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宇宙の騎士の物語  作者: 荻原早稀
第一章 ガレント遭遇戦
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8. 紅の女王

 ルナティック・オレンジ、鉄仮面、などのような異名や二つ名は、自分で名乗るものではない。当たり前だが、誰か著名人やマスコミなどが名付け、やがて一般人にも膾炙していく。

 フェイレイ・ルース騎士団で現在もっとも有名な人物がカノン・ドゥ・メルシエだろう。

 最年少で副団長に就任し、歴代最短でその筆頭になった。

 出自も高く、恐ろしいほどに美しく、近々に引退が噂される騎士団長に代わり、その座を襲うのではないかともっぱらの噂でもある。

 彼女の異名を「紅の女王」という。

 メグのようにギアに色を付けているわけではないので、この戦いの中で乗っているギアも肩の装甲はただの黒。パイロット用のスーツも外装も、特別に紅色をつけている部分はない。

 従って、出撃に際して塹壕から飛び出た彼女は、真っ黒なギアの外装に偽装用の彩色が加わった地味な姿での登場であり、何ら目を引くものは無かった。

 だから、異名と見た目はまったく一致していない。

『せいぜい気をつけてねぇ』

 という緊張感のかけらも無い声がかけられたのは、彼女がメグやフィルに続いて出撃しようと塹壕を出た直後、有線通信を断って前進しようとした直前である。

 カノンが危うくコンソールに突っ伏しそうになるほど、場違いな声だった。

「……いちいち気が抜けることじゃ」

 相手はもちろんレイだ。

『まあそういわないでよ。タイミング見て応援に行くからさ』

 応援、という言葉に色々な意味が込められているのを、カノンは聞き逃すほど愚かではないのだが、聞かなかったふりをしたくなる程度には天邪鬼なのだった。

「好きにせよ。もはや、行く」

『はい、いってらっしゃい』

 運動会前の親子のような会話を切ると、カノンはコクピットブロックの脚部ユニット内の膝横にあるパドルを、膝を開くようにして押す。

 パイロットの動きを機体の手足に反映させる操縦系になっているギアだが、このパドルを膝で操作する際は無視される。

 パドルは、いわばアクセルだ。背中に負った強力な飛翔ユニットと脚部の電磁場発生機構などを組み合わせて、ギアの移動制御を行うのだが、その加減速は両足の膝外側をパドルに押し付けて行う。

『各機、続け。行動は計画通りじゃ。必ず生きて帰るぞ』

 有線通信最後の音声を各ギアに送り、パドルを押したカノンの機体は、一瞬の後に衝撃波を残しつつ強烈な勢いで発進した。

 メグやフィルたちもそうだったが、ギアという兵器の地上における運用でいちばん大事なのは勢いである。速度といい換えても間違いではない。相対的な速度差を大きくした上で、防御フィールドを全開にしてぶつかるという肉弾戦法がギアのもっとも特徴的な攻撃だ。

 そうでなくとも、敵地に少しでも早く到達できる機動性が命なのだから、突撃ともなればその速度は他の兵種を圧倒する。

 加速度制御、重力制御などの技術は進んでも、完全に慣性をゼロにはできない。パイロットには相当な加速Gがかかるが、そのためのスーツを着ているし、そのために鍛えているのだから、気絶寸前までは気にもしないのがパイロットという生き物である。

 タイミングとしては、メグの突撃やフィルの蹂躙が始まった一〇分後。

 進んだ先で何が起こっているかもわからない、妨害が大平原全体を覆っている中での突撃は相当な度胸が必要だが、カノンも、その配下のパイロットたちにも、一切の迷いや逡巡はない。

 恐ろしく美しいが、その美は彼女のおまけの要素でしか無い。天才的な戦術家であり、指揮官であることを部下たちは知っている。心酔もしている。カノンの命が下れば、部下たちに迷うという選択肢は無いのだ。

 ヘルメット内部の投影データと、瞳につけたデータ表示用のコンタクトレンズからの情報を大脳に叩き込まれるようにしながら、黒い機体を走らせる。

 方向は、自陣から見て左の方向。

 フィルが通った道である。

 フィル同様、出力を絞って連射性を高めるモードに切り替えていたカノンらは、防御フィールドで敵の攻撃を弾き、いなしながら、強引に前進を続けた。

 やがて敵「共同体」軍の軍団司令部がある隣の戦線、フィルが飛び込んで蹂躙を始めていた戦線は、カノンらの突入を待たずに粉砕された。

 至近に迫った敵陣の妨害システムが順次やぶられ、一気に視界が広がった。敵陣が丸裸になっていく。

 それまで虹色に輝いたりうねったりしていた視野が急にクリアになったから、パイロットたちも危うく幻惑されかけたが、そこは機体のAIが画像を補正したり光量を変えたりしてくれるので、すぐに立ち直る。

