26 誰が為の料理
――――待ちに待ったこの日が来た。
ノーチェはお呼ばれするに当たり、ベスティに一つだけ我が儘を言った。
ベスティはノーチェの我が儘にちょっとだけ驚いて、だけど嬉しそうに微笑んだ。だからきっと、彼はノーチェのお願いを叶えてくれる。
肌寒くなってきた秋の季節。
伯爵家に到着したノーチェが通されたのは、温室のように観葉植物の置かれたサンルーム。
ひとり用の白いテーブルに白い椅子。レースで編まれたテーブルクロスが敷かれて、特別なお客様をお招きする上品さが満ちている。
ノーチェが椅子に座ってすぐ、ベスティがカートを押しながら現れた。
緊張した面持ちで彼がノーチェの前に並べたのは。
オムレツ。
彼が、初めて作った料理。
ノーチェは伯爵家にお呼ばれしたとき…ベスティが手料理をご馳走すると言ってくれたので、どうしても食べたいものがあるとお願いしたのだ。
ノーチェはベスティの得意料理より、彼が最初に作ったオムレツを食べたかった。
念願叶って、目の前にベスティの作ったオムレツがある。
かつては焦がしてしまったと恥ずかしそうに教えてくれたベスティだが、何度も練習したのだろう。出されたオムレツは綺麗な木の葉型だった。
付け合わせのレタスとブロッコリー、カットされたトマト。クロワッサンとオレンジジュースが並び、一見すると朝食のようだ。
「いただきます」
挨拶して、ナイフとフォークを手に取る。
前世の感覚で言えばオムレツと言えば卵オンリーのプレーンタイプだが、ベスティが作ったのはゴロゴロとエビやアスパラ、ジャガイモが包まれたものだった。
細かく切った具材がたっぷりで、ナイフでカットした断面がとても美味しそう。
オムレツを彩るケチャップ。これは無造作に塗り広げてはいけない。左側から食べる分だけカットして、ナイフでケチャップを必要な分だけつけて食べる。
ちなみに柔らかいオムレツは、カットしてからナイフを壁にしてフォークで掬うと食べやすい。具材がゴロゴロ入っているので、零さないようにフォークに乗せて持ち上げた。
出来たての、温かい卵料理を口に運ぶ。
卵だけでなく歯ごたえの感触が異なる具材のバランス。ふんわりした卵の焼き加減に、ノーチェの顔がほにゃりと笑み崩れた。
「ん~! でりしゃすです~っ」
ノーチェが悶えれば、緊張していたベスティがほっと息を吐いた。
「よかった…本当に嬉しい」
「美味しいの。エビのぷりぷりとアスパラのシャリシャリと、お芋のほくほくが卵のふんわりに包まれてとっても美味しいのよ~」
「やった」
小さく嬉しそうに呟くベスティが可愛い。
ノーチェは美味しい物にときめきながら、ベスティにもしっかりときめいた。可愛い。
もりもり食べ進めるノーチェに安心して、ベスティも椅子を持って来て隣に座る。
幸せそうに食べるノーチェを、彼こそが幸せそうに眺めていた。
お姉様がブルドーザーのように全てを持って行ってから、ノーチェとベスティは改めて話し合った。
結婚することは大前提。
議題はベスティの目指す将来について。
結果、料理は趣味の範囲内に留めることにした。
よく考えてみたら、ベスティは料理人になりたかったわけではなかったそうだ。
「俺が美味しいって言って欲しかったのは、ノーチェだけだ」
だから跡取りとして教育を受けながら、息抜きで料理をする程度に抑えるつもりらしい。
ならば落ち着いたらベスティの手料理を食べさせて欲しいとノーチェが主張し、伯爵夫人と無事話し合いができたということで今回のお招きに繋がった。
伯爵夫人は謹慎が解かれ、社交に勤しんでいる。
もっぱら参加するのは個人的な集まりで、夫の同伴が必要な夜会には滅多に現れない。それは伯爵と話し合った結果で、必要なとき以外は夫婦としてではなく隣人として過ごすことにしたらしいのだ。
夫ではないと考えたら、楽になったらしい。
オルカに伯爵家を継がせたかったが、オルカはそれを拒否。彼は兄を助ける分家のひとりでありたいと訴えた。
オルカはオルカで、厳しい学習時間で拘束された幼少期の記憶から、将来はのんびり考えたいらしい。まだやりたいことは見つかっていないが、伯爵家はベスティに任せたいと。
