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虚構の守り手 〜二つの日本の物語〜  作者: 扶桑かつみ


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第六章「悪戦」-1

 ・一九五一年十二月二二日 熊本



「九州はもっと暖かいと思っていたけど、違うんだね島田一佐」

「まったくです、閣下。平地は中途半端に雪が降られて困っています。溶けた雪で地面が柔らかくて、アメリカ製の車輌は簡単に立ち往生。小競り合いで、イージーエイトが機動性でスターリンに遅れを取る始末ですよ」

「その報告は聞いたよ。たまらんな、露助の重い戦車ですら楽々動かれては。しかしここ阿蘇山麓は雪で埋もれてるから、どっちもどっちだよ。カルデラとはいえ、日本有数の大山だからね。まあ、一緒に暖まりながら話そう」


 そう言って島田豊作一佐を招き寄せたのは、栗林忠道陸将。

 九州防衛軍総司令官の任に当たっている貧乏くじを引かされた男だ。

 今年で還暦を迎え、本来なら定年で退役するところだが、米軍からのご指名あって、対外的には陸軍大将扱いで最前線に身を置いていた。

 

 しかし彼の勇名は、この秋の防戦成功をアメリカが派手に宣伝した事で全世界に轟いた。

 彼が戦争の天王山とした熊本戦線は、全世界の注目を浴びたほどだ。

 

 戦闘のクライマックスは、人民軍の攻勢開始から三日後の熊本市前面十キロでの防衛戦。

 ここで機動防御を成功させ敵一個軍団を殲滅した陸上自衛軍第五師団とアメリカ第一騎兵師団は、第二次大戦後では世界一有名な師団となった。

 

 日本の子供達で、カープ(鯉)とキャバリアー(騎兵)の名を知らぬものはない。

 

 もっともその後の戦闘は、熊本県に少し入った菊池川を挟んだ睨み合いと小競り合いばかり。

 秋に人民軍側が敗退してからは、どれほど世界中が注目しようとも動きようがなかった。

 あるフランス人従軍記者は、「熊本戦線異状なし」という皮肉を込めた報告を送ったほどだ。

 

 だからといって、熊本戦線の重要性が薄れたわけではない。

 熊本全土が陥落するようなことがあれば、佐世保鎮守府司令だったこちらも退役間際の太田実海将のもと、決死の防戦を続けている長崎戦線の崩壊も意味するからだ。

 佐世保の米軍海兵隊だって、船で本国に戻るより他ない戦線だった。

 

 いかに海上輸送能力に優れる国連軍とはいえ、包囲され橋頭堡となる場所がなければ安心して物資を揚陸できない。

 

 そして佐賀から福岡の県境から少し南に移動した戦線を中心に、双方合計二十万人以上の軍団が向かい合っていた。

 今の熊本戦線も、県北部の菊池川で対陣している。

 

 兵力は、人民軍側が集成編成の三個師団規模。

 国連軍が、先の戦いでも活躍したカープ(第五師団)とキャバリアー(第一騎兵師団)だ。

 

 ほかの熊本戦線には、後方にこれまでの戦闘で消耗した在郷の第六師団などがある。

 

 なお、ローテーションの偶然で最初の戦闘を戦った第四師団は、二度と戦線に出れないほど消耗して、まるごと郷里の近畿に戻っていた。

 

 また、国東半島を支える大分戦線では、九州在郷の第十二師団が開戦からずっと頑張っており、長崎ではなし崩しの増援で旅団編成にまで膨れあがった海軍陸戦隊とアメリカ第二海兵旅団が、それぞれ長崎と佐世保を守るべく踏ん張っている。

 

 ほかにも、国連軍という事で多数の国が大は旅団から小は中隊レベルで兵力を派遣。

 国名をあげるだけでも、十五ヶ国におよんでいた。

 

 そして全ての最高位にあるのが、阿蘇山麓に陣取る九州防衛軍総司令部と、総司令官栗林忠道陸将だ。

 なお、陸将は海外での中将に相当するが、司令官という肩書きによって大将に相当する地位にある。

 

 対する人民軍は、富永大将麾下の七個師団、十二万人から十三万人が前線にあると見られていた。

 ほかは、対馬海峡全域にかけられたミグ戦闘機の傘によって全貌が掴めない。

 主に半島を用いた補給線も、朝鮮半島南部を廃墟にしつつある米戦略爆撃兵団の妨害、日米の空母機動部隊の通り魔のような不意打ちにもめげずなんとか維持されていた。

 太平洋戦争終盤に日本を苦しめた潜水艦も、ミグ回廊を我が物顔で飛ぶ対潜哨戒機が搭載する磁気探知装置(MAD)や小型の対潜艦艇のアクティブソナー、各種対潜装備の前に形無しだ。

 多くはアメリカや列島日本が前の戦争中に原型を開発したものだが、損害の酷さに合衆国海軍が当海域への出撃停止を命じた程だった。

 

 このため人民軍の九州への海上補給路は維持され続け、ほんの一週間にも、かなりの規模の突破船団の博多入港を許したばかりだ。

 

 なお、人民軍の支配領域となっている福岡県と佐賀県の人口は、信じられないほど低下していた。

 噂では、住民の数より人民軍の数の方が多いぐらいだと言われた。

 

 これには様々な要因がある。

 

 ひとつは目は、人民軍が包囲を完了する前に脱出した数がかなりにのぼったこと。

 特に北九州市で顕著で、関門トンネルを人民軍が封鎖するまでに、国鉄が全力を挙げて市民の脱出を図った。

 最後の列車は事実上の装甲列車となり、人民軍の銃撃を受けながらのトンネル突入だった。

 

