59:双つの魂、一つの器 - 1
西暦2203年12月21日
仮想世界〈プルステラ〉東ロシアサーバー 第1045番地域 第207番集落
翌朝早くに目が覚めた僕は、着替えを済ませてから、外の様子を知るために一階へ下りた。
暖炉の火は消えているし、コートを羽織っても寒い。ヒマリ達が起きる前に暖めておかねば。
マッチで暖炉の火を起こしながら窓の外を見ると、あれだけ騒がしかった吹雪は綺麗に収まり、替わりに深く積もった雪が窓辺から顔を出していた。既に何人かが雪かきをやっていて、スコップで土を撫でる音が微かに聞こえてくる。
この様子だと、ドアからは外に出られないはずだ。窓からか、或いは屋根裏の雪かきをしながら外へ出るか……。
その前に長靴を用意しておこう。それから、スコップと、出来れば脚立も欲しいところだ。
だが、脚立は一階の物置……則ち、外に仕舞われている。取りに行くには、やはり屋根裏から外へ出るか、窓から出て行くかしかない。
となると、やはりベストは屋根の雪降ろしからだ。終わったらそこから飛び下りるだけで、脚立を使う必要は無くなる。
まぁ、プルステリアの身体能力は現世よりも遥かに高いから、屋根から飛び下りても怪我せずに着地出来るのだが、VAHならともかく、この肉体であの高さから飛び下りる勇気があるかどうか。
「おはよう、キリルくん」
そよ風のように優しい声に振り返ると、そこには、昨日命を救ったばかりの少女が、寝間着姿のままでそこに立っていた。
「おはよう、ヒマリ。……そんな格好で寒くないかい?」
「あはは……やっぱり寒いね」
と、ヒマリは両腕で自分の身体を抱き、苦笑した。
僕は、自分が着ていたコートを脱ぎ、ヒマリの肩にかけてやる。
彼女は、少しばかり驚いた顔を見せてから、「ありがとう」と笑った。
「じゃあ、着替えたら、お手伝いするね」
「手伝い?」
そんな話はしていないし、聞いてもいなかった。
ヒマリは悪戯っぽく笑って、こう言った。
「雪かき、するんでしょ? 命を助けてくれたのと、寝床と……それからコートを貸してくれたお礼に、手伝ってあげる」
――ああ、そう言えば、そんなに助けたんだっけか。これは出血大サービスだった。
まぁ、お礼かどうかはともかく、手伝ってくれるのは素直にありがたいものだった。
「じゃあ、僕は料理をしよう。ヒマリが肉体労働を引き受けてしまった以上、僕は主夫にならなくちゃいけないな」
そう、ヒマリの調子に合わせたつもりだったのだが。
ヒマリはなぜか顔を真っ赤にし、何も言わずに踵を返して二階へ駆け上がってしまった。
入れ替わりで、エリカが階上のヒマリを気にしながら下りて来る。……何かおかしな事でも言ったかな。
「おはよう、キリル。……ヒマリ、どうしちゃったの?」
「さあ」
と、僕は諸手を挙げ、肩を竦めた。
「急に走っていったんだ」
「ふぅん……なるほどねぇ」
心当たりでもあるのか、エリカはにやついた顔で窓の傍へ歩いていった。
「わあ。凄い積もってるわね」
「ここまで積もったのは今日が初めてだよ」
「でしょうね。東ロシアサーバーに来た時は、まだ降っていなかったもの」
年末に向けてじわじわと寒くなるだろうと思っていただけに、一昨日からの吹雪には本当に驚かされた。
この集落の住民には、厚めの毛布や布団、コートなど、防寒対策用のグッズが予め配られていたが、本当に最小限のものしか揃っていない。やはり、自ら生産していかなくちゃならない、ということか。
「おはよう、二人とも。雪は大変そうだな」
と、タイキが階段を下りながら声をかけた。
彼は僕の顔を見るなり、少し気まずそうに視線を落とし、照れ隠しの癖なのか、頭を掻いた。
「キリル……その、昨日は色々疑って悪かったな」
「いや、問題ないよ」
「そう、か……」
タイキはぎこちない笑顔を見せる。
「改めて、ありがとう。昨日はゆっくりお礼も言えなかったからさ」
「……うん、どういたしまして」
僕も、自然と頬を緩ませていた。
嬉しい、のかな。だから、こんな顔をしているんだ。
「もう! 二人とも、ギクシャクしすぎよ。男の子らしくもない」
エリカに呆れられ、僕らは今度こそ笑った。
それで、タイキとの気まずい空気は綺麗さっぱり消え去った。
「あれ? 三人とも何笑ってるの?」
そんな和やかな空気に首を傾げる階段の少女。
彼女は今度こそ暖かそうな冬物の服装に着替え、両手には僕の黒いコートを抱えていた。
「いや、なんでもないよ」
「ふーん。……はい、コートありがと」
ヒマリは特に気にする風でもなく、昨日以上に明るい笑顔で僕にコートを返した。
「……で、雪かきやるの? それとも朝食作るの?」
§
結局のところ、どうしても雪かきをしたいと言っているヒマリと、犬の強靱な体力を持つエリカ、僕とで雪かきを担当し、残ったタイキが朝食の準備をすることになった。
