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PULLUSTERRIER 《プルステリア》  作者: 杏仁みかん
Section5:守護者
39/94

38:槍兵の桑の木人形(マルベリー・ドール) - 2

 ――戯曲「ロミオとジュリエット」。


 有名な、大昔の悲恋譚である。

 そのモチーフはギリシャ神話の「ピュラモスとティスベ」という話で、別名を「桑の木」と言う。「槍兵」とは勿論、「ロミオとジュリエット」の作者、ウィリアム・シェイクスピアの事だ。


 「ピュラモスとティスベ」の結末は概ね「ロミオとジュリエット」と一緒なのだが、死に至るまでの経緯が次のように異なっている。



 ――ピュラモスとティスベは愛し合っていた。しかし、互いの両親の仲が悪く、結婚にも猛反対を受け、二人は悩んだ末に駆け落ちを決心する。

 待ち合わせに決めていた桑の木の下にやって来たピュラモスは、ティスベが落としたと思われるベールだけを見つけた。だが、ベールだけが血塗られ、引き裂かれた状態で残されていたため、ピュラモスはティスベがライオンに喰い殺されたのだと勘違いし、絶望の余り、短剣で自殺してしまった。


 実は、ピュラモスよりも先に待ち合わせ場所に来ていたティスベは、闇の中から唸り声を聞いたために慌てて逃げ出し、その際にベールを落としてしまっていた。

 ライオンは家畜を喰らった直後で口が血塗れになっており、たまたま落ちていたベールに、ただじゃれついていただけなのだ。


 やがて、ライオンが去った後にティスベが元の場所まで戻ってくると、自分の落としたベールを抱いて死んでいるピュラモスの姿を目の当たりにする。ティスベは同じ短剣で自らの胸を貫き、折り重なるようにしてその後を追った。

 二人の結末を見届けていた桑の木には元々白い実を付けていたのだが、二人が死んでからは血のように赤黒い実を付けるようになったと言う。


 この事から、桑の木は別名、ピュラモス(Pyramea)の木(arbor)とも呼ばれるようになった――。



   §



 「マルベリー・ドール」には、元々名前がなかった。それ故、最も「仕事」にふさわしいコードネームをと、基地の訓練施設で私に会う度に所望していた。それまでは「ホワイト」だとか、「シルク」だとか呼ばれていたが、本人は全くお気に召さなかったらしい。

 まぁ、偽造すべき身分証には「らしい」名前を書かなければならないので、そこは敢えて「ジュリエット」にしてやろうと思う。


 彼女は諜報活動を得意とするエージェントで、外見だけを見れば十四歳の美少女だ。実年齢は私の前でも明らかにされていないが、ほぼ同一と思われる。

 IQが高く、知能は二十歳程度、体内には声帯と内耳神経に直結した生体無線機を始め、いくつかの小道具(ツール)を内包している。……つまり、言い方は悪いが、生体兵器という名目で扱われているのだ。


 今回のミッションでは、マルベリー・ドールを移民としてアークに搭乗させ、アニマリーヴのコールドスリープよりも()()仮死状態にする。そして、行き先の海底シェルターで目覚めた後、アークの内部の中心にある円筒状の制御コンピューターをハッキングし、アドレスを奪うという算段だ。

 ただ、ブレイデンが指摘した通り、シェルターへ到着後もある程度センサーのようなものが作動していた場合、どういう扱いを受けるのか、という問題がある。これについては、中に保管されている肉体の安全性を考えれば何かが起こるということは考えにくいが、プルステラとの直接的な連絡手段がないため、簡単に破棄される、と言うこともあり得るだろう。


 外部との接触が許されない以上、アークに乗った人間が一人消えた──或いはアークそのものが一隻消えたから、と言って公に問題になることはない。

 一年後、誰が戻ってきて誰が残ったかなんてことは、実際、プルステラにいた人間にしか判らないのだ。


 しかし、そういった特例の事態に対して何らかの対策を行われるにしても、知る限りの構造ではほぼ不可能と思われる。せいぜい、コールドスリープ用の低温の催眠ガスを撒くぐらいが関の山だろう。


 マルベリー・ドールはその対策として本ミッションに投入された。

 体内に仕込んだジャマーを稼働させると、どの種類の生体センサーでスキャニングしても感知されず、あくまで物体として判断されるようになる。アーク内に動体センサーさえ無ければ、という前提での賭けではあるが、それさえ無ければ中で暴れようが関係無い、というわけだ。


