばない人へプレゼントするためにもね。
ただし、これにもいくつか条件があって、現実化したアイテムを所有出来るのは、一人辺り十個までという制限がある。十個持っていた場合は、それまでのアイテムをどれか捨てるか破壊する必要があるんだ。その事だけ注意すれば、クエストアイテム以外なら何でも現実化出来るはずだよ。……もちろん、現実化のためのアイテムも割高だから、いくらでもってわけにはいかないんだけどね」
運営からは、VAHのアイテムや機能をどこまで現実化出来るのかは公開されていない。あくまで自分の目で確かめてくれ、ということらしい。
「さて、そういうわけで、ジュリエットには二機の大鷲を取りに行って貰わなくちゃね。もちろん、サポートは惜しみなくするから安心してくれ。手渡すのはゲーム内か、デリバリンクで行おう」
キリルくんはそう言って悪戯っぽく笑った。
ジュリエットは大きく溜め息をつき、諦めたように首を振った。
「……やっぱりキリルは、VAHのことになると人遣いが荒いわね」
キリルくんは軽く首を竦めた。
「そういうキャラでロールしてきたからだと思うよ」
――結局、ジュリエットは「まぁ、ゲームなら……」と、抵抗するのを諦めた。渋っていた理由は、大鷲イベントの死亡時に課せられる「悲運」と呼ばれる罰則――いわゆるデスペナが怖いから、だったそうで。
大変なミッションになることは間違いないけど、なんだかんだでジュリエットも満更ではないようだ。
「でも、ここでのんびりダイブしていたら時間が勿体ない。互いに行動しながら一人を残してダイブするような状況にするんだ」
わたしはポン、と手を叩いた。
「なるほど。どこでも接続出来るのを利用するんだね」
「ああ。それまでは蒸気甲冑車で移動していこう」
「ちょっと待って」
と、今度はエリカが話を遮った。
「こっちのチームは具体的に何をすればいいのかしら? 素性とは言っても、どこから手を付ければいいのか分からないわよ」
「まぁ、確かに引き受けたにしては内容が大雑把でしたわね」
ジュリエットはやれやれ、と言わんばかりに頭を抱えた。
「要は、ドラゴンやリザードマン、その他怪物と称するあらゆる生物の行動パターンや生態を探ればいい、ということでしょう。彼らがここに居続けているということは、行動の起点となる棲家があるはずですわ」
「なるほど、パウオレアの森のリザードマンみたいな集落ね……」
「そこに冥主の目的が隠されているかもしれない、とオーランド大佐は考えていたのでしょうね。行動原理や棲家の構造の共通点など……あらゆる観点で探すの。どんな些細なことでも、きっとそこに冥主の目的のヒントが見つかるはずですわ」
エリカは強い眼差しで頷いた。
「考えはまとまったようだね。こっちは普通の連絡方法で構わないから、頻繁に連絡を取るようにしよう。それでいいかな、エリカ?」
「ええ。まだ曖昧なのは変わらないけど、調査してみるわ。……もしかしたら、ヒマリが前に見つけた、リザードマンの本のようなものが見つかるかもしれないわね」
「赤の部族」との交渉の道具として利用した、「青の部族」の本。
AIを搭載したNPCにしては妙にリアル過ぎる「生活臭」――。
……わたしは、何かが頭の片隅で引っかかっていた。彼らの生みの親が誰であれ、どんな目的であれ――果たして、ここまでリアルに描写する必要があったのだろうか――と。
「エリカ、気をつけてね」
わたしは、たった二人で――しばらくは一人で――行動するエリカがとても心配になった。
エリカはわたしの心配を分かった上で、大きな親指を立てて見せた。
「私自身は二人だから、大丈夫。ヒマリこそ、焦る気持ちは分かるけど、どうか冷静にね」
「うん」
別行動をする当分の間、会えないだろう。
わたし達は抱擁し、しばしの別れを惜しんだ。
「では、来月末に、日本サーバーで落ち合いましょう。……そうね、ヒマリの集落でいいわ」
「うん。待ってるから」
この旅で何度も別れを体験してきた。
エリカとは一時的に離れるだけだけど、初めて出会った時から一度も別れた事がないだけに寂しいものだった。
ジュリエットが持つ蒸気甲冑車が、先行して村を出て行く。
その後ろ姿をぼうっと見送っていると、キリルくんがわたしの肩を叩いた。
「さあ行こう、ヒマリ。こうしている間にも、時間が惜しい」
「……そうだね」
