34:手綱を引く手
西暦2203年11月1日
仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 第0631番地域 第553番集落
プルステラでは既に日付が変わり、早朝六時になっていた。
一晩中夜更かしをして遊んでいたというのに、大した疲れは感じられない。代わりに、記憶の整理のために起こるぼうっとした感覚だけが細く長く続いている。
この症状には何の意味もなさない、眠気覚ましのアールグレイを飲みながら、わたしは洋館で起こった一部始終を家族全員に説明した。
実弟であるカイの、友人だったと言うキリル。実年齢は定かではない。
カイが言うように、ハロウィンでこの街に来るという話が本当なのだとしたら、半日もしないうちにあんな洋館のプライベートハウスを設置したということになる。
パパの話では、何らかの細工を行っている可能性が高いと言っていた。あの洋館も本来は決まった場所にしか建てられないはずで、軍施設の中に造ることなど有り得ないんだとか。
とにかく、そのような実力を兼ね備えた人物であるのは間違いない。本当に助けてくれるかは定かではないが、わたしの身に起こった症状が対処出来ない以上、今はカイが唯一残したメッセージに賭けてみるしかないだろう。
つまり、東ロシアサーバーへ行くということだ。
「ロシア……同じアジア側で良かったけど、ポータルを使ってそこまで大陸を縦断するのよね……?」
ママは不安げに訊ねた。起こして間もなかったため、髪は少し乱れたままだ。
「そのための……現実化、だったか?」
パパはいつもの口調で無精髭を撫でながら言った。
どことなくその手つきがマスター・アーズを見ているようで、思わず笑いそうになる。
「俺も聞いたことがないな。まさか技術的にそんなことが可能だなんて……プルステラで仮想の蒸気機関をどう説明するというのだ?」
「父さん。その議論は後にしようぜ」
お兄ちゃんがさりげなく遮った。
「とにかく移動するための『足』はあるんだよな。もし行くとしたらそいつに乗るのが一番だろう。……ヒマリ、その蒸気甲冑車ってのはどこにある?」
受け取るなら最も可能性が高いと思われるDIPを開いてみた。すると、デリバリンクで二件の受信が確認出来た。
「デリバリンクにあるね。羊皮紙だけ取り出してみる」
オブジェクト化すると、確かにあの世界で見た羊皮紙が目の前に現れた。羽ペンで書かれた文字もそのままだ。
「……へぇー。本当に持ってこれるのね」
獣人に戻ったエリカは尻尾を振りつつ感心の意を示した。
「それで? 住所は?」
わたしは頷いて、羊皮紙の文字を普通に読み上げようとしたが、ゲーム内と同じくロシア語で書かれているであろうそれは、やはりそのままでは何と書かれているのかが解らない。何せこの文字は、VAHで描かれた「手描きの画像データ」として見なされているからだ。
そこで、前と同じように翻訳ツールを文字の上にかざしてスキャンしてみると、彼の名と同じ「キリル文字」が自動選択され、自動的に翻訳してくれた。
「『東ロシアサーバー 第1045番地域 第207番集落 キリル・トルストイ』。……読み上げてなんだけど、何処にあるかさっぱりだよ」
「ちょっと待ってね」
そう言ってエリカは、インベントリから折り畳んだ一枚の紙を取り出した。地図のようである。
「ここへ来る時に持ってきた地図付きのパンフレットよ。番地までは定かじゃないけど、フラグピラーまでの道のりぐらいは載ってるでしょう。……ええと、日本がこの辺りだから……、東ロシアはセントラル・ペンシルから一番遠い所にあるみたい」
渦巻き状に中心が重なる五つの大陸。その真北にあるのがアジアに属する大陸だ。
基本的には地球と同じような配置になっていて、東ロシアはこの大陸の最北端にある。
エリカは地図にあるいくつかの楔のようなマークの一つを太い指先で指した。
