9 ゆっくり待つことも大事
ベスティが料理を習い始めてからも、二週間に一度のペースで彼は子爵家へ顔を出してくれた。
伯爵家の教育は子爵家の教育と量も方向性も異なる。覚えることも多く、料理だって修業中だ。多忙なのに必ず二週間に一度は顔を合わせていた。
ベスティが体調を崩し、代打でオルカが来たときから一ヶ月。つまり二回ほど会う機会があったのだが、彼とは会えていない。どちらも急用の為に会いに行けないと連絡が来た。
代わりに、オルカが顔を出すようになっていた。
弟のようなオルカに会えることは嬉しいが、ベスティに会えないのは寂しい。
一度見舞いに行こうとしたのだが、伯爵家に行くことは大人が許してくれなかった。それ程酷い病症なのかとオロオロしたが、もう風邪からは回復したらしい。それには一安心。
しかしその後も、伯爵家への立ち入りは認められなかった。
ベスティが子爵家に来るのは止められないのにおかしな話だ。ノーチェは不思議に思ったが、娘と息子では扱いが違うのかもしれない。深く考えず、お手紙で済ませた。
しかしそのお手紙も返信がない。
従僕にノーチェ宛ての手紙がないか確認してみたが、お茶会のお誘いしか来ていなかった。
オルカは忙しいだけだと言っているが、どんなに忙しくてもノーチェに会いに来ていたのだ。それが出来ないほど忙しいなら、つまり本当に休む間もなく勉強していることになる。
詰め込みすぎは身体によくない。
休憩を促す意味も込めて、クッキーなどの焼き菓子をお土産にオルカに持たせているが、ちゃんと休めているだろうか。
「心配なの…」
「まだ言っているの、ノーチェ」
「お姉様」
雑談室の大きな一人掛けの椅子にすっぽりはまっていたノーチェの横に、無理矢理姉が割り込んできた。
ぴったりくっつき合って、くすぐったさにクスクス笑う。
二十歳になった姉はすっかり麗しいお姉さんで、ストレートの茶髪を颯爽と靡かせて歩く姿が格好いい女の人だ。
細身のお姉様にぴったりなシンプルなドレスは機能性が重視されたもので、お母様が隣国からデザインを輸入して作らせたもの。
前世の感覚からするとちょっと豪華なワンピースは背中にファスナーがあり、首裏のリボンがファスナーの取手を隠している。
すっきりした装いは、姉の魅力を最大限引き出していた。
妹から見ても姉は綺麗だ。美貌の持ち主というわけではないが、意志の強さが彼女の魅力と言える。
行動力は人一倍で、これと決めたら即行動。それは幼い頃から変わらず、いつの間にか姉の周りには姉の思いつきを実行するに相応しい力量の人たちで溢れていた。
姉はちょっとした出来事を商売に繋げるのが上手い。
こんなこともあった。
忙しくても気を配ってくれるお友達が嬉しくて、ノーチェはベスティのためにお茶とお菓子の組み合わせをたくさん考えた。
時には緑茶に合わせた練り切りを。
甘いチャイにはスナック系の菓子を。
ココアにはマシュマロを浮かべたり、珈琲はお互いまだ苦くて、ミルクを入れてカフェオレを作ったりした。
ノーチェ的にはこれ以上ない組み合わせだったが、「これは紅茶との組み合わせも試してみたい」と感想を頂いた。成る程。確かにそれもあり。
ちょっとした思いつきから、数種類のお茶とお菓子を並べて、侍女達と一緒に「わたしがかんがえたさいきょうのせっとめにゅー」選手権を行った。
それを見たお姉様は「組み合わせは千差万別無限大! 自分で選べる組み合わせが魅力的!」と叫んで母と一緒に新店舗を立ち上げた。
自分で選んだ飲食物を購入し、ちょっと一息つけるお店。
…それってカフェでは。
え、カフェなかったの? 飲食店はあるけどカフェなかったの?
なんで?
気になって調べてみたら治安が悪かった頃の影響らしい。街が安全とは言いがたかったから、気軽に一休みできるような店もなかったようだ。
しかしノーチェの親世代から情勢が落ち着いて治安回復の傾向が続いているからこそ、カフェのように一息つける場所が受け入れられている。
…いい時代に生まれました! 先人たちありがとう!
そんな時代背景もあって、姉の行動力は受け入れられている。治安が安定したからこそ、新しい取り組みも増えていた。
ノーチェは両親に似てのんびり屋なので、テキパキ動ける姉はすごいなぁと尊敬していた。
そんな姉はのんびり者ながら面白い発想をする妹が可愛いらしく、暇があればこうしてくっついてくる。お行儀のよい貴族としてはあり得ない触れ合いだが、前世の庶民な感覚が強いノーチェは大歓迎だ。小猫を撫で回すように構ってくる姉に、それこそ猫のようにゴロゴロ喉を鳴らす。
「可愛い妹が悩んでいるのは、伯爵家の坊主のことよね」
貴族との付き合いより商人との付き合いが多い姉は、ちょっとお口が悪い。
社交に出れば扇で口元を隠しおほほと笑うこともできるが、語彙は商人よりだった。
商人の方がへりくだったしゃべり方をするって? でもお客様対応じゃない方と接して育ったから…。
「はい。ベスティからお手紙のお返事が来ないの。最近遊びにも来ないし、心配なの」
「そうね。小賢しい弟の方はなんて?」
何故かお姉様とオルカは仲が悪い。二十歳のお姉様が七歳年下、十三歳のオルカに対して目くじらを立てるのは大人げないことだが、理由もなく子供に意地悪する人ではないので何か理由があるのだろう。それでも褒められた態度ではないので、二人はなるべく会わないようにしている。
「オルカ様は、兄は元気だけど忙しいからもう少し待って欲しいと…」
「理由を言いなさいよね。なんで忙しいのかを。待てといわれるだけで女が待つと思っているなら今のうちに矯正すべきよ」
「まあお姉様。待つのも大事な工程なのよ」
「料理の話はしていないのよ」
無駄じゃないと例えたつもりだったが駄目だった。
ノーチェはもちもちほっぺを両側から挟まれた。むきゅっ。
「待てといわれて待つならそれでもいいわ。伯爵家の小僧に可愛いノーチェは勿体ないし。だけど心配ならお姉様が手を貸してあげるわよ」
「本当? 私、ベスティとご飯が食べたいの。会いたいの」
「…私の妹は素直で本当に可愛いわ」
「うにに」
もちもちほっぺをこねこねされた。
「いいわ、お姉様にお任せなさい」
「わあい」
そんな会話をして、数日後。
ベスティではなくオルカ様を連れてきた馬車で。
「おほほ、さあ! ノーチェ発案【デコレーションドーナツ】が食べたければ、馬車を明け渡しなさい!」
「く…っ卑怯な!」
オルカ様相手に、お姉様がバスジャック…ではなく馬車ジャックを行っていた。
あれぇー?




