1. ネオリュディアでの緒戦
どうしてこうなった。
もはや定番となったクリシュナの独白の原因が、目の前で優雅に脚を組み、物静かに指示を出しながら、彼我の戦力差七倍という数的不利を鼻で笑うように、軽快に敵軍を蹴散らそうとしていた。
こちらの戦力は百名弱。敵は六八〇名。
ギアも、空戦兵器も、防御フィールドも、「苦労砲」も無い。
あるのは、兵たちが自力で担げる兵器と、非フィールド式の歩兵用防御装備のみ。通信機無し、レーダー無し、まるで地球古典期の近世期の戦争のような、馬がいないから騎兵は存在しないものの、徒歩の歩兵同士のぶつかり合いという恐ろしく古風な戦争形態だ。
サバイバル訓練そのままの装備で、担いで走る兵士たちは必死だが、装備としては軽装というほかない。
到底現代戦の現場とも思えない光景だが、紛れもない現代戦の一形式だ。
今回の任務でクリシュナの上司となった人物には、そのような任務でも光を放つカリスマがあるようだった。
多くの人々が期待と反感をぶつけ合いながら注目する、エンターテインメントのような戦いを指揮しながら、クリシュナの上官はそこにいるだけで戦場を照らし出すような、鮮やかなまでの存在感を示していた。
黒くなめらかな絹のような長い黒髪、白磁のような肌、碧玉の瞳に不敵な表情と、紅い唇に乗せた穏やかな微笑。
騎士団最年少の副団長にして、ガレント遭遇戦の英雄。
筆頭副団長カノン・ドゥ・メルシエ。
なぜか、クリシュナはそのそばにあって戦術士官として幕僚の中枢を担っていた。
今回の騎士団の任務は、双方の陣営が傭兵団を雇って地域の覇権を争う戦争中の、天の川銀河僻陬にある大型宇宙コロニーで、一方の陣営に決定的勝利を与えること。
双方、国民の血は流していないが、経済的な出血が大きくそろそろ限界点が近付いていた。
国運を賭け、ガレント遭遇戦で大いに名を上げたフェイレイ・ルース騎士団を雇ったのは、サルディス党という名の勢力だ。
コロニー内はいわば一つの都市のようなもので、本来なら一つの国家が統治すべきだし、そもそも境界線すら引きようがない地理的条件だ。だから戦争といえば敵味方入り乱れた泥沼の市街戦になりがちだし、そのためにコロニーそのものが自滅に至った例も多々ある。
軍事力を引っ張り出した上で戦っている時点でアウトだろう、という意見をとりあえず措いておけば、サルディス党と名乗る勢力と、その対抗相手であるエフェソス党と名乗る勢力とは、まだ理性が残っていた。コロニー外に設置した特別区画内のみでの限定戦争を行うと決し、その戦いに互いの命運を賭けたのだ。
ネオリュディアという名のこのコロニーは、「大崩壊」前の文明が作ったという恐ろしく歴史の長い建造物である。
センターハブである円盤型のステーションの下部に、六つの巨大な円筒形ユニットがぶら下がるように設置されたこのコロニーは、二つが商工業区画、一つが農業区画になっていて、残る三つが人類の居住する区画だ。
コロニーはすべてのユニットが中心軸に沿って回転しながら慣性重力を得ている。つまりユニットごとに独立して慣性を生み出しているわけではないので、ユニット同士を物理的につなぐのは難しくない。
といって、つなげばユニット同士が一蓮托生になってしまう。どこかのユニットに異常が起きたらそれを破棄して他が生き残る、という生存戦略を自ら捨てる愚行なのだが、かつてのネオリュディアの人々はそうは思わなかったらしい。
「大崩壊」以降の星間航法技術の衰退による孤立時代に、ネオリュディアの住民たちは、恒星が生むエネルギーと、近傍の小惑星帯を消滅させてしまうほどの大規模な資源開発で得た素材とを用い、長い時間をかけてコロニーのユニットをつなげまくった。
