第六章「悪戦」-3
・一九五一年十二月二十三日 熊本
突如、島田豊作一佐の眼前に地獄が出現した。
皇太子誕生日の午前二時半、菊池川中流域は、ソ連製122ミリ榴弾砲、152ミリ榴弾砲、旧軍の様々な火砲、そしてカチューシャロケットの一斉砲火で天変地異すら凌駕するような破壊で満ちあふれた。
砲撃は一時間。
密度は高いが、彼らにしては短い。
物資が不足している証拠だった。
おぞましくも美しい情景を作り上げたカチューシャの一斉射撃など、最初の一回しか行われていない。
しかも、こちらの航空自衛軍の反撃も効果を発揮していた。
いまだまともな全天候型の能力がないミグ15のいない夜の空は国連軍のものだった。
米英製の優れたレーダーを搭載した夜間作戦機は、前線の航空統制士官などの誘導に従って手当たり次第対地攻撃を実施している。
開戦当初あれほどいたソ連製中古戦車を粉砕したのも、彼ら鋼鉄のミミズクたちだ。
そして今回の敵の攻撃を直前で是とした米軍は、緊急に重爆撃機の群の夜間爆撃すら実施し、膨大な量の爆弾を敵の鉄道、道路上にぶちまけた。
そして今も頭上を超低空でフライパスしていく編隊がわかった。
轟きが、遠雷のように聞こえてくる。
旧軍時代から使われているレシプロ機が、エンジンなどを換装していまだ現役で頑張っているのは島田もよく知っていた。
美濃部正一佐率いる夜間襲撃部隊だ。
北九州の戦場で彼らに危機を助けられた事も、一度や二度ではない。
今夜も見事な攻撃だった。
彼らの投下した各種爆弾、油脂焼夷弾、ロケット弾によって、敵が吹き飛ばされるのが遠望できた。
残念なのは、攻撃がほんの十分程度で終わってしまったことだが、こればかりは彼らの使うレシプロ機の性能のため如何ともしがたい。
だが、彼らは最後まで任務に忠実だった。
激しい対空砲火が襲いかかる中、大型の照明弾をあるだけ投下するのを最後の仕事に取りかかっていた。
アメリカ製の大型照明弾によって、今し方叩かれていた敵軍が浮かび上がる。
そして浮かび上がった情景を見てゾッとした。
人の海が損害を無視して押し寄せてくる様は、何度見ても見慣れるものではない。
大東亜人民陸軍が行う人海戦術、通称「カミカゼ・アタック」が今回も第一派だ。
彼らのために、苦労して設置した地雷原は無かったことになるだろう。
コンクリートトーチカに潜んだM2ブローニング重機関銃と少し後方に多数展開する迫撃砲による無慈悲な弾幕射撃で大地に帰るであろう彼らを見ていると、哀れさや恐れよりも嫌悪感が何よりもまず先にきてしまう。
数はおよそ二万人ぐらい。
先の突破船団で送り届けられたのだろう、装備はそれほど悪くないようだ。
短機関銃で武装しているのが見える。
50メートルの槍を持った無防備なファランクスの突進だ。
彼らはアルコールとヒロポン——朝鮮北部の化学工場で戦前から大量生産されている一種の覚醒剤で意識を高揚させている。
しかも、無為に生きて帰ったりしたら家族共々銃殺刑なのが分かっているので、よほどの事でもない限り前進を自ら止めることはあり得ない。
きっと第一線は酷いことになる。
(こっちも少し早めに動くしかないか)
そう考えた島田は、第二線に配備されている支援部隊に榴弾の装填を命じた。
人の海の後ろから現れる戦車よりも先に、人の海そのものを何とかしないと、飲み込まれたらそれで終わりだ。
しかも、見る間に眼前の地獄が広がっていく。
人間に向けるような火砲でない機関銃の、でたらめなまでに凶暴な弾幕射撃。
無限に続く迫撃砲弾の発射と炸裂。
鋼鉄の嵐をつき抜けてきた敵による短機関銃の一斉射撃。
平等にうち倒されていく前線の歩兵たち。
そして始まる白兵戦。
人の海は半分ほどに減ったと見られたが、代償に第一線が消滅。
津波に飲み込まれたような瞬間を島田は目撃した。
予想以上の密度の攻撃が、こちら側の防御力を上回ったのだ。
だが戦いはこれから。
その証拠に、人の海の後ろからまともな装備を持った本当の歩兵達が遮蔽物を探しながら急接近してくる。
彼がこちらがまともな対戦車戦を想定して構築した第二線を突破するための戦力だ。
ちらほらと無敵のT34/85も見える。