「……それで、ビセット大佐。今日になりましたが」


 ハロウィンの朝。エリックはそろそろ話してほしい、と言わんばかりにそう話題を振ってきた。

 無論、ここで種明かしが出来るわけもなく、エリックも承知の上でそう問いかけている。


「私はこれからアニマポートの警備に当たるが、私も含め、『人形』との接触は許されない。軍の人間がしゃしゃり出ればそいつがエージェントだと疑うようなものだからな。人形には単独で潜入して貰い、成功時にのみ連絡をするようにと伝えてある」


 私は上着を羽織って肩の具合を確かめた。まだ、指先の痺れは治まらないようだ。


「……痛みますか?」


 エリックは私の肩に目線を落とし、穏やかな口調で問いかけた。


「なに。大したことはないよ。それよりもいいのかね? こんなところに突っ立っていて」

「……いえ。失礼しました」


 そう言って立ち去るエリックの背を目で追う。彼は未だに明かされないエージェントの存在が気になるようだ。

 心配なのは私も同じだ。我が娘を見守るが如く、内心ではハラハラしている。


 彼女は特別だ。生物のルールから外れ、禁忌の領域を侵してしまったという、人が造りし人間だ。

 アニマリーヴという、それこそ非人道的なシステムが開発されたのだから、と言えば、まぁ納得せざるを得ないところもある。だが、命を根本から弄ぶやり方を、本当のところ、私は好まない。


 ……私は、どこかでエリカ・ハミルトンのような考えを持っていたのだろう。


 彼女は、一緒に現実と向き合い、戦った仲間の事をどう思っているだろうか。

 初めてエリカをここに連れてきた時、その仲間も一度は全員管理局(ここ)へ連れて来られたのだが、首謀者であるエリカだけで充分だと判断し、釈放してやると、今度は待ち伏せていたかのようにVR・AGES社によって横から捕縛され、強制的にアニマリーヴを実行するよう仕向けられたと言う。……つまるところ、エリカだけが運良くヤツらの手から逃れられたという事になる。私がVR・AGES社に強い疑いを持ったのはこの辺りからだった。


 私は己を恥じた。あの時、何故エリカだけを特別視してしまったのか、と。

 ……無論、理由は分かっている。彼女がエリックの妹だからだ。


 そのエリックも、元々は非人道的な行いを赦さないタイプだ。

 なのに、アニマリーヴの手助けをするべく軍部にいて黙々と任務をこなす彼は、一体何故、そうまでして生真面目に働いているのか、本当のところ、私にもよく分かっていない。ただ、時々見せる哀愁に満ちた表情は妹を想っているのだ、ということだけは何となく予想がつく。

 エリカがこの場に来た時も、彼は私に誰と会っていたのか、等とさりげなく事情を訊ねたものだ。……そう言うところだけは図々しい。

 だからこそ理解出来る。今回のように彼がエージェントの詳細を訊ねた理由が。

 彼はマルベリー・ドールの存在を知らないはずだが、私がどんな人物を使い、潜入させるのか、大方予想がついているのだろう。……そして、その作戦に失敗したらどうなるのか、ということも。


 私こそ、人をコマのように扱うのは嫌だが、その背後には大勢の人質と言うべき(アニマ)が控えているのだ。

 内容すら曖昧なVR・AGES社の幾つかの疑念に対して、まだ「クロ」だと決めつけることは出来ないが、これまでの事からもその可能性はほぼ間違いないと言えるだろう。手遅れになる前にこの件を調べておく必要がある。


 ――マルベリー・ドール。彼女の命を弄ぶことになろうとも、私は心を鬼にして、このミッションを遂行せねばなるまい。

 その役目はエリック、お前には絶対に任せられないのだから。



   §



 ――二二〇三年十月三十一日。午前八時頃。


 早すぎず遅すぎず、無難なタイミングで長蛇の列に加わったジュリエットことマルベリー・ドールは、つばの広い帽子と少々浮き立つような純白のドレス姿で、お行儀よく足を揃え、しゃんとした姿勢でリュックを抱えながら、紙媒体の本を黙々と読み進めている。