エリカ曰く、本来ならヒマリが料理をするべき、だそうだが、ヒマリは何故かロシアの雪を体験したいらしいし、エリカはあんな姿だし、料理には不向きである。
僕はと言えば、女性が二人とも肉体労働をするもんだから、家の主としては参加しなくちゃならなかった。
となれば、どちらでも良い立場のタイキが、必然的に朝食担当となる。
「でもね、ああ見えて料理の腕はいいんだよ、お兄ちゃん」
ヒマリは屋根の上でスコップを大胆に振るいながら言った。
「そうなんだ?」
「うん。わたしが……いや、正確には、本当のこの身体の持ち主だったヒマリが何年も入院してたから、共働きのパパとママの代わりに料理作ってたんだって。アウトドアにも詳しいし、一通りの料理は作れるみたい」
「なるほど。それは頼もしいな」
「でしょ? だから、わたしが料理していなくてもいいの」
そう言って、彼女はペロッと舌を出してみせた。
日本だと、子供が悪戯を働いた時にするジェスチャーだったか。
「…………」
……本当の身体の持ち主……か。
大気汚染病にかかって亡くなったという、元の「ヒマリ」。
今の彼女は、カイの兄であるユヅキが操作し、元々の身体の持ち主であるヒマリの魂は行方不明だと聞く。以来、ユヅキはヒマリの代役として生き、そうして演技をしているうち、本人が知らない間に性格が上書きされてしまった。
考えてみればみるほど不思議な現象だが、プルステリアの仕組みを考えると、これはバグでもなんでもない。本来あるべき姿なのだ。
ハッキリとした原因はまだ解らないが、恐らくは性不一致によるデータの書き換えが最もな原因と考えられる。
プルステリアの肉体にも分泌すべき体内物質というものがあり、基本的には肉体側で発せられるホルモンや脳内麻薬によって身体のバランスを調整させられる。例えばこの時、魂が男性であっても、肉体さえ女性であれば、女性ホルモンが分泌されるようになるのだ。
そうして少しずつ異性のホルモンという毒に冒されてきたであろうユヅキは、自身がロールしてきた性格の後押しもあり、次々と女性ホルモンを注文し、分泌。すると、残っていても仕方がない、無意識に存在する精神的男性の部分は次々と外へ追いやられ、本人が気付かない間に消去されてしまった……というわけだ。
これが仕様だと言える理由は、プルステリアが元々、性転換可能な肉体であるということだ。
本来、性転換の処置をするには、セントラルペンシルで性転換か転生の手続きをする必要がある。或いは、僕のようなプログラマーが性別コードをいじるか、のどちらかになるが、誓約書を交わす事を考えれば、セントラルペンシルでの手続きが最も安全な方法だろう。
性転換処理を終えると、魂だけは異性のままで残る。だから、初めは性転換前の性格が残った状態で、ホルモンによって次第に違和感なく性格が書き換えられていくのだ。頭の中では、自然と「そういう性格で当たり前」になっているだろう。
よって、ヒマリことユヅキの性格が女の子らしいものに変わっていったのは、その身体に乗り移った時から必然だったと言える。元に戻すには、男性として生まれ変わらせるしかないのだが……。
実は、問題は他にもある。彼女の体内に内包する魂が二つあった、ということだ。
一方がユヅキであることは間違いないのだが、もう一つは……。
「キリルくん? どうしたの、急に黙っちゃって」
そこまで考えを巡らせた時、ヒマリが僕の顔を覗き込んだ。
「……いや、何でも」
「…………?」
──そんな提案が出来るだろうか。
目の前にいる彼女が男性として生まれ変わった時、少なからず彼女に関わってきた人々の見る目は変わっていく。
現世で生きてきた僕と、プルステラで生きている僕――その違いが指し示すように。
「キリルくーん! 手が止まってるよー!」
そんな僕の考えなんて露知らず。
ヒマリは既に、屋根の半分ほどの雪を下に降ろしてしまっていた。
「……キミ、思ったより力持ちだね」
「へへー」
自慢げに胸を張る小柄な少女。
僕も負けてはいられない。ただでさえ、インドアのせいで女々しく見られがちなのだ。
腰を落として雪をシャベルに乗せる。……予想以上に重たい。
思えば、ウラジオストクの実家にいた時は、ここまでの作業をした事が無かった。屋根の上は危ないから、と、お母さんが全て引き受けていたのだ。それに、独りになった後は脚が使えなくなったので、電熱器を付けて雪を溶かしていた。
これだけ大変なことを任せていたのだ、と思うと、今更ながら申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「スコップより、そのまま蹴っちゃえばいいよ。面白い程スルスルーって下に落ちるよ?」
「それもそうか」