「良い仕事じゃ、エーカー」

 通信までは回復していないのでその声は届かないが、カノンは称賛のつぶやきを口の端に乗せた。

 良い方の予定通り、目算通りである。

 妨害システムが無効化されたということは、すでに敵は抵抗の意思や手段を失っているということだ。

 カノンは自ら先頭に立って進みつつ、フィルが蹂躙している敵陣に飛び込むと、速度を落とさずに陣を突破していく。

 大地と同化するような色をしたフィル配下のギアを、有視界観測が出来るようになった時点でギアの「目」が確認し、捕捉してその動きまで予測演算している。衝突回避のアルゴリズムが働き、瞬時に自機の軌道を再計算しながら進む。

 地を這うような低い姿勢で、音速を超えた速度で飛翔するカノンたちのギアは、衝撃波で大地に傷跡を刻みつつ驀進し、不規則にゆらぎながら右方向に曲がっていく。

「『鉄仮面』が良い仕事をした。途中の手間が一つ省けたようじゃ。このまま当初の予定通り、敵司令部を衝く」

 視界が戻ったことでレーザー通信が可能になったため、カノン機から配下の士官たちの機体に光パルスが飛ぶ。読み取った士官の機体から、その配下の下士官や兵士の機体に声は中継されていく。

 カノンの指示に、パイロットたちは快哉を叫び……は、しなかった。

 フィルのおかげで余計な敵の妨害なく進めるのは非常に喜ばしいのだが、カノンが右方向に曲がっている以上彼らも右に曲がっていくわけで、そこでかかる左方向への加速度がきつくて声など出せるはずがない。

 むしろ、このタイミングで声を出して指示を飛ばすカノンのほうがおかしい。

 凄まじい量の砂礫を飛ばし、土煙を上げながら、衝撃波の塊となった一団が「共同体」軍の崩壊した戦列を突き破っていく。フィルと違い生真面目ではないカノンは、メグ同様ギアの擬態用フィルムを全く起動していないから、その集団は光を吸い取ったかのような異様な黒さを見せつけている。

 敵司令部が存在する軍団は、この時、メグに蹂躙されている真っ最中だ。ただし、フィルが襲いかかった戦線よりも陣容はずっと分厚く、兵装も優れている。

 妨害はまだ収まっていない。

 カノンたちが突っ込もうとしている先は観測が通らない。

 先に何があるかわからない状況で、演算結果を頼りに敵司令部の位置を予測し、妨害領域に突入する寸前に防御フィールドを前方向に収束して全開にする。

 敵から弾丸は飛んでこない。カノンらの動きを知らない以上、自軍の味方にわざわざ攻撃を打ち込んでくるバカはいない。

 カノン率いる一個旅団一三〇機余りのギアは、それ自体が巨大質量を持つ弾丸となって、敵司令部を擁する戦線に突入した。



 中央に司令部、両翼にそれぞれその三分の一ほどの数の兵力を置いた陣形を置いた「共同体」軍の一軍団は、率いる司令官にとっての左翼、敵対する騎士団にとっての右翼が、この時点で何も機能していない。

 正面にいた騎士団兵力、メグが率いる戦力が消えてしまったからだ。

 突然敵の砲撃が消えてしまったことに、「共同体」軍左翼は驚いた。

 驚いたが、司令部から指示が来ておらず、それをするには通信が途絶している以上伝令が来るまでは何も伝わりようがないのだが、次の指示が来るまではどのみち動けない。

 ちょっと時間が経過すれば、左翼は一気に前進して騎士団の背後を取れていただろうが、それが出来る状態になかった。

 僅かな時間、左翼は実質的に死戦力になった。

 右翼は前述の通りフィルに粉砕された。

 中央の前衛はメグの特攻で一時的に大混乱に陥り、司令部も対処が遅れていた。戦力としてまともに動いている部隊は皆無だった。

 しかし、そもそもの数が違うのだから、いかにメグが不意撃ちに成功したとはいえ、長持ちするはずもない。いずれ攻撃は終末点を迎え、包囲され、すり潰されるだろう。

 メグが暴れている前衛はずたずたにされていたが、司令部周辺はまだ攻撃を直接受けていない。対抗できる戦力が失われてわけでは、決して無かった。

 実際、一時の混乱からなんとか精神を立て直した司令官は、金切り声を上げながら全軍を叱咤していた。

「落ち着かんか! 敵は少数だ、よく見て当てろ! あんなものが長続きするはずがなかろうが!」

 敵の有線通信をもしメグが傍受していたら、「あはは、まったくその通り」とうなずいただろう。

 ルナティック・オレンジの異名に違わぬ狂気じみた突撃と敵陣内での大暴れを続けるメグだが、こんな攻撃がそうそう長い時間続くわけがないことは知っている。敵が多少理性を取り戻せば、その瞬間に撃滅されるだろう。

 もちろん、そうなる前に「ケツまくって逃げてやる」と考えてはいる。才能と経験に裏打ちされた戦場の勘は、歴戦の騎士団内にあっても一目も二目も置かれている彼女だ。でなければ、上司に対しての態度が悪い上に戦場で乳房を露出させてダラダラしているような人間が、旅団長などという顕職に就けるはずがないし、部下だってついてくるはずがない。

