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宇宙の騎士の物語  作者: 荻原早稀
第二章 騎士団
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17. 決闘後

 ようやく、クリシュナは荒い息を吐き出した。体中の筋肉が酸素を欲している。

 目の前には、模擬刀の首筋への一撃で意識を飛ばされたジョサイアの巨体が転がっている。

 他人からどう見えていたかは知らないが、ギリギリのところを全力で切り抜けた、とクリシュナは自覚している。わずかでも自分の読みや動きがずれていれば、気絶どころの騒ぎではない敗北を喫していたに違いない。

 勝ちを誇る気も無いクリシュナは、模擬刀の電源を落として刀身を消すと、静かに左足を引いて体を貴族たちに向けた。

 ついさっきまで「殺せ!」と叫んでいた子爵は、絶句したまま立ち尽くしている。取り巻きたちも同様に、唖然として彼女とジョサイアとを見比べていた。

「勝ちました。何かご異論は?」

 平常運転の声だ。震えも、昂りも無い。多少乱れてはいるが、ジョキング帰りでもここまで冷静な声にはならないだろう。

 貴族たちからの異論は無い。言葉を発する機能が失われたようだった。

 クリシュナの冷たい瞳が、彼らからまともな思考力を奪っていた。

 決闘前の彼女の脅し文句が、彼らを縛り付けていたのかもしれない。

 本来なら階級上位者に向けるなどありえない暴言だが、彼女は言葉通り軍曹との決闘を「とっとと終わらせ」た。次は彼らに「痛ーい痛ーいお仕置を刻んでやる」番だ。

 彼らは、自分たちが束になってもジョサイア軍曹にダメージ一つ与えられるとは考えていない。その強さがあればこそ、飼い犬として利用し、気に入らない雌犬にけしかけてみせたのだ。

 その飼い犬すら、一切の仕込みなく実力で一方的に秒殺してのけた雌犬……の皮を被った狼に、自分たちがわずかでも対抗しうるとは、さすがに誰も考えなかった。

 助けを呼ぼうにも、彼女を痛め付け陵辱する場面に居合わせないよう、上官や組織管理者たちを出し抜いてここに立っている。クリシュナの退路を塞いだつもりで、自分たちで自分たちの退路をふさいでいた。

 時間を稼げば何者かが現れ、事態は好転するかもしれない。たが、あの軍曹を秒殺するような人間凶器から、どうやって時間を稼ぐというのか。

 口しかない。

「や、やるじゃないか少尉。わずかな無駄もない見事な動きだった」

 上擦った声で子爵がいう。

「ここまでの実力者であるとは寡聞にして知らなかった。大したものだ、実に大したものだ」

 何かと二回いうくせが鼻につく。

「体格ばかりで技術も敏捷性にも欠けたそこのグズとは大違いだ。素晴らしいではないか、なあ、卿ら」

 引きつった笑いで周囲に同意を求める。急に振られた周囲は慌てるが、なんとか同意を返す。

「いやあ、まったく」

「騎士団のエリートの真の力を見た思いだ」

「そこの肉だるまとは比較にならん」

 クリシュナは黙って冷ややかに彼らを見ていたが、肉だるま、という言葉が出ると同時に、ゆっくり右足を踏み出した。

「ま、待て少尉、早まるな、これはテストだったのだ」

 子爵が慌てる。飛び込んでこられたら、クリシュナが素手でも殺される。逃げようとしても、体勢を崩した瞬間に間合いを詰められ、瞬殺される。

「我ら騎士団の真の精神を示さんとするものには力が必要だ。我らには少尉の如き武を体現する存在が必要なのだ」

 子爵は先程までの絶句が嘘のように早口でまくし立てる。

「我らの志をその姿で示す女神として、少尉を我らの同志に迎えよう。最大の礼節と報酬を以て報いる。本当だ、本当にだ」

 クリシュナは静かに子爵に歩み寄ると、ゆっくりと模擬刀を持たない右手を上げた。その指が、子爵の顎に添えられる。

 子爵が「ひぃっ」と息を呑む。

「子爵閣下」

 クリシュナは称号で呼んだ。騎士団の軍人としてではなく。

「まずひとつ、二等軍曹はグズでも肉団子でもない。上司の不当な命令にも黙々と従い、本来相手にすべきではない絶対的強者の前に立ちながら、怯えも竦みもせず戦った勇者だ」

 声は大きくない。たが、距離が近いから、貴族たち全員の耳にはっきりと届いている。

「次にひとつ、私はエリートではない。この程度の実力者は掃いて捨てるほどいる。たまたま目の前にいた社会的弱者が持つ肉体的な力を、自分たちの力と誤認するようなメンタリティでは、見抜けないかもしれないが」

