20 料理人への尊敬は尊敬でしかない
「本当は、どっちも諦めたくない…」
「うん」
ノーチェを抱きしめたまま、ベスティは絞り出すように本音を零す。
全部受け止めたくて、ノーチェは一生懸命彼の背中に腕を回してぎゅっと抱きしめた。
「昔はわからなかったけど、今は父に期待されているってわかるし、オルカも補佐を望んでいるってわかってる」
「うん」
「できるかできないかわからないけどやりたい。頑張りたい。その為に勉強したんだ」
「うん」
「だけど、俺…ノーチェと結婚したい」
はて。
お話を促すように背中を撫でていたノーチェだが、思わず首を傾げそうになった。
伯爵家を継いだらノーチェと結婚できないと言わんばかりだが、これでも一応ノーチェは子爵令嬢で貴族である。
むしろ料理人になる方が結婚の可能性が減るのでは?
ノーチェは気にしないし子爵家も気にしないが、家を継がない娘はどこかの跡取りに嫁がせたいのが貴族というものだ。子爵家は気にしないが。
「料理人を目指すなら伯爵は継げないし、伯爵を継いだら料理人にはなれない」
「う、うん…?」
なんでそう思っているんだろう。
ノーチェは疑問を抱きながら、とにかく話を聞いてからだと相槌を打つ。隠しきれず疑問形になったがベスティは気にしなかった。
「このままじゃ、ノーチェが言った条件を満たせない…!」
(あれぇもしかして私何か言ったかな――――!?)
ベスティの腕の中で過去の記憶を洗い出す。
走馬灯のように駆け巡る思い出。
数々の催しで食べたお菓子。
餡が食べたくて豆を厳選した記憶。
乳製品を食べ過ぎてお腹を壊した苦い記憶。
お弁当を作る作らないと言い合って最終的に子爵家と伯爵家の料理長がお弁当越しに開戦した驚きの記憶…それらより前、ベスティが子爵家へ通うようになった頃の記憶がスライディングで前に出てきた。
『ノーチェは、美味しい物を作れる人が、好き…?』
幼いベスティがもじもじしながら聞いてきた。この質問にノーチェはこう答えた。
『好きよ。尊敬しているの』
真っ直ぐ本当のことを答えた。
ノーチェは美味しい物を作ってくれる人が大好きだ。尊敬している。だってノーチェにはできないことだし、美味しい物はノーチェの原動力だ。美味しいものがあれば何でも頑張れる。
だからノーチェはそんな作り手を尊敬し、一目置いているわけだが…。
「俺の要領が悪いから、料理を極めながら跡継ぎの勉強は両立できない。どちらか選ぶしかないなら、俺はノーチェが好きな料理人になりたいって思ったんだ…っ」
(私ってば食いしん坊――――!)
美味しい物を作れる人が好き。
この一言が、まさか結婚相手の条件と受け取られていたなんて!
ベスティがこれを本気にして、料理人の道を目指し始めただなんて!
そしてそれに誰も違和感を覚えないくらい、ノーチェは食いしん坊だった。
(だってこのことはお姉様も、オルカ様も、伯爵も、お父様達も知っているはずなの! 皆でベスティを応援して、危険から私を遠ざけて、こんな…私が食いしん坊なばっかりに、皆本気で私が美味しい手料理(が作れる人)と結婚したいって考えていると思っているの――――!?)
流石に恥ずかしい。
顔から火が出そう。
伯爵より料理人がいいと考えているご令嬢だと本気で周囲に思われている。
なんなら間違っていないのがとても恥ずかしい。
貴族より庶民寄りの人の方が気楽でいいなぁ~って思っているのがばれている。
子爵家は娘を嫁がせてまで繋ぎたい縁がないので、相手が庶民だろうとノーチェを大事にしてくれるならそれでいい。
恐らく貴族との婚姻はお姉様がする。お姉様の周囲を固めているのはほぼ貴族なので、お姉様は打算も含めて幸せを追求するからなんとかなるだろう。お姉様には他者にそう思わせるパワーがある。本当にお姉様には頭が上がらない。
とにもかくにも。
(よくわからないけどややこしくしているのって私なのね!?)
皆どうしたのかなって思ったら私だった! 私が原因だった! ややこしくしているの私の発言だった!!
恥ずかしくて、ノーチェはベスティの首筋に額を擦り付けた。とてもじゃないが顔を上げられそうもない。
あの時の一言がここまで続いているなんて。思った以上に影響を与えていたなんて。
ノーチェの言葉を真に受けて、ベスティは最高の一皿を作り出すため必死なのだ。最高の一皿ができて初めて、ノーチェと結婚できると本気で考えている。
だってお互い好き好き言い合っている仲だし。
婚約していないけど、付き合っていないけど、お互い以外の異性なんて認識していないような二人だし。
前世の知識から、この年になっても婚約しないことを特におかしいと思っていなかった。まずお付き合いからだよねと普通に考えていた。だから何も焦らずに、のほほんとしていたわけだ。
お付き合いして、婚約して、結婚の流れだと本気で思っていたから。
この関係がお付き合い期間だとなんとなーく思っていたこともあって、婚約していないことをまったく不思議に思っていなかった。
多分それ、ノーチェだけ。
焦っていないのはノーチェだけだった。
だってノーチェとベスティは十五歳。社交界デビューの年。
流石にこの年で相手がいるのに婚約していないのは、周りから見ておかしい。何か問題があると思われても仕方がない。
このままでは、婚約しないならと二人の間に割り込んでくる貴族が出ない方がおかしい。
その問題解決のため本格的に動き出したのが姉なのだ。両家から見てもノーチェとベスティは相思相愛で、けれど婚約できない事情があるから、話し合って解決しようと動き出した。
お姉様が言っていた話し合え、とはこのことだ。
ノーチェは全然気付いていなかった。
気付いていなかった自分が恥ずかしくて、暫くベスティにしがみ付いて震えた。
悲痛なベスティの空気と羞恥で震えるノーチェの温度差に気付ける人は、残念ながらこの場にいなかった。
前世の感覚の方が強くて、婚約者がいないという意味を重要視していなかったノーチェ。
本当にのんびり家族に愛され育ちました。
ちなみにいくつか縁談が来ていたけれど、お父様が丁寧にお断りしていました。
しかしそんなこと、ノーチェはまったく気付いていなかったのである―――!




