28:魂(アニマ) - 3
エリカから再度メールが届いたのは、それから十日後のことだった。
何でも、出国手続きで三日かかった上、これから膨大な容量のデータをアジア共通サーバーに転送するために、ステップルームという個室で丸一日待たされるらしい。
それを知って、わたしは途端に不安になった。転送、ということは、エリカという人物をまるごとスキャンするのだ。バグなんかを抱えていたら、きっと途中で何か大変なことが起きてしまうのではないだろうか。
そんな心配を素直に相談したところ、その手の事情に精通しているママはあっさりと答えを出した。
「出国審査には通ったんでしょ? だったら大丈夫だと思うわ」
「ほんと!?」
「プルステラの出国審査はね、ウイルススキャンみたいなものなのよ。身体の隅々まで不具合がないかチェックして、基準が満たされていれば通ることが出来るの。……正直、エリカさんの身体で通す方が不思議なくらいだけど、実際に通ったというのなら、問題はなさそうね」
良かった、と安堵する。日本サーバーに来てしまえば、後はこの集落へ向かうだけだ。
ただ、ここに至るまでの距離は相当に長いだろう。一週間やそこらで辿り着けるほどの距離ではない。
エリカの一人旅は、まだまだ続くのだ。
──CASE:ERICA・HAMILTON
西暦2203年10月19日
仮想世界〈プルステラ〉イギリスサーバー セントラル・ペンシル内部 ステップルーム
ホログラムのAIに案内されるがままに入った部屋は、ネットカフェやカプセルホテルのような、一人用の小さな個室だった。
初めは何もない、真っ白で殺風景な部屋かと思ったのだが、壁にあるパネルで座標を入力すると、プルステラに実在する風景や効果音に切り換えることが出来るらしい。
そこで早速、三カ月前に住んでいた森に切り換えてみた。天井や壁が森の風景になるばかりか、床の感触もふわふわとした腐葉土となり、懐かしさが込み上げてくる。
部屋には小さい本棚や、どこに繋がるか判らないテレビモニタまで用意されている。注文すればどこからか軽い食事も出るようだ。退屈な一日を過ごすには充分過ぎる機能である。
本棚には、持ち出し可能なパンフレットが挟み込んであった。プルステラの世界地図と、この塔の内部構造が記されている。時間もたっぷりあるし、ここで予習をしていくとしよう。
プルステラの大陸は全部で五つある。バベルと同じ数だ。バラバラで歪な形をした五大陸は、世界の中心部に向かって渦を巻くように弧を描き、尻尾を伸ばしている。
そのうちの北西側がヨーロッパ、真北側がアジアに属する大陸で、同じバベルが担当するそれぞれの国同士は、国境を越える時に、ほぼシームレスにその国のサーバーへと接続出来るようになっている。
この大陸それぞれが交わる部分、つまりプルステラの中心部には、今私がいる五角形の巨大な塔があり、その形状が鉛筆に似ていることから「セントラル・ペンシル」と名付けられている。
セントラル・ペンシルへは直接陸路で行くことも可能だが、基本的には大陸にある各国の「フラグ・ピラー」と呼ばれる小型の中継タワーから転送用のポータルを利用して、一旦セントラル・ペンシルへ送られ、この時、各大陸の「代表サーバー」に接続される。
塔内部もまるでオクラのように五つの空間に仕切られており、中心部に存在する丸い円筒状の空間、通称「芯」だけが、専用サーバーの管理するエリアとなっている。つまり、ステップルームから出ると一旦ペンシルリード専用サーバーへと転送され、更にそこから出国審査時に提出した大陸サーバーのロビーへと移動する、というわけだ。
なら何故、ペンシルリードへ転送するまでに丸一日かかるというのに、そこから行き先の共通サーバーへ接続する時だけシームレスに移動出来るのか。