しかし視界の悪いT34は、近距離からのバズーカにはからきし弱い。
距離五〇から側面を狙われればまず助からない。
それを知っている彼らも、歩兵と共に慎重に前進してくる。
(だが、思うつぼだ)
島田がそう思った瞬間。
斜め側面から一斉に音速を超える流星が飛翔した。
彼の部下達が放った対戦車砲弾だ。
数は戦力半減した一個戦車中隊だったが、効果は絶大だった。
一度に半ダースもの戦車を失った敵は狼狽。
一部がこちらの射撃ポイントを見つけて反撃するが、今は半壊してしまった森の中の深い壕に潜っての射撃中。
そうそう見つかるものでもないし、砲塔しか露出していないので視界が悪く照準装置の甘いT34では当てるのは至難の業だ。
T34は数に頼んで来ないかぎり、決して恐るべき相手ではない。
彼の乗る車両の無線機からは、混乱が広がる敵の無線を傍受した無線班からの報告がいくつも舞い込んでくる。
ペリスコープから見える戦場パノラマも、その様子を余すことなく伝えている。
しかし、それも今日は折り込み済み。
このパターンの戦闘も、以前行ったものとほとんど変化はない。
向こうもすぐに立ち直って、本命の第三波を投入してくるだろう。
だからこちらも、これから起きるであろう事を予測して、手札の多くは伏せたままだ。
今夜の彼に分からないのは、敵の本命が彼の目の前の陣地帯なのか、それとももう一つのポイントに来るかだ。
もしかしたら、日没後に移動して第一騎兵の前面にきているかもしれない。
(まあ考えてもしかたない。一応どこに来てもいいようにしてある。しかし、できればこっちに来て欲しい。西さんには借りがあるからな)
当然それなりの歓迎の準備はしてある。
前よりも酷い事にはならないはず、そう願いたいものだ。
そう思う島田だったが、彼の期待と願いは半分は期待通り、もう半分は逆の形で眼前に現れる。
「停車! 徹甲榴弾、三時、虎戦車、距離1400」
連隊長車の島田自身が、ついに乗車の命令をしなくてはならなくなった。
連隊の予備戦力が尽きたと言うことだ。
車内では、彼の命令を忠実に果たしている操縦手、砲手、装填手の姿が見える。
この戦車は5人乗り。
あと無線手がいるが、彼は無線機にかじり付いている。
夜間の混戦にあって情報は何よりも貴重だ。
戦車内の連携は理想的だ。
優れた主砲とジャイロスタビライザーも正常。
停車後すぐに砲を目標に向け固定。
砲手が即座に発砲する。
そして命中。
そして跳弾。
赤黒い弾道が、闇夜でも白く見える小山に命中したあと、見事に弾かれるのが見えた。
敵第二線接触から三〇分後、島田の希望は叶えられたが、決して喜べるものではなかった。
敵出現位置は第五師団と彼の戦車連隊の予想通りだった。
第二波攻撃の開始と共に、虎の群は今度は前衛部隊として堂々と正面から出現。
第一波が無力化した地雷原と第一線陣地をやすやすと入り抜けると、再構築された第二線の蹂躙にとりかかった。
そして初戦で活躍した別働隊の戦車を熟練部隊特有の嗅覚で一瞬で蹴散らすと、第一波が攻めあぐねていた第二線を圧倒的な鋼鉄の濁流となって突破した。
今は、前線から五キロほど下がった第二次防衛線で激しい混戦が続いている。
(畜生。さっきの連中とはまるで練度が違う。さすが関東軍……いや人民軍最精鋭だ)
当初は、島田にはまだそんな事を思う余裕があった。
第二次防衛線で連隊主力を投入したので、数の上で自軍が優位にあったからだ。
しかし、見る間に友軍戦車がうち減らされていく。
しかも派手に炎を吹き上げる車両が圧倒的に多い。
M4が燃えやすいとバカにされたのは先の大戦中だけ。
島田に与えれたのは改良型の後期タイプのはず。
にも関わらず簡単に火を噴くというのは、深く装甲を引き裂かれているのだ。
双方の戦車の距離は平均一五〇〇メートル以下。
島田連隊に対するドイツ生まれの虎は、持ち前の頑健さを見せつけていた。
自重七十トン近いドイツ製の重甲冑は伊達ではない。
しかも虎たちの牙、タングステン弾芯の71口径88ミリ砲も猛威を振るっている。
アメリカ製の戦車と中の日本製の兵士は、文字通り串刺だ。
もちろん、自衛軍側も手もなくやられているだけではない。
