22 納得のいく一皿を
それからノーチェはベスティとくっついたまま、彼から何があったのかを聞いた。
ベスティの母親が義母であることは知っていたが、まさかあのパウンドケーキにそんな意味があると知らなかったノーチェは仰天した。大人のお菓子が紛れ込んだだけだと思っていたのだ。素直に目を丸くするノーチェに苦笑して、純真な思考に心が洗われる。膝の上に乗せたノーチェをぎゅっと抱きしめながら、ベスティは過去を乗り越えた。
そう、ノーチェはベスティの膝に乗せられていた。
鍋で煮られたトマトのようになっていたら、いつの間にか横抱きで膝に乗せられていた。
あれぇ?
きょとんとしたが、疑問を訴える前にベスティが話し始めたので素直にお話を聞いていた。その内容がまた衝撃的だったので、ノーチェはすっかり自分がどこに座っているのかを忘れている。
慰めるようにベスティの胸元に寄り添っているが、多分深く考えていない。
ベスティは過去の辛かった記憶を反芻しながら、それが全てノーチェによって桃色パステルカラーにデコレーションされていく気分になった。なんかもう過去のあれこれがどうでもいい。ノーチェが可愛い。
結婚してと言われてから、ベスティの脳内厨房はスイーツばかり作っている。スポンジケーキ五段目が積み上げられた。デコレーション担当イマジナリーノーチェが楽しそうにイチゴチョコでちょっと歪んだデコレーションをしている。可愛い。
そんな美味しさを逃がさないようにベスティは真剣な顔で話を続けた。
勿論ノーチェは何も気付いていない。
「それで、結婚の申し込みをする前にノーチェが料理のできる人が好きって言ったから、料理のできない俺じゃ縁談も断られると思って料理をはじめた」
「ベスティがお料理すること、伯爵が反対しなかったのは…」
「ノーチェは美食家だから、ある程度料理できた方がいいって」
(やっぱり伯爵にも食いしん坊って思われているのね!)
美食家じゃなくて健啖家なだけだ。
何でも食べる。悪食ではないが何でも美味しく食べる。
食べ過ぎると太ってしまうので、一応お姉様と乗馬をしている。乗馬をしてお腹が空くので美味しく食べる。おかげでノーチェは平均よりちょっと丸い。ぷくぷくではないがもちもちしていた。触り心地が最高と家族で好評だ。
「夫人は?」
「あの人は反対しなかったし、むしろ応援されたけど…今思えば、あの人はちゃんとわかっていたんだな。料理を極めようとしたら修行が必要で、修行をするなら跡継ぎの勉強が疎かになるって」
料理を習いたいと言ったベスティを積極的に支援したのは義母だったらしい。
家政は女主人が管轄する。彼女はわざわざ厨房スタッフに声を掛け、ベスティの面倒を見てくれたら賃金アップなどと報酬を用意して、彼らが進んでベスティを構うようにした。
ベスティは勉強を疎かにしなかったが、両立は難しかった。
「俺、そこまで要領よくなくて…一回じゃ覚えられないし、レシピがないと味が変わるし…納得するまで同じ料理ばかり作るから、オルカに飽きたってよく言われた」
「むくっ。言ってみたい」
「ノーチェに飽きたって言われたら立ち直れないからやめて」
「あれぇ?」
軽口のつもりだったがベスティにとって大きなダメージになるらしい。
「俺、ノーチェに美味しくないって言われたら立ち直れない…」
「え、え、え、オルカ様はいつもベスティの作る料理は美味しいって…」
「練習するからだ。美味しいって思えるくらい練習しているから食べられるだけで、一発で上手に作れたことはない」
「そうなの?」
「だからノーチェに持っていけなくて…俺に美味しいを教えてくれたのはノーチェだから、ノーチェに美味しくないって言われるの、絶対イヤだったんだ」
ベスティは必死に練習した。
絶対美味しいと言って貰える自信作ができるまで、婚約の話もできなかった。
――――そう唆したのも、義母である。
「あの人は毎回ダメ出ししてくるから、ノーチェに出せる料理はまだまだだなって」
「…味は、好みがあるから、ダメ出しじゃなくて意見交換が大事なの。私の美味しいとベスティの美味しいは全部同じじゃないと思うの」
「俺の美味しいはノーチェの美味しいだ」
やけにきっぱり言い切られて首を傾げる。
味覚も好みによって感じ方が変わるので、万人好みの味だって受け付けない人は必ず居る。それはおかしいことじゃない。好きな味は個性だ。その人が大切にする部分で、人に合わせる必要などないのに。
「たくさん練習した料理を出すにしても、どうしても冷めるだろ? お弁当も考えたけど、やっぱり一番美味しいのは出来たてだから、ノーチェに食べさせるなら伯爵家に招待しているときが良いと思って…」
「そうね、子爵家じゃ流石に厨房には入れないもの」
幼い頃から出入りしているベスティだが、よその家の跡取り候補である。厨房に入れるわけには行かない。
「…あの人もそう言って、そのときが来たらノーチェを伯爵家に招待していいって言ったんだ。なんなら交流も大事だから伯爵家に呼べって言い出した」
「そうなの?」
しかしノーチェは、お呼ばれしたことがない。お呼ばれしたのはあのパウンドケーキの日で最後だ。
「その話をした後、オルカがあの人の部屋で避妊薬を見つけた」
「あれぇ?」
「それも飲み過ぎると女体に悪影響を及ぼすって言われている、粗悪品のやつ」
それがわかっちゃうオルカの知識は一体どこから。
義母が…伯爵夫人がノーチェにそれを盛ろうと考えていることは察したが、気付いたオルカの知識がどこからのものなのか非常に気になった。
教師は一体どこからどこまでを十三歳の少年に教えたというのか。虐待染みた教育期間中だとしたら六歳くらいの筈。
彼、やはり人生二回目なのでは。違う?
そしてノーチェが伯爵家にお呼ばれされず、危険だと遠ざけられたのは…夫人がノーチェに対しても害意を見せだしたから、だった。
※いつもより距離感バグっていることにまったく気付いていないノーチェ。そこはまな板の上だ。




