19 プロとアマチュア
ノーチェはベスティの言葉が一瞬理解できなかった。
この流れで飛び出す台詞として正解なのかも考えた。
わかんない。
頭の中でぴよぴよヒヨコが鳴いた。
混乱しているノーチェを置き去りに、ベスティは言葉を続ける。
「俺よりも、オルカの方が伯爵に向いているんだ。アイツの方が賢いし、優秀だし、機転が利くし…俺より貴族の判断ができている。俺より、オルカが伯爵家を継いだ方が、絶対将来安泰だ」
「そうなの?」
「うん。俺は嫡男ってだけで他に取り柄もないし、他の人より料理ができるってだけで、料理人としてはヒヨコもいいところだけど…修行したら鶏になれるって料理長が言ってくれた」
「そうなの?」
「うん。料理人として修行するなら師匠を斡旋してくれるって。流石に料理長の弟子にはなれないけど、本気なら十年は修行しろって。趣味の域なら問題ないけど料理人を目指すなら生半可な覚悟じゃ駄目だって言われた」
「そうなの?」
「うん。俺、伯爵家を出て、身分を捨てて、料理人になって…ノーチェに美味しい料理を食べさせたい」
「そう…」
「…ノーチェは、貴族じゃない俺は、イヤだ? ノーチェは次女だし、家を継がないし、やっぱり貴族籍を持つ男と結婚したい…?」
ノーチェの手を握るベスティの手が震えている。
よく見ると、小さな火傷が確認出来る。以前はよく指を切って、野菜なのにあいつら生きてる…なんて唇を尖らせていた。
痛い思いをしても続けて、納得がいかないからなんて言ってノーチェに全然手作りを食べさせてくれない。多分きっと、理想が高い。
「私は、ベスティが貴族じゃなくても大好きよ」
ちょっと身を乗り出して、俯いてしまったベスティの額に額を合わせる。
距離が近すぎてお互いの目元しか見えない。その目元を凝視して、ノーチェは言葉を続けた。
「私のお母様は平民で、商人で、貴族じゃないわ。裕福な暮らしはしているけれど、嫁ぎ先はね、大好きな人と一緒ならどこでもいいの。貴族だって構わないし、料理人だって構わないし、お菓子屋さんの売り子だって構わないわ。稼ぎに不安があるのなら、お姉様に頼んで私がお仕事を貰うもの。子爵家はお姉様が継ぐのよ。婚約者はいないけれど、楽しそうに厳選しているの」
姉は絶対幸せのために妥協しない。
恐らくお姉様を支える方達の中から選ばれるだろう。あの方達といる姉はとても輝いているから。そしてお姉様にお願いすれば、ノーチェに可能な仕事を斡旋してくれるはずだ。ノーチェは貴族令嬢だけど、一生懸命働くことも吝かではない。前世の記憶から、労働の必要性は理解している。
「私はね、どこにだって行けるのよ。お父様がそれを許してくれている。うちはお金と余裕があるから、犯罪者でなければ誰でもいいよって許してくれているの。だからね、私、身分で選ぶつもりはないわ」
魂に根付いた前世の記憶から、むしろ貴族でない方が気楽に生きられそうだ。
「でもね、ベスティ」
黒々とした目を覗き込みながら、問いかける。
「ほんとうに、そうなの?」
彼が口にしたこと、全部本当に彼が望んでいること?
「ベスティは勉強をはじめるのは遅れたけど、向いていないって断言するほどじゃないの。確かにオルカ様は器用だけど、あの方はお兄様が大好きよ。お兄様を支えて行きたいってよく言っていたの」
「…うん」
「料理長が修行を勧めてくれたのは、とても光栄なことだと思うの。料理人を目指すなら中途半端にしちゃいけないのは、私にもわかる。ベスティが本気で料理人を目指すなら、本当に十年は修行が必要なの。ベスティ、料理するの好きだから、挫けても諦めないと思うし」
「うん」
「私も、ベスティが作ったお料理食べたいわ」
「うん」
「でも私は、料理人のベスティが作る料理が食べたいんじゃなくて、大好きなベスティが作った料理が食べたいの」
ゆるゆると、ベスティの目が見開かれる。
ノーチェは額をくっつけたまま、ぷくっと頬を膨らませてむくれて見せた。
「それなのに、ベスティは全然お弁当を作ってくれないの」
「え、あ、おれ」
「ちょっと失敗していたっていいのに。むしろ失敗から成功に向かう過程が大事なのに、ベスティったらまだだめって。まだだめって言うの」
「あ、う、あー…」
「ベスティのオムレツが食べたいの。オムライスが食べたいの。ねえ、伯爵に作ったラザニアは? オルカ様に作ったクリームコロッケは? どうして私に持ってきてくれないの?」
「あれは全部練習中で…」
「練習中でもいいのに。私は十年修行した料理人じゃなくて、今のベスティが作った料理が食べたいの」
これまでどれだけの料理を食べ損ねてきたかと思えば、お腹が切なくなる。むくれていたが、すぐしょんぼりと眉を下げた。なんならちょっと涙目になる。
「私はベスティの(手料理)全部が食べたいのに…」
「その台詞は駄目だ思春期男児にそれは駄目だ本当に駄目だ」
「あれぇ?」
何故か早口で言い聞かせられた。それ程駄目なことを言っただろうか。
…とにかくノーチェが言いたいのは。
「プロでもアマチュアでも、ベスティが大好きなの。次期伯爵が趣味でお料理するのも素敵だし、貴族好みのお店を目指して修行するのも素敵よ。ベスティが何を目指しても、アナタが大好きよ」
ノーチェの言葉を全部聞いて。
ベスティは耐えきれないと目の前のノーチェを抱きしめた。
降参です、と呻きながら。
※この二人、付き合っていなければ婚約もしていないのである――――!




