17 味の調整は少しずつ【Sideベスティ】
ベスティにブランデー入りのケーキを用意したのは、やはり義母だった。
彼女はベスティが失敗するどころか、跡継ぎとして盤石な友好関係を築いているのに焦りを感じていた。
その代表が、ノーチェ・アルディーヤ子爵令嬢。
伯爵家より財のある子爵家の娘。
平民の血を引くが妾ではなく正妻の子。しかもただの平民ではなく、貴族も利用する大手商会の愛娘。ノーチェはどの貴族も繋がりを持ちたい金の鶏が産んだ卵だった。
平民の血などマイナスにもならない。むしろ困窮している資産のない貴族は、持参金目当てに子爵家の麗しい姉妹に狙いを定めていた。
姉は強かに相手を見定め返り討ちにしていたが、妹はのほほんのんびり過ごしていた。それが可能となったのは、彼女の一番傍にベスティがいたからだ。
ベスティは伯爵家の嫡男。子爵家の次女が嫁ぐにはまたとない相手。
子供達の集まりではいつも隣に座って仲睦まじく食事をしているのだから、周囲は伯爵家と子爵家では婚約が内定していると考えた。たとえ内定していなくても、時間の問題だと思えるほど二人は仲睦まじかった。
実際はノーチェが無知なベスティにあれこれ知恵を授けていただけだが、仲良しであることに違いはない。
ベスティは知らなかったが、伯爵は二人の婚約を考え、子爵に打診しようとしていた。
それに反対したのが義母である。幼い二人、まだ決めるのは早いと抵抗した。
だってベスティとノーチェの婚約が決定したら、ベスティが跡継ぎとして強固な縁を持ってしまう。
家格は劣るがむしろ嫁の家格は下の方が上手くいく。多額の持参金が手に入れば、伯爵家は断念していた事業に着手することもできる。何より商会と繋がりができるのが大きく、場合によってはそこから流行りの情報を確保することが可能だ。
嫡男のベスティがそんな後ろ盾の強固な娘と婚約してしまえば、オルカを跡継ぎに押し出しにくくなる。しかし政略ならともかく見るからに仲睦まじい二人だ。遅かれ早かれ婚約の話は浮上するだろう。
…ならば、仲が悪くなればいい。
仲がいいから婚約の話が出ているのだ。ベスティがノーチェに嫌われればこの話もなかったことになる。そう考えた義母は、ベスティが嫌われる様な失態を演じるよう、女の子の前で嘔吐する展開を作ろうとした。
だから伯爵家で子供達の催しを開き、使用人に指示を出して大人でもきついブランデー入りのパウンドケーキをベスティに出した。
この頃のベスティはノーチェの教育で食わず嫌いはよくないと、苦手なものでも必ず一口は挑戦していた。だからこれも匂いはきついが確実に食べると考えた。
いつも隣に居る、大好きな令嬢のドレスを汚しでもしたら最高だ。彼女は本気でそう考えていた。
しかしそんな思惑も、未然に防がれてしまう。
しかもそれを夫の伯爵本人が知ることになり…。
…ベスティも誤解していたが、伯爵はベスティと顔を合わせないが、憎んでいるわけではなかった。
仕事に逃げているだけで、慈しむ心をなくしたわけではなかった。
父親としての情はある。だがそれを表現するには溝が深すぎて、前妻に似た成長を見せる息子に近付きたいのに近付けなかった。
後妻に対して恋情はなかったが義務感はあった。
夜会などの集まりには彼女を伴ったし、公の場でないがしろにしたことはない。生まれた次男も我が子だ。成長具合は確認するようにしていた。
だが圧倒的に言葉不足で愛情不足。家族との交流を怠ったツケは大きく、後妻からベスティへの悪意を目にしてようやく問題に気が付いた。
伯爵は後妻に謹慎を命じた。
話し合いの際、オルカを跡継ぎにと主張するばかりで会話にならなかったからだ。
六歳になったオルカはとても優秀で、幼いながら八歳のベスティより物書きができて計算もできる。ベスティに教育を施さなかったことを棚に上げ、弟のオルカの方が跡継ぎに相応しいと主張した。
しかし伯爵は頷かなかった。
伯爵の態度から前妻を死に追いやったベスティを憎んでいると考えていた後妻は、次男の優秀さを知れば跡継ぎ変更を了承して貰えると思っていただけに衝撃だった。
暫く頭を冷やすように、と彼女は伯爵家で謹慎を命じられる。
それから子供達の傍には伯爵が、父親がいた。
家族を顧みなかった己を反省し、まず子供達に歩み寄ることからはじめた。
拙い会話を繰り返し、お互いの許容範囲を恐る恐る確認し、ベスティとオルカは父親が「父」であるとやっと認識した。
それから三人は距離を縮め、次男のオルカも表に出るようになる。
オルカは優秀だった。
それは、ベスティの分も注ぎ込んだ英才教育による賜物だ。
生来の賢さもあっただろう。しかし義母は嫡男に用意された教育費を全てオルカに注ぎ込み有名な家庭教師を雇い、言葉を覚える前から様々な知識を植え付けた。一種の虐待に近い教育を、オルカは幸か不幸か熟せてしまった。歪んだ大人の期待に応えられる子供に育ってしまった。
同世代の誰よりも頭のよいオルカ。
義母の言葉に偽りはなく、彼はベスティより遙かに賢い。
オルカのことは弟として好きだったが、ノーチェに会わせるのは少し不安だった。オルカはベスティよりハキハキ喋るし、マナーもすぐ覚えたし、話題の種も豊富だったから。
もしかしたら、ノーチェはオルカと一緒にいる方が楽しいと思ってしまうのではないか…そんな不安が過った。
「賢いのねぇ。ドーナツ食べる?」
「食べます!」
「イチゴ味なの。イチゴ好き?」
「すきです!」
「ふふ、兄弟ね! ベスティと好きな物、同じなのね」
そう言って笑うノーチェは相変わらずベスティの隣に居て、ベスティもどうぞ、と変わらぬ態度でドーナツの乗った皿を差し出してくる。
ほっとした。
そして賢いオルカはそんな兄の機微にも気付いていたらしい。とことこ近付いてきて、深く頷いた。
「ノーチェ様は、僕にとってお義姉様です。それ以上にも以下にもなりませんのでご心配なく」
「え、あ、おれは」
「婚約するなら早くした方がいいですよ。お兄様が傍にいるから皆遠慮していますが、こんなに傍にいるのに婚約しないなら勝機があるって考える輩は絶対現れます」
「う」
「好きならちゃんとしないと駄目ですよ」
弟に諭された。
ベスティはノーチェが大好きだったので、ちゃんとしないといけないのはわかっていた。嫡男としての教育も始まり、アルディーヤ子爵家の注目度もなんとなく理解できた。ノーチェが仲良くしてくれている内に、行動しないと後悔する。
ベスティは思い切って、父にノーチェと婚約したいと打ち明けた。
父は反対しなかった。
だけど義母は、まだ諦めていなかった。
ベスティ視点、ここまでです。ええ、ここまでです。
次回からノーチェ視点に戻ります。




