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PULLUSTERRIER 《プルステリア》  作者: 杏仁みかん
Section4:遺されたメッセージ
33/94

32:仮想世界の中の仮想世界 - 4

 アーデントラウム管理局の中にある、ちょっとしたラウンジで冷たい鉄製のベンチに座り、買ったばかりの日報を眺めながら時間を潰している。

 日報には狩場の混み具合、ランダムクエストの募集、天気、パーティの募集なんかが載せられており、日々の集計データを元にゲーム内時間の早朝と夕方頃、無人の蒸気活版印刷機から自動的に発行される……という設定だ。主に管理局や雑貨屋に備え付けの自販機で販売され、毎日講読していると自動でボーナスポイントも貯まっていく。一定ポイントが貯まると石炭やくじ引き券なんかと交換出来るので、そのためだけにわざわざ講読するプレイヤーも少なくない。


 その一面記事には、プルステラ版となったVAHの変更点がでかでかと掲載されていた。中でも大きく変わったのは、ゲーム内の一日分の時間単位が、現実世界――つまり、プルステラ内の時間で三時間だったところが、六時間に拡張されたということだ。これにより、プレイヤーが仮想的な空腹を感知するまでの時間が長引き、ゲーム内時間限定の数々のクエストを同時に攻略(まわ)していくことも容易になる。


「マリー、よね?」


 この世界の名で呼びかけられて身体をねじると、そこに二十代前半ぐらいの美しい長身の女性が立っていた。

 胸元までツタのように這って伸びているチョコレート色の髪は、その先端が薄いオレンジ色に染まっている。額にはゴーグルをかけ、ベージュのドレスにレザーのコルセットをきつめに縛っていて、強調される大きな胸と細い腰に思わず喉が鳴る。下半身は少々動き難そうにも見えるレース状のドレススカートにヒールの高いレザーのロングブーツ。腰には初心者が支給される細剣(レイピア)が差してあった。


 わたしはその人物に見覚えが無かったが、このタイミングで自分の名を知っている女性は一人しか思い当たらなかった。


「…………うぇえっ!? エリカ!?」


 あの、プルステラでの独特の風貌からは全く予想も付かないグラマラスな女性だ。

 彼女はスカートをふわっと浮かせながらターンし、腰に片手を当ててセクシーにポーズを決めた。


「ここではRikka(リッカ)と呼んでちょうだい。……どう? 感想は」

「……絶対『盛った』でしょ。鏡で摘んで引っ張りだした?」


 リッカは慌てて人指し指を立て、途端に顔を真っ赤にした。


「しーっ! 失礼ね! いいじゃないのよ、ゲームぐらい。いじったのは(そこ)だけよ? ……そういうマリーだって色々成長してるじゃない」


 リッカの舐めるような視線が自分に向けられたので、わたしはすかさず両手を振った。


「わ、わたしのはクエストの年齢制限に弾かれないためだからいいの! とにかく、それを差し引いても、リッカは充分すぎるよ。元々スタイル良かったみたいだし」


 初めてのキャラメイクにしては胸ぐらいしか不自然なところがないので、胸だけと言うのは本当だと思う。恐らくはこれが元々のエリカの体型なのだろう。

 それだけ大人っぽい魅力を兼ね備えているというのに、褒められて恥ずかしそうに俯く彼女は、どこか子供のようなあどけなさを残した印象を受ける。


「おや、みんな揃ってたか」


 今度は別の、男性の声がかかったのでもう一度振り返るが、そこには誰もいない。


「ここじゃよ、ここ」


 目線を下げると、現実のヒマリよりも明らかに小さな三頭身の老人がそこにいた。


「……もしかして、パパ!?」

「ふぉっふぉっふぉっ。ここではM.Earz(マスター・アーズ)と呼ぶがよいぞ、娘さん方」


 老人のロールプレイを貫くパパは、差し詰め、凄い力を秘めたお師匠様、と言ったところだろう。目と団子鼻しかないもじゃもじゃの毛玉のような顔に、額にはゴーグルと、魔法使いにふさわしいトンガリ帽子を被っている。

 手には身長よりも長い杖。その柄の手元には電球のようなガラス玉がはめ込まれていて、中には緑色に輝く石炭が浮かんでいる。杖の先端には、蒸気を溜め込むための筒状の容器と、蒸気やエネルギーを発するための尖った噴出口が悪魔の角のように二本、斜めに突き出ていた。


