24 この店じゃないと駄目なときもある
目が点になったまま部屋を出たノーチェとベスティは、二階からエントランスの騒動を確認した。
久しぶりに見る伯爵夫人の腕をがっちり組んで、堂々と引きずり歩くお姉様。
伯爵夫人は標準体型。お姉様は背が高いけれど、並べばそこまで差は感じない。それなのにがっちり腕を組まれ、踏ん張って抵抗しているがお姉様にものともせず引きずられている。さっきまで聞こえていた元気な悲鳴が、今ではとてもか細い。絞り出すような「やめてえぇぇ…っ」がとても切実。
お姉様、なんで夫人を引きずっているの?
意味が分からなくて、ノーチェもベスティも点になった目が元に戻らない。
あれぇ????
「やり過ぎですよアルディーヤ子爵令嬢! 伯爵夫人に何をしているんだアンタ母様を放せ!」
そんな二人の傍でうろちょろしているオルカ。とうとうお姉様に対して言葉が乱れはじめている。
お姉様がお兄様だったら飛びつけるけれど、相手がお姉様なので身体を張って阻止できないのだ。お姉様も子爵令嬢なので、無体なことはできない。夫人に無体なことをしているけれど。
「さっきまでまともに話し合っていただろ! なんでそれが続かないんだ!」
「喧しいお子ちゃまね。聞かれたからには答えてあげる。だって大人だから」
「大人はこんな訳わからない行動を唐突にとらない!」
「理不尽なのが大人よ覚えておきなさい」
「開き直るな!」
「ほんと喧しいわね…さっきまでまともだったのにだったかしら? まともに真面目に静かに夫人の話を聞く時間が終わっただけよ。長かったけれど要約すれば息子を跡継ぎにしたい、幸せになりたい、だったかしら。それだけのことなのに長々と話を聞いてあげた私をむしろ褒めて頂戴」
「それだけのこと…!? あ、アナタに私の何がわかるというの!」
力尽きかけていた夫人が息も絶え絶えに反論する。その間にもお姉様から離れようと必死だけど、お姉様は微動だにしない。
お姉様、腕力はないけど関節技が得意よ。時々発狂するお仲間に関節技をかけて精神分析をするって教えて貰ったことがあるわ。だからあれも多分、関節を押さえられている。
「裕福な子爵令嬢にはわからないわ! したくもない結婚をさせられて、好きでもない相手の妻を務めて、男児を産んだのにどうせスペアと蔑まれる母の気持ちなんかわからないでしょう! 我が子を跡継ぎに願うことの何がいけないの!」
「いやですわわたくし伯爵夫人の願いを否定しているわけではございませんのよ? わたくし伯爵家当主はベスティ様でもオルカ様でもどちらでも構いませんもの。ただしオルカ様のお相手は別を当たってくださいね? 子爵家の末っ子はベスティ様が平民になろうとお支えするだけの覚悟と気概ある愛情深い娘ですので」
「あれぇ」
なんかノーチェの話が出てきた?
「へ、平民になってもあの子を選ぶというの?」
「夫人はお屋敷に閉じ籠もっておられたのでご存じないかと思われますが、あの二人は本当に仲睦まじくて。ほんっとうに仲睦まじくて見ているこっちが痒くなるくらいでしてよ。あの二人を見ながら塩気のあるつまみが進む進む。甘いを食べたらしょっぱいが食べたくなるあの原理。お花畑な二人の間に入り込む輩などとてもとても。自ら砂糖塗れになりに行く蟻希望の虫などとてもとても。オルカ様は近付きましたが当て馬にもなりませんわ」
「付き合いが短いからオルカのいいところが伝わっていないだけよ! もう数ヶ月かければ」
「おほほほほあの子達の八年の年月にたった数ヶ月で勝てると仰る? それだけの魅力がご令息にあると仰るの? 子爵家のおやつ目的に通う小童にそんな魅力が?」
「あ! ちょっ!」
オルカの頬が真っ赤に染まる。一生懸命首を横に振っているが、ノーチェは嬉しそうにおやつを食べている様子を思い返した。
とても美味しそうでした。満足。
「兄の為に距離を置いていたけれど子爵家の味が忘れられず、ベスティ様のお土産を大層楽しみにしていらしたとか。ベスティ様のために用意されたおやつが無駄になることがもったいなさ過ぎて自ら私の可愛い妹の話し相手になってくださったとか。ベスティ様の嫁でなくオルカ様の嫁なら危害を加えないのではとカモフラージュに通って、夫人の機嫌を取っていたことなどノーチェにわからなくても子爵家にはお見通しでしてよ!」
(そうだったのね――――っ!)
やっぱりノーチェだけ何も気付いていなかったらしい。
オルカとおしゃべりできて嬉しいなぁとしか思っていなかった。
お姉様の馬車ジャック、人質をドーナツにしたのはとても理に適っていたらしい。オルカは子爵家に胃袋を掴まれていたようだ。
落ち着いて。伯爵家のクッキーも絶品なの。ドーナツがいい? 確かに前世の知識で子爵家のドーナツは進化を遂げているから…某有名チェーン店で見たドーナツはほぼ網羅。
成る程、子爵家じゃないと駄目なのね…。
「一石二鳥を狙ってのことでしょうけれど小賢しいわ! 遠回しなご機嫌取りをしていないで見当違いな方向に努力する母親に自分の意見をはっきり伝えなさい!」
「ぼ、ぼくは」
「ああぁ…あなたオルカになんてことを…! 私の息子になんて物言いをするのです! 許しませんよ!」
「構いませんわ存分にお恨みになって! 痛くも痒くもなくてよ! 何故なら今の私は…伯爵様からしっかり『無礼講』をもぎ取ってきておりますので!」
『無礼講』
身分、地位の上下を考えないで行う宴会。堅苦しい礼儀を抜きにして飲み交わすこと。
お姉様、それは意味が違いませんか…?
あとそれ、無礼が許されるという意味ではないのです。
しかし伯爵の…この屋敷の主が許している、というのは本当のようだ。何故ならこれだけ騒いでも、お姉様は取り押さえられない。周囲の使用人や護衛達はオロオロするだけでお姉様を止めない。
馬車ジャックのときもそうだったけれど、お姉様が暴れるときはしっかり根回しがされているときだ。
「そ、それよりアンタ母様をどこへつれて行く気ですか!」
「外よ」
「何故!?」
「愚問ね。幸せになりたいなんてほざくからには、自ら行動するしかないからよ」
「アンタ本当にお姉様の姉なんです!?」
お姉様はお姉様です。
お姉様節炸裂中。
ノーチェとベスティはぽかーんとしています。