 彼女の口に上る標準語は、発音のキレがいい。誤解のしようもないほど明瞭に聴き取れる。

「さらにひとつ。私はこれまで誰にも尻を振ったことが無いし、これからも無い。牙を剥くことは多々あってもな」

 そこまでいうと、クリシュナは、子爵の顎に添えていた人差し指と、親指とでその顎をつかむ。

「失せろ!」

 それは、全身の筋肉から沸き起こるような叱声。

 圧のかかった衝撃波をまともに食らったような驚きで、貴族たち全員の体が跳ね上がる。体が痙攣したように動かず、脳内は白く染め上げられる。

 掴んだ顎を逆手に振り流すと、子爵は顎を投げ飛ばされたように体勢を崩し、地面に倒れ込んだ。

 クリシュナは黙ったまま、左手の模擬刀を展開する。

 わずかに湾曲した片刃の刀身を見た他の貴族たちは震え上がった。

 我先にと、ようやく目が覚めたとばかりに逃げ出す。

 子爵は置いてけぼりだ。

「ま、待て、貴様ら」

 腰が抜けているらしい子爵が、地面の上で不器用に泳いでいる。

 その面前に刀身を落とすと、クリシュナは無感情な声で告げた。

「現在の状況は複数の媒体で撮影済みです。ゆめゆめ、容易に揉み消せるなどとお思いになりませんよう」

 子爵はその言葉に、瞬時に沸騰したらしい。直前までの哀願調が、いきなり憤激に変わっている。

「この私を脅そうという気か、貴様」

「この私でもあの私でも結構ですが、感情のお忙しい方ですね」

 クリシュナの苦笑は、純然たる侮蔑だ。

 他者に対する侮蔑が習い性になっている彼は、自分にむけられるなどあってはならない他者からの侮蔑に敏感だ。その侮蔑に気付き、顔を真っ赤にして怒声を上げた。

「殺してやる、必ず殺してやるぞ売女!」

 クリシュナはにっこりと微笑んだ。

「そうですか。では、先に殺してしまいましょうね」

 再び模擬刀の刀身を消したクリシュナが、その柄を勢いよく地面に突き刺した。

 子爵の鼻先二センチメートルのところで。

 子爵は「ひあっ」と裏声で叫び、白目をむき、失禁と失神を同時にやってみせた。



 こりゃクビかなあ。

 どうせなら懲罰無しの一発追放がいいなあ。

 懲罰付き軍法会議付き懲役付きのフルコースはやだなあ。

 どうせ退職金も出ないだろうしなあ。

 クリシュナがぼんやりとテント内のデスクに肘をつき、参加者のデータを適当に流し見ていると、声がかかる。

「少尉、やはり暴れたな」

 振り向けば、老人と呼ぶには抵抗がありすぎる、実は伯爵位を持ついかつい貴族軍人が歩み寄ってきていた。

 やれやれ、と思いながらクリシュナは立ち上がり、敬礼をする。

「心外ながら、閣下の御高説を証明する羽目に至ったこと、まことに慚愧の念に堪えません」

「良い。分かっておって野放しにしたのだからな」

 こんな場末の訓練場に現れていいはずがない、騎士長が立っていた。謹厳かつ峻厳な頬に、笑みの色はもちろん無い。

「どちらを、でしょうか」

 クリシュナは少し怒ったような口調になっている。

 実際、かなり怒っているのだが。

「無論、あのボンボンどもをだ」

 デ・バサン中将は事も無さげにいう。

「ここまで早く馬脚を現すアホウとは思っていなかったがな」

「アホウを問題児にぶつけて処断しようと思っておいででしたか」

「察しがいいな」

「あのアホウ共以外には、誰にだってわかりますよ」

「戦場に出る前に処断されねば、その部下にされた兵士の無益な死体が積み重なる羽目になる。急ぐ必要があったのでな」

「恐れ多くも高貴なる騎士長閣下の御威光がございましたら、あの程度のクズ貴族などは偉大なる瞬き一つで処断できましょう程に」

「皮肉はよせ。貴官には似合わん」

 騎士長の後ろに控えた副官らが目を丸くしている。畏敬と畏怖で騎士団中の人間が怯えずにはいられないとされる騎士長相手に、こんなやり取りをする少尉風情がいるなど、彼らの想像の外にある。

「客員騎士だ、そうそう私とて思い通りにはならんよ」

「やっぱり……」

 クリシュナは舌打ちした。

 客員騎士とは、騎士団の伝統的な身分である。正規に騎士団に所属するのではなく、一時的に騎士団内の地位を付与されてともに戦う士官のこと。

 歴史的には、その大多数が、フェイレイ・ルース騎士団のノブレス・オブリージュ的な価値観で飾られた軍歴を欲する貴族階級だ。

 フェイレイ・ルースでの軍歴は大いに箔付けになるし、かつては資金に困った騎士団幹部の手によって、前線など見たことも無いような貴族に、仲間を救った兵士に与えられる栄誉勲章が濫発されるような時代もあった。

