23 試行錯誤の繰り返し
ノーチェが伯爵夫人と顔を合わせたのは幼少期のみ。
ベスティが子爵家に顔を出すようになってからも子供達の集まりはあった。伯爵家の兄弟を連れ歩いていたのは伯爵で、夫人は顔を出さなくなっていた。
その理由は先程聞いたが、全然懲りていなかったようだ。
「私が伯爵家にお呼ばれされなかったのは、危険だって言われていたのは…謹慎中だから絶対お屋敷にいる伯爵夫人と顔を合わせないようになの? 私が訪ねれば、夫人がおもてなしをするもの。そのときにおかしな物を盛られないように、そもそも私が伯爵家を訪ねないようにしたの?」
「…うん。伯爵夫人だからな、ここにはあの人に従う奴が複数いる。オルカの方が跡継ぎに相応しいって考える親族もいるから、ノーチェが伯爵家に来るのは危険だったんだ。それとは別に、ノーチェが来たら、厨房の奴ら絶対張り切るし」
「あれぇ?」
「でもってノーチェは出されたもの絶対食べるし」
「えへへ…」
食べます。
ブランデーのようにまだ早い、と判断したものはご遠慮するけど、ノーチェはもう十五歳。社会界デビュー目前なので、今なら洋酒たっぷりパウンドケーキを出されても挑戦しそう。する。
気を付けろと注意されれば流石のノーチェも自重するが、ブランデーのようにわかりやすい罠ではなく、美味しい食べ物に薬を混ぜられたらわからない。
というか食べ物に異物混入は地雷です。おやめください。
食べ物にも作った人にも食べる人にも失礼すぎる。食への冒涜だ。ブランデーはそう言う料理だけど、お薬混入は絶対駄目だ。
「そうやって危険から遠ざけたけど…俺と結婚したら、あの人と顔を合わせることになるから…父と一緒に、何度も対話を試みていたんだ」
「偉いの。お話頑張ったのね」
「話にならなかったけどな…」
夫人は一貫して、オルカを跡取りにすることを望んでいた。
伯爵がそれはできないと主張すれば、夫人はベスティには料理人として生きる方が向いていると矛先を変えた。料理人として生きるなら、伯爵は荷が重かろうと。
『アルディーヤ子爵令嬢は美食家でお相手にもそれだけの腕を求めているのでしょう? 悔しいけれど伯爵家の料理人は子爵家に勝てないわ。嫁ぎ先で料理の質が落ちて、アルディーヤ子爵令嬢は満足できるかしら。アナタが修行して料理長を超えるしかないのではなくて?』
イヤそんなことはありませんが。
ノーチェはそこまで己の舌を信じていない。美味しい物は皆美味しい。
よその家でも、食べられないほど不味いものに出会ったことがない。今のところどこでも大満足です。
…伯爵家の厨房が殺伐としていたの、この発言があったからでは?
「あの人にはいつも料理をダメ出しされていたし、確かにノーチェを満足させられないかもしれないって考えて、この一ヶ月はつい料理人方向に舵を切っていた」
「修行していたのね…」
「早くノーチェに美味しいって言わせないとって、焦っていたんだ」
気まずそうに視線を逸らすベスティが可愛い。
(成る程。泣いちゃったのは納得のいく一皿ができなくて追い詰められていたのもあるのね。私と結婚できないって追い詰められているところに私が会いに来たから…あの一言がそんなに真面目に受け止められると思っていなかったの…!)
ちょこちょこ思い出して恥ずかしい。
「ええと、じゃあ風邪を引いていたわけじゃないのね?」
「うん。今思えば本末転倒だけど、ノーチェと結婚するためにノーチェに会う間も惜しんで修行するしかなくて…オルカが代わりに会いに行ったって聞いてはいたけど、そんなことになっていたのか」
「うーん、そういえばオルカ様、ベスティが風邪とは言っていなかった気が…」
だが、オルカの持って来た夫人の手紙にはそう書いてあった。見舞いも遠慮する、と。
オルカは心配ないと言っていたが、そういえば風邪とは言っていなかった気がする。訂正もしなかったが、嘘もついていなかった。
「オルカ様とベスティは仲良しよね。オルカ様はお母様をどう思っているのかな」
「何度も諭しているけど、強くは出られないみたいだ。俺も、父もそうだ」
「家族だから?」
「家族…それはよくわからないけど、父は、あの人も被害者だって言うんだ」
夫人が後妻として伯爵家に嫁いできたのは本人の意思ではなく、ただ必要だったから。伯爵家に子供がもっと必要だと思った親族が手を回し、選ばれたのが彼女だった。
彼女は若く、初婚で、男児を産んだ。
普通なら喜ばれること。しかし伯爵は、夫は義務感だけで心は亡き前妻に捧げられたまま。
彼は男児を産んだ彼女を放置して、家庭を顧みなかった。
我が子を腕に抱きながら、そんな夫に彼女はどれだけ傷つき…どれだけ恨んだだろう。
彼女の縁になったのは腹を痛めて産んだ我が子だけ。
だから彼女は、我が子がただのスペアとして扱われることが許せない。
――――伯爵家のために嫁いだのだから、この子が伯爵をついでもいいはずだ。
それが我が子の幸福だと信じ、それが叶えられることが自分の幸福だと信じた。
『私だって幸せになっていいはずよ!』
何度目かの話し合いで叫ばれた言葉。
彼女は伯爵家に嫁いでから、幸福だと感じたことがなかった…オルカを生んだことだけが、彼女にとっての幸福だった。
お互いを追い詰めて、追い詰められた伯爵家の関係はとても歪だ。
「父は、悪いのは目を逸らし続けた自分だから、あの人に強く出られない。どれだけ悪いと思っても妻としては愛せないから、余計に」
「それ、お伝えしちゃっているの…?」
「『君のことは愛せない』って言ってあの人に平手を貰ってた」
「伯爵って口下手だったの…」
子供相手に丁寧に接してくれる人だと思っていたが、肝心なときに大事な言葉が出てこない人だったようだ。
「子爵家も、可愛いノーチェをこんな状態の伯爵家に嫁がせるのは不安だろ」
「お父様達も知っているのね」
「ノーチェと婚約したいけど不安があるから待って欲しいってお願いしにいったから、そのときに話した」
「根回し完璧なの…!」
ちゃんと根回しした状態で修行していたらしい。
子爵家はノーチェを大事にしてくれる人にノーチェを嫁がせたいので、それだけ真剣に根回ししてくるベスティは有力候補だっただろう。何よりノーチェが「ベスティだいすきー」なんてのほほんとしていたのだ。むしろ問題解決まで手を貸してなんとしてでも嫁がせる。この際ベスティが伯爵位を継がなくても気にしないので、そこだけノーチェが話し合うようにしたのだろう。
だがそれも時間切れ。
子爵家は重い腰を上げて、問題解決のためお姉様を投入した。
なんかもうそれだけで解決しそう。
ノーチェがそう考えたとき、部屋の外からお姉様の高笑いが響いた。
幻聴ではなく、本当に響いた。
「おほほほほほっ! さあ道を空けなさい伯爵夫人のお通りよ!」
「はな、放しなさい無礼者! 放しなさ…放して! 引きずらないでいやぁああ…!」
「母様! 母様! お気を確かに!!」
なぁにこれぇ?
ノーチェとベスティは目が点になった。
お姉様のお時間がやって来ます。




