表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚構の守り手 〜二つの日本の物語〜  作者: 扶桑かつみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/31

列島日本(アイランズ・ジャパン)

列島日本アイランズ・ジャパン


正式国名/日本国。



元首/天皇(名目君主)、内閣総理大臣

政体/天皇を名目君主とした立憲君主国

国土/日本列島、南樺太、千島列島、琉球諸島、小笠原諸島 他(国土面積は約42万平方キロメートル)

総人口/約1億2800万人(2013年時点)

人種構成/

ほとんど全てが日本人。他はパーセンテージで示す規模にない。日本人以外は合計しても1%程度。ただし、旧大陸日本人は日本人として計算。


主要言語/国語=日本語(公用語、第二外国語は存在せず)

宗教/神道、仏教、ほか少数



概要/


 第二次世界大戦の停戦時期がイタリアに次いで早かったため、国内の被害は少なかった。

 だが、日華事変から続く戦争による国庫・経済の傾きと、停戦直後に造反勢力が多く離反したことも重なって、戦後大きな不況に襲われる。

 また、未曾有の規模のクーデターによる統治不安を指摘されて連合国の大きな干渉を受け、連合国の強い監視のもと大幅な民主化が行われる。


 国名も憲法の大幅改訂に伴い「大日本帝国」から「日本国」に変化し、天皇主権は国民主権となり、完全な立憲君主国家へ体制を刷新した。


 そして東亜動乱以後は、西側陣営の東の防波堤としての役割が強まり、以後アメリカの大きな援助と軍事力の庇護のもと経済発展に力が注がれる。

 いっぽうで、自らも一定の軍備を維持し続ける事を余儀なくされ、これは冷戦時代半ば以降のGNP3%枠という国防予算に象徴されている。


 経済の方は、東亜動乱による自らの戦時特需からオイルショックまで高いレベルでの経済成長が維持され、この時の成長により資本主義国のトップグループに入ることができた。


 冷戦時代全般を通じて西側陣営の重要な一角として認識され、政治、軍事、経済の多くにおいてアメリカに次ぐ地位にまで上り詰める。

 これはニクソン・ショックでの円の為替価値上昇に伴いドイツを越えたGNPを実現して以後強まり、冷戦崩壊まで崩れることはなかった。



 冷戦崩壊以後は、手のひらを返したように仇敵だった大陸日本との和解と協力を大規模に進める。

 バブル経済と呼ばれる不健全な投資景気で生まれた膨大な国内資産を用いて、瞬く間に大陸日本を自分たち同様の先進国に改造してしまう。

 また、冷戦崩壊後に、不足が予測された労働力確保のためいち早く徴兵制(選択及び選抜徴兵制)を廃止している。


 1990年代の一時期は、様々な変化の影響で一時的に停滞したが、21世紀初頭では大陸日本と密接に連携する事で、アメリカ、EU(欧州連合)に並ぶ経済力を持つ盟主としての地位を確固たるものにしつつあるが、政治の弱体のためあまりうまくいっていない。


 それでも、冷戦、バブル経済、冷戦崩壊、満州特需を経た日本は、アメリカとは同盟関係を維持しつつも一定の政治的距離を置く姿勢を強めており、これは近年の中東政策などにも現れている。


 2010年代になると、一層東亜連邦(大陸日本)との関係を強めており、同盟国のアメリカが神経を尖らせつつある。



民族/


 日本列島の住民は、ほとんど全てが日本民族に類別される。


 琉球系、アイヌ系、マレー・ポリネシア系、華僑系なども居住しているが、琉球系、アイヌ系は日本人に含まれている。


 また、戦前列島内に多数いた朝鮮系は、東亜動乱以前に過半が強制帰国させられ、一部残った者も完全帰化して今では詳しく出自を調べない限り分からなくなっている。

 大陸日本のスパイの可能性もあるため、密航その他も厳しく禁じて、発見された場合は第三国経由で送還されている。


 そして冷戦崩壊後大陸日本からの移民が増え、21世紀初頭の在住外国人は約200万人に達する。

 むろん過半数以上が大陸日本人になる。

 アメリカ人を始めアジア系以外の人種は20万人程度、多くは国内駐留を依然続けるアメリカ軍人とその家族となる。


 21世紀に入ってからは、古くからの華僑以外の中華系が都市部を中心に増えつつある。



軍備/


 冷戦時代最盛期は、常備軍65万人(陸軍40万人)、戦車2000両、重砲2000門、空軍作戦機800機、戦艦1隻、大型空母3隻、艦艇60隻、戦略原子力潜水艦6隻、原子力潜水艦10隻、潜水艦18隻を保有していた。