 現実主義者のレイ・ヴァン・ネイエヴェールに買収されて以降、その手の客員騎士は激減していたはずだが、いるところにはいたらしい。

 当然ながら、その背景には大貴族たちの存在があるのだろう。

「厄介な連中は手元で飼い殺しにしておこうとそばに置いていたが、少尉を見て気が変わった。会わせる前に多少少尉の存在を売り込んではおいたのだが、こんなに簡単に自爆するとは想像以上のアホウだった。お陰で今夜から快眠だ」

「それはさぞお気が晴れた事でしょう。祝着至極にございます」

「怒気を過剰に含まねば、実に良い声なのだがな」

「どの口がおっしゃいますか?」

 クリシュナの声に本気の殺気が混じる。

 ここで、騎士長がわずかに苦笑した。

「立ち話もなんだ。そろそろ訓練生共も戻って来ようし、座って待とうではないか」



 彼自身が高位貴族であり、貴族主義者と見られており、その対極にある騎士団オーナーと対立関係にあると見られている騎士長が、そんな単純な人物ではないことをクリシュナは知っている。

 訓練から戻ってきた臨時教官のビューレン少佐、訓練生たちを引きずるようにしてトップで到着してみせたエステル、そこにクリシュナを加えた三人が、騎士長の前に座っている。他に、室内には副官一名がいるのみだ。

「少尉の賞罰は気にせずともよい。あれだけ醜態を晒しておいて、よもや連中も訴え出るような真似はすまいし、してきたら私が握りつぶせは話は済む」

 冒頭から騎士長はさも当然のようにいった。

「煽っておいて今さら……」

 と、ぶつぶつクリシュナがいっているのをエステルがほらはらしながら見ている。ビューレンは苦笑しながら見ないふりをしていた。

「彼らの背景にはどう手当をされるおつもりでしょうか」

 口に出したのはそのことだ。

 ビューレンの問いに、騎士長デ・バサン中将は事も無げに答えた。

「程度が低すぎる恥晒しをかばう愚など、背景共は犯さんよ」

「わざわざ少尉を襲った意図は何処にあるとお考えですか」

「迂遠と思ったか?」

「彼らはドゥ・プレジール中尉を『融和派』と見て敵視していました。少尉をその側近と見て敵愾心を持つのはわかりますが、いきなり近接戦闘の専門家まで準備して襲いかかるというのはあまりに短絡的かと」

「短絡的なのだよ、欲求が叶わぬ経験に乏しいガキどもはな」

 騎士長の淡々と斬って捨てる口調に、ビューレンは鼻白んだ。

「彼らにとって貴族上位の価値観が絶対だ。メディアの大貴族令嬢たるドゥ・プレジール中尉を襲うなど、彼らの価値観の中ではありえぬこと。さりとて自らの嗜虐性を抑える術を知らぬ彼らに、何もせぬという選択肢も無いのだから、少尉を決闘の名の下に襲い、名誉を奪った上で陵辱しようと考えるのは、彼らにとっては理の当然だ」

「……そこまで愚かだと?」

 思わずエステルがうめいた。後先も考えず、軒先を借りている身でありながら騎士団の正規将校を襲い、無事で済むとでも思っていたというのか。

「中尉、想像を超えるほど愚劣な貴族というものが、この世界にはいるのだ。君の誇り高さはさすがメディア貴族の精粋と賞さるべきだが、あり得ぬほどの低レベルな貴族観念の持ち主がおり、自分もそれらと同列に見られている事すらあると知った方が良い」

 騎士長の言葉に、エステルは眉を寄せて黙り込んだ。

 あんな連中と同類にされては、恥辱の極みというものだ。赤い瞳がさらに深い緋色にきらめく。

「あの手の連中を排除するのは骨だが、まあ、虫けらは地道に駆除する他ない。オーナー殿とも話したが、様々に背景やら関係やらがあって、一気に駆除というわけにもいかんでな」

 騎士長の言葉に、クリシュナが反応する。

「閣下とネイエヴェール会長がお話を?」

 意外だったらしい。

 あの薄ぼんやりした印象の冴えない小男は、貴族の価値観の対極にある。騎士団を買収することで救った男だが、札束ですべてを解決するようなやり方や、様々な改革を矢継ぎ早に行い騎士団の組織をがらりと変えてしまった強引な手法に、保守層から強い反感を持たれている。

 騎士長はその最右翼と、一般には見られている。

「当然だろう。騎士団運営のトップと、経営のトップとが話し合わんで、実務が進むはずがない」

「それはそうですが……」

「団内統制の都合上、さも対立しているように見せている面もあるのは認めるが、長い軍歴であれほど話が合う男と会ったことが無い」

 さらりと口にした騎士長の言葉に、全員絶句する。騎士長は眉一つ動かさない。

「さて、貴官らを訪ねたのは、あのようなゴミ共の後始末をするためではない。貴官らの新たな任務についての話をしに来た」

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