 リュックの中にはこれから読むであろう本しか入っておらず、これから丸一日かけて全て読み切る自信が彼女にはあった。


「お嬢ちゃん、一人かい?」


 隣に座る、人の優しそうな老婦人が声をかけてきた。歳は少なくとも七十を超えているように見える。

 ジュリエットを演じる少女はニコリと微笑み、「ええ」と柔らかな口調で答えた。


「偉いねぇ。あたしらの時代でも紙の本は避けてきたというのに」


 老婦人はジュリエットの本をちらりと覗き見た。本のタイトルが気になるようだ。ジュリエットはそんな視線を感じながら、鈴のような声色でクスクスと笑った。


「天然の素材が手に触れられるというのはいいものです。昨今ではとても珍しいことですから。……タイトルはコレですよ、お婆さま」


 カバーを取り外して見せると、そこには「ハムレット」と書かれていた。

 老婦人は意外なタイトルに驚いたようで、ため息を洩らした。


「へぇー。あたし、確か読んだ事があるよ、この本。人が死んでばかりの哀しいお話なんでしょう?」


 ジュリエットは少し考えてから、無難に「そうですね」と答えた。

 実のところ、ジュリエットはこの話を「滑稽な話」と解釈していた。彼女は、哀しいだとか、怒りだとか──他人に対してそういう負の感情を持ち合わせていなかったのだ。


 ジュリエットは表紙を眺めながら言った。


「このお話みたいに、死んだ方の亡霊が目の前に現れるなんてこと、実際にあるのでしょうか?」


 老婦人はきょとんとした目を向け、ややあって感心したような表情を浮かべた。


「……どうでしょうねぇ。黄泉の国なんて、死んだ人にしか判らないんだから。いくら科学が発達しても、未だに解明されないことは多いわよ」

「そう……。それもそうですわね」


 ジュリエットは相槌を打ちながらも、心の中では冷静に他の事を考え始めていた。


 ――もしも、亡霊が真実を告げてくれたら。

 この作品に出てくるデンマーク王のように、自分の死を他人に伝えることが出来れば、恐らくは真実が判明する。


 ビセット大佐はそれを目的として自分に任を与えたのだ。死者……つまり、プルステリアとの伝達手段を。


 実際には、独立化したAIと会話をするようなものだ。

 「HELLO」と書き込んだら、「HELLO」で返してくる。ただ、そこには人間としての感情があり、意思があり、記憶があるのだ。

 彼らは現世の自分達に対し、何を訴えるだろう。あちらの世界とは、本当はどのような場所なのだろう……。


 ジュリエットはどうしようもない純粋な好奇心に満ちていた。施設にいた頃とはワケが違う。

 この荒廃した世界に対し、全てが新しく、全てが眩く感じられる。

 何故、ヒトはこんな素晴らしい世界を諦めてしまうのか。……そんな疑問さえ浮かぶ程に。


「あたしももう、長く生きたけどねぇ」


 と、老婦人は遠くを見ながら口を開いた。


「普通に死ぬよりはね、こういう形で新しく人生を始めたいって思っちゃうのよねえ」


 ジュリエットは指の代わりに栞を挟んで本を閉じると、本とリュックをぬいぐるみのようにしてぎゅっと抱きしめた。


「プルステラで人生をやり直したい、ということでしょうか?」

「ええ。欲張りでしょう? あんな得体の知れない機械に任せるというのにねえ。……でも、あたしはね、自分の意志で生き死にを判断したいのよ。こんな歳だからいつポックリ逝くか分からないじゃない。だったら、確実に死を迎えるよりも、ちょっとはいい方に考えたくもなるのよ」


 自然な死よりも、もしかしたら行けるかもしれない新世界へ。

 賭けと言うには余りにもリスクの大きな選択。……なのに、何故ヒトはそれを受け入れられるのだろう。

 考えてみれば、老婦人からしたらジュリエットの事も同じように映っているはずなのだ。こんなに若いのに、何故? と。


「お嬢ちゃんは怖くないのかい? アニマリーヴが」


 そう問いかける老婦人の顔はいつしか真剣に、心配そうになっていた。

 ジュリエットは自分が本当にアニマリーヴをする事になったら、と深く考えて見たが――。


「……分かりません」


 怖いという感情を持ち合わせていないからか。

 或いはそうなった時に自分がどうしているのか、それすらも理解出来ないのだった。


 老婦人はジュリエットの、今は見事なプラチナゴールドに染めている髪を、優しく撫でた。


「そう……。なのに、たった一人でここに並ぶことを決めたからには、それなりの理由があるんでしょうねえ。偉いわ」


 ジュリエットは老婦人を見上げた。

 アニマリーヴが目的ではないにしろ、列に並んでいることに違いはない。命を賭してまでやるべきことも、アークにはある。そういう意味では、アニマリーヴもミッションも同じなのだ。


 だからこそ、ジュリエットは問わずにはいられなかった。


「偉い、のですか?」


 老婦人は微笑みを携えて、頷いた。


「誰にだって迷いはあるもの。汚れた現世と得体の知れない新世界。どちらも秤にかけるなんて、難しいことでしょう? いざとなったらこちらに留まるという勇気も必要ですよ」


 進む勇気。留まる勇気。

 ジュリエットにそんな選択権はない。進むだけだ。

 ただ、それが命あるものの、内に秘めた大切な気持ちだということを、ジュリエットは朧げながらも納得するのだった。

2018/04/09 改訂


※「ピュラモスとティスベ」参考:Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%99

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