 1960年代後半から独自の核軍備を持ち、21世紀初頭は戦略核を運用する戦略原子力潜水艦(潜水艦発射型弾道弾)と、各種長距離巡航ミサイルを保有する。


 軍備の大きさは、GNPが世界第二位となってからのGNP3%枠(国家予算の約18〜24%)という国防予算が冷戦崩壊まで維持されていることに象徴されている。


 戦艦「大和」、空母「信濃」は長年日本軍の象徴的装備だったが、冷戦崩壊と共にどちらも1990年代に退役。

 現在は空母3隻体制で、10年に1隻の間隔で大型空母を建造している(※その間に強襲揚陸艦の建造が挟まる事で造船関係者の技術維持を行っている)。


 以上のように、地域覇権国家として核兵器、大型空母を持つなど軍事力も大きく、軍備への予算傾注がなければ国内開発は不要なレベルにまで進んでいたと言われている。


 そしてオホーツク、日本海、東シナ海な方に仮想敵国を抱えた長大な国境線を持つため、ひじょうに大きな軍備を常に維持しなければならなかった。

 海軍、空軍が重視されたのも、敵陣営と接する海洋が多いためだった。


 海軍は重視する項目が多すぎ、結果として常に多くの予算が配分された。

 有事に制空権を補強するための大型空母、東側の潜水艦隊に対処するための対潜水艦部隊、そして現代の主力艦となる各種潜水艦、全てが常に多くの戦力維持を求められた。


 空母はアメリカ海軍より小型(※「信濃」を含め満載7万トン級)の事もあって、対空護衛艦艇を減らす為に戦闘機重視とされ制空空母と言われる事も多い。

 潜水艦は艦隊随伴用の原子力潜水艦と哨戒用の通常型の双方が均等に整備され、対潜水艦戦力は世界最強と言われるほど強化された。

 ただしイージス艦導入後の空母艦載機は戦闘攻撃機とされ、任務の多様化に対応している。


 空軍も制空権維持が第一の任務とされ、数で圧倒するソ連、大陸日本空軍に対抗する出来る装備の充実が目指された。

 このため戦闘機、戦闘爆撃機ばかり保有し、アメリカのような純然とした攻撃機、爆撃機は保有されなかった。

 ただし冷戦終末期にF15Eを導入するなど、攻撃力が軽視されているわけでもない。

 ただし国産機は、艦上戦闘機以外は、戦闘爆撃機ばかり開発しており、装備開発の偏りを見て取ることはできる。


 陸軍は、オホーツク方面でソ連、北九州方面で朝鮮半島の大陸日本という二つの敵を抱えねばならず、冷戦時代の多くは40万人以上常備陸軍が維持されていた。

 防衛方針は南樺太以外では洋上撃滅を中心に据えられ、空軍による制空権の維持、海軍による機動防御と空爆、ミサイルによる飽和攻撃が重視されていた。

 だが、陸軍もおざなりにする事ができず、各方面で15万人規模の重装備陸軍部隊が常駐していた。

 陸上の装備面でも、ソ連の兵器と戦うため南樺太、北九州の部隊はとにかく重装備が多く、他の地域の防衛用の装備と違う二種類の装備が多く、特に十数年おきに更新される戦車開発が顕著だった。


 軍隊の規模は、西側ではアメリカ、ドイツに次いで巨大な規模で、軍隊は規模相応の権威を国内で維持していくことになる。

 国内の軍需産業も戦後の一時期を除いて大きなままで、アメリカ、ソ連には及ばないが、フランス、ドイツなど欧州列強に匹敵する規模と市場を持つ。


 また、西側最前線ということで国内の在日米軍も多く、北九州と南樺太には米軍の正規師団が常駐し、その他海空戦力も各地に駐留するため、在日米軍の規模は最盛時8万人にも達していた。

 有事には、アメリカの空母機動部隊もほぼ常駐状態となった。



 冷戦崩壊後の1992年には、大陸日本とソ連に対する備えがほとんど不要になったため大幅に削減され、一気に志願制軍隊に移行した。

 特に陸軍は、最盛時40万人を抱えていたのが三分の一にまで減っている。

 在日米軍も同様に大きく削減された。

 国防予算もGNP3%だったものが2%が基本となった。


 現在では、海空軍の規模は最盛時の7割程度で維持されているが、軍全体ではPKFや災害救助が主な任務となりつつある。

 また、2010年代くらいから中華人民共和国の軍備増強が目立っているため、大陸日本との本格的な安全保障関係の構築と軍事力の整備が進められている。

 さらに有力な海・空軍を保有することから、台湾(中華民国)との協力関係を強めており、中華人民共和国との関係悪化が年々深刻化している。




※※史実日本との違い(神の視点より)