言われるがままに雪の板を蹴ってみると、確かに軽い雪崩によって雪は滑り落ちていき……。
「きゃーっ!?」
「えっ!?」
……下で作業をしていたエリカに直撃した。
「何すんのよ、もー!」
バサバサと頭を振るエリカを見て、ヒマリは腹を抱えて笑った。
──ほんの一瞬。
その横顔が、昇りたての朝日に照らされて一層明るく見えた。
無邪気で、眩しい笑顔。
僕にも、そんな風に笑えるだろうか。
「……ふふっ」
いや、笑っていいんだ。
エリカに起こった不幸よりも、僕の身に起きていた幸運が可笑しくて。
僕も同じように――きっと、笑っていた。
§
朝食を挟んだ後、タイキを加えて雪かき作業は続き、昼に差し掛かる頃には、ようやく終わらせられた。
きっと、僕一人ならこうはいかなかっただろう。近所の人の手を借りる結果になっていたが、その手がヒマリ達で本当に良かったと思う。手術のお礼の効果もあってか、気兼ねなく頼む事が出来たのだ。
昼食にシチューを作ってみんなで食べた後、ヒマリは外へ出かけたいと言い出した。
あんなに動いたのにまだ動くのか、と驚くも、同じ考えなのは僕だけじゃなかった。
「本当にどうしちゃったのかしら。あんなにはしゃいじゃって」
エリカも、元気よく外へ駆け出していったヒマリを見て首を傾げていた。
「元々あんなだよ」
タイキがどこか遠くを見るような目で言った。
「何ヶ月もはしゃげなかったから、発散してるのさ」
「それもそっか。……私は疲れちゃったから、ゾーイに面倒見させるかしらね」
言うや否や、一旦目を閉じたエリカが目を開くと、若干凛々しいというか鋭い目付きに切り替わった。
タイキは慣れた様子で彼女に手を挙げて呼びかける。
「よお、ゾーイ。ご主人様はおねむだから、ヒマリと遊んできてくれないか」
「うん。ゾーイ、ヒマリと遊ぶ!」
エリカの身体をしたゾーイは、少々ぎこちない言葉を紡ぐと、四つん這いになって元気よく家の外へ走っていった。
……なんとも不思議な光景である。
「確か……魂と肉体が一体化したとか?」
「ああ。カプセルに二人分入った状態でアニマリーヴしたらしい」
「なるほど……」
このケースは、ヒマリの時とはワケが違う。
前にコミュニケーションツールで知ったのだが、獣人になったパターンは世界中で何件かあったらしく、どこから生まれたのか、プルスセリアンという名称で呼ばれていた。エリカもその一人に数えられる。
プルスセリアンは、どういうわけか二人分のメモリを所有していると聞く。ヒマリの時とは違い、肉体の方が二人分に対応した、ということだ。
「ふむ……。おかしいな」
「ん? 何のことだ?」
思わず呟いてしまった独り言に、タイキが反応した。
この際、お兄さんにも意見を伺ってみるか。
「ヒマリとエリカの身体のことさ。アニマリーヴの仕方は違っているだろうけど、基本的にはその身体には同じ現象が起きていたはずなんだ」
「同じ現象?」
「つまり、一つの身体に二つの魂。二人にはこの共通点があるんだ」
「いや、それは違うだろう」
タイキはあっさりと反論した。
「エリカは二つの身体が一つになったんだ。ヒマリ……いや、ユヅキの場合はカプセルに一人だったし、ウチの母さんが言うには、本来のヒマリの魂も見当たらなかったらしい。魂は二つ分あったらしいけどな」
「だから、その辺も含めて色々おかしいんだ。そもそもアニマリーヴというのは、アニマリーヴの際に肉体を形成するわけじゃないんだから」
「……え?」
そう。ほとんどの人間はそう思い込んでいるようだが、魂をデータ化して送る……なんて大層な説明をされても、実際の処理は全く異なっている。だからこそ、ヒマリに起きた出来事を異常視していたのだ。
……だが、逆に色々考えると、ヒマリの身に起きた現象こそ、おかしいと思うのだが。
「アニマリーヴをする時に、手続きをしたよね?」
「ああ。したな。長ったらしい手続きだ」
「アレは、プルステリアという器を作るための手続きなんだ。だから、アニマリーヴではその処理は行われていない」
「…………は?」
タイキは素っ頓狂な声を上げた。
……ふと窓の外を眺めると、四つん這いのゾーイとユヅキを宿したヒマリが、雪合戦をして楽しんでいる。
「すまん、さっぱり解らないんだが」
「そうだね。続きは、四人目のゲストを迎えてからにしようか」
間もなくして、戸が叩かれる。待ちに待ったノックだった。
戸を開けると、窓の向こうでちらりと映っていた少女が姿を現した。
どこかで見た面影のある美しいブロンドの彼女は、白い息をほうっと吐き出すと、気丈な眼差しを僕に向けた。
「ごきげんよう、キリル。ようやく会えたわね」
それは、僕が待ち侘びていた、もう一人のゲストで間違いなかった。
「やあ、ジュリエット。無事に来られたんだね。待っていたよ」
2018/04/21 改訂、改稿




