★44:もう一人の招待客 - 2
先程のギャラリー効果もあってか、周囲のプレイヤーがご親切にも、色々なことを教えてくれた。
属性の関係、石炭の種類、そして、このゲームに登場する国と国の関係、地理など。
聞いてもいないのに、次から次へと飛び交う情報。
幸い、私は、記憶力に自信がある。二度と聞けないだろう情報を聞き逃さないようにと、常日頃から訓練を行っていたのだ。反射的に覚えてしまうのは、習慣、なのだろう。おかげで、このゲームの知識は、そこらのプレイヤーと変わらぬぐらいに身についてしまった。
ゲーム時間で夜中の一時半を超えたところで、私は、親切なプレイヤーたちに礼を言い、そろそろ寝るのでログアウトする、等と嘘をついて立ち去った。
マップも一度確認して、大体地理は把握している。昼間に情報を得た通り、武器屋の横にある、暗く細い路地を通り、例の裏路地に入った。
そこにはまだ、人は来ていなかった。
街灯もなく、建物の隙間に下りる微かな月明かりだけが、かろうじてその場を照らしていた。
どこからか、蒸気の漏れる、しゅうしゅうという音が聞こえてくる。どうやら、直ぐそこのマンホールから、らしい。
私は、適当な壁にもたれ掛かり、膝を抱えて座った。
あまり、いい場所ではない。ゲーム内とはいえ、好き好んで来るような場所でもなく、むしろ、不清潔に思える。
仮想世界にある、そのまた仮想の世界ではあるが、マンホールから匂ってくるドぎつい臭いも妙にリアルで、たまったものではない。
せっかくプルステラの新鮮な空気を堪能したと言うのに、これでは全てが台無しだ。何故、私は、こんな目に遭わなくてはならないのか。
「はぁ……」
確かに、ゲーム自体は面白い。
だけど今は、プルステラを愉しみたい、という気持ちの方が、勝っている。
大佐のお遣いもそこまで急ぎだと言われてなかったのに、急がなくちゃならないと思ったのは何故だろう。
期待されたから?
それとも、他の誰かに、仕事を渡されたくなかったから?
…………いや、その両方だ。
私は焦っていた。プルステラで任務を無視し、ただ平和に暮らしていると判れば、大佐は、別の駒を用意するだろう。
既に現世と別離したにせよ、せっかくの信頼を自ら失うような真似だけはしたくない。
出来れば、綺麗なカタチで終わりたい。
彼らの記憶から、私という存在が消えてしまうのは、とても恐ろしく感じられた。
不思議なものだ。人と関わるのが苦手なくせに、誰かに覚えておいて欲しい、だなんて。
それも、この世界ならたやすいことだ。
プレイヤーは、どういうわけか、進んでこんな私に関わろうとする。私は、それに応じればいい。幾らでも、友達は作れるはずだ。
任務のように、人から逃げるような事は、もう、しなくていいのだ。
だけど、心は満たされないだろう。大佐やエリックのように、本当に大切にすべき人は、ここにはいないのだから。
「おやおや、お客さんのお出ましかい。随分と可愛い子だが」
突然かかった軽い声に、はっと顔を上げた。
油断をしていた。考え事をしている間に、既に二時になっていたのだ。
よくは見えないが、目の前で右肩を壁に預けて立っている男は、大きなザックに、じゃらじゃらと音を立てる大きなコートを身に纏っているようだった。
情報屋ではあるが、まるで、行商人のようでもある。
男はマッチを擦り、腰に吊り下げたカンテラに火を灯した。
被ったフードの中身を下からそっと覗くと、口元をマフラーで隠していて表情を伺い知ることは出来なかった。
「……『坊や』に会わせて」
私は、立ち上がりながら静かに告げた。
「んー。知らねぇなぁ。他を当たりな、お嬢ちゃん」
私の方も見ずに即答され、しっしっと追い出す仕種をされる。
だが、ここまでは予想通りの回答だった。
「農場の『豚』が、ご主人様に会いたがっているわ」
払った手の動きが、ピタリ、と停止した。
じゃらり、と、男の身体が、こちらを向いた。
「……てめー、ナニモンだ?」
男の声色が、低いものに変わる。
私は、生唾を飲み込んだ。
「『豚』の遣いよ」
「…………」
マフラーとフードに挟まれた闇から、赤い鋭い眼光が私を突き刺すように睨んでくる。
私も、視線を離さずに睨み返す。
「……そういうことなら、しゃーねぇなあ」
男の口調が元に戻った。心なしか、眼光は和らいだようだ。
彼は、人指し指と中指に挟んだメモを私の目の前に差し出した。
「ヤツはココに記された所にいる」
それを手に取ろうとすると、すっと指先だけで引っ込められた。
「コポルは、あるのか?」
「いいえ。でも、リアルマネーなら、充分にお支払い出来るわ」
