41:槍兵の桑の木人形(マルベリー・ドール) - 5
言われてみれば、マルベリー・ドールの指摘通りだった。
現地点での日付が十月三十一日で、まだアークの出発便が残されている場所は、イギリス標準時からマイナス十時間の時差がある、ハワイ州オアフ島の都市、ホノルルを残して他にはなかった。
ホノルルにも、小規模ではあるがアニマポートは存在する。正確にはハワイ諸島と、更にその周辺の小さな島々を代表してのもので、今回のハロウィンに飛び立つ便数も、やはり少ない方だ。
利用客は現地民よりも、最後の楽園を楽しんでから……という観光客の数の方が圧倒的に多い。そういった者たちは、アニマリーヴの際にプルステラのハワイに属する場所へ送られることになる。
言うまでもなく、ハワイ諸島は太平洋に浮かぶ島々である。よって、ホノルルから旅立つアークはどの国よりも最速で海底シェルターに辿り着く。幸い、日付変更線ギリギリの時差とも相まって、マルベリー・ドールにはまだ、最後のチャンスが残されていた。
ホノルルの現時刻は二十二時三十五分。間もなく最後のアークが飛び立ち、僅か十分後には海底シェルターへ到着する。
アークはシェルターの入り口に到着すると、カタパルトのようなガイドレールに固定され、海水が入り込まないよう造られた、斜め上方に続くトンネルの中をしばらく移動する。その先には垂直に下りる縦穴があり、ここで、幾重にも重ねた隔壁扉が一定間隔で待ち構えている。シェルター内部へ通ずる入り口はここしかない。
隔壁扉を過ぎた辺りの壁際には、作業員がシェルター建造時に使っていた小さなリフトが各階層へと通じているのだが、リフトを稼働することで警備システムに感知されてしまう危険性もある。
いずれにしても、チャンスは一度きりだ。アークを格納するために隔壁扉が開いた瞬間にリフトを稼働させ、アークと入れ代わりで脱出する。失敗すれば、次のアニマリーヴまでその場に閉じ込められる事になる。それだけは何としても避けなければならない。
私は、休憩を装ってやって来た例の雑居ビルで、マルベリー・ドールと交信を続けていた。
向かいの離れた席では、ディスプレイと睨み合い、高速タイピングを披露し続けているブレイデンがいた。彼は、マルベリー・ドールが手に入れたアドレスの残り一パーセントの解析を行っている。エリックはその監督役として傍に立っていた。
「い、い、一パーセント、と言っても、け、結構な容量なんだよねぇ」
ブレイデンは、そうぼやきながらも時間の問題だと付け足し、逆に楽しそうに作業を続けている。私はそんな彼に純粋な好奇心で尋ねた。
「アドレスの解析というのは、現世側からも行えるものなのか?」
「い、一からは無理だねぇ。け、けど、の、の、残り一パーセント……ほんの数百桁程度になると、か、可能性はある程度、し、し、絞られるんだ」
要は、初めの数桁は何が来るか解らないが、ほとんどの文字列が露見すると、最初の文字列である程度判明したアルゴリズムから残りの数桁が予想出来るのだと言う。
実は、アドレスと言っても三種類使用するらしく、彼のハッキングツールはそれらをまとめて束として吸い上げていた。つまり、残り一パーセントというのは、三つまとめての一パーセントという事なのだ。
……まぁ、この件については私は専門外だし、ブレイデンに任せておくしかあるまい。
「マルベリー・ドール」
私は腕時計を確認しながら、再度彼女に呼びかけた。
「あと一時間でホノルル発が動くぞ」
ザザッと軽いノイズが聞こえた。
『ええ、存じてます。……今、私の脊髄終糸ケーブルでドアのハッキングに成功しました』
「よし、さすがだ。通信は妨げになるだろうから、今からこちらのマイクを切っておこう。必要なら呼びかけてくれ」
『了解です、大佐』
§
機械人形の足音に気を付けながら手動で扉を開けると、アーク内部よりも冷たい強風が、マルベリー・ドールの剥き出しの肌を撫でた。金属製の網状の足場も、裸足には厳しい冷たさだ。眼前には中央に太い柱が通る大きな縦穴と、その向こうには向き合う形でアークがずらりと並んでいる。