「これがフラグピラーのマークね。まずは徒歩で二週間ぐらいかかる日本のフラグピラーへ行って、そこのポータルでセントラル・ペンシルへ行くの。同じアジアサーバーだから、ペンシルリードを通らなくても手続きさえ終えれば、直にロシアのフラグピラーへ転送されるはずよ」
セントラル・ペンシルまで徒歩でそれだけかかるのなら、蒸気甲冑車だとどれだけの時間がかかるのか。多少短縮されたとしても、一週間程度はかかるに違いない。
それよりも問題は、ロシアサーバーに着いてからの道のりだった。恐らく、一カ月単位で移動することになるだろう。
「やっぱり、行かせられないわ」
ママが首を振って反対した。
「素性も知らない人なんでしょう? 確かに凄いことが出来るみたいだけど、何らかの理由で会えない場合はどうするの?」
「それは……」
わたしは言い淀み、思わず顔を背けた。
ママはわたしの両肩を押さえ付けるようにして掴み、その場にしゃがんでわたしの瞳をじっと見つめた。
「ヒマリ。私が見つけるから、あなたは家で大人しくしていて。それが一番確実な方法よ」
「だめだよ! ママはこの集落唯一の医者なんだよ!? ママがいない時に怪我人が出たら誰が面倒を見るの!?」
今度はママが何も言えなくなる番だった。
ママは掴んでいた手を放すと、目を閉じて立ち上がり、座っていた席に戻った。
「……いや。やっぱり、他の方法を考えましょう。とにかく、ヒマリが外出したら、いつ発作が出るか判らないんだから」
「ママ!」
わたしは身体中が蝕まれるような焦りを感じて立ち上がり、叫んだ。
確かに、キリルに会ってどうなるか、なんて保証はない。何とかしてやれなくもない、としか言ってなかったし、具体的にどうするのかも定かではない。
……なのに、まるで彼と会うことが必然であるかのように、身体中に散りばめられた焦燥感だけが強まるばかりだ。
「私の方で何とかスケジュールを作ってみるから、大人しくしてて、ヒマリ。お願い」
ママは俯いているわたしの顔を覗き込んで話し、返事を待った。
顔を上げると、パパやお兄ちゃん、エリカまでもがわたしの返事を待っている。
「……わかった……」
わたしは渋々頷いた。選択権はないのだ。
「いい子ね……」
ママはわたしの頭を優しく撫でた。
ふいに耐えきれない感情が込み上げてきて、瞳からいくつもの涙が零れ落ちた。
解らない。何故、わたしは泣いているのか……。
§
改めてVAHで遊ぶ気にもなれず、外へ行く気にもなれず、わたしはまた、自室で塞ぎ込んでいる。
時々エリカが様子を見に来ては慰めてくれるのだが、もはやわたしの耳には届かなかった。
このままじゃ、何も進展しない。
キリルと会うことで、わたしは何を期待していると言うのか。
「…………カイ……?」
ふと思い出して呟いた実弟の名に、わたしはようやく我に返る。
……そうか。それがわたしの求めていた解だったんだ。
わたしをユヅキとして繋ぎ留めるモノ。それは、肉親であるカイの存在だ。
その友人であるキリルこそ、彼が唯一この世界に残した、ユヅキ宛のメッセージそのものだったのだ。
だから、無駄には出来なかった。カイの温もりを忘れたくない。カイという家族がいたことを、決して忘れてはいけないのだ、と。
わたしは、寝そべっていたベッドから起き上がると、直ぐに壁の時計を確認した。
……あれから二日も経っている。今日は十一月三日で、既に夜中の四時。もうすぐ夜明けだ。
キリルはわたしを待っている。わたしはそれに応じなければならない。
動きやすさと寒さを考慮して、ミカルちゃんが数日前に作ってくれた、動きやすくて厚めの冬服に着替える。自作の革靴からは最も歩きやすいブーツを選び、荷を入れるためのリュックサックも用意する。愛用のククリも護身用に持っていこう。他には……体力を付けるために幾らかの食糧も必要だ。それらは直ぐに買えるマーケットで用意する。プルステラでは腹が減っても死にはしないけど、疲れたらその地点で動けなくなるのだから。