 わずかな時間で一気に暴れ倒したおかげで、節約していたはずの機関砲は、すでに残弾僅少。近接戦闘用の武器が無いわけではないが、そんなものをギアが使うのは、儀礼的な一騎打ちのときくらいだ。

 戦闘限界は確実に近付いている。

 そろそろ引きどきか、とメグが思い、退却のための突破口を見出そうと周囲を見回した時に、変化が訪れた。

 メグにとっての前方、敵司令部があると思しき領域の横から、とてつもない勢いで暴力的な突撃が敢行されていた。

 妨害は激しいが、陣内にまで完全な妨害機構を働かせるはずもなく、外から観測するより遥かに容易に状況は理解できる。

「来たか!」

 メグが破顔し、部下たちが歓喜する。

「女王の光臨だ! 乗り遅れるな!」

 無秩序に暴れまわっていたメグ配下のギア集団が、何が起きたかを瞬時に理解し、一斉に前進する。

 無謀としか思えない前進は、だが、暴風のような横からの突撃に襲われた敵にとっては悪夢だった。完璧に連携が取れた攻勢にしか思えなかった。

 一方、横からの突撃を行っている最中の「女王」カノンの部隊は、防御フィールド全開のまま体当たりで敵を文字通り弾き飛ばしている。

 当たるを幸い敵をなぎ倒し、突き進む。

 古代世界、馬を駆る騎兵が戦場の花形であった当時の、重装騎兵による突撃によく似ている。質量と速度によって敵をなぎ倒し、足蹴にし、陣を粉砕する。

 完全に敵の予測を超えたギア集団の横撃は、ほとんど一瞬で敵陣を崩壊させた。数が違うとはいえ、カノンの常軌を逸した横からの突撃を留められるほど陣容は厚くはなかったし、防御力もなかった。

 正面からなら、メグの部隊が司令部本陣にはまだ斬り込めていなかった通り、耐え凌げたかもしれないが、各種妨害を嘲笑するかのように敵司令部の位置を正確に予測してみせたカノンの突撃は、到底耐えしのげる代物ではなかった。

「横だと!? 何が起きている!」

 司令官が叫び、そばにいた参謀長がそれに応じようとした時に、満を持して火蓋を切ったカノンとその集団の全開射撃が司令部を襲った。

 カノンの射撃命令からわずか三秒後、司令部は消滅した。

 エネルギー量を絞って連射性能を上げた重金属弾の豪雨が、メグらの突撃に対応させるため正面に振り向けていた司令部の防御フィールドを、卵の殻のように突き破っていた。柔らかな土手っ腹を撃ち抜いたようなもので、さしたる抵抗もない。

 一〇〇機を超えるギアの集中砲撃をまともに食らって、司令部はその構成員の骨一欠片すら残すことなく吹き飛んでいた。

 長々と続いていた塹壕戦が嘘のように、少なくともこの戦線では勝敗が決した。



 敵司令部を瞬殺したカノンの集団は、その勢いを殺すことなく前進し、敵司令部が存在していたエリアに侵入すると、自分たちの破壊的な射撃で壊滅した大地に立ち、停止した。

 司令部が破壊されたことでシステムが崩壊した「共同体」軍の妨害システムが、各所で機能不全に陥った。多色の渦が消え、この一帯の大平原が姿を表す。

 地形的に変化のない、だだっ広いだけの大地が、ある地域は焼けただれ、ある地域は吹き飛ばされ、ある地域は「共同体」軍の装備や兵士の死体が転がる光景を見せていた。

 何が起きているのかわからない「共同体」軍の兵士達が、とにかく目に見える敵を倒そうと砲撃を続けている。騎士団のギアは動き続けているから、当然ながら「共同体」軍の砲火の射線も動き続けており、司令部が消えてしまったせいで歯止めをかけられる者もいないままに、友軍の砲撃を受けて死ぬ兵士が立て続けに出ている。

 そんな中、カノンはギアを一度停止させた。

 妨害が消えたおかげで通信が回復したからだ。

 ギアから降りられるほど大気は冷えておらず、数万度に至ることもある重金属粒子を含んだ風が吹く中でコクピットを開けられるはずもないから、カノンはそのまま音声回線だけを開く。

『筆頭副団長より全騎士団に告ぐ。大勢は決した。撤退を開始する』

 黒い無骨なギアの背後に、戦旗が表示される。ギアと同じくらいの大きさのそれは、光学的に形成された電磁波の旗だが、風にたなびく絹地の大旗のように輝きを放ち、その中央に描かれた赤いマントをまとった女神の紋章が揺らめいた。

 フェイレイ・ルース騎士団の紋章、「紅の戦女神」。

 カノンの異名、紅の女王とは、ここから出ている。

 騎士団の象徴たる女神が生きて現れたような光輝ある存在、女王の如き威厳、風格。

 戦場に出現したその姿は、響き渡る砲声や爆音と共に強烈な存在感を放ち、騎士団のバイロットたちは一斉に歓呼の声を上げた。

『紅の女王!』

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