結果、慣性重力によって円筒の内側に暮らしながら、他の円筒とをつなぐ部分にも住居の群れが進出し、政治勢力が二分したときに「じゃあお前らはそっちのユニットな」「お前らはそっちのユニットから出てくんじゃねーぞ」的な妥協もできない状態になった。
それでも、みんな仲良くできている内は良かった。ネオリュディアの長い長い歴史の中で、いくつかの体制が潰れ、消え去っていった。その中には暴力的な革命で政権が打倒された例も皆無ではない。
だが、今回のように真っ二つに分かれて戦うのは珍しい。
彼らはコロニー内で戦うことの恐ろしさを理解していたし、誰もがその恐ろしさを理解していても、ごくごく一部のバカの暴走で着火させられた悪意が暴走して、誰も望んでいなかったはずの血みどろの戦いが始まることがあることも、歴史上よくあることも知っていた。
そこで彼らが選択したのが、究極の限定戦争だ。
自分たちの代表を居住区ユニットとは別区画のユニット内で戦わせ、代理戦を行わせる。それ以前に結ばれた条約に基づいて勝敗を決し、勝利した方がそこに定められた条件の報酬を得る。
限定戦争は、万が一暴走してもユニットが破壊されたりしないよう、重火器の使用や索敵装備の使用を厳重に制限されている。数も、数千が一度に動くようなことはない。
原始的とはいわないまでも、前近代的な装備で数百人規模の兵力が戦い、その様子を両勢力の人々が固唾をのんで見守る。
「なんか、レースとか格闘技とか球技とか、完全にギャンブル系の見世物ですね」
「賭け金が途方も無くでかいけどな」
先日、この戦いに参加するにあたってのブリーフィングに参加していたエステルとビューレン少佐が交わした会話がすべてだな、とクリシュナも思う。
国家の命運がかかった戦いとはいえ、両陣営は金で傭兵を雇って戦わせているわけで、プロの競技者を雇ってチームを勝たせようとするクラブスポーツの経営と何が変わるわけでもない。
戦争なので、人死にが出ることもある。ギャンブルとして公に賭けが行われることも無い。政治性を帯びるため、盛り上がってくるとデモや街頭演説が盛んに開かれたりもする。スポーツとは、さすがに周囲の状況は異なってくる。
それでも、やはりよく似ている。
そんなエンターテインメント的な、興業的な代物で国の命運を決めていいのかという問いは、では死者を多数出してでも己の主張を貫き通す方が偉いという歪んだエゴイズムが優先されるのか、という問いを逆に突き付けられることになるだろう。
政治で決着がつけられない、という時点で既に状況は詰んでいるわけで、それをどうやって解決に向かわせようと、すべて茶番である。結局は、勝敗がついて変化したパワーバランスが政治解決を生み出すか、時間変化によって状況がごっそり入れ替わるかして決着していくのだから。
であれば、政治的解決を諦めた段階で茶番のエンターテインメントを敢行し、ノリと勢いで解決を目指してしまうのも、案外悪くないのではないか。少なくとも、絶滅戦争のような凄惨な殲滅戦にはならないし、人々の生活基盤が再建困難なほど破壊されることもない。
特に宇宙空間に浮かぶ都市では、基礎インフラの破壊はイコール共倒れの全滅を意味する。世界に絶滅戦争でも挑もうとしない限り、コロニーのユニットを破壊するような戦争行為はあってはならないことだ。
ここで、フェイレイ・ルース騎士団のような独立系の傭兵団の存在が浮かび上がってくる。
傭兵団にも色々あり、列強の軍を引退した兵士たちが警備会社の重武装版として作る会社などが多い。
この場合、母国の軍や政府とつながっていることはよくある。軍を派遣すると大げさになって政治的にまずい場合、そのような傭兵団を使う。
そのような傭兵団の幹部は当然ながら母国のもと将校が多いわけで、中には軍高官の天下り先として軍関係者の資金を使って作られた傭兵団も少なくはない。