 戦争が一年早く終わったので国内の借金がその分少なく、国内も破壊されていないので終戦時の国富が多いのでスタートラインは有利となる。

 ただし、日本動乱で九州北部が大きく荒廃した。

 そして、大陸日本との対立で軍備が重視されたため、その分経済成長は抑制される(※一割程度鈍化)。また、満州からの帰国組(実務官僚)が一部いなくなるので、抜本的な経済発展には若干鈍りが出る。

 全体としては、高度経済成長は史実の8割程度になる。


 一方では、史実で中華への無償借款や半島の漢河の奇蹟で使われた日本の資金は、列島日本の軍事費と東北、北海道、南樺太開発に消えているのである程度相殺。


 また、戦争が一年早く終わったので東南アジア各地の被害が小さく、東南アジア各国に支払った様々な無償援助、賠償金もその分少額になっている。(※終戦が史実より一年早い)

 当然、軍需産業、航空宇宙産業が肥大化。

 フランス以上の規模になっている。


 なお、日本が戦争で失った海外資産の三分の二は大陸日本が土地ごと飲み込みんでいる。



 一方民意の点は、国内の戦争被害が殆ど無いので、戦争に対するネガティブな感情は少ない。

 日本人にとっての太平洋戦争は、「兵隊が沢山死んだ戦争」でしかない。日本動乱での北九州の戦災は「内戦」というまた別の感覚があるため、ネガティブな方向性に傾いていない。


 また国内の共産党など反政府的団体、組織が非常に弱いので(※多くが大陸日本に行って粛清されている)、反政府、反日本的な思想が広まる事も非常に少なくなっている(※もちろん皆無ではない)。




■大ニッポン計画


 この呼び名は、日本政府が呼称したものでも計画したものでもない。

 日本の東亜連邦への進出を総称して、一部マスコミなどが後に言うようになった大きな変化の通称である。



 1989年1月の昭和天皇の死。

 1989年11月の列島日本と大陸日本の歴史的和解。


 それが始まりだった。


 この当時、列島日本は為替相場の急速な円高と国内の土地・不動産騰貴、株価高騰により、異常なレベルにまで名目資産額が膨れあがっていた。

 俗に言う「バブル景気」である。


 列島日本の「YEN(=円)」は、為替レートによる異常な価値上昇を受けて欧米の資産や会社、美術品などをむさぼるように購入していたのだが、「バブル景気」末期に発生した歴史的な変化、「平成御一新」と「対馬の邂逅」で全ての方向が変化してしまう。


 日本人達の一部も、いつまでもバブル景気が続くとは思っていなかった。

 だがそこに、「冷戦崩壊」という天からの恵みがやってくる。


 大陸日本の民主化と二つの日本の電撃的和解により、降って湧いたように日本本土の数倍の土地と同数以上の人口を持つ市場を、日本の圧倒的優位で得る事になったのだ。


 そこで日本は、自ら値をつり上げた世界中の美術品や土地、資産、株式の多くを、極端に値下がりする前に再び元の主や他の者に買収価格より安価で売却してしまう。

 このため世界は、日本のバブルが急速に縮小しつつあると勘違いしたほどだった。

 だが日本は、国内にいまだ有り余る資金と世界最強の日本の土建屋集団を組み合わせて、世界中の土木機械をリースし、国内及び大陸日本の建設業者を雇い、新たに手に入った「日本」の改造に取りかかった。

 1970年頃、列島日本の総理が自国のインフラ整備を「列島改造」と揶揄したが、この時も「大陸改造」や「満州改造」と呼ばれた。


 しかも大陸日本では、国内の富裕層や特権階級、主に日本民族を自認する人々が、その当時有り余る列島資産と結託して自らの一部利権と引き替えに国土を安価で提供して尻馬に乗ってしまう。

 後は、日本企業の大量進出と消費経済の拡大、そして建設特需と工場進出による雇用創出を始まりとする大陸日本の急速な西側化、高度経済成長の始まりだった。



 最初の一年で農地を作り替えた工業団地用地が整備され始め、開始二年で国家規模の道路網再整備と区画整理が始まり、三年目には高層マンション群によるニュータウンの建設が始まった。

 その間、日本のあらゆる消費産業が、各地で店開きして大衆の消費を拡大。

 始まりから五年もすると、都心部で商業目的の超高層ビル建設ラッシュが始まり、都市計画が得意な東亜連邦官僚団が厳重に設定した新規都市計画に従い、かなりの面積が取られた文化保存地区と緑地帯、災害用区画以外の都市区画再整理も始まる。