「Earzってまさか……名前だけに?」


 問うと、マスター・アーズことダイチパパはロールプレイを崩さずに答えた。


「そうじゃ。それとWizを掛け合わせて作った名じゃよ。残念じゃが、まだ基礎(ベース)レベルは『1』、だがのう。ふぉっふぉっふぉっ」


 ……あのパパがこんなロールプレイを、ねぇ。

 レベルこそ頼りないが、そのプレイヤースキルは未だに計り知れない。


「あ、そうだ、パ……マスター・アーズ。このゲームのシステムって、基礎レベル付きのスキル制だったよね。帝都へはそのまま行くの?」

「いや、いくらなんでもそりゃあ無理ってもんじゃよ。近道とは言え、物事にはちゃあんと手順がある」


 あの、と手を挙げるリッカ。


「……えっと、スキル制? って何かしら?」

「ふむ。まずはそこから説明しなくてはならんかの。多くのRPGでは経験値を集めてレベルを上げるじゃろ? これがレベル制と言われておるシステムで、スキル制とは、技や動作を使った分だけそのスキルが鍛えられていく、というシステムなんじゃ。例えば、剣のスキルを強くしたければひたすら剣技を敵に当て、防御力を上げたければ何度も防御をする、という風にな。

 じゃが、この世界では基礎レベルというものもあっての、敵を倒して貰う経験値でその者の基礎レベルも上がり、体力と、持てる石炭の量が増えるんじゃ。つまり、レベル制プラススキル制のRPG、ということになるな」


 リッカはポン、と手を叩いた。


「なるほど。それじゃあ、基礎レベルが上がれば、より長く戦えるようになるってことなのね」

「うむ。飲み込みが早いの。その通りじゃよ」


 しかし、スキルを使いまくって強くすると言っても、自分のベースレベルやスキルランクに合った、適切な強さの敵を相手にしないと効率よくスキル値が上昇しない。初めはスキルを数回使うだけで簡単に上げられるが、ランクが上がるに連れて気の遠くなる回数を実行しなくてはならない。……そんなことを続けていると、一日や二日程度では強くなれないだろう。


 そんな心配も構わず、マスター・アーズはちょこちょこと歩きだした。


「さーて、そろそろ行こうかね。少しばかり育てる必要があるのでの。わしはウィズじゃから、風魔法(ウィリディス)のスキルに移動速度を上げるものがあるんじゃ。無論、お主らも少しは基礎レベルを上げて強くなっておいた方が安全じゃぞ。一度死ぬと帝都からここまで戻ってきてしまうからの。そうなると一晩では到底辿り着けまい。ふぉっふぉっふぉっ」


 わたしはその手間を頭の中で想像し、ぞっとした。

 マスター・アーズは、いったいどのようなルートでそこまで行こうと言うのか。わたしの知る正規ルートだと、一日やそこらでは辿り着けないのだ。


 装備は支給品程度でいい、と買い物を省略し、言われるがままに近くの炭鉱に訪れた。このゲームのプレイヤーなら、誰もが一度は通るような道である。

 我が物顔で自由に飛び回る機械仕掛けの鉄蝙蝠(アイアン・バット)を見て、わたしは洞窟で巨大コウモリと対峙したあの日のことを思い出した。今思えば、あの対処法はこのゲームで学んだことなんだ、と納得する。


 しばらく道なりに進んだところで、マスター・アーズは足を止めた。


「さあて。この辺で良いじゃろ。先程パーティを組んだからの、これで均等に経験値が入るじゃろうて。後はひたすらメイン武器のスキルを上げて、その辺のコウモリが一撃で倒せるぐらいにまで育てるんじゃ」

「マスター・アーズは何するの?」


 わたしは、はい、と手を挙げて訊ねた。


「わしは風魔法(ウィリディス)を強くするために、お主らに反応速度上昇の魔法をかけ続ける。一方で地底人(グラウンダー)固有の採掘スキルを上げて、お主らが消費する石炭を横から次々補充してやるんじゃ。ここの石炭の含有率は白:緑:紫で6:3:1になっておる。紫は売却価格も高いし、少しだけ残して売っておけば、多少の路銀にはなるじゃろうて」