独立系とは、そのような国家的組織と深い関係を持たず、人的交流も少ない傭兵組織の事を指す。
フェイレイ・ルースは、とくにレイに買収されて以降、大貴族や大商人との関係を、少なくとも資金面ではすっぱり断ち切った。金の切れ目は縁の切れ目で、騎士団は政治的な中立性を相当に高めている。
もともと、列強の中では「若干メディア帝国寄り」な政治的立場といわれていたフェイレイ・ルース騎士団だが、レイがメディア貴族やメディア帝国系の財閥の影響を根こそぎ排除してしまったため、今はむしろ「メディアから反感を持たれている」と見なされている。
そのような、政治的な中立性を持っている彼らのような独立系騎士団は、それを使って勝利しても、背後にいる大勢力につけこまれて被害を被るという心配が少ない。
大勢力が、こういう限定戦争の戦力として参加させた傭兵団を使ってその国の内部に浸食し、食い荒らし、資源や資金を吸い上げられるだけ吸い上げて、責任も取らずに逃げ去ってしまうという例も、歴史には腐るほど存在する。
「そんなあこぎなことはせんよ」
交渉中、騎士団側の担当者である騎士長デ・バサン中将は笑いもせずにそういったというが、騎士団がそのような火事場泥棒のような真似をしたことがないのは有名だから、コロニー都市国家・ネオリュディアのサルディス党は、その言葉を信じ雇用契約を結んだ。
メディア帝国から反感を持たれている、という騎士団の外部からの評価が正しいかどうかはともかく、原因があるとしたら、レイによる買収はきっかけに過ぎない。
最大の原因が、サルディス党の代理として戦うフェイレイ・ルース騎士団の指揮官として、バトルフィールドのサルディス党側指揮所で優雅に茶などをすすっていた。
「力押しで充分に対抗しうるとは思うておったが、ここまで戦力差があると拍子抜けじゃな」
余裕綽々なセリフを吐いたカノンは、本当に拍子抜けしているようだ。
七倍の戦力を持っているくせに、力押しに正面突破を図る騎士団の頭の悪そうな攻撃に対し、エフェソス党を代表して出てきた傭兵団が、三〇分と保たずに瓦解しようとしているのだから、当然といえる。
「どこの戦場をうろついておれば、ああも弱くあれるのか」
半ば呆れ気味にいうカノンに、これまで彼女とまったく接点無しに軍歴を重ねてきたクリシュナは、どう反応していいかわからないままに、
「仰る通りです」
と頷くのが精一杯だった。
カノンがメディア帝国から反感を持たれている、というのは、彼女が騎士団入りしたのは完全に彼女の独断であり、国はそんなことを欠片も望んでいなかったからだ。
クリシュナも、カノンがかつてメディア帝国の正式に冊立された皇太子であり、様々な政治状況の変化からその位を返上したという話は知っている。
超大国の一つであるメディアで起きた大事件だから、知らない方がおかしい。
メディア帝国は皇太子の座から降りたカノンを放置する気はなかった。民衆からは絶大な支持を誇る絶世の美少女を、国家の象徴として帝室の枢軸たる地位につけ、政治に翻弄されない立場での活躍の場を与えるつもりだった。
皇帝という国の代表者たる立場ではなく、もっと権威を持った、だが実権は持ちようがない立場に据えることで、彼女が持つ神秘的なほどのカリスマ性を国家のために活かそうとしたのだ。
が、カノンはそれを勢い良く蹴り飛ばし、宇宙でも特異なほどに高貴な血筋であるにも関わらず、貴族主義を宇宙の彼方に捨て去ろうとしていたフェイレイ・ルース騎士団に入団した。
民衆はそのヒロイックな行動にやんやの喝采を浴びせたが、国家や、それを指導する大貴族層は、カノンの行動を自分たちへの壮大な当てつけとしか受け取ることができなかった。