…もしかして、ちょっとトラウマだったりするのかな。虐待染みた教育時間を思い出すから、伯爵にはなりたくないのかもしれない。
なんてノーチェは思ったが、本人に確認するような無粋なことはしなかった。ただ話し合いからグッタリしている彼に、多めにドーナツを渡すようにした。
お姉様がいった通り、彼は子爵家のお味の虜だった。否定しながら受け取った箱はしっかり握って離さなかったから間違いない。
伯爵は相変わらず口下手なようだが、新しい家族の形を維持しようと奮闘中だ。
ただ、時々夫人のじ…っとりとした目に寒気を覚えるらしい。
そう簡単に割り切れないだけだろうから、伯爵には是非これからも頑張って欲しい。
一先ず、伯爵家の事情は落ち着いたものと考えていいだろう。
強制的に落ち着かせた子爵家の面々は、満足そうに深く頷いた。
ちなみにお姉様はノーチェがベスティと婚約してすぐ、ご自身も婚約を決めた。お相手は侯爵家次男で、前々から商売付き合いのあったお方だ。何度かお会いしたこともあり、ノーチェの感想としては「この方をお選びになったのね」だった。
お姉様、選り取り見取りだったの。
侯爵家次男はお姉様より年上で、ガンガン行こうぜなお姉様を見守ってくださる包容力があるので、ノーチェとしては深く頭を下げて姉をよろしくお願いしますと拝みたい気持ちだ。
とにかく全部丸く収まった。
そう、このオムレツのようにくるっとまとまり美味しくなった。
ノーチェは食べるばかりだったが、みんなが奔走してくれたおかげでなんとかなった。守られていることにもまったく気付いていなかったノーチェは、だからこそ感謝の気持ちを忘れずに過ごすことを決めた。
一先ずこのオムレツを、感謝と愛情をもって食べきるのだ。
半分ほど食べ進め、ノーチェはうっとり呟いた。
「大好きな人が美味しい料理を作ってくれるなんて幸せなの。愛情の相乗効果でより美味しく感じるの! きっとこれ以上のお味はないのよ」
幸福感が味覚に変換されて、とても美味しく感じる。
勿論ベスティが美味しく作ってくれたのだが、きっとノーチェはそれ以上の美味しいを味わっている。
「そんなことない」
そう思っていたのだが、まさかのベスティから否定が入った。
ノーチェはきょとんとくりくりした青い目を瞬かせる。
「そうなの?」
「うん。だって…俺、昔より今の方がノーチェのこと好きだ」
「んぇっ?」
カトラリーを取り落としそうになった。
ベスティは、目元を染めてしっとり微笑む。
火傷の残る指先が伸びて、ノーチェの口元をなぞった。離れる指先に、ケチャップの赤が付着している。
「きっと明日はもっと好きになる」
「はぇ」
その指をぱくり…なんてことはしなかったが、ベスティの言動でノーチェの頭が沸騰する。
彼は指先をナプキンで拭ってから、もう一度手を伸ばしてノーチェのもちもちしたほっぺたをつついた。
「だから、愛情の相乗効果があるなら、次に作る料理は今日より絶対美味しい」
断言するベスティに、ノーチェは。
「…あ、味、わからなくなっちゃったの…」
味覚が混乱するくらい、ときめいていた。
じっくりことこと彼の愛情で煮込まれたノーチェは将来、彼の料理なしでは満足できないお腹になる。
胃袋をつかまれた方が負け。
(つまり私の負けだけど…なんて幸せな負けなの!)
だってベスティの料理はノーチェの好みを考えた、最高の料理ばかりだ。
彼の作る料理が美味しくて、幸せ!
ノーチェは前世の記憶を思い出したばかりの、今世の料理を不安がっていた五歳の自分にこう伝えたい。
転生先で出会った大好きな彼の料理は、満点なのよ!
完結です!!!
食べるの大好きノーチェのお話、駆け足ですがここまでとなります。
もしかしたら番外編が生えるかも…しれない…?
あっさり読める話を目指しましたが思ったより長くなりました。原因はわかっています。
お姉様の暴走です…。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました!