 リアルな数字が飛び出る辺り、ほとんどデバッガーの職権濫用である。

 しかし、のこのこと攻略を進める気は今のところないので、マスター・アーズの言う通りに従った方が良さそうだ。


 基本的な戦法は、マスター・アーズの付与効果(バフ)掛けの後、リッカが敵をおびき寄せ、剣で対峙している間にわたしが拳銃で狙う、という流れだ。討伐が済むまでマスター・アーズは採掘をし、大体、十匹討伐する間に一個の割合で石炭が採掘できる。

 だが、わたしとリッカの攻撃一発分で消耗する蒸気の量は一定ではなかった。スキル上昇に伴う攻撃間隔(ディレイ)の短縮により、時間あたりで消耗する蒸気の割合は次第に多くなっていくし、スキル上昇のためにはより攻撃回数を増やし、蒸気の消耗が激しい技を次々と繰り出さなければならない。

 一方、採掘の速度は緩やかに上昇するため、採掘のペースが討伐のペースに追いつくことはない。


 目に見えて効率が悪いと判断したマスター・アーズは手を止めた。


「さあて、そろそろ移動しようかの。採掘は、一回の採取量の多い場所で行うと、逆に効率がいいんじゃ。その分、敵さんも強くなっていくがの」


 採掘役のウィズの支援と敵をおびき寄せる「釣り」役のフェンサー。そして安全圏からのアタッカーであるガンナー。この三人のバランスにより安定して討伐と育成が行える。

 その後もマスター・アーズの指示で更に奥の階層で同等の狩りを行い、スキルのランクをどんどん上げていった。その間、僅か二時間。それでもまだ初心者の域を抜けきらないというのに、マスター・アーズは手を止めて満足そうに頷いた。


「よーし、こんなもんでいいじゃろ。わしもついに必要な魔法を全て覚えられるランクになったんでな。街でコウモリから手に入った鉄くずを売って資金と魔導書を手に入れたら飛行船に乗るぞい」


 わたしはそれを聞いて驚愕した。


「えっ? でも、あの飛行船、必須クエストとレベル制限があるんじゃ?」


 マスター・アーズは小さな目でウインクをして見せた。


「裏テクがあるんじゃよ。わしを信じろ」


 そこで彼は懐中時計の時間を確認する。


「……あと二便後か。その前にやることも済ませるでよ」



   §



 買い物ついでに、わたし達の防具をレベル内では最高級の高級革(ハイレザー)装備に取り替え、武器も燃費を抑え、攻撃力がアップしたものを購入する。マスター・アーズは魔導書を何冊か購入し、その場でスキルを習得した。


「せっかく着たばかりのドレスを取り替えるなんて、複雑な気分ね。こっちも可愛いけど」


 MMO自体遊んだことがないリッカのごもっともな意見に、わたしは苦笑する。


「もうちょっとレベルが上がると、好きな服装を強くカスタマイズ出来るクエストがあるんだよ」

「へぇ。今度やってみようかしら。前のドレスも気に入ってるもの」


 ……そう言われると説明しづらくなる。ドレスの強化には莫大な資金と難しい素材を幾つも用意しなくてはならない、ということを……。

 まぁ、ゲームに熱中なら、いつか実現出来るだろう。実際、現実で狩りをしていたせいか、リッカの適応力や運動神経は相当なものなのだ。



 街の中心にあるアーデントラウム駅に到着する。初めてこの世界に着いた時に訪れた駅だ。その更に上の階層にお目当ての飛行船乗り場があり、列車の車窓から見た時よりも遥かに巨大な飛行船が停泊していた。


「わあ、凄いわね! コレに乗るの?」


 リッカがその雄姿に感嘆した。


「うむ。その前に手早くイベントを発生させるぞい。……ほれ、あそこに見すぼらしい姿をしたNPCがおるじゃろ」


 と小さな指が差した先に、ボロボロのマントで身を隠したNPCノンプレイヤーキャラクターがしゃがんでいた。

 何となく、見覚えがある。確か、充分な金が無くて飛行船に乗れないとか言っていたNPCだ。以前カイとプレイした時に、試しにお金を渡してみたのだが、飛行船の片道の料金一千コポルに対し、二、三千コポル程をつぎ込んでもありがとう、しか言わなくて何もイベントが起こらなかった。……それを今、ようやく思い出した。