それは、空港でトランクを置いていくように、先に二十四時間かけてDIPのデータを丸ごと圧縮し、行き先の大陸の代表サーバーへと転送するからだ。無論、その際にDIPは使えないし、検査も行われる。ステップルームに残されるのは、私という身体を形成する、最小限の部分だけに過ぎない。
大陸を経た転送は「歩いて」通過するしかなく、もし無理矢理直接ポータルで移動しようものなら、サーバーに負担がかかるばかりでなく、身体自体にも負担がかかり、動作不能な「ラグ」や「酔い」が発生するらしい。そのため、間にペンシルリードという中継地点を噛ませることにより、徒歩という、体に優しい物理的な方法で身体データを動かしていくのだと言う。
そして、ペンシルリードの出口を潜った地点で、あらかじめ解凍しておいたトランク代わりのDIPを自動的に受け取る――というわけだ。
また、セントラル・ペンシルは、ただ空港のような機能を備えているだけというわけではない。大陸を内部から調整するための施設や、各国の警察本部、各国の代表が集まる会議室、監視塔としての役割なんかも果たしているらしい。つまり、プルステラの運営会社、或いは国連のようなものなのだ。
ここで、はたと気付いた。
ハッカーが世界を脅かしているという話が持ち上がっているというのに、各国が動こうという気配は微塵も感じられないのだ。既に何らかの対処がされているのか、或いは……。
(そういえば、今頃、オーランドはどうしているのかしら……)
何故か、ふいにあの憎たらしいオジサンの顔が頭に浮かんだ。
次の移民はハロウィンに行われ、その次の二月のバレンタインで最後の移民となる。ひとまずの予定では、だが。
なら、柄にもなく、バレンタインの日にやって来るのだろう。その時までに、彼はハッカーの問題を完全に片付けられるのだろうか。
(もし……もし彼が、バレンタインに間に合わなかったら?)
その時は最後のアニマリーヴを逃し、きっと現世に留まるだろう。籠に入った何百億の命を預かり、僅かな仲間と共に……。
「……何考えてるんだろ、私」
頬をパシパシと叩いて、パンフレットを更に読み漁る。すると、眠っていたゾーイが意識を醒ました。
――エリカ、もしかして、「コイ」してる?
「ばっ! バカなこと言わないでよ!」
――ドキドキ、ゾーイにつたわってるよ。ハツジョウキ?
「…………はぁ」
ゾーイはご主人様をからかい、面白がっている。ゾーイからニヤニヤ笑っている感情が伝わってくる。
恋愛? ――まさか。私にあんなオジサンを好きになる理由がどこにあるって言うのよ。良くて父親と娘じゃないの。
そんな感情を誤魔化すべく、話題を返してやる。
「そういえば、あなたの恋愛も聞いたことないわねぇ、ゾーイ?」
犬の恋愛は人間のソレと若干似たところがあると聞くが……ゾーイには理解したらしい。
――ゾーイは……いいオスに、あったこと、ないから。……ひどいよ、エリカ。わかってるくせに。
そんな、どこか落ち込んだような声が伝わってくる。
まぁ、無理もないか。これまで箱入り娘だったのだ。
「えっと……日本でいい血統犬探しましょ。ヒマリのところにもいるかもよ?」
――ゾーイ、エリカにキタイしないで、まってる。
「まぁ、この子ったら……」
そこまで言って、はっと気がついた。
ゾーイが恋するってことは……私が恋するってことでもあるのか。
え、いや……そしたら、どうなっちゃうの、コレ。
――だから、ゾーイ、キタイしないって、いった。
と、ゾーイは呆れた風に言ってきた。
「はぁ…………ごめんなさい」
――でも、ゾーイは、キタイしてる。エリカのレンアイ、ゾーイのレンアイとおなじ。
「もう。やめてよ、恥ずかしい……」
その話題は、互いに傷を嘗め合うどころか傷つけ合うようなものなので、それきりとなってしまった。