人二人分ぐらいが通れる細長い足場は、各所共にアークの側面から桟橋の如く真っ直ぐ伸びていて、中央の縦穴に面した同じ幅の足場まで直結している。
中央の足場はぐるりと一周できる正十二角形に形成されており、そのうちの四つの角には、やはり足場と同じ幅の、上り階段と下り階段が交互に存在し、足場の隙間から次の階層を見てもアークの格納庫が同じように並んでいた。
恐らく、縦穴の中央にはアークを乗せるリフトが柱に沿って下りてきて、土台の上にある丸い回転板によってあらゆる方向へ回転しながら自動的に空いているスペースへと格納するのだろう。さながら、立体駐車場のようだった。
足場には巡回する機械人形の姿が見える。
彼らはいずれも一定の向きと間隔、足並みを揃えて、時計回りになるように移動している。
しばらくアークの陰に隠れて観察していると、機械人形の視野はそれほど広くないことが判明した。一定距離でわけもなく左右に首を小さく振り、足りない視野を補っているように見える。
機械人形同士の間隔は約十メートル。彼らの背中にピッタリ貼り付いたとしても、後ろの機械人形が気付いてしまうだろう。それどころか、隔壁扉までは果てし無く遠い。リフトに乗るとは言え、それ自体、警戒を煽るようなものではないか。
いや、もしかしたら──と、マルベリー・ドールは正十二角形になっている足場の隅の一点に視線を送った。
機械人形の巡回ルートに、リフト乗り場の周辺は含まれていないようだ。となると、移動するなら階段ではなく、むしろ、リフトの方だろう。もちろん、リフトを稼働させて警備システムを刺激させるような真似だけは出来ない。
丸見えであるそのリフトの構造を肉眼で確認したところ、やはり正方形の板状の床がリフトの四隅にある柱のレールに沿って上下に動く構造らしい。柱には電力を供給するために強い電流が流れていて、直に触れることは出来ないはずだ。
だが、人が上れる手段は残されていた。奥に見える柱と柱の中央に、恐らく緊急か作業用として設けられた梯子があるのだ。利用するならここしかない。
マルベリー・ドールは、アークと足場との間に出来た僅かな隙間に両足を入れて身体を下ろすと、金網状の足場を裏側から両手で掴み、雲梯の要領で移動を始めた。
機械人形は斜め前方を見下ろしながら歩いているのだが、金網の向こうまでは気にかけないらしい。手を踏まれないよう気を付けながら移動し、一体の人形とすれ違ったが、特に異変が起こる様子もなかった。
中央の通路まで来ると、さすがに腕が疲れてしまった。彼女は片手ずつ手を放して軽く振り、気休めではあるが、僅かな休息で痛んだ手と腕の力を取り戻そうと試みた。しかし、片方の手を放せばもう片方の腕に負担がかかる。結局のところ、余計に疲れるだけだと知り、彼女は少しばかり後悔した。
そうこうしながら、ようやくリフトの前までやって来た。その付近の足場の隅から上部へと足を引っかけ、横へ転がるようにして上る。
ふらつきながらも立ち上がり、直ぐにその場を離れ、機械人形がいないことを確認しつつ近くのリフト乗り場までよたよたと駆け込む。そして、リフトが通る足場のない空間を勢いよく跳躍し、どうにか向かい側の梯子にしがみついた。
梯子には腕で抱えるようにして掴まり、少しばかり呼吸を整える。後は最上階まで上るだけだ。
「…………はぁ」
とは言え、見上げても先は全く見えない。本当に時間内に辿り着けるというのだろうか。
恐る恐る、マルベリー・ドールは梯子を上り始めた。最初はゆっくりとだったが、やがて何も考えずとも、一定の速度を保ちながら上れるようになった。
一時間……いや、あと四十分ぐらいだろうか。残された時間はそれしかない。
マルベリー・ドールは眼下に広がる光景を一目見、そして、思った。