「マリー。ヤツに一千コポルを渡すのじゃ」

「何かあるの?」

「ほっほっほっ。いずれ分かる」


 わたしは半信半疑でNPCに近付き、千コポル札を渡した。


「ありがとう、優しい冒険者殿」


 以前に見た時と同じ反応だ。何ら変わりはない。


「……これでいいの?」


 付いてきたマスター・アーズに振り返り、問いかける。

 すると、彼はNPCの耳元でこう囁いた。


「『白薔薇が血の滴を受けた』」


 NPCは驚いた表情でマスター・アーズを振り返り、その場に跪いて(こうべ)を垂れた。


「……貴方様の仰せのままに。私は一足先にあちらへ戻ります。ご武運を!」


 そう言って立ち上がり、彼は飛行船の方へ駆けていった。

 わたしは呆気にとられた顔でマスター・アーズを見下ろした。


「どういうこと?」

「隠しイベント用の暗号じゃな。白薔薇(ロサ・アルバ)というのは反帝国組織と、時にはそのリーダー格である人物を指す名称でな、帝国の赤薔薇(ロサ・ガリカ)の紋に対抗するという意味で白薔薇なんじゃ。で、『白薔薇が血の滴を受けた』と言うのは、白薔薇のリーダーが危険に晒されている、という意味を示すんじゃよ」

「でも、何かクエスト受けた形跡ないのに、何で勝手に進行しちゃったの?」

「このイベントはあくまでクエストではない。本来、白薔薇の話を聞くためのクエストがあるんじゃが、この男だけは独立したイベントを持っておる。その役割は……それも、いずれ分かることになるじゃろうて」


 きっと、今回の任務に重要な役割があるんだろう、と思っていると、しばらくその場を離れていたリッカが戻ってきた。


「ただいまー。マスター・アーズが言ってた十五分発は次の便だって」

「うむ。予定通りじゃな。もうしばらく待つとしよう」


 何故その便にこだわるのかも不明だ。恐らくそこに、裏道があるのだろう。



 巨大な船が空を飛び立つと、機械人が次の便に乗せるであろう鉄のコンテナや箱をせっせと運び込んできた。

 マスター・アーズはその機械人が去った後で、首あたりまでの高さがある鉄の箱の近くまで小走りで駆け寄り、わたし達を手で招いた。

 わたし達は周囲を気にしながら彼にそっと近付き、その鉄箱の後ろに身を隠した。


「良いか。今から全員でこの箱に入る。中には恐らく……小麦粉袋の束があるはずじゃ」

「まさか……裏道って」


 マスター・アーズは不気味に微笑んだ。


「そのまさかじゃよ。船が着く頃にわしが不可視化(インビジブル)の魔法をかけるから、お前たちはくしゃみ一つするんじゃないぞ。何があっても動くのも禁止じゃ。失敗したら明日まで待つことになる。……つまり、リアルで六時間も後じゃ」


 わたしとリッカは緊張の面持ちで頷いた。

 それからNPCの動きを確認しながら、こっそりと横側から鉄の箱の蓋を開けた。マスター・アーズの言う通り、そこには小麦粉袋が積まれている。まずは身長の大きなリッカが入り、その隣にわたし、最後にマスター・アーズが入った。……幅はギリギリだ。

 内側からしっかりと蓋を閉じ、暗闇の中でじっと息を殺して待つ。……すると、間もなくして飛行船が到着するけたたましい音が聴こえてきたので、そのタイミングでマスター・アーズが魔法の発動言語を唱えた。


不可視化(インビジブル)!」


 杖に仕込んだガラス玉の石炭が緑の炎に包まれると、杖の先の噴出口から少しずつ緑の蒸気が溶け出して光を放ち、狭い箱の中を完全に満たした。わたし達三人の姿が下半身から徐々に薄れていき、充満している緑の蒸気と一体になる。

 間もなくして、光を放つ蒸気すらも消え去り、再び何もない闇に包まれる。本来なら映画で見るような、シルエットのピントがブレるようなステルス状態になっているはずだ。この状態では大きな物音を立てたり、生物に触れない限りは魔法が解けないようになっている。

 ……咳き込んだりしないよう、なるべく静かな呼吸を保つことにした。


 ガクン、とコンテナが傾き、危うく声を上げそうになるのを堪える。クレーンで船内へと運ばれているらしい。

 ややあって、コンテナは地面に接し、ようやく揺れが収まった。それでもマスター・アーズは動こうとはせず、まだ息を殺している。恐らくは、この船が目的地に到着するまで動いてはいけないのだろう。


