12 厨房はいつだって戦場
「野菜の下拵え終わりました!」
「肉の下味終わってます!」
「火にかけろ! 思いっきりだ!」
「誰だこのソース作った奴!」
「お、俺です!」
「馬鹿野郎! 美味すぎる!」
「ありがとうございます!」
「ちゃんとレシピ提出しとけ! 名前忘れんなよ!」
「はい!」
勢いがすごい。
戦場かな? 厨房は戦場だって聞いたことがあるけど、まさしくそんな感じ。
子爵家の厨房より殺伐としているのがとっても不思議。子爵家はもうちょっと落ち着いている。
あれぇ?
入っていいの?
ここに案内されたってことは入るべきなの?
でもとっても忙しそうだし、どうしよう。
ノーチェは子爵家の厨房にも許可なく入ったことはない。だってここから先は彼らの城…戦場…本丸なのだ。無断で入っていい領域ではない。
オロオロしていると、案内してくれた従僕が扉をノックした。ちなみに厨房の扉は熱気を逃がすため開けっぱなしだ。
ノックの音は騒がしいスタッフの声でかき消される。
従僕はもう一度強めにノックした。
ノックの音は肉を焼く音にかき消される。
従僕はくわっと牙を剥いた。
「料理長! お客様です!!」
「ひえー! お助けを!!」
「ベスティ様はどちらに!?」
料理長と呼ばれた人は腰の曲がったよぼよぼしたおじいちゃんだった。
何故か鍋を帽子のように被ってぷるぷる震えている。それなのに中華鍋を振る腕は力強い。よぼよぼしたおじいちゃんなのに。ぷるぷる震えているのに。不思議。
ところでその被っている鍋は何? 守っているの? 本当にここは戦場なの?
「坊ちゃまなら揚げられております」
ベスティ揚げられちゃっているの?
「揚げ物中ですね。でしたら声を掛けるのは危険ですので、少々お待ちください」
「アッハイ」
そうか成る程揚げ物中か。ベスティが揚げられちゃっているのかと思った。そんなわけないのにほっとした。
そのとき、厨房から不思議そうな声が飛んでくる。
「おい、そのお嬢さん誰だ? なんでこんなところに…」
「失礼な物言いをするな。この方はノーチェ・アルディーヤ子爵令嬢だ。ベスティ様の大切な…」
カシャ――――……ン。
誰かの手から、おたまが落ちた。
あれほど騒がしかった厨房が静まりかえる。
静寂の中で、食材の焼ける音と水音だけが響く。
厨房にいる全ての人間が、出入り口に立つノーチェを呆気にとられたような顔で見つめていた。
あれぇ?
「ノーチェ…アルディーヤ様…!?」
「ほ、本物…!?」
「実在したのか…!」
(私、幻想だと思われていたの?)
ざわざわと騒ぎ出す厨房スタッフ達。
どうしたのかなと戸惑っていると、どんと鍋を置いて皿に盛り付けた料理長が、小皿にもう一つ盛り付ける。その一皿を持って、素早くノーチェの前に滑り込んだ。
「試食をお願い致します…!」
青椒肉絲だった。
細切りのピーマンとパプリカ、牛肉とタケノコからほかほか湯気と醤油の香りが立ち上っている。正真正銘の出来たてだ。
さっきまでよぼよぼしていたおじいちゃんが、歴戦の戦士みたいな動きでノーチェの前に青椒肉絲を持って来た。
あれぇ?
「あっ! 料理長抜け駆け! ずりぃ!」
「馬鹿もん子爵令嬢じゃぞ!! お前らみたいな下っ端が作ったもんを喰わせられるか十年修行しろ!」
「一度でいいから感想が欲しい! 一度でいいから! 一回でいいから! 俺が作ったこれ食べてくださいお願いします!」
「近付けさせるなご令嬢だ! 不届き者を近付かせるな!」
(伯爵家、思っていた以上に愉快なの)
危険だと言われて構えていたが、全然そんなことがない。むしろ好意的(?)だ。
「ええと…料理長さん、何故突然私に試食を?」
「アルディーヤ子爵家の料理人は、貴族の中でとても評判が高いのです。味だけでなく彩り豊かで目に楽しい。子爵家の料理人は大変質がいいと」
そうだったのか。知らなかった。
我が家の料理人達が褒められるのは大変光栄なことなので、ノーチェはとても嬉しかった。しかし目の前にいるのも料理人。得意げになりすぎないよう注意した。
「旦那様も坊ちゃん方も、子爵家の料理はいつ見ても彩りが違って新鮮だと絶賛で…!」
ちょっと遅かったかもしれない。
これはとても対抗意識を燃やされている。
「ベスティ様曰く、子爵家の料理人は皆、子爵令嬢であらせられるノーチェ様から【でりしゃす】の一言を貰えなければ一人前ではないとのこと。評判のよい料理人達を支えているのはご令嬢の鋭敏なる神の舌だと料理人達の間で有名なのです!」
「あれぇ」
そうだったのか。知らなかった。
神の舌なの? ノーチェの舌は神の舌なの?
確かに厨房スタッフが緊張した面持ちで食事中のノーチェを見ていることがあったが、まさかそんな試験が行われていたのか。美味しい物を素直に褒め称えていただけなのに、まさか料理人達がそれを基準に頑張っていたとは。
不満に感じたことがなかったので全然知らなかった。ご飯いつも美味しいです。
「なのであなた様がノーチェ・アルディーヤ子爵令嬢だというのなら…! 是非私の一品をご賞味ください…!」
まるで神託を望む巡礼者の様な顔で、料理長が鍋の隙間からノーチェを見上げていた。