増えすぎた人口と、それをたった一年収めるために人の手によって造られた施設。ここまでして人間を保存する意味などあるのだろうか。私がここまでして命を賭すことに意味などあっただろうか――と。
自然を破壊したのも人の責任。人が増えすぎたのも、ヒトが自分の肉体のように、生死をコントロール出来る程の科学力を手にしたためだ。
ヒトはやはり、滅ぶべきではないのだろうか。一年と言わず、今、この場で。
マルベリー・ドールはそんな考えを振り払うように首を振った。その一人に、あのお婆さんも含まれていたのだ。
誰もが罪を冒したというわけではない。多くの民は、何も知らずにここまで来てしまったのだ。生まれた時には既に汚染されていた、という世代の人間もいる。
あのお婆さんはそんな枷から逃れるためにアニマリーヴすることを選んだのではないだろうか。例え長く生きても、本当の世に正しく生きるために。
それはきっと、本来あるべき姿の世界を見たいからなのかもしれない。
ヒトの手によって改悪させられた世界と、ヒトが造った、実に都合のいい全く新しい世界。後者は明らかに自然のそれに倣って造られたものだ。……だったらどちらがいいかなんて決まっている。
「……ビセット大佐」
マルベリー・ドールは静かに呼びかけた。
『どうした。進展はあったか?』
――相も変わらず、大佐は私が生きて帰れると信じているのですね。
マルベリー・ドールはその言葉を飲み込み、替わりにこう言った。
「……天国へ続く階段を上りながら、罪人の数を数えているところです。自分が何処にいるのかも判らなくなってきました」
オーランドの嘆息が聞こえる。
「……すみません。余りにも多くのアークを見たもので。少々疲れているようです」
『マルベリー・ドール。そこはどういう光景なのだ? 良かったら聞かせて欲しい』
彼女は、オーランドが気を利かせてくれたことに感謝した。
梯子の足場や、変わらずに並ぶアークを見るだけでも、気が滅入りそうだったのだ。
「そうですね……。目は馴らしたつもりですが、とても暗いです。起きている人なんて私しかいませんからね。でも、蒼いライトがポツポツと浮かんでいて……そこだけはとても幻想的です。円筒状のプラネタリウムにいるみたいですよ」
『ほう? 随分と洒落た施設じゃないか』
マルベリー・ドールは目を細めた。アークの影を見るだけで、その印象はまるで反転する。
「……でも、暗闇を注視すれば不気味、とも言えます。照らす光は最小限だし、音もほとんど聞こえない。人は方舟で眠っているというのに、誰一人として生きていないような……今更ですが、誰も立ち入らないという前提で造られたということが伝わってきます」
すると、言葉にはしないが、こう思うのだ──例え一年経っても、この施設は絶対に開かないのではないか、と。
逆に考えれば、こんなに頑丈な施設で、たった一年のために肉体を残しておく必要があったのだろうか、とも言える。
『……水を差すようだが、その本質を知るための潜入でもあったのだ。VR・AGES社は本当に肉体を保存するためにこの施設を造ったのか、或いは、名目だけで実際はそうではなかったのか。その辺を明らかにするためにな』
「でも、そういう意味では正しく保管している、と言えますよ。カプセルに眠る人々は確かに仮死状態ですし、警備の機械人形も含め、ちゃんとその役割を果たしています。底の方まで調べたわけじゃないので、全てを知ったわけじゃありませんけどね」
『底は……恐らく廃棄処理施設だろう』
オーランドは吐き捨てるような口調で言った。
『死体を養分にするというのなら、トンネルでどこかに繋がっているか、或いは、アークのような機体で運び出すかのいずれかだ』
つまり、ここは人類全てが眠る、大きな共同墓地である。
これから死にゆく者への、せめてもの礼。それが一年という保管であり、その後は自然界に最も効率の良い方法へと切り換える。
マルベリー・ドールはその光景を想像して途端に気分が悪くなり、胃がひっくり返る感覚を覚えた。
(人が造りし世界は、ヒトの血によって贖われるの?)