 長い沈黙が続き、ようやく飛行船のエンジン音が聴こえだした。体が引っ張られ持ち上げられる感覚に、出航したのだと理解する。

 箱の中で体育座りを維持するというのも結構な苦痛だ。姿勢を換えたい衝動に駆られるが、魔法が解けてしまうので、じっと我慢を続けた。



 十分程度経ったところで、ふいに箱の蓋が取り除かれ、額や首筋から律儀にも冷や汗が浮かんだ。

 警備兵が荷の中身を確認している。だが、袋が破けるのを恐れてか、持っているライフルなんかで突ついたりはしなかった。……なるほど、だから中身は小麦粉袋と言っていたのか。

 実は、わたし達が乗ったことで多少袋の中央が凹んでいたのだが、その辺りまでは気にしないらしい。


 無事検査を済ませた警備兵は蓋を元のように閉じて、次の箱を調べ始める。わたし達は引き続き、息を殺して到着を待った。



   §



 到着時も鉄箱はクレーンで運ばれた。ドシーンと音を立てて着地したところで、マスター・アーズが箱を荒々しく開けた。

 魔法が瞬時に解けてしまったが、マスター・アーズは気にせず、直ぐに正面のコンテナが積み重なっている暗がりへと走っていく。


「こっちだ」


 わたしとリッカは頷き、黙って彼に続いた。


 高く積み上げられたコンテナが三段。それが横に何列も置かれていて、人一人分通れるぐらいの隙間が開いている。恐らく、クレーンのアームが入るための僅かな隙間なのだろう。

 コンテナ地帯を途中で直角に抜けると、そこは薄っぺらい金網一枚に仕切られた、切り立った崖の上だった。その隙間から遥か向こうを見渡すと、赤い、目玉のように小さな光を放つ黒い建物の群れに、煙突からは白と黒の二色の煙を吐きだしている不気味な町並みがあった。帝都ブロッセンだ。

 遥か上空には、蒸気の影響なのか黒くて分厚い暗雲が広がっており、地平線の僅かな晴間からは、帝都を燃やすような朝焼けが揺らめくように覗いている。


 本来、帝都に行く方法は二つある。

 レベルを上げて許可を貰い、飛行船に乗ってここまで来るか、長い船旅を経て辿り着くかだ。……それゆえ、第三の選択肢など絶対にあり得ないと思っていた。


「驚いた。こんな簡単に行けちゃうなんて……」


 あまりにも現実離れしたスピード攻略に、わたしはまだ、実感が得られなかった。

 マスター・アーズは強い風を受けながら、得意気にふぉっふぉっふぉっと高笑いをした。


「この便だけは警備の犬がおらんのでな。他の便では匂いで見つかって牢獄行きじゃ。絶対にやるんじゃないぞ」

「……やらないよ、あんなの」


 実は、同じようなことをカイや友人達と一度だけ試したことがあったのだが、結局は犬に見つかって牢獄に投じられるというオチだった。そうなると、所持金と石炭の八割程度を罰金として没収されるため、二度とやる気にはなれなかったのだ。

 でも、だからこそ難易度の高い抜け道なのだ。不可視化(インビジブル)の魔法が必要な辺り、採掘をメインとする地底人専用の、比較的楽が出来る抜け道ということか。この辺にはレアな鉱石もたくさんあると聞く。


「ここが帝都? あっちの方にも街があるみたいだけど」


 髪をなびかせながら、リッカが訊ねた。いいや、とマスター・アーズが答える。


「ここは国境都市アウゼンブルグじゃ。察しの通り、あの黒い一帯がブリスタール帝国の首都、帝都ブロッセンじゃよ」

「じゃあ、どうやってあそこまで……」

「まずはアウゼンブルグの街へ行くんじゃ。そこでとっておきのサプライズが待っておる」


 マスター・アーズはそう言って、崖に沿った道を歩き始めた。その先に、崖の中腹まで螺旋状に崖を下りていく、川を繋ぐ鉄橋のような構造の坂道があり、カンカンと硬い足音を鳴らしながらゆっくりと歩みを進めていく。

 以前、帝都へ向かう途中でここへ来たはずだったが、ユヅキの記憶は所々が抜け落ちているため、全く思い出せなかった。


 マスター・アーズは振り返らず、強風に負けない大声で言った。


「この崖の中腹に着く頃には朝飯の時間じゃ! そこで一休みしてから正午のイベントで一気に帝都へ向かうぞ!」


 崖の上に都市があると思いきや、崖自体が要塞のようになっていて、崖をくり抜いた中に施設が置かれている。

 窓代わりに空けてある部分から歩く人々の姿が見える。その大半はアウゼンブルグの兵士だ。


「アウゼンブルグは独立した都市国家なのじゃ」


 長い髭をなびかせながら、マスター・アーズが言った。


「崖の外側にアーデントラウムを首都とするイルグラン公国と、ブロッセンを首都とするブリスタール帝国の国境がそれぞれあってな。国を抜ける時は必ずこのアウゼンブルグを通らねばなるまい」