 日本列島をほったらかしにした設計技師達もてんてこ舞いだった。


 そして改造開始から十年を経た世紀末には、東アジア最高と言われた美しい景観だった主要都市の新市街、副都心は、超高層ビルが乱立するハイテックな計画都市へと新たに変貌を遂げていた。

 郊外にも巨大なマンション群や大型ショッピングセンターが建設され、郊外には距離感を間違うほどの巨大工場が建ち並んだ。


 労働賃金格差から進出した日本の工場によって、大陸日本での所得上昇も急速だった。



 なお大陸日本は、冷戦期において東側で最も発展した国だった。

 一人当たり所得も高かった。

 冷戦中で東側トップの8000ドル(名目)だった所得は、冷戦崩壊による東側経済の崩壊の余波で一時的に半減した。

 だが、この「大ニッポン計画」による日本資産で大きくてこ入れされて持ち直し、約10年で先進国に準じるまでにで上昇していた。


 いっぽう列島日本の一人当たり所得はバブル開始前に1万ドルを越え、5年後のバブル末期には1・5倍に膨れあがっていた。

 その間の二倍以上の円高を加味すれば、ドル換算で3倍近くになっていたほどだ。

 だからこそバブル景気とも呼ばれたのだ。


 しかも大陸日本という広大な土地と消費すべき民衆、さらには域内で石油、石炭、鉄鉱石など有望な資源を得た事で「円」の価値は上昇し、これを大陸日本の大人口と発展した消費市場が補強を行った。


 なお、この頃の両国の総人口は合計で2億6000万人に達し、経済圏の規模としてはアメリカ合衆国や欧州共同体に匹敵する規模となる。


 双方の日本での経済力は、融和後2年はかなりの降下曲線を描いたが、3年目の1992年にはV字回復に転じ、93年からは再び長期的な好景気に転じた。


 そして2000年の通貨統合によって、「円」経済圏は間に挟まった民主化韓国も含めて3億人近くになる。

 その後も周辺地域を飲み込みながら、21世紀を迎えた今日では名実共に合衆国、EUに並ぶ巨大な経済圏へと成長しつつある、と言われている。


 もっとも、二つの日本が国家統合をすることは話し合いすら持たれず、あくまで違う国家として政治的には分立し、経済面など都合の良い部分だけ一つになるという結末を迎えたのは、一種の分断国家という状態を思えば奇妙な現象と受け取られている。


 また、列島日本が大陸日本への進出を強化しすぎたため、他の地域の諸外国への資本進出、企業進出では一部を除いて遅れを取っている。

 特に常に関係が思わしくない共産中華への進出では、致命的な遅れが出たと言われている。


 さらに、1990年代に日本語圏以外での進出ノウハウが十分得られなかったなどの弊害も多数見受けられ、21世紀初頭の二つの日本の未来がバラ色なわけではない。


 世界の識者は、日本人の経済圏は一世代も経ずに三倍以上の巨体となったが、グローバル化は欧米の一〇年後ろを進んでいると見られている。

 しかし逆に、日本社会には馴染まないアメリカ型経済(ハイエク型経済)を敢えて取り入れなかったとも言われている。この点は、アメリカで始まった所謂リーマンショックの影響が、比較的少なかった事からも確かだと言われている。


 また、いずれ対立や競争すると言われていた二つの日本の関係が、グローバル化の遅れから協力関係を続けざるを得なくなったと言われることも多い。



(※神の視点より:発展度合いは私たちの世界の21世紀に入ってからの中共に少し似ている。なお、この原文を書いたのは2006年です。)




※※日本海軍の大型艦艇の推移※※


1950年代前半

 戦艦:《大和》《長門》

 空母:《信濃》《瑞鶴》《雲龍》《天城》《葛城》


1960年代

 戦艦:《大和》※一時現役復帰

 空母:《信濃》《瑞鶴》

 対潜空母:《雲龍》《天城》《葛城》


1970年代

 空母:《信濃》

   :《赤城》《加賀》

 練習空母:《瑞鶴》


1980年代

 戦艦:《大和》※近代改装後、現役復帰

 空母:《赤城》《加賀》《翔鶴》

 練習空母:《信濃》


1990年代

 空母:《加賀》《翔鶴》《瑞鶴》

 練習空母:《赤城》

 ※湾岸戦争時、一時的に4隻体制化。


2000年代

 空母:《翔鶴》《瑞鶴》《大鳳》

 練習空母:《加賀》


2010年代

 空母:《瑞鶴》《大鳳》《鳳翔》

 練習空母:《翔鶴》


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