最愛の
「マコト、ひいオバアちゃん、憶えてるか? お父さんのオバアちゃんや」
母は息子に聞いた。
方向性の見えない話の展開。
聖は黙って聞くだけ。
「えっ? 婆ちゃん? 何の話やろ……えーと。それって海の見えるホテルみたいなところに居たお婆ちゃんかな」
「そうや」
マコトの曾祖母は、晩年を老人ホームで過ごした。
マコトが4才の時に亡くなったと、
母は聖に説明。
「そのオバアちゃんが、マコトの舌打ちの癖に気づいて『不吉』やと言いはったんや」
「ふ、きつ?」
真と聖は同時に聞き返す。
「マコト、『河内4人串刺し事件』知ってるやろ……オバアちゃんは嫁に来てすぐの頃、ある葬式で年寄り達が喋っているのを聞いてしまった。なんと、被害者の1人は的場の一族やったんや」
<河内4人串刺し事件>
河内K村の鈴●鶴吉15才が
近隣住人4人を次々に手製の竹槍で襲い殺害。
鶴吉は父親所有の葡萄畑で自死。
家人の証言では、鶴吉は邸宅の自室に籠もること3年。
かねてより近隣住人が自分に向けて舌打ちをすると訴えていた。
「『的場の跡取り息子は、素行も行儀も悪かった。路歩きながらも舌打ちして、そこらに唾はいて。鶴吉やなくても、どないかしたろうと思うで』
他の3人は巻き添えやったとも、話していたらしい。
オバアちゃんはこの話を的場の家で聞いたことは無い。タブーだったんやろう」
幼い曾孫の<舌打ち>に
遠い昔に聴いた怖い話を思い出した。
「年寄りの戯言やと聞き流したんです。そのうちにマコトの癖も治ると。『河内4人串刺し事件』なんてホンマにあったのかも怪しいと疑い、ネットで検索してみました。そしたら事実と分かり、急に気味が悪くなりました」
犯人が鈴●鶴吉、と知った。
葡萄畑で自害した顛末。
三軒隣の鈴石家が頭に浮かんだ。
鈴石猛の姉が中学で不登校、以来引きこもりだとは、知っていた。
ヨガ教室の友人から聞いていた。
さっそく詳しい話を聞いてみた。
友人の娘は猛の姉と同級生だった。
不登校のきっかけは虐めで、
虐めの始まりは『河内4人串刺し事件』のネットの記事だと
教えてくれた。
それから、家に遊びに来る猛が怖くなった。
幼い男児が一緒に遊んでいる姿はほほえましくあったのに、
<因縁>の二文字が頭に浮かぶ。
「近所付き合いをしない、変わった家やとは知っていました。健全な家庭環境ではない。猛君も、お姉さんのように引きこもりになってしまうかも知れない」
鶴吉は3年家に籠もっていた。
同じようになるのでは?
息子の<舌打ち>は不吉どころでは無くなった。
いつか息子は猛に殺されるのではないか。
殺した者の血筋と、
殺された者の血筋。
似た状況、同じ癖。
あの舌打ちに耐えられない、と
猛はキレるのでは……。
「マコトは小さいときから温厚な性分に見えました。駄々をこねたりしません。大人の言いつけに素直です。でも……気に入らないと舌打ちが始まるんです」
「ほんとに? 僕が舌打ち?……子供の時から?」
幼いときから現在まで完全に<無意識>なのだ。
「マコトの舌打ちが始まると、その場の空気が変わります。友達はマコトに気を使い始めるのです。怒りの対象を探すのです。気の弱い猛君は誰よりもマコトの顔色をうかがっていました」
母はそこで涙ぐんだ。
可哀想な猛を思っての涙、だった。
暫しの沈黙の間にも
ちっち、と聞こえる。
聖は、ふと思いつき、タバコに火を付ける。
そして、
「お母さん、真くんに勧めてもいいですか?」
言ってみる。
母は思いがけない質問に首を傾げ……
「あ、」
と、
聖の思惑に気付いた。
「タバコ、ですか。なるほど。そうですね……そっちの方がましですね。主人もスモーカーですから大丈夫でしょう」
「えっ、は、はい。タバコを、吸えばいいんすね?」
真は母と聖に問う。
抵抗する気は無さそうだ。
無意識にまた<舌打ち>していたのかと、
それがショックな様子。
「煙吸い込まないで。ふかしタバコなら咳き込まないよ」
真は素直に従う。
舌打ち、は止まった。
いや、舌を動かそうとしたのに自身が気付いたようだ。
「まあ、こんなことで何とかなりそうじゃないですか。神流さん、さすがですね。猛君の事件が起こってから悪い予感が半分当たったようで、陰気な気分やったんですけど。本物の霊能者と、こうやってお話しできるなんて、想像もしていなかった。予想外の幸運です。人生何が起こるか、先の事なんて分からないモノですね」
母は何度も頭を下げ
息子にも頭を下げさせ
高価な和菓子を置いて帰って行った。
「セイ、お疲れ様。長い1日だったわね。真君、舌打ち止められたらいいね」
日没と共にマユは姿を現した。
今日工房で起こった全てを
(白いヨウムの剥製に宿っている)
マユも聞いていただろう。
「無意識の癖は簡単には消滅しない。けど、自覚すれば少しは減るよ。タバコくわえて舌打ちはやりにくい」
「一家殺しは、やはり友達が共犯だったのね。テツ君だっけ。自首するつもりで真新しい服に着替えてきたのね。優しい人に見えたけど」
「いい奴だったんじゃないか」
「猛君が望むからエリカさんの写真を撮りにベランダに行った。
そして人殺しまで一緒に……全部、猛君の為にしたこと?」