私は擬似的な腐葉土の上に直に腰を落としたり、ベッドがあるにも関わらず、その上に寝ころがったりしながら、様々な本を読み漁り、或いは眠り、残りの退屈な時間を過ごした。
「あれ? そう言えば……」
午前十時を回り、残り十分程度、というところで、ようやく思い出した。
壁にかけられたテレビモニタ。これは一体何を映すものなのか。
――だって、プルステラにはテレビ局なんてないはずなのに。
「………………」
恐る恐る、そのスイッチを押してみる。
「…………へぇー」
……映った。紛れもなくイギリスの公共放送が。
ホログラムのアナウンサーが目の前に現れ、とりとめのない現世の話題で時間を埋めている。
チャンネルはそれだけだが、なるほど、現世と全く連絡が取れない、というわけでもないわけか。
――いや、待てよ。これが生放送とは誰も言っていないじゃないか。
一見すると確かにそれっぽいニュース番組ではあるが、見る限りではいつのでも構わない内容だ。
しばらく前から現世のニュース番組では、どこそこの公園が使われなくなった、とか、どこそこのマイナーな店が閉店しました、とか、そんな話題ばかりで時間を食い潰している。
恐らく、じっと観察すればどこかにヒントはあるだろう。何月何日で、時間はいつ頃、とか。
『……今日もロンドンのアニマポートでは、ハロウィンのアニマリーヴに向けて、最後の登山を楽しむ方が訪れています。……現地の記者と中継が繋がっています。サラさん?』
そんな時、見覚えのある風景が映し出された。アニマ・リーヴの僅か三日前、ゾーイと登り、頂上でオーランドに出会ったあの人工の山だ。
きっとこのどこかにヒントがあるだろう――そう思って眺めていると、少しばかり違和感を覚えた。
登山口でレポートをする記者。しかし、その背後でこれから登山を楽しもうという客がいると言うのに、記者と登山客の間には見えないガラスで仕切られたように全く絡む様子がない。
記者は突っ立ったまま淡々と様子を述べただけで、それ以上のことには触れなかった。……残念ながら、時計や日付を表すものもそこにはない。
――エリカ、あれみて。
と、ゾーイが私の指を動かしてホログラムの一端を指差した。
それは登山客ではない。その後ろに小さく映った、「とある何か」。
「……なるほど」
その場所に二本の指を近づけてそっと拡大のピンチアウト操作をすると、拡大すると同時に、偶然にも映像がプツリと切れた。
「あぁー……」
――あー……。
私とゾーイは同時に嘆いた。もう少しというところで時間が来てしまったらしい。
『転送が完了しました。これより、ペンシルリードへ繋がる出口を開きます。お疲れ様でした!』
明るいアナウンスが告げられると、部屋は元の真っ白な部屋に戻った。お尻に感じていたふわふわの腐葉土の感触もふっと消えて無くなる。
私はゆっくりと立ち上がり、うんと伸びをした。気付けば、自分の身体が薄く透けて色も大分褪せてしまっているのだが……これは事前に説明があった通り、転送時の負荷を可能な限り軽減するための措置である。
「でも……うん、これでほぼ……間違いない、かな。あんなに小さいのによく見つけたわね、ゾーイ」
えへへ、と嬉しそうに照れ笑いをするゾーイ。
しかし、こんなことを知っても何の得にもならないのではないだろうか。
そもそも、私がこんな疑問を抱いたのはいったい何故なのか……。
考えても理由は出て来ず、代わりに頭に残るのはあの違和感と、一瞬だけ確認出来たあの部分だけだった。
§
ペンシルリードは、ただだだっ広いだけの、真っ白な円形の空間だった。私の足元には、行き先を示すオレンジのガイドアローが表示され、静かに明滅を繰り返している。