基本的にダッグ・イン戦法を多用し、何より戦車の中にM26パーシングが含まれていたからだ。
M26が搭載する90ミリ砲は虎たちの牙にこそ少しばかり劣るが、接近戦もしくは側面からなら十分相手を撃破する事ができた。
事実、かく座し、煙を噴いている虎もある。
残念なのはM26の装甲の薄さ(!)だった。
おかげでキルレシオは3対1以下。
手もなくやられているシャーマンよりマシだが、決して許容できるものではない。
なにしろパーシングは、連隊全体の4分の1。
まだ一個中隊しかないのだ。
本来なら全て変更される筈だったが、南樺太の向こう側のソ連赤軍が大幅に増強されたため、以前から駐留する自衛軍精鋭師団に最優先で回されてしまったのだ。
これに対して、相手は虎だけで二個中隊。
虎のさらに外縁から、不整地を平然と突破してくる宇宙人の戦車のようなスターリン3型や、後方で異常な火力を見せている対戦車自走砲を加えると、蹂躙されていないだけ前よりマシという状況だ。
しかもこっちは、今さっき最後の予備隊を投入したところ。
第五師団の戦車隊も加わって数はまだ多いが、それも時間の問題に思えた。
いや、戦車が少しばかり生き残っても、戦線突破されては意味がない。
第三次防衛線などあってなきがごとしだ。
(やはり……例の支援を頼むしかないか)
諦めるわけには行かない島田は、ついに最後の決断を下すべきか選択に迫られていた。
今も他とは違う形の虎が、島田の隣の車両を派手に撃破したところだ。
友軍車両の爆発が周囲を明るくする。
それを見た島田は決断した。
そう、何としても突破させるわけにはいかない。
彼は無線手からレシーバーを受け取ると、無線手が調整した相手先に地獄への片道切符取得を申請することにした。
「アニマルハンターよりビッグマウンテンへ。状況黒。繰り返す、状況黒。送れ」
状況黒。
それは最悪の事態を告げる符丁だ。
あと十数分もすれば、予備として拘置されている戦力を中心にして、そこら中からこの戦場めがけて爆弾と砲弾の雨が、敵味方を構わず降り注ぐ事になっている。
この後、少し後ろで戦線を支える最後の予備隊の移動も始まった筈だ。
(それまでは戦線を支えなくては)
気持ちを固めると、先ほど僚車を撃破した異形の虎を探す。
しかし呆気なく見つかった。
戦場が作り出した禍々しいイルミネーションの中に、それはいた。
相変わらず、自慢の牙を彼の部下達に突き立てている。
だが、真っ白に迷彩された虎は美しかった。
鋼鉄の上に塗られた白に映える炎の色が特に見事だ。
そして乗り手達は、戦車乗りとしての腕も卓越していた。
余程場数を踏んだ相手だろう。
噂に聞く、地獄の東部戦線とやらから再び地獄に舞い戻ったというドイツ兵かもしれない。
彼が絶望にも似た思いで、眼前の強敵に相対しようと号令を出そうとした時、周囲の情景が一変。
一面灼熱色に覆われた。
巨大な紅蓮の炎の壁が、敵自走砲が車列を敷いていた辺りにそそり立ったのだ。
誘爆の美しい火球も随所に見える。
それはまるで、目の前の白い異形の虎の演出のようにすら見えたほど美しかった。
だが違う。
その証に、レシーバーからはそれまでとは違った声が響いてきた。
「こちら新選組。ヤンキー・ステーションよりただ今見参! 翼下の友軍へ、少し早いが海軍からのお年玉だ。受け取ってくれ!」
希望の光明が射した瞬間だった。
なお、「ヤンキー・ステーション」とは、通常は対地支援を行う空母機動部隊の遊弋ポイントのことだ。
ローテーションを組んだ日米の空母群は、東シナ海に最低でも攻撃空母一隻を浮かべ、九州の友軍を支援していた。
だが、新選組という符丁はそれまで存在しなかった。
ニューフェイスが加わった証だ。
しかも爆撃規模は大きく、夜間での攻撃でもよどみなく遂行している。
それは母艦が大型で、載せている機体も最新鋭であることを伝えていた。
その証拠にジェットの爆音も聞こえる。
また、日本語の符丁ということは、日本の母艦であるとの証でもあった。
そしてそんな母艦は日本に一隻しかいない。
建造開始から十年以上も横須賀のドックに居座り続けていた「信濃」に他ならなかった。