「上等。そいつでもいいぜ。プルステラ版は、RMTもレート次第で換金可能だからなぁ」
「ありがとう」
情報屋は素早く手を走らせ、取引画面を出した。事前に聞いていた一万の額を入力し、取引を完了させる。
男は、指に挟んだメモを、今度こそ渡してくれた。
軽く中身を確認する。……何かの座標が書かれていた。
「まいどあり。……それと、気前のいいお嬢さんに、一つ警告だ」
「なに?」
「その場所を一人で突破するなら、正攻法は無理ってモンだぜ」
「……難しいの?」
「それなりの場所だからな。どうしてもって言うなら、ある程度レベルを上げるなり、武器を揃えるなりしておけ。トップクラスの実力は必要だ」
「……そう。ご忠告どうも」
私は、軽く手を挙げて情報屋に礼を言い、その陰気臭い場所から早々と立ち去った。
情報屋はその場から動かず、最後まで私の背を見送っていたようだった。
難しい、と言われても実感が湧かない。
まずは、ダメもとで試してみる必要があるだろう。
どうせ、時間はあるはずだ。ブレイデンだって一人で突破する事を考慮していたに違いない。
大佐は、私がプルステラへ行くことを進言した時に初めて、お遣いを頼んだのだ。
もし、現世に残る、などと言えば、そのお遣いは無かったものになるか、或いは代理の誰かに行かせただろう。
その役目を担えたのは……多分、エリックだ。
エリックは妹の事で気がかりだっただろうし、彼自らプルステラへ行くことを希望していたはずだ。
外注の人間は、ブレイデンだけで充分だ。それ以外の追加は、まず、考えられない。
他のリソースを雇うとすれば、私の替わりになる補欠、それも、「出来立て」の身代わりでしか、あり得ない。
……しかし──私なんかが考えるのもなんだが──そんな経験もない連中に、こんな任務を与えて大丈夫か、と言うと、少々心許ない。
この任務は、海底施設でのハッキングがあってこそ成り立つ任務だ。アレだけのセキュリティを潜るという危険を冒してまで、実行されたのだ。
その続きを、他人にやらせるような真似をするだろうか。……いや、あり得ない。
なら、この任務がとてつもなく重要であるということは、間違いないはずだ。
そして、時間には多少なり、猶予がある、ということでもある。
期限があるとすれば、それは……最初にアニマリーヴした人々が、現世へ戻れる一年後まで。
……則ち、来年の四月四日までだ。
大佐は、そこまで時間は掛からないはずだ、と思っているに違いない。
或いは、最初の帰還者を犠牲にしてでも、確実に任務をこなすべきと考えているのか。
……全てを私に委ねたのかもしれない。
それか、私がこうやって悩むって判っていて……。
「……ああ、もう! 考えるだけで面倒臭いわ!」
今はとにかく、ベストを尽くそう。必要なら、期限ぐらい教えたはずなのだ。
まずは、現状での最強装備を整え、目的地へ生身で行けるか検証。
可能なら、そのまま突き進んで『坊や』と対面。
無理なら、何が必要か、戦力差を見極めた上で特訓。スケジュールも立てる。
……うん。これで行こう。
§
──CASE:ORLANDO・BISSET
ジュリエットが旅立った直後。私、オーランド・ビセットは、今更とんでもないミスに気付いたのだった。
「……しまったなあ」
「え、どうしたんです?」
私の独り言に、エリックがドキっとして、すかさず尋ねてきた。
「いやあ、ジュリエットに任務の期限を告げるのを、忘れてしまってな……ははは」
エリックは、呆れた表情どころか、泣きそうになった。
「どうしてくれるんですか! いつまでも届かなかったら、どうするんです!?」
「ははは。今頃、頭を抱えているだろうな。アイツは、ちょっとした疑問でも深く考えてしまうほど、利口だ」
「笑い事じゃありませんよ! こんな事なら、私が行けば良かった!」
……そうだ。エリックはずっと、プルステラへ行くことを、心の中で望んでいた。
今でこそ、心の内を知られてヤケになっているが、可愛い妹の事を考えない日は無かっただろう。
私も、少し前までは、彼をプルステラへ送りたいと思っていた。
……だが。
「……すまないが、今、お前を、プルステラへ行かせるわけにはいかないんだよ」
「どういうことですか?」
「外側からしか救えない命も、もしかしたらあるかもしれない、ということだよ、エリック。万が一、私に何かあった時、キミが傍にいてくれなかったら、どうするつもりなんだね?」
「それは……」
エリックは、困った表情で口籠もった。