ディオルクの飛行速度なら、きっと、今夜中に日本サーバーに辿り着ける。
きっと、どんなに急いだってアイツには追いつけないだろう。それでも、少しでもいい、出来るだけ早く日本サーバーに辿り着くというのが重要なのだ。
わたしは自分の蒸気甲冑車を呼び出し、直ぐに乗り込んだ。
座席の両脇を、お兄ちゃんとキリルくんが固める。
「僕はジュリエットをサポートしてくる。二人はそのまま移動を頼む」
「了解」
本当はわたしも、と思ったけど、動けない人間が二人いると、何かあった時にお兄ちゃんが大変だ。
エリカはジュリエットを抱えて逃げられるけど、お兄ちゃんはわたしとキリルくんを同時に抱えて逃げられない。
「僕の命はキミに授けたよ、ヒマリ」
「……責任重大だね」
「現実よりもね。この世界では、自分の魂が全てなんだから」
「…………?」
どういう意味だろう、と考える間もなく、キリルくんはデバイスを頭に装着して眠ってしまった。
その時、甲冑車がガタン、と揺れ、キリルくんの身体は容赦なくわたしに傾いた。
「……――――っ!?」
思わず、手綱を持つ肩に力が入り、顔中が熱くなる。
胸の鼓動がバクバクと速くなり、視線が勝手に泳ぎだした。
――どうしたんだろう。
鼻腔をくすぐる彼の匂いと、肌に伝わる体温、重み、吐息――。
それらが、わたしを惑わせているようだった。
「……ヒマリ。俺が操縦しよう」
お兄ちゃんは半ば呆れたような顔をして、わたしから手綱を奪い取った。
「…………」
ありがとう、だなんて、絶対に言えない。
だってそれは、こうして――キリルくんを支えて――いられるって認めるようなものだから……。
……でも、黙っていれば……それはそれで、「そういう空気」にしてしまうわけで……。
――などと、考えていると。
「……ところで、どうなんだ、ヒマリ?」
「な、なにが?」
お兄ちゃんの問いかけに、わたしは更に鼓動を高鳴らせた。
「お前はもう、生きる道を決めたのか?」
予想していたのとは、少しばかり違う質問。
わたしはほっとしたような溜め息を、深呼吸と共に吐き出した。
「……わたしは、ヒマリだよ。ミカゲ ヒマリ。お兄ちゃんの、たった一人の妹」
「…………そっか」
安堵したように、お兄ちゃんははにかむ。
――これでいいんだ。
例えユヅキとして生きられるとしても、カイや父さんはもう、この世界には来られないのだから。
思えば、学生時代の友達と呼べる連中も、一時的なものだった。
卒業すれば熱は冷め、気付けば、一人として生涯付き合っていけそうな親友はいなかった。……多分、お互いにアニマリーヴするって分かっていたから、付き合いが浅かったんだと思う。
現世の縁を持ち込むのは、家族だけでいい。
何故って、新しい人生を迎えるのに、今後も古い友人たちと半永久的に付き合っていくというのは、過去のいろんな因縁を引きずるようなものだからだ。
出来れば新しく、なるべく純粋に生まれ変わりたかった。……そういう意味では、ユヅキがヒマリになれたのは、とても幸運で、理想的だった、のかもしれない。
わたしは、ヒマリとして歩み始めた道を後悔していない。
村を出るまでは未練があったけど、ここへ来るまでの道のりで、それは確信へと変わっていた。
もちろん、記憶は大切にしたいと思う。少なからずユヅキとして生きた証――母さんとの思い出だけは。
「……あっ!」
……それで、わたしははっと思い出した。あの青いフレーム――母さんとの最後の思い出である、家族写真を残してきたことを。
今では、カイや父さんとの唯一の思い出でもある。こんな形で、取り残してしまうだなんて。
「どうした?」
手綱を操りながら、お兄ちゃんはわたしを気遣う。
説明すると、お兄ちゃんは「ああ」と嘆息した。
「それなら、忘れ物をしたのは俺だって一緒だよ。何より、父さんと母さんを置いてきている。……なに、不意打ちは免れているんだ。あの二人のことだから、きっとインベントリに仕舞ってくれているさ」
「だと、いいんだけど」
尽きることのない心配は膨らむばかり。
すると、お兄ちゃんは、突然わたしの頭を右手で押さえつけ、わしゃわしゃと勢いよく髪をかき乱してきた。
「わー! なにするのぉ!?」
「本当にお前ってヤツは……いつからそんな心配性になったんだ!? 忘れるなよ、ヒマリ。お前はヒマリとして生きるって自分で決めたんだ。……この意味、分からないわけじゃないだろ?」