あんなに羨ましく思っていた人間だったのに、今は憐憫の情ばかりが浮かんでくる。
気の遠くなる長い歴史を積み重ねてきた人類。そんな彼らの血で塗り固められた大地を、一体誰が踏み固めるというのか。
「……これまで私は、人間に憧れていました」
マルベリー・ドールは機械的に動かす手足を止めずに語りだした。
『どうしてかね?』と、オーランドが理由を尋ねる。
「人間は、最も死を意識し、死を身近に感じられる存在だからです。身近な人が死ねば哀しむし、自ら死ぬ時も、その後の事を考えようとします。死を超越出来る私にとっては到底、理解出来ない感情でした」
その言葉の後、少し沈黙があった。
『…………今はどうなんだ?』
「完全に理解出来た、と言えば嘘になります。ですが、人が一生に一度しか起こり得ないはずの死を『体験』出来ると知り、その向こうにやり直せる理想の世界があると確信した時、やはり醜い世界を捨て、新たに人生を始めたいと思うでしょう。……私とて、例え哀れに思っても、死を超えた向こう側の世界があるのだとしたら……普通の人間としてやり直すために生まれ変わりたい。だから、彼らの気持ちが何となく分かるのです」
『なるほど。それがお前の望みか』
「ええ。これからもきっと叶えられない、たった一つの私の望みですわ」
オーランドは、それからまたしばらく口を閉ざしたが、やがて、マルベリー・ドールが十段程階段を上ったところで穏やかな口調で言った。
『……望みは叶えられる。いや、これから叶えて貰うのだよ、〈ジュリエット〉』
マルベリー・ドールは耳を疑い、思わず手を止めた。
「……あの……今、何て?」
『キミが持ち帰ってくれたデータがキミを人間にしてくれる、ということだ。……だから、生還するんだ。何としてもな』
マルベリー・ドールはその言葉の意味が理解出来なかった。だが、それよりも人間になれるという事に戸惑いを覚えた。
『〈空〉は見えているか?』
梯子の先を見上げると、いつの間にか、隔壁扉は視界の中に見えている。
それだけで、マルベリー・ドールは途端に嬉しくなった。
「……あと、およそ三百メートルです……!」
『よし、急ぐんだ! あと五分で隔壁扉が開かれる!』
逸る気持ちを抑えながらも、マルベリー・ドールは出来るだけ早く手足を動かした。
隔壁扉の全貌が明らかになり、近付くにつれ、その存在は大きくなっていく。
その厚みはどれほどあるだろうか。アークが収容される僅かな間にここを通り抜けられるのだろうか――。
「あ……!」
あと十メートル、というところで隔壁扉から轟音が鳴り響いた。
扉が開く。アークを乗せたリフトがやって来る。
マルベリー・ドールは力を振り絞って梯子を上り、ようやく開き始めた隔壁扉の前まで追いついた。
「間に合い……ました!」
体力は残されていない。酸欠で意識が飛びそうだ。
気を抜けばそのまま落ちてしまう。彼女は身体中に力を込め、やる気を奮い立たせる。
『三つの隔壁扉は下から順番に開き、全部開いてからアークがレールで一気に降下する。……いいか、強風で落とされるんじゃないぞ?』
「……了解です、大佐!」
驚くほどゆっくり開く隔壁扉は本当にじれったい。出来れば扉にしがみついて隙間から上の梯子に掴まりたかったが、そんなことをする余裕はない。
正面に次の梯子が、隔壁の厚み分だけ途切れた状態で姿を現した。マルベリー・ドールの身長ではギリギリ届かないのだが、開ききった隔壁扉が僅かに足場を作っているため、それを利用して次の梯子に飛び移った。そうしている間に次の扉が開き始めている。
更に十メートル先の二つ目の隔壁扉まで駆け上がると、今度はちょうど、扉が開き切るタイミングだった。同じようにして最後の梯子に飛び移る。
しかし、一番上の最後の隔壁扉は既に半分ほど開いていた。律儀に一つずつ開けているわけではないのだ。
(ああ、どうか間に合って!)
心の中で誰かに祈りながら、手足が痛むのもお構いなしに足場を引っ掴んでは蹴り、引っ掴んでは蹴り、を繰り返す。
稲妻型に開く隔壁扉から、最後のアークがその姿を現した。
扉が開ききれば、アークは一気に下降する。それまでに出来るだけ近くへ、と腕を動かそうとしたが、あまりの疲労に腕が言うことを利かない。
扉までの距離、僅か、五メートル。
(もう、二度と失敗はしたくない……)
マルベリー・ドールは、まるで崖っぷちからよじ登るようにして一段ずつ身体を引き上げた。
ガコン、と轟音が停止した。はっと見上げた時にはもう遅い。反射的に梯子に強くしがみつく。
アークを乗せたリフトが唸るような音を立てて一気に降下した。
彼女は思わず唖然と見守るところだったが、直ぐに考えを捨てて梯子を大急ぎで上った。
