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13 美味しいは魔法の言葉


(私、そんなに偉くないのよ…?)


 まさか料理人達の間でそのように称されているとは思ってもみなかった。

 神の舌ってなぁに? 何でも美味しいのよ?

 誤解を解きたいが、そんな言葉耳に入りそうもない。料理長は真剣だ。目がマジだ。食べてくれるまで動かぬと言う山のような意思を感じる。動かぬこと山の如し。


 他の厨房スタッフも固唾を呑んでノーチェの行動を見守っていた。

 ノーチェは困って、案内してくれた従僕を見たがすぐ視線を逸らした。

 …般若みたいな顔になっている。ノーチェの判断次第で彼の怒号が響きそう。


(まさかお姉様がいっていた「頑張らなくちゃいけないこと」って厨房スタッフさんたちとのやりとりも含まれているの?)


 なんて考えたが、ノーチェの中のイマジナリーお姉様が真顔で「違うわよ」と断言してくれた。このことじゃないみたい。つまりこれは突発イベント。誰も予想していなかった事態に違いない。

 ノーチェは厨房を見渡して、一応調理の手は止まっていない様だがそれも時間の問題に思え…手を伸ばし、一緒に差し出されていた箸を受け取った。


 責任重大だがやるっきゃねえ。

 あと普通にいい匂いでお腹が空きました。


 伯爵家の料理長が作っていた青椒肉絲はパプリカの赤で引き締まり、彩りは充分よかった。

 立ち食いは行儀が悪いが、人様の厨房に入るわけにはいかない。ノーチェは堂々と立ったままドーナツをむさぼり食った姉を見習い、えいやっと箸を伸ばす。

 ノーチェは箸で牛肉とピーマン、タケノコを摘まむ。

 落とさないよう注意して、まだ湯気の立つ出来たて料理を口に含んだ。

 一口で噛み応えのあるタケノコがしゃり、と音を立てた。

 ピーマンとタケノコの歯ごたえ。柔らかな牛肉の香ばしさ。とろみと歯ごたえが共存し、醤油の力強さと鶏ガラの密やかな旨味に、ノーチェは思わずほわっと笑った。


「でりしゃすです~」


 その瞬間厨房は拍手喝采で包まれた。

 料理長はその場に崩れ落ち、滂沱の涙を流しながら言葉にならない感謝の言葉を叫んでいる。その肩を副料理長らしき壮年の男性が称えるように撫でていた。厨房スタッフは我らの料理長がやったぞ! とまるで武功を立てた戦士を称えるように力強く拍手している。

 その勢いに、美味しい物を食べてニコニコだったノーチェもびっくりする。般若のような顔をした従僕の額に青筋が増えた。


「ノーチェ!?」


 そしてここでようやく、揚げ物に集中していたベスティがノーチェの存在に気付いて厨房の奥からやって来た。

 どうやら揚げ物は奥の台で作業するらしく、この騒動がそこまで届いていなかったらしい。流石に拍手喝采が起きて事態に気付き、慌てて手を拭いてやって来た。

 一ヶ月と少し振りに見るベスティは、別にやつれてもいないし逞しくなってもいなかった。いつも通りのノーチェが知っているベスティだ。

 思えば幼い頃から頻繁に顔を合わせていたので、一ヶ月顔を合わせなかっただけでこんなに寂しかったのだと実感した。彼が風邪を引いたとも聞いていたので、元気な姿を見てノーチェはとても安堵した。

 しかしベスティは伯爵家にノーチェがいると知り、驚愕から困惑、焦りへと表情を変えた。


「ノーチェ、どうしてここに…誰に呼ばれた? オルカはどうしたんだ」

「お姉様とオルカ様と一緒に来ました」

「え、なんで…」

「ベスティ、似合ってる」


 ノーチェはベスティが着ているコックコートの裾をきゅっと握った。

 厨房にいるのだから当然、彼もコックコートを着る。ノーチェはコックコート姿のベスティを初めて見た。何度も着ているのだろう。着られているような新鮮さはなく、彼の一部のように似合っている。

 貴族の嫡男であるベスティにコックコートが似合うとは一般的に褒め言葉ではないが、ノーチェとしては褒め言葉のつもりだった。


 ベスティは虚を突かれたような顔をして、頬を染めた。

 彼の背後で数名の厨房スタッフが舌打ちしたが、二人にはまったく届いていなかった。


「あ、ありがと」

「揚げ物してたって聞いたの。何を揚げていたの?」

「春巻き…」

「ベスティの揚げた春巻き、私も食べたいの」

「駄目だまだノーチェに食べさせられる様な春巻きじゃない…!」

「むくーっ」

「かわ…いや、それよりなんでここに来たんだ。何かあったのか」

「むくっ」


 頬を赤く染めながら問いかけるベスティに、ノーチェはさらにむくれた。

 握ったままのコックコートを引っ張る。少し屈んだベスティの前でつま先立ちになり、精一杯見上げた。


「ベスティに会いたかったから、会いに来たの」


 ノーチェは本当に心配したし会いたかったのに、何でもないような顔をしているベスティに不満を訴える。


「ベスティは寂しくなかったの?」


 私は寂しかったのに。


 ベスティはノーチェの言葉を聞いて。

 ずだんとその場に膝を突き、胸を押さえ叫んだ。


「俺も寂しかった!!!!」

「わあい」


 厨房で誰かがケッとやさぐれた声を上げたが二人は完全に別世界にいた。


「会いたかった…!」

「…あれぇ?」

「会いたかったんだ…」

「ベスティ?」


 膝を突いた彼は、どんどん背中を丸めてしまう。

 ノーチェは心配になって、眉を下げて彼の前にしゃがみ込んだ。

 しゃがみ込んで、目を丸くする。


「ノーチェ…」


 彼は、泣いていた。

 子供の頃のように、ぽろぽろと、滴を零しながら。



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