……まったく、どっちが心配性なんだか。
ええ、分かってる。分かってますとも。
お兄ちゃんは、今でもわたしに、前のヒマリらしい姿でいて欲しいと思ってるんだ。
どんな時も笑って、決して弱みを見せないという、理想の「ヒマリ」。
そうなって欲しいっていうのが、お兄ちゃんの望み。わたしがヒマリで在り続ける以上、目指さなくてはならない理想の姿。
お兄ちゃんは、きっと焦っているんだ。次第に別人になっていく、わたしの姿に。
お兄ちゃんにとって、「ヒマリ」は絶対だ。わたしにとって母さんの記憶がそうだったように、お兄ちゃんもヒマリを必要としている。
だからって、いつまでも他人になりすますことは不可能じゃないか。この身体が馴染んでいけばいくほど、わたしはわたしなりのヒマリに変わっていく。
きっと、この世界でのわたしという存在は既に完成されている。現世での「大神悠月」でも「御影陽」でもない、新しい「ミカゲ ヒマリ」として。
「……お兄ちゃん」
とても、言いにくい事だけど、二人きりの今だから、話す必要があった。
……でも、お兄ちゃんは、そっと掌を突き出して、わたしの言葉を遮った。
「…………解ってるよ。お前が言いたいことは。
俺が、未だに妹の幻影を追い続けているって言いたいんだろ? ……まったく、その通りだよ。
お前はもう、別人のヒマリとして生きる事を決めたのにな。そうやってケジメを付けたってのに、俺だけがまだ、現世に未練を抱き続けているんだ」
お兄ちゃんの横顔に、暗い影が下りた。……ちょうど、郊外の森に差し掛かったところだった。
お兄ちゃんは甲冑車の速度を緩めながら、小さく溜め息をついて、言葉を続けた。
「アイツはもう、死んだ。お前がヒマリじゃないって知った時に、自分に言い聞かせたつもりだった。
――なのに、お前の笑顔を見たり、一緒にいるうちに、本当のヒマリの姿がお前に重なってさ……。
……実のところ、お前の演技が上手すぎたんだよ。それが、俺の中で未練を残しちまった。……だから、お前が落ち込んだり、泣いたりしているのを見ると、とても辛くなるんだ。アイツ、泣いたらこんな風になるんだな……って。
なにせ、あの七夕の日に、初めて、家族揃って見たわけだからさ。お前が泣いてるところを」
わたしはその時の事を思い出して、少しばかり恥ずかしくなった。
ママの姿を、本当の母さんの姿に重ねてしまっていたからだ。泣いてしまったのは、そのせいだった。
「……そんなお前を見ていたら、次第にこう考えるようになったんだ。
――生前、アイツはいつも、俺たちの前で笑ってたけど、実は強がってただけなんじゃないのか? 病室に一人取り残されると、お前のように思いっきり泣いてたんじゃないのか?
俺は、ずっとアイツの事を大切にしてきたつもりだ。……なのに、実は、最後までアイツの気持ちを理解してやれなかったのかな……って――」
――振り向くと、珍しくお兄ちゃんが泣いていた。
前を向いたまま、ぐっと唇を噛みしめながら、涙を堪えようとして……それでも、我慢出来ないようだった。
「なあ、『ユヅキ』、俺、いいお兄ちゃんでいられたと思うか? 妹の気持ちなんて理解しきれていない、こんなお兄ちゃんでさ。アイツは、それで本当に幸せだったのかな……?
俺、そればかりが未練だったんだ。現世に遺してきた、たった一つの未練だったんだよ……!」
……気持ちは、痛い程に解った。
わたしも、現世ではお兄ちゃんだったから。それも、まともに兄として機能していない、形だけの兄だったから。
「……それでも、兄という存在は一人なんだ」
今一度、わたしはオオガミ ユヅキとして応じた。
「僕も同じだったんだ。こうして現世を離れると、本当にカイのために兄の務めを果たしたのかなって思う時がある。
……同時に、キミの妹のヒマリとして生きてきて解った。逆の立場になって、初めて理解出来たんだ。
気持ちはしっかり伝わるものなんだなって。その一生懸命なところは――少なくとも僕……今のヒマリには、よく伝わったよ。嬉しいぐらいにね」
「…………そう、かぁ……」
お兄ちゃんはゴシゴシと腕で涙を拭った。
ようやく吹っ切れたのか、晴れやかな微笑みを浮かべていた。
「だから、自信を持っていいと思う。きっと、彼女にも伝わっているはずだよ」
――言うまでもなく、それは僕の、カイに対しての願いでもあった。
2015/01/30 改稿




