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16 美味しくて涙が出る【Sideベスティ】


 長年放置されていたベスティは、両親について何もなかった。

 外で子供達と顔を合わせるようになり、一人でいた期間が「味気ない」ものだったと知った。

 ノーチェと会って「美味しい」を知り、たくさんの会話から伯爵家が「彩りのない」家庭なのだと理解した。

 弟のオルカとは時々こっそり遊ぶようになっていたが、大人と交流したことはなかった。精々催しに連れて行かれるとき馬車に同乗するくらいで、そこでも親子らしい会話はない。義母と出かけるときも、父と出かけるときも変わりなく馬車の中は無言だ。いつもベスティは馬車から降りて、大人同士の挨拶で自分がどこに連れて来られたのかを知るのだ。

 ベスティにとってそれが大人だったので、彼らに対して思うところは何もなかった。


 だけど、大人からは違ったらしい。


 その日は伯爵家、ベスティの家に子供達が集められた。

 ノーチェと出会った一年前みたいだな、なんて呑気に浮かれていられたのは少しの間だけ。

 お菓子をたくさん食べたいノーチェはいつも、使用人に頼んでデザートプレートにお菓子を取り分けて貰う。自分で選ぶのも魅力的だが、決めて貰うのも新鮮だ。澄まし顔で「おすすめを頂戴」なんて言う子もいる。

 ベスティもノーチェと同じように、使用人に任せていた。ベスティは必ずこれが食べたい、というものがなく、強いて言えばノーチェと同じものが食べたいと思っていた。ノーチェにはイチゴが好物だと思われているが、それはノーチェがイチゴをたくさん食べていたので真似をしただけだ。


 だからこの日もノーチェと同じように使用人に任せ…盛り付けられたものを見て首を傾げた。

 一品だけ、ノーチェの皿にないものがある。


「贈り物です」


 不思議そうにしているベスティに使用人がこっそり囁く。見上げれば、若い使用人がにっこり笑っていた。

 あまり記憶にない顔だ。いつからいる使用人だろうか。ベスティの行動範囲はほぼ子供部屋なので、伯爵家にいる使用人全ての顔を覚えているわけではない。

 ベスティは小さく頷いて、ノーチェの隣に座った。ノーチェはベスティを待っていて、わくわくとデザートプレートを眺めている。のんびり落ち着いた空気を持つのに、食べ物を前にすると活発で明るい印象になるのが可愛い。

 隣に座ったベスティに気付き、笑顔で顔を上げる。さあ食べよう、とフォークを手に取って、ノーチェはあれぇと首を傾げた。

 視線の先には一切れのパウンドケーキ。

 デザートコーナーでは見なかった、ノーチェの皿にはないケーキ。

 誰かから、ベスティへの贈り物。

 もしかして、食べたいのだろうか。半分こにするのはお行儀が悪いだろうか。わけっこが許されるのはどこまでだろう。ちょっと考えたベスティは、ノーチェが笑ってくれるなら多少お行儀が悪くてもいいやとパウンドケーキを二つに切ろうとし、


「ベスティ、それは食べちゃ駄目よ」

「え?」

「それ、ブランデーが入っているの」


 ブランデーがなんなのか、ベスティにはわからなかった。

 しかしノーチェが止めるのだから、ベスティに悪いものであるのは確実だった。しかもそれを見た父親が怖い顔をしたので、考えているより悪いものだとわかった。

 驚いたのは、怯えるベスティに気付いた父がベスティの頭を撫でたこと。ぎこちない手付きだったが、確かに撫でた。

 それは、ベスティの知る中で初めての父子の接触だった。

 呆然としている内に戻るよう促され、ノーチェの背中を追いかける。


「…ノーチェ、あれ、本当にお酒?」

「お酒なのよ。匂いがお酒だったの。子供が食べたらうえってなっちゃう」


 なんとなくブランデーの正体を理解して問いかければ、ノーチェは迷い無く頷いた。食べたらこうなると答えまでつけて。

 …ベスティは、食べたらうえってなるものを「贈り物」されたのだ。

 つまり、贈った人はベスティにうえってなって貰いたかったということで…。


 ベスティは誰かに、苦しむことを望まれていた。


 そう気付いたら、お腹がぐるぐるして苦しくなる。叫びたいような転げ回りたいような、酷く暴れたい衝動が込み上げてきた。

 だけどそんな格好悪いこと、ノーチェの前でできない。でも我慢しきれなくて頭が熱くなり、じわじわ涙が浮かんでくる。

 立ち止まったベスティに気付いたノーチェが振り返り、びっくりして飛び跳ねた。

 ケーキが食べられなくて泣きそうと誤解されたが違う。ベスティはそんなに食いしん坊じゃない。食べ物を勧められたが、今のベスティはお腹がぐるぐるしているのだ。とてもものを食べられる状態ではなかった。

 込み上げてくる何かを飲み干そうと必死で、どうしたらいいのかわからない。

 ノーチェはオロオロとベスティの周りをくるくる回り…。


「えーとえーと…えいっ!」

「!?」


 手にしたクッキーを、ベスティの口に突っ込んだ。

 拍子に、ぽろっと涙がこぼれ落ちる。


「ああ! 無理矢理は駄目だった!? ひゃあ! ごめんなさい!」


 困った顔をして、本当にどうしたらいいのかわからない顔をしてノーチェが叫ぶ。

 心配ですと書かれた丸い目に偽りはなく、ベスティの不調をとても気にしている。気にして、自分が元気になる方法で励まそうとしている。

 ノーチェは美味しい物を食べたらご機嫌になるから。

 だからこうして、元気のないベスティを励まそうと美味しい物を持って来ている。


 ノーチェにとってベスティは、苦しいを望む相手ではないから。


 ぽか、とお腹が温かくなる。

 今までぐるぐるしていたのに、心配そうなノーチェを見て温かくなる。

 放り込まれたクッキーを噛めば慣れた伯爵家のクッキーの味が広がった。いつも食べている味だ。ノーチェは美味しいと言うけれど、ベスティにとっては可も不可もない。

 それなのに、ノーチェに食べさせて貰うこのクッキーはいつもよりお腹がぽかぽかする。


 ノーチェがくれるからかな。

 ノーチェが心配してくれているからかな。


 クッキーを呑み込めばすぐ次が詰め込まれる。オロオロしているノーチェはとにかく食べさせなければと考えて、泣いているベスティに寄り添ってくれた。

 そばにいてくれる。

 それってとても。


美味しい(しあわせ)…」


 クッキーが詰め込まれる一瞬に零した声は小さすぎて、ノーチェには届かない。

 その日、ベスティは悪意と一緒に幸せを知った。



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