あっと言う間に買い込んだ大量の保存食や缶詰をリュックサックに詰めたところで、タンスに置いた青いフレームを手に取った。
あの日。七月七日に、わたし達はバラバラになった。
……いや、もしかしたら、家族がバラバラになったのは、母さんが死んだあの日からなのかもしれない。
ユヅキという人間は、母親の託した夢のためにひたすら動き回って貯蓄を重ね、カイの面倒も見ずに、目的だけを考え、遂行した。
それなのに、アイツは……カイは、ユヅキを赦した。無鉄砲な兄のためにキリルを使って不正を働き、わざわざメッセージを託したんだ。……わたしは、それを危うく棄ててしまうところだった。
正直、どうしようか、だなんてまだ考えられない。キリルに頼んで何が起こるのかも分からない。
ただ、弟のメッセージだけは無下には出来ない事だけは確かだ。今は……それだけでいい。
フレームを元の位置に戻す。心の中で行ってきますを唱え、自室を後にする。
戸を静かに閉め、振り返ると――。
「……エリカ……!?」
そこに、険しい顔をしたエリカがいた。腰に手を当てて仁王立ちとなり、道を塞いでいる。
「水臭いじゃない、マリー。ゾーイの聴覚は誤魔化せないわよ」
「う……でも……」
折角落ち着いたというのに、エリカはまた、他の集落で嫌な想いをするかもしれないのだ。連れて行くのには気が引ける。
エリカはそんなわたしの考えを軽く見透かしたように、首を横に振った。
「言ったでしょ? 私はあなたの役に立ちたいんだって。自分の保全のためだけにここにいるんじゃない。あなたに貰った恩を、満足のいく形で返したいのよ」
「……それこそ水臭いよ、エリカ。……でも、ありがとう」
エリカははにかむと、直ぐに新しい自室から荷物を取ってきた。あらかじめこうなることを予測して、荷造りをし直したらしい。
二人で階下へ赴くと、更に驚かされた。……パパとお兄ちゃんがテーブルの席に座ってわたし達を待っていたのだ。
「……ほらな。今日じゃないかと思ってた」
「やれやれ。困った娘達だな」
パパは立ち上がり、わたしの前に来て頭を撫でた。
「……分かってたよ。お前が本当のヒマリじゃないってことぐらいは」
「えっ!?」
わたしはすかさずお兄ちゃんの方を向いた。お兄ちゃんは諸手をあげて苦笑した。話した、というわけではないらしい。
そんな様子に、パパは呆れたように溜め息をついた。
「当然だろう。俺はこれでもヒマリの父親なんだぞ? ……まぁ、気付いたのはつい最近のことだけどな、娘のデバッグぐらい出来なくて何が父親か」
「……もう。わたしはゲームなんかじゃないよ?」
「ああ。そうだな」
秘密になんて、出来るわけがない。
それほどまでにヒマリという人間を、ミカゲ家の家族は愛していたのだ。
「……一つだけ、お前達に秘密にしていたことを言わせてくれ」
パパはそう言って改めて席に腰掛けた。わたしとエリカも席に着く。
「お前が……ヒマリが死んだ時、俺は会社を辞めたんだ。ヒマリが死んだからじゃない。娘のために働いていた職業がゲームデバッガーだったってのが赦せなくなってな。……今、お前が言ったように、娘はゲームなんかじゃない。俺は、自分や家族にずっと嘘をついてきたんだ。これまで、子供達に誇れる仕事だと信じ、そう言い聞かせてきたが、それが子供達の何のタメになるって言うんだ? ……確かに給料は良かったし、生活も何とか支えていけたが、そういう問題でもなかった。誇れる仕事と言うなら、母さんの医学の方がずっとそれっぽかったさ」
パパはもう一度嘆息し、一呼吸してから、また口を開いた。
「ここへ来て、色々あってから改めて思ったよ。俺は、目の前の誰かの役に立ちたいんだって。そりゃあ、ゲームデバッグだって馬鹿に出来ない仕事だが、そんなもの、VAHで手助けするぐらいにしか役に立たないじゃないか。……俺はな、直接人のためになることや、自分が後悔しないことを探していたんだ。……特にヒマリ。或いはヒマリじゃないお前でも構わない。とにかく、ここに来ていきなり泣いてしまうような『お前』に笑って貰えるようなことをな」