 そこへ、リッカが疑問をぶつけた。


「その、ブリスタール帝国とイルグラン公国って、対立しているんじゃなかったの?」

「うむ。ちょいと複雑なんじゃが、国境が曖昧だと必要のない時まで争いは絶えぬのでな。常にピリピリしておるが、このアウゼンブルグが両国の間に立ち、ここだけは争いをせぬようにと歯止めを利かせておる。その代わり、ここで採掘できる鉱石や石炭を両国へ均等に輸出しておるんじゃ。……ここの兵力はそれだけの力を持ち合わせておるんじゃよ」

「資源が豊富ならいつか狙われそうね。でも、どっちかの国が裏切って仕掛けたら、その時はこのアウゼンブルグがもう片方に味方するんでしょ?」

「そうなるのう。……まぁ、システム上故意に戦争を起こすことは出来ないんじゃが、年に数回は自動的に戦争になってのう、しばらく争いが続くと、また自動的に冷戦状態まで戻るようになっておる」


 その間、戦争開始から終結までゲーム内時間にしておよそ一カ月。長いようで現実的(リアル)には短い分、それだけの激しい戦いが繰り広げられ、この時にどちらの勢力に付くかをプレイヤーが判断して転属することも出来る。

 もっとも、当初はイルグラン公国側にいるので、相応のレベルにならないと帝国側には付けないのだが。

 人数からしても、基本はイルグラン公国に分がある仕組みで、帝国はストーリー上、単純に悪と見なされている。ただ、数少ない優秀なプレイヤー達が帝国側に付くことになるので、結果的には戦力は帝国の方が上回る、と言うこともあり得るだろう。

 人数は少ないが個々が強力なブリスタール帝国側と、人数は多いが個々の戦力がバラバラなイルグラン公国側。戦争に参加するのは自由で、勝てば通常のプレイ方法では手に入らない、貴重なご褒美アイテムが貰えるのだが、負ければそれなりの痛々しいペナルティが課せられるため、容易に参加を決めることは出来ない。


 一方、崖の中を進むわたし達は、戦争に参加しない「中立」勢力と見なされている。飛行船が容易に移動出来ないというのは、本来、国の許可を経てアウゼンブルグに来るからだ。ちゃんとした手続きを踏めば、少なくともイルグラン公国側の国境は安全に抜けられる。……つまり、今のわたし達は完全な中立であり、どちらの国境を越えても狙われる羽目になるだろう。


 そんなギスギスした空間に身を置きながら、ようやく辿り着いた冷たい鉄板とパイプに囲まれた薄暗い食堂の中で、アツアツの特製軍カレーを美味しく戴いていく。

 食べてみて思ったのだが、そのうちの食材の大半は先程現実(プルステラ)で食べた肉じゃがと同じで、何だか違う料理を食べた気がしなかった。

 偶然並べた食材もそれぞれの国を指し示しているように思えてならない。三つの勢力が一つの料理に、とは、まさに中立国らしい料理とも言えよう。


 ……まぁ、その味は「火を吹くほどに辛い」のだが。


「さあて、そろそろかの。二人とも、腹は膨れたか?」


 マスター・アーズはナプキンで髭についたカレーを拭うと、意味ありげな確認を取った。


「……えっと、お腹一杯だけど……」


 リッカは水をごくごくと飲みながら、不安混じりに答える。その額からは、あまりの辛さに大粒の汗が滴っている。


「わたしも大丈夫だよ。でも、何で訊くの?」

「しばらく食えんからの。……ほぅれ、来たぞい」


 マスター・アーズが杖で指し示すと、食堂にぞろぞろと入ってくる赤と黒の鎧の一団。

 ――それは、ブリスタール帝国軍の一分隊だった。


2018/04/05 改訂

※以前の「白対緑対紫で六対三対一」のところ、横書きなのでコロンを使って見やすく記載しました。本来は「対」と漢数字なんですが、ぱっと見理解し難いので修正。

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