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8 美味しくできるまで練習します


「お姉様に美味しいって言って貰えるように、お兄様は納得するまで同じ料理ばかり作るんです。この間からオムライスを研究して、一週間はオムライス尽くしで困りました」

「卵の食べ過ぎはよくないの。ベスティには栄養も考えなくちゃ駄目よって伝えて欲しいのよ」

「そこは気にして、サラダやスープも多種多様でしたが…そうではなくて」

「ベスティもオルカ様も成長期だから、たくさん食べるのね。でもやっぱり卵ばかりをたくさん食べるのはよくないと思うの」

「…ああもう、ちゃんと伝えますよ。卵ばかり食べちゃ駄目って」

「ありがとうオルカ様」


 お礼を言うノーチェに、金髪碧眼の少年…ベスティの弟オルカは苦笑を零した。

 ノーチェとベスティの二歳年下、十三歳とは思えない大人びた表情だが、ほっぺについたクリームが愛らしい。


 ミルフィーユはパイとクリームが何層にも重なった多重菓子だ。パイがぽろぽろとこぼれやすく、綺麗に食べるのは至難の業で難易度が高い。

 まずデコレーションのフルーツを外し、皿の脇に置く。

 ナイフとフォークでミルフィーユをゆっくり横倒しにして、左から一口サイズにカットして食べる。この時ナイフを垂直にして、押しながら切るのがコツだ。引くように切るとパイが上手に切れないので、ここで焦ってはいけない。

 一口サイズにカットしたら、カットした内側が上になるようにフォークに乗せて食べる。それでもこぼれるパイ生地は、クリームと一緒に頂く。

 ノーチェはいそいそパイをカットして、フォークを口に含んだ。


(ん~! でりしゃす!)


 サクサクのパイ生地も、滑らかなクリームも厨房スタッフが常に研究を重ねる最高品質。サクサクのパイ生地に合わせ、ちょっとふんわりした口溶けのクリームが堪らない。

 年下のしっかり者オルカも、子爵家のお味に陥落している。いつもお土産のお菓子を楽しみにしているとベスティが言っていたのでちゃんと知っているのだ。


 微笑ましくてふふ、と笑えばほっぺについたクリームに気付いて、自分で拭いてしまった。拭うついでにふくふくほっぺを触りたかったノーチェはちょっと残念に思ったが、何でも一人でやりたい年頃の男の子を構い過ぎるのもよくない。我慢。


 そう、何でも挑戦したいお年頃なのだ。

 三年間、ベスティはオムレツだけでなく他のレシピにも手を伸ばし、レパートリーを増やしていった。


 納得のいく料理はまだ作れていないと言うが、オムレツから始まった挑戦はどんどん幅を広げ、卵料理を中心にレパートリーを増やしている。卵の関係ないステーキなどにも挑戦していると言うが、どれも納得のゆく味にならず苦戦しているらしい。意外と彼は凝り性だった。

 十五歳になったベスティは成長期に自分で作った料理をたっぷり食べて、痩せていた幼少期から想像できないほど逞しくなった。料理は力仕事が多く、かなり重労働なのだ。自分で作った料理の味見をいくらしてもお腹が減ると不思議そうにしていた。うん、成長期。

 肩につくまで伸びた黒髪を後ろで括り、ノーチェとは頭二つ分くらい身長差ができた。重い鍋を運んだり食材を混ぜたり捏ねたりした成果からか、肩から腕の筋肉がしっかりついている。料理だけでなく嫡男としての教育もあるので、恐らく全体的に鍛えられているのだろう。

 ベスティは伯爵家の嫡男として、着々と成長していた。

 しかし彼が料理男子であることは、親しい人しか知らない。

 その中に、幼馴染みのノーチェもちゃっかり入っている。


 出会いから八年。十五歳になった今も、ノーチェとベスティの交流は続いている。


 幼い頃からの付き合いなので、双方共に家族とも顔見知りだ。あちこち招待される催しで何度も顔を合わせ、ノーチェもベスティの弟オルカとは一緒にお菓子を食べた。お近付きの印に、彼の好物だというドーナツを譲ったこともある。

 結果、オルカはお姉様と呼ぶくらいノーチェに懐いてくれたのだが…。


(何故か、全然遊びに来てくれないのよね)


 遊びに来るのはベスティだけで、オルカは手紙を交わす程度。

 それでも文通してくれるのだから嫌われていないと思うが、頻繁に顔を出すベスティと違ってまったく子爵家に遊びに来ない。ノーチェの誕生会などの催しには伯爵と一緒に来てくれるが、それ以外はさっぱりだ。


 そんなオルカが今日、子爵家を訪ねてきたのは遊びに来る予定だったベスティの代打だ。ノーチェもベスティが降りてくるはずの馬車からオルカが現れてびっくりした。


 現在ベスティは風邪を引き、熱を出して寝込んでしまったらしい。約束を反故するのは申し訳ない、用意してくれたものが無駄にならないようオルカが会いに行く、と伯爵夫人からの手紙もオルカから手渡された。

 お見舞いにと思ったが、そんなノーチェの思考を読むようにお見舞いは風邪をうつしたら悪いので…とお断りされてしまっていた。しょんぼり。

 心配だが、そう言われてしまえば見舞いに行くのも迷惑だろう。オルカが帰るとき蜂蜜レモン漬けと桃の砂糖漬けをお土産に持たせるから、是非これを食べて元気になって欲しい。メッセージカードもつけよう。


 そんなわけでオルカと顔を合わせるのも久しぶりだ。二人の会話は自然と共通の話題…オルカの兄でノーチェの友人であるベスティの話になる。

 ベスティは料理をするようになってから、練習しては弟のオルカにも食べさせているらしい。二人は仲良しで、失敗作も涙目になりながら食べきったと聞いたことがある。

 兄が作ったものを食べるのは楽しいが、同じものが続いたり大量だったりすれば流石に辟易してしまうとオルカは柔らかなほっぺを膨らませた。


「それもこれもお姉様が食いしん坊だからです。ちゃんと責任を取ってくださいね」

「私が食いしん坊だから責任を取るの…?」


 そこに因果関係はあるの?

 オルカは当然だと頷くが、ノーチェにはよくわからない。そうなの?


 料理をするようになったベスティだが、ノーチェはまだベスティの作った料理を食べさせて貰ったことがない。

 ベスティはこの三年間、ノーチェを納得させる料理はできていないと頑なに食べさせてくれない。試作品でもいいから食べたいのに、絶対持って来てくれない。

 それなのにオルカがたくさん食べていると聞いて、ちょっとむくれた。


 ノーチェには食べさせてくれないのに。むくー!


 なので、責任を取れといわれても首を傾げてしまう。

 そんなノーチェを見ながら、オルカはやっぱり大人びた顔で嘆息した。


「お姉様は鈍いです」

「あれぇ?」

「人を信じすぎるのもよくないです」

「えぇ?」

「…お姉様、お兄様のこと好きですか?」

「大好きよ?」


 言い切るノーチェに、オルカは頷く。


「じゃあ、しっかり責任を取ってくださいね」

「責任ってなんなの…?」


 よくわからず首を傾げるノーチェに、年下のオルカは達観したような顔で笑った。


「僕は二人の味方なので、何かあったらすぐ頼ってくださいね」










「…ねえオルカ様、人生二回目だったりしない?」

「人生は一度きりですよお姉様」

「うん」


 この時、オルカの言いたい意味は分からなかったが。

 この日から、ベスティとまったく会えなくなった。



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