「……わたしの、ため?」
パパは頷いた。
「アニマ・バンクにお前の魂を預けた時、正直、俺は全く期待していなかった。あんなのは保険なんかじゃない。死後の世界を信じない人間が葬式を挙げるのと一緒で、ただの気持ちの問題なんだと。だから、お前がここに現れた時、俺は神掛かった、奇跡のようなものを感じて、こう誓ったんだ。ヒマリが幸せになれるのなら、どんなことだってやってのけよう。例え俺自身が嫌われたって、馬鹿にされたっていい。ヒマリや、ヒマリの住むこの集落のために命を捧げる覚悟で頑張るんだ……ってな」
確かに、これまで色々と空ぶったこともあった。それでもパパは自分を試し、自分に出来ることを模索したのだろう。それは結果的に集落のためとなり、間接的ではあるが、このヒマリのためにもなった。
それは紛れもなくパパの偉業で、本心で……結果として、わたしにとっても誇れることだった。
「……話が長くなっちまったが、ヒマリ、お前はお前のしたいことをするんだ。母さんには俺から言っておく。それが、お前のためになるなら、な」
「ありがとう、パパ……」
いつになく頼もしく見えるパパ。マスター・アーズの時に見せた頼もしさも、パパ本来のものだったんだろう。
そんな優しさに思わず涙腺が緩みそうになり、慌てて堪える。……本当に、わたしは泣いてばかりだ。ここは、笑顔で応えるべきなのに。
パパはお兄ちゃんの方を向いた。
「タイキ。お前も行くんだろう? 女子だけで行かせるのは不安だからな。二人を頼んだぞ」
「……ああ。そのつもりだから荷物を持ってきた」
と、お兄ちゃんは自分のリュックをテーブルに乗せた。わたしよりも、数倍大きなリュックだった。
「正直、父さんみたいにゲームには詳しくねーけどさ、アウトドアだったら役に立てるぜ」
「……うん。頼りにしてるよ、お兄ちゃん」
お兄ちゃんは、絶対に頼りになる。
ディオルクからも助けてくれたし、武器の扱いもわたしより慣れている。お兄ちゃんがいなかったら、今頃わたしは、ディオルクに殺されていたのかもしれないのだ。
そういう意味では、ユヅキなんかよりずっと「お兄ちゃん」らしかった。
「じゃあ、行ってくるね、パパ」
「行ってきます、お父さん」
「父さん、母さんを頼むぜ。絶対に泣かすなよ」
わたし達は口々に別れの挨拶を述べた。
パパはマスター・アーズのようにニヤリと笑い、こう言った。
「ふぉっふぉっふぉっ。万事任せておけい」
§
外は未だに薄暗く、ほんの少しだけ地平線が白み始めていた。
わたしはデリバリンクから残る一つの贈り物を引き出し、オブジェクト化させた。
大きなひとつは足元に、小さなもうひとつは掌に現れる。
「……虫と……鍵?」
金属と歯車で作られた、わたしの両手を広げたぐらいの幅と、胸元ぐらいまである高さの巨大な昆虫。見た目はクワガタのようだ。手元にはVAHの世界で見たような歯車の付いた鍵がある。
エリカは近くで軽く膝を曲げ、虫をくまなく観察した。
「マリー。背中に鍵穴があるよ?」
昆虫の背中――羽と胸部の境目である小楯板と呼ばれる部分が金色の鍵穴となっていた。
そこに鍵を差し込み、回すと、鍵の歯車が噛み合い、昆虫の身体を揺らしながらギリギリと回りだした。
羽根を仕舞う翅鞘が縦に開き、一体どのようにして収まっていたのか、羽根の代わりにいくつもの金属の部品が飛び出し、何かを形成していく。
やがて昆虫の羽根部分全体が籠となり、後ろ足は大きな二つの車輪に変化した。
「凄いな……これが蒸気甲冑車ってやつか」
スチームパンクの世界を体感していないお兄ちゃんは、その複雑な構造にただ驚くばかりだ。
「なあ、父さん。これ、操縦はどうするんだ?」
「ああ。手綱だよ。行きたい方向へ頭を引っ張る感じだ。速度を上げるには手綱で背を叩き、止める時は頭を引いて止めるんだ。コツがいるが、慣れれば急なカーブも曲がれるだろう」