後釜は……出来れば作りたくはないのだが、もしものことを考えると、頼れるのは彼しかいない。
そもそも私は、命を狙われているのだ。
「それに、あの子の事は、あくまで『保険』だと、そう言っただろう」
万が一、ジュリエットが任務を放棄したとしても、それが彼女の意志ならば、私からはとやかく言うまい。
例え、現世に残ったとしても、任務で使用した生体ツールの副作用で、もはや、半年と持たぬ命だったのだ。
彼女には、これからずっと、人間として幸せに生きていく権利がある。邪魔する事は出来ない。
だから、あくまで「お願い」だった。
ブレイデンから教わったであろう手順はややこしいものだが、命を賭ける程でもない。ちょっと届けてくれるだけでいいのだ。
「あなたの言い訳は判りました。しかし、それでは、ジュリエットのあの苦労は何だったと言うのです? 相互干渉が出来なければ、ハッキングをした意味が無くなるのでは」
「お前は、ジュリエットが依頼をサボると考えているのか?」
エリックは、慌てて手を振って否定した。
「とんでもない! 彼女は、与えられた任務に誇りを持っています。絶対に、約束を守る子です!」
「そうだ。だからこそ、任せた。今では、お前の次に信用に足るからな。それにもし、彼女以外の誰かが仕事を引き継いだとしたら、アイツは一体、どんな顔をするか」
「……罠に嵌めたのですね。彼女が絶対に引き受けると知っていて」
「言い方が悪いぞ、エリック。事情を知らぬ新人にやらせるよりは、遥かに効率が良く、信用に足ると言っているのだ。多少、期限を緩くしてでも、本人にやらせるべきではないかね?」
「……やはり、あなたは、首を斬られて死ぬべきです」
歯を見せて悪態をつくエリックに、私は「そうだな」と一言告げてから、顔色一つ変えずに顔を背け、仕事場へ戻る準備をした。
……ふん。何とでも言え。責任は全て私が被ってやる。
だが、私が死ねば……エリック。お前は、自分で首を絞める羽目になるんだぞ。
§
──CASE:JULLIET
アーデントラウムに戻ってきた……いや、強制送還されたのは、プルステラの時間で朝の八時を過ぎた頃だった。
他のプレイヤーに国境都市アウゼンブルグまで連れていって貰い、その後は一人で帝都ブロッセンまで突っ込んで、直接ブリスタール帝国軍とやり合ったのだが……。
結果は、見事に惨敗だった。
確かに、攻撃を何発も叩き込めば倒せなくもない。攻撃など、反射神経で避けてしまえばいいのだ。
だが、軍と銘打っているだけあって、数が多い。動きも今までの敵とは比べ物にならない。特に、ナイフではどうにもならない、巨大な二足歩行兵器が一番厄介だった。
武器が……いや、兵器が要る。
身体中に、持てるだけのあらゆる銃火器を装備し、単体で挑めるぐらいにせねば。
そのためには、武器の前提条件であるレベルの突破と、より多く銃火器を装備するための、充分な筋力パラメータが必要だ。
幸い、これはゲームである。
パラメータ次第で、本来ならあり得ない量の武器を身体中に装備することだって可能だ。
現世では人間兵器と呼ばれた身だ。重装備は慣れていないが、そこらのプレイヤーよりは上手く立ち回れる。
そう、ほんの少しだけ訓練さえすれば。
大佐は期限を決めていない。私はそれを、私に任せる、というように解釈した。
そもそも、海底施設を突破出来たのは、私が頑張ったからなのだ。その仕上げを行うのも、私でなくては勤まらないはずだ。なら、多少の時間の猶予はあるはず。
あの戦力に追いつくには、少なくともプルステラ時間で一カ月の訓練が必要だと判断した。
一般プレイヤーの比ではダメだ。いわゆる、廃人と呼ばれるぐらいに頑張らなくては。
昼間はプルステラで過ごそう。そっちでも訓練メニューを用意して、反射神経と動体視力を鍛えるのだ。
確か、プルステラでの食事は、あらゆる身体能力に関わってくる、とブレイデンが言っていた。食事を摂らずにいれば、それだけ身体が鈍る。それは、当然ながらゲーム中にも反映されることだ。
バランス良く食事を摂取し、充分な睡眠も取り、交互に二つの世界で訓練を繰り返していれば、きっと、スケジュール通りに仕上げられるだろう。
「よーし、やってやるわよー!」
頬を叩いて伸びをし、気合を充填。
アーデントラウムの東から昇る朝日に目を細めながら、不本意にも欠伸が洩れる。
………………。
……えっと、まずは、プルステラで遅めの睡眠をきっちり取る事にしよう。
それから朝食替わりの昼食を摂って……。
きちんと動くのは、それからでも遅くはない、わよね……。
2018/04/13 改訂、改稿