扉が動き始める。ようやく手前まで来たというのに、梯子にはもう、手が届かない。
「うあああっ!」
思い切って、梯子と反対側に向けて跳ぶ。もはや賭けだった。
「くぅっ!!」
奇跡的に、その今にも閉まりそうな分厚い扉の縁に片手が届く。
直ぐに片足をかけ、もう片側の手足も重力に逆らって引っ張り上げる。
身体は意思と無関係に移動させられている。奥歯が欠ける程力を込め、人間を超越した精神力で残りの身体を引き上げた。
バチン、と音を立てて扉は閉まり、再び不気味なまでの静寂が訪れた。
「………………!!」
マルベリー・ドールは扉の上にうずくまっていた。
全身を震わせ、安堵と同時に、痛みを堪えるために筋力を使ってしまうのが辛かった。
『マルベリー・ドール! 大丈夫か!?』
マイクから漏れた少女の呻き声に、オーランドが慌てた声で呼びかけている。
彼女は息苦しいのも我慢して、何とか声を絞り出した。
「……や……り……とげ……ました……」
身体中から汗が吹き出ている。
全身が震え、もはや指一本動かすことも出来ない。
『そこで待っているんだ。そちらに待機していた部下に回収させる』
これで安心だ、と思ったが、彼女はどうしても、オーランドに伝えたい言葉があった。
「…………たい……さ……?」
『……どうした?』
「わ…………わすれ……もの……すみ……ませ…………」
それだけ伝えるのが精一杯だった。
――ああ。最後の最後で、何て失態を犯してしまったのだろう。
『…………! ………………!』
オーランドが何かを叫んでいる。
しかし、もう限界だった。全身から力が抜けていく。
痛みに耐えることだけが、精一杯だ。
彼女は最後に視線を足下へと移した。
隔壁扉の継ぎ目へと続く、赤い血液の川。
その源流は、途切れた彼女の左足首へと続いていた……。
§
彼女には黙っていたが、シェルターの入り口は何台もの監視カメラが見張っていた。
だが、私はそれでも、と部下達を向かわせた。マルベリー・ドールを今、失うわけにはいかんのだ。
「ビセット大佐」
エリックは交信を終えた私に話しかけた。
「あんな約束を……本当に果たせると思うのですか?」
私の発言を生で聞いていたエリックの問責は当然だった。……しかし、今尋ねなくとも、と内心思う。
「……次のチケットは手配済みだ」
「そういう意味とは限りませんよ、大佐。彼女は本当に人間として生きていきたいのかもしれないんです」
私はムキになって言い返した。
「ああ、無論! 叶えてやるとも! 彼女の言う『人間』が、どんな形であってもな!」
エリックはそれで口を閉ざし、ブレイデンは面白がって小さく笑った。
それは間違った回答かもしれない。
彼女の言う「叶えられない希望」というものは、プルステリアになることでも、生体ツールを取り除くことでもないのかもしれない。
それでも、聴いてやろうと思う。そのくらいの権利はあるのだ。
「……マルベリー・ドールは足を失った。残骸は第一隔壁扉の下に落ちているだろう」
「な……!? 大丈夫なんですか!?」
「大丈夫」とはどちらの意味だろうか。彼女の命か、或いは残されてしまった足なのか。
「いずれも問題はない。もう一度開けば、下は恐らく廃棄場だ。隔壁扉の間にもカメラなんて仕込んではおらんはずだよ。……とにかく、彼女は回収されたらしい。無事だ」
エリックは「そうですか」と力なく応えると、目を閉ざし、俯いた。
「エリック。彼女が戻ったら……最大限のおもてなしをしてくれ」
「……それは貴方の役割でしょう?」
私はそんなエリックの非難に応える代わりに席を立ち、ブレイデンの横に立った。
「……ブレイデン。例の件は、本当に出来るんだな?」
彼はまた肩を震わせ、不気味に笑ったが、目は途轍もなく真剣だった。
「ボ、ボクもねぇ、や、や、やるときは、やるんだよ……。む、む、むしろ、保険として、か、考えてもいいと思うけどねぇ」
私は力強く頷いた。
「いいだろう。乗ってやる。……エリックも、それでいいな?」
「……逆に訊きたいぐらいですが。大佐、貴方はいつか寝首を掻かれますよ」
私は鼻で笑い飛ばした。
「キミであればいつでも大歓迎だ。……とにかく、彼女のケアは私のようなオジサンよりも、若い王子様の方がふさわしい。それに、私は一人っ子だったから、小さい女の子の気持ちが理解出来ないのだ」
エリックは大きな溜め息を吐き出し、首を振った。
「……冗談はよしてくださいよ」
「なに。妹に会うための予行演習と考えれば簡単だろう」
……この一言がエリックにはカチンと来たようで、その日、彼は一言も私語を口にすることはなかった。
2018/04/11 改稿・改訂