かくして、メディア帝国は騎士団に反感しか持てなくなり、さすがに公式にカノンを「国賊」呼ばわりはしていないものの、それに準ずる扱いを続けている。
そんな、誰でも知っている背景を、クリシュナはもちろん知っている。
なんの因果で彼女の帷幄に加えられたのやらさっぱりだが、仕事は仕事だ。
知己のエステルが入るべきなんじゃないの? という疑問は消せないが、配置を指示したのは騎士長デ・バサン中将だ。何らかの正当な意図が、あるにはあるのだろう。誰も説明すらしてくれないが。
四週間かけてこの前近代的な戦闘のためのトレーニングをしながら宇宙を旅し、到着したと思えば即座にこの戦場に放り込まれた。
コロニー「ネオリュディア」に足を踏み入れて、まだ八時間も経っていない。
いきなりといえば、いきなりこの戦場の最前線に投入され、今まさに敵との直接会敵を果たしているエステルとビューレン少佐は、ごく少数のデータでもわかるくらいに暴れている。
周囲との連携だって構築できていないはずの二人が、冗談のような勢いで戦果を積み上げていた。
相手が弱いのか、彼女たちが強すぎるのか。
両方だろうな。基力規制無しで近代兵器の使用を禁じられたら、あの二人のデタラメな強さに対抗できるやつなんて、そうそういるはずないもんね。
「ドゥ・プレジール中尉な」
と、急にカノンの流し目を受けたクリシュナは、図太さが看板のような女のくせに、動揺した。
それを顔には出さず、凛と胸を張るいつもの姿勢のまま、「は」と応じてみせる。
カノンはクリシュナの動揺に露ほども関心を向けず、続けた。
「メディア貴族の中でも出色の才を持つと評価されておるが、そなたの正直な評価は奈辺にあろうや」
「小官はメディア貴族のお歴々を存じませんので比較の仕様もありませんが、戦士としての能力は我が騎士団内でもエース級に入るかと」
騎士団におけるエース級の定義は、戦闘職の将兵の実力評価で、上位一割以内に入ることだ。
「大したものじゃな」
とつぶやくカノンが、実力評価上位一割どころか一パーセントに入る豪傑であることも、クリシュナは知っている。
まったく、先日の貴族のボンボンどものような貴族も多いというのに、自分の周りの貴族どもはどうしてこうも怪物ばかりなのか。
「死天使」エステル、「鋼鉄の騎士長」ドゥ・バサン、「紅の女王」カノン。
決闘でジョサイア二等軍曹を秒殺したお陰で、戦士としてのクリシュナの声望は高まっているのだが、周囲の貴族たちを見ていると、とうてい誇る気持ちにはならないのだった。
エステルにだって瞬殺されるだろってのに、騎士長のおっさんだの世紀の天才だの前にしたら、私なんか目にも入らない綿埃みたいなもんだわ。
どんなに褒められてもクリシュナは得意になれない。
難儀な知り合いが多いものだ。
結局、その戦いはフェイレイ・ルース騎士団がそのまま押し切り、戦前の多くの予想を覆してサルディス党の勝利数を一つ伸ばしたのだった。
指揮官としてそれを喜ぶ様子は、カノンには無かった。
「さて……難敵の前に手馴しと行きたかったが、なかなか思惑通りには行かぬものじゃ」
浮かない顔でそういうカノンの美しさはまた格別で、近くで見ているとなんとも眼福である。
エステルといい、カノンといい、メディア貴族の令嬢は美形の宝庫らしい。
「次の戦いは」
と、カノンがクリシュナを見る。その大きな瞳に射抜かれ、クリシュナは名状しがたい感情に囚われた。居竦むような、柔らかく抱きすくまれるような、ただ美しいだけではないカノンという存在の巨大さに、瞬間震えた。
「そなたの能力が遺憾なく発揮される機会となろう。期待しておる」
「……はっ」
クリシュナは、得体のしれない感動に襲われそうになり、反射的に背筋を伸ばして敬礼した。




