5話 無償の優しさ
学校から出て俺は無我夢中で走った。
頭に血が上って湧き上がっていた怒りを払拭するように全力で走る。
葵が俺のことをどう思っているかなんてわからない。
異性としてまったく意識されていないかもしれない。
ただの腐れ縁の幼馴染だと思われているかもしれない。
でも…………でも俺は……葵のことが本当に好きなんだ。
「なんで、俺ってやつは……あんな態度取ってんだよ……」
大好きな葵に対して、あんな横暴な態度を取って……あいつを泣かせてしまった。
不真面目な俺に対して葵は正論を言っていただけなのに……。
「もう……俺なんて……葵の中では、どうでもいい存在なのかもな……」
足を止めて大きく乱れてしまった呼吸を整える。
「あいつから見れば俺なんて、勉強もろくにしないで……ダラダラと毎日を過ごしているだらしがない奴だもんな……」
最近は葵だけではなく徹にも避けられていた気がするし……。
あの二人は真面目に勉強をしてトップの成績を走り続けている。
二人三脚で生徒会の雑務をこなし、他の生徒たちや教師からも信頼されて……。
今も、そしてこれからも大きく立派な人間に成長していくのだろう。
二人と比べたら……俺なんて……中学を卒業してから何も変わっていない。
そんな俺のことを葵が咎めてくるのは当然のことだ。
「葵……」
涙を流していた葵の姿が頭に浮かんでくる。
先程まであった怒りの感情は鳴りを潜めて、俺の心は自責の念に強く苛まれていた。
葵と徹が本当に付き合っているのなら……あの約束も……あいつの隣に並び立つことも、もう……叶わないかもしれない。
今すぐにでも引き返して葵に謝りたい。
でも…………。
「くそっ……また、バイト……か」
こんな状況でも……経済的な余裕がない俺にはアルバイトに行くという選択肢しかない。
全身から大量の汗が噴き出す。
体が……震える。
寒い……。
「あぁ……頭痛い……」
鉛のように重い体に鞭を打って、俺はバイト先へと向かった。
♢
「おはよう……ございます、先輩」
「おはよう、大和くん。あれ、今日はお昼からなの?学校はどうした?」
バイト先のスーパーに到着した俺は更衣室前の休憩室で速水先輩と出くわした。
「今日は午前中まで……だったんです。明日は……文化祭、ですから」
「そっか、文化祭か……。私が高校卒業してまだそんなに時間経ってないけど……すごく懐かしく感じる」
感慨深そうに目を閉じながらそう言葉を発した先輩はなぜだかとても大人びて見えた。
俺と二つしか年が変わらないのに……。
「ねぇ、覚えてる?去年私と大和くんと宮野さん、それに村瀬くんとで文化祭回ったよね」
「あ……はい……そう、でした、ね……」
昨年の文化祭……。
たしか……俺たちはあの時……。
「あの時さ……四人で後夜祭のキャンプファイヤーにも参加したよね」
「そう……でしたね」
あぁ……寒い。
「結局、私以外皆恥ずかしがったからフォークダンス踊らずじまいだったなぁ……」
頭が……痛い。
「まぁ仕方ないよね。あんな伝承があるんだからね」
伝承……?
「あの時……宮野さんにすごく嫌な顔されたっけなぁ……」
葵が……嫌な顔……?
「って、大和くん。顔色悪いよ、大丈夫?」
「え……あ、はあ……」
なんだろう……よく聞こえない……。
「ちょっと大和くん?」
すごく……眠たい……。
「聞こえる!?大丈夫!?」
立っていることが辛くなった俺はその場に崩れ落ちた。
♢
幼い頃、葵は人見知りだった。
恥ずかしがり屋で少しドジで、臆病で……。
そんな葵は俺の後をよくついてくる女の子だった。
葵のことを守ってやりたいと子供ながらに俺は勝手に思っていた。
俺が勉強を教えてやったり、いじめっ子から助けてやったり……その度に葵は笑顔で『ありがとう!』って言ってくれた。
そんな葵の笑顔が俺は大好きだった。
そういえば……最近、あいつに『ありがとう』なんて言われていないな。
あいつの笑顔も……最後に見たのはいつだったけ……?
「……と……ん。大和くん……?大丈夫……?」
俺を名を呼ぶ優しい声が聞こえてくる。
「あれ……俺……」
「おはよう、大和くん」
重い瞼を開けると、激しい耳鳴りと頭痛が俺を襲う。
「大和くん、爆睡だったよ。大丈夫?」
「え……俺、寝てました……?」
「うん、1時間ぐらい」
休憩室の時計を見上げると、バイトに入る時間はとっくに過ぎている。
「え、もうこんな時間!?」
休憩室のソファで横になっていた俺は慌てて飛び起きた。
「だめだよ、無理しないで。店長からの伝言で今日は休むようにって」
「店長が……そう、ですか……」
「ろくに寝てないんじゃないの?バイトばかりしているし……毎日睡眠時間削って勉強もしているんでしょ?」
「……よく、わかりますね……」
「私も高校時代はそうだったからね」
先輩は優しく微笑んで俺の額に手を当てる。
「ん~……これはかなり熱があるね。しんどかったでしょ?」
「せ、先輩……近いですよ……」
速水先輩の顔が近い……。
とても綺麗で……美しい顔をしている……。
「ほら、まだ横になってないとだめだよ」
俺の体を気遣うように優しい手つきで再びソファに誘導してくれる。
「先輩も……バイトだったんじゃ……」
「大和くんのことが心配だから、私も休んじゃった」
「すみません……俺のせいで……」
昔からこうだった。
速水先輩は優しくて美人で学校でも人気があって……他人を思いやれる素敵な人。
この人は恵まれない家庭環境に負けることなく受験戦争に打ち勝って、今も学業とバイトの両立を日々頑張っている。
それなのに俺ときたら……なんてざまだ。
金を稼がなくちゃいけないのに……勉強もしくちゃいけないのに……。
葵に八つ当たりして……勉学が疎かになって……バイトも休む始末……。
本当に情けない。
「大和くんは毎日よく頑張ってるよ。大丈夫だよ」
こちらの心を見透かしているように先輩は静かに俺の頭を撫でてくれる。
彼女の無償の優しさが弱った俺の心に響いてきて……自然と目から涙がこぼれた。