他の国からやってきたらしい半透明のくすんだ人々が、何もない壁の中へ次々とすり抜けていくのが見えた。……どうやら、自分の行き先以外の出口はこちらに見えないらしい。
そんな時、背後から壮年の中国人男性と思われる人物が声をかけてきた。
「小姐、それは萬聖節の服装かね? 色がくすんでいてよく判らないのだが……」
「え、ええ。これから日本で友達の女の子を喜ばせに行くんです」
良かった。どうにかバレていないようだ。
しかし、毛皮の中からは大量の汗が吹き出ている。
「いやあ、素晴らしい! 感心したよ。質感もまるで本物じゃないか。さぞかし高級な毛皮を使ったんじゃないかね?」
「そ、そんな、ところです。あはは……」
「ぜひ、頑張っておいで。子供に夢を与えるのはいいことだ。うんうん。……再見、小姐」
そう言って、男性は手を振り、てくてくと歩き去った。
ほっと胸を撫で下ろす。
――あぶなかったね、エリカ。
――うん。でも、誤魔化せてるみたいよ。この時期もあってね。
そう、ハロウィンが近いからだ。
なら、尚更急いでヒマリのいる集落に向かわなくてはならない。
遅れたら、それだけ疑われる。この格好で鼻を赤く塗り、トナカイだ、という言い訳だけはしたくない。
三百メートルぐらい先の丸い壁に、初日のチュートリアルを終えた時に通ったようなアーチがあり、その上部に「JAPAN」と記されている。私は、そこに足を踏み入れた。
ふわっと浮かぶような感覚と共に、景色が白み、身体が瞬時にどこかへと運ばれていく。――その間、およそ五秒。
景色の色が戻ると、そこは落ち着いた風合いのデザインで統一された、紛れもなく日本サーバーの、フラグ・ピラーのロビーだった。
身体の色も元に戻り、指を動かすとDIPも呼び出せた。
「……きれい……」
高い天井から降り注ぐモミジの葉のエフェクトに、素直に感動する。
ちょろちょろと流れる水の音は、四角く取り囲んだ休憩用のベンチの後ろにある、小さな庭園のオブジェからだ。
近付いて見てみると、傾いた竹の筒に水が注ぎ込んでいて、その重みで傾くと――。
カンッ!
――心に響く、風情のある音が伝わった。……なるほど、これがシシオドシってやつか。
多分、ヒマリはこの場所を知らないだろうから、何枚か写真を撮っていこう。きっと喜ぶに違いない。
「……ん?」
数枚写真を撮り終えたところで、ふと、柱にある広告に目が止まった。
プルステラで広告、なんてものは、それこそ新鮮にも思える。何せ、そこら中が開拓途中の、田舎っぽい集落ばかりなのだから。
「なになに……? 『あの大人気VRMMOがプルステラに蘇る。ヴァーポルアルミス・ヒストリア、マーケットにて近日発売』……?」
ゲーム、らしい。古めかしいくせに無駄なぐらい精巧なギミックが施されている機械。背景には四百年ほど昔の産業革命を彷彿とさせる街灯やら蒸気機関車が描かれている。
時代錯誤、なのに独特の魅力ある世界観――こういうの、スチームパンクって言うんだっけ。
VRMMOって言うと、仮想空間で遊ぶオンラインゲームらしいが、それがこのプルステラに登場するってことなのか。
仮想世界で遊べる仮想世界……考えてもどういうものかさっぱり解らない。それに、わざわざ仮想世界で仮想世界を味わうという意図が理解出来ない……。
これも、セントラル・ペンシルで働く人が用意しているんだろうか。プルステラの内部事情は複雑だ……。
それよりも、早くヒマリの集落へ行かなければ。ハロウィンまで、あと十一日しかないのだ。
臙脂色のマントのフードを目深に被る。美しいフラグ・ピラーの風景には後を引かれる想いだが、また来る機会はあるだろう。
十月の寒空の下、ステップルームからずっと握り締めてきたパンフレットの地図を頼りに、私はヒマリの住む集落へと歩き始めた。
2018/04/05 改訂