「猛の為に、じゃないと思うよ。テツは楽しかったんだと。猛と居るのがね。無理して続く年月じゃ無い」
「で?……なんで猛君は人殺ではないのかしら?」
「人殺しには違いなかったよ。テツの竹槍が急所に当たっただけの事。たまたま、そういう結果になったんだろう」
聖は、そういう事にしておこうと思った。
テツ1人が3人を殺した事実は、自分と猛しか知らないのだから。
だがマユはすんなりと聞き流しはしない。
「死者は3人よ。1人だけなら偶然でしょうけど。猛君が意図的に急所を避けたかもしれない」
「身体に触れないように竹槍で布団を刺したのか?」
「ええ」
「なんで?」
聖には
猛が何を思ってそうしたのか、
その謎は解けていない。
「家族を自分の手では殺せなかった、とか」
いざとなったら無理、だった。
家族の心臓を狙うはずが
どうしてだか、
竹槍を握る手が、震えてぶれてしまったと、
マユは推理した。
「自分が出来なくても、テツが殺ってくれると?」
「そう。罪は自分1人で引き受けるつもり。手伝わせたテツ君が疑われないよう配慮している」
「猛はテツを守ったのに、エリカの死ではテツを疑っている。複雑だな」
「テツ君はエリカさんを殺していないのね」
「うん」
テツの手に若い女の徴は無かった。
エリカの死因はまだ分からない。
「猛君はテツ君がエリカさんを殺す理由があると思ったのかしら。
竹林を挟んでエリカさんの姿を覗き見していたように、エリカさんからも、こっちが見えていたかも知れない。殺人現場から逃げるテツ君の姿が見えたかも」
「テツが目撃者エリカを殺したと?……俺、ちょっと話しただけ、だけど、そういう奴じゃないと思う。ベランダに侵入したり人殺し手伝ったりしたんだよ。警察に捕まるリスクとか、考えてないじゃん。ゴムマスクが出てきて、真に聞かれて、泣いて白状したんだ。目撃者口封じなんて、アイツにはそんな思考ないよ」
「猛君は、テツ君の性分を充分知った上で疑ったのね……それはエリカさんへの思いがテツ君との絆を凌ぐってことよね」
猛は<エリカ鑑賞>が日課だった。
一番の楽しみだった。
「猛は父親に、地下倉庫に閉じ込めると言われ事件を起こしたんだ。二度とエリカを見れないと、絶望したのか。……エリカは猛の生きがいだった? いわゆる最愛の人?」
「辛い恋ね。最愛の人も、かなわぬ恋に生きている。毎夜恋しい人を盗み見るためにベランダに……」
「えっ? エリカは、ベランダから誰かを?」
「誰かって……、真君に決まっているでしょ」
「へつ……あ、ああ、そうか」
ベランダに侵入した男は
初恋の人に似ていた。
男が被っていたゴムマスクの顔は真に似ている。
猛が、そのマスクを選んだのだ。
マンション4階のベランダから、竹林をはさんで3軒隣の
真の家は、見えそうじゃ無いか。
「窓が見えるのかも。真君の部屋の。竹林が隠してくれるから安心して長い時間、その窓を見ていた。カーテンが閉じていれば姿は見えない。それでも、真くんが、そこに居るというだけで同じ時を過ごしていると……エリカさんは幸せだったのかも」
「それって、メチャクチャ気味悪いんだけど。ストーカーじゃん」
思ったまま言うと、マユは残念そうな溜息。
「やっぱりね。セイはそう言うと思ったわ」
「病んでいるよ。そんな、しょーもない。不毛な事に時間使うなんて」
「セイ、世の中には、叶わぬ恋でも、ただ見ているだけで、それでいい人もいるの」
「見られている方は、被害者だよ。災難でしか無いと思うけど」
「災難ね。……真君もセイと同じように感じるタイプでしょうね、きっと」
「まあ、普通にそうだろう。アイツ、まさか覗かれてたなんて、思ってないだろ」
「そうみたい、だったね。真君が知れば、セイと同じように気味悪いと思うかもね。けれど猛君は違った。エリカさんに同調していたのよ」
愛されることは無い。
友人にもなれない。
触れる事も絶対ない。
言葉も交わせない。
<あの人は>自分を見ることすらない。
それでも
自分の頭の中には、いつも<あの人が>いる。
「それって、芸能人とかのフアン心理と同じ? 推し?」
「……近いのかな。純粋で切ない感情よ。セイには理解出来ないかも」
聖はエリカの心情を理解しようと考えてみる。
病んでいる、は
死者に失礼すぎたかと。
エリカに同調したいと一生懸命頭を巡らせる。
最愛?
片思い?
見ているだけで幸せ??
すると……<ゴジラ>が、頭の中に出現した。
「あ。分かった。閃いたよ。この感じだな。もしゴジラが月ヶ瀬ダムに出没するって聞いたら、俺は毎日でも観に行くよな。それと同じなんでしょ? それなら理解出来そう」
「は、あ?」
「どうしよう、急にゴジラの映画見たくなった。ゴジラ、って口に出したら姿がふわーっと浮かんできて横浜の観覧車とモスラが……今すぐ見たくなった。コレだな。この感情でしょ?」
言いながら、聖の手はゴジラコレクションDVDを探している。
「セイ、それは……素晴らしい感情ね。いいわね。一緒に見ましょう」
真珠のような歯を少しだけ見せて微笑んでくれる。
聖は
マユが呆れかえっているのも察せず
エリカを理解出来たこと褒めてくれてると
嬉しかった。