「難しいな……。ヒマリ、出来るか?」
わたしは頷いてみせた。
「でも、みんなで交代で操縦しよう? 長旅になるから」
「それもそうだな」
荷物を後部のスペースに乗せ、籠に乗り込もうとした時、誰かがバタバタと走ってくる音が聞こえた。
「ヒマリちゃーん!!」
聞いたことのある声に素早く振り返る。
「……ミカルちゃん!?」
彼女はいつものようにわたしに飛び付き、強く抱き締めた。
この状況だからか、不思議とあの時のような発作は起こらなかった。
「外で物音がしたから……窓を開けて、そしたらヒマリちゃん家に……。何でよぉ!? 何で、黙って出て行っちゃうのぉ!?」
大声を上げるミカルちゃんに、わたしは静かにするよう促した。
「ご、ごめん。事を荒立てたくなくて……ママにも内緒だったから……」
「それでも、やだよぉ……! あたし、もう……ヒマリちゃんに会えなく……うええええええっ!」
言葉はそこで途切れ、ミカルちゃんは顔をくしゃくしゃにして号泣した。
今度は、わたしがミカルちゃんを励ます番だった。その温もりを残すために、強く、強く抱き締めて。
「旅は長くなっちゃうけど……絶対に帰るよ。だから、それまで待ってて。……寂しくなったらコミュだってあるんだから」
「う……うん……」
「それと、ミカルちゃんはレン達にも伝えてね。……お願い」
「…………うん」
このまま――。
ずっとこのままでいれば、きっと出発が躊躇われる。
「…………ッ」
わたしは心を鬼にして、ミカルちゃんを胸元から離した。
それでも、ミカルちゃんはわたしの手を放さずに、ずっと握り締めている。
「新作……出来たら、デリバリンクで送るね……?」
「うん。冬物、楽しみにしてるから」
「クリスマスが近いから……サンタさん作るよ」
「あはは……うん。楽しみだね」
ミカルちゃんはわたしの目を見つめたまま離さず、わたしも離すことが出来なかった。
「…………」
やがて、ミカルちゃんは辛そうに目を閉じ、ようやく手が放された。
わたしは、泣くまいと必死だった。
泣いてしまったら、わたしの意志はきっと弱まってしまうだろう。そうなったら、ミカルちゃんは余計にわたしを放さなくなる……。
「じゃあね、ミカルちゃん」
そう告げるわたしの声は、微かに震えていた。毅然と背を向けたつもりが、その時にはもう、わたしは堪えきれなかった。
溢れる涙が頬を伝い、喉元へと伝う。
「行って……行ってらっしゃい、ヒマリちゃ……」
――消え入りそうな声だけを背中に感じながら、わたしは、俯いたままで蒸気甲冑車に乗った。
別れとは、何て残酷なんだろう。
もしかしたら、わたしは二度とこの集落に戻って来れないのかもしれない。
そう思うと、手綱を握る手が強張ってしまった。
「マリー……」
出口を塞ぐ形で乗り込んだエリカが、わたしの手を握ってくれる。
わたしは頷くのがやっとで、ようやく手綱を握る手を動かした。
「ごめんなさい……。本当に、ごめんなさい、ミカルちゃん」
わたしは小さく呟きながら、手綱でピシャリと昆虫の背を叩いた。
蒸気を吐き出し、無機質に走り出す甲冑。
バックミラーが、崩れ落ちて泣いているミカルちゃんの姿を捉え、わたしは途端に胸が苦しくなった。
「何で……何でこんな……うぅっ! ……うわああああん!」
――わたしは、もしかしたらどこかで選択を間違えたのかもしれない。取り返しの付かないことをしてしまったのかもしれない。
ママが言うように、家でじっと堪えてミカルちゃんと談話をしていた方が、本当は幸せだったのかもしれない。
或いは、何もかも忘れ、ヒマリとして新たな一歩を踏み出す方が、わたしもみんなも、幸せになれるのかもしれない。
たかが古い記憶、たかが一つのメッセージのために、わたしは旅を始めてしまった。
ずっと噛み合っていたはずの歯車が、少しずつ狂い始めている――そう感じざるを得なかった。
2018/04/05 改訂