 ふたつ目は、人民軍の当初の仁政が、憲兵や兵隊の些細な横暴によって旧軍の悪しき幻影として支配領域の民心の面で崩壊したこと。

 

 みっつ目は、補給線が当初予定より細った事で、市民に十分な食料が配給されなくなったこと。

 

 よっつ目は、人民政府の手により帰りの輸送船で多くの人が満州に送られたこと。

 もちろん目的は、大陸日本での日本人人口拡大のためだ。

 彼らの宣伝によれば、非常に良い待遇を受けているらしい。

 

 そして五つめ目が、占領後の徒歩での脱出。

 これが最大派だった。

 食糧供給も後方への移送も難しくなると、情報漏洩の危険がないと判断されると、人民軍の側が戦線の隙間からの脱出を黙認するようになったのだ。

 この裏には、脱出民に紛れてスパイや特殊部隊兵を多数紛れ込ませる作戦もあったが、最大の原因は占領地の食糧不足を原因とする住民暴動を恐れたからだ。

 

 そしてすべての結果、人口密度が高い場所は占領地域にある炭坑と港湾部だけで、ほかは全くのゴーストタウンと化していた。

 北九州市の八幡製鉄所も完全に火が落ちて操業停止状態だ。

 こうなっては、高炉は作り直すぐらいの修理が必要だろう。

 対岸の下関市から見える景色は、鋼鉄の廃墟に他ならなかった。

 

 なお、博多、北九州、唐津など古い伝統を誇る北九州の街々の息吹が全く失われたが、戦後町の活力を再生できるのかが、双方の後方担当者にとっての最大の問題とすら言われていた。

 九州南部や中国地方などに逃れた難民対策も、政府の頭を悩ませていた。

 


 人民軍はそんな地獄に、半島からのわずかばかりの補給線を頼りに閉じこめられており、引くことも押すこともできないと国連軍は判断していた。

 米軍を中心に熱心な戦略爆撃と空母機動部隊による襲撃が行われていたからだ。

 

 しかし、今阿蘇山麓の地下要塞で向かい合っている二人の指揮官は、楽観からはほど遠かった。

 

 好々爺のように手をストーブであぶりながら、栗林が切り出した。

 

「来るかね、連中は」

「来ます。前線での動きはこの秋によく似ています」

「確かに船団が入ったという情報は来ているが、攻勢をかけられるほどなのかな。国連海軍の潜水艦が輸送船狩りをしている。ほかに見逃しているとは思えないんだが」

「食料を犠牲にしてでも、燃料と弾薬を持ち込んだんでしょう。もしかしたら増援も。食料の方は、攻勢の後にほったらかしの田んぼで収穫していたという住民の情報もあります」

「秋の攻勢も、熊本に集中した理由が収穫物が狙いだったていう噂もあるしなあ」


 ピーッ。

 栗林の言葉の最後をストーブ上のヤカンの沸騰を告げる音が遮った。

 

「おお、コーヒーが暖まったぞ。本場ものだ。我々が世界中とつながっている証だ。まあ、飲め。暖まるぞ」

「はい、いただきます。……確かに、補給体制の潤沢さは帝国陸軍時代とは天と地ほどの差ですね。この点だけは、アメリカに完敗だったとつくづく思い知らされますよ」


 ズズズッ。

 熱そうにコーヒーをすすりながら、島田が嘆息する。

 従兵も下がらせた栗林の個室なので、すべてセルフサービスだ。

 

 栗林も手酌でヤカンからスチール製のカップにコーヒーを注ぎながら話しを続ける。

 

「だが今は最も頼りになる同盟国だ。問題が皆無ではないが、一番日本で血も流してくれている」


 栗林はかつての事より今を重要視していた。

 そのままの少し重い口調でかたり続ける。

 

「で、前線の様子はそれほど慌ただしいか。第一騎兵からは変化なしという報告しか上がってないぞ」

「あっちは沿岸部ですからね。しかし、内陸寄りの第五師団ではそう思ってないようです。それで、師団司令部の人間が離れるわけにいかないという事で、後方で待機している私にお鉢が回ってきたしだいです。ご迷惑かと思いますが、しばらくおつき合いください」

「相変わらず、私は将校から嫌われてるなあ。君も貧乏くじだな、こちらこそお察しするよ」

「恐縮です総司令」


 自分の振る舞いを自ら笑った栗林に応えた島田は、敵が動き出す兆候を話した。

 

 特に島田の報告は、後方待機ということで時間的ゆとりがあったことから、前線の将兵からも多数の言葉を聞いているだけに真実みを帯びていた。

 同じ戦車兵同士という、階級を越えたネットワークも有効だった。

 

 そうした報告書にはない情報を彼が話し終わるのを待って、栗林が言葉の爆弾を投げ込んだ。

 

「概要はだいたいわかった。だが、それだけでは済みそうにないぞ」

「と申されますと」

「ウン。司令部直属の地元出身で固めた長距離偵察隊がついさっき戻ってきたんだ。で、彼らが見たものが正しければ、虎が出てくる」

「西少将の重戦車旅団ですか……戻ってきてたんだ」


 島田は絶句してしまった。

 開戦当初の彼らの活躍、そして恐ろしさは現地で戦う敵味方双方にとっての語りぐさだった。

 

 小山のようなドイツ製の重戦車と空想科学小説から飛び出してきたようなソ連製の戦車が、アメリカから供与された第四師団の戦車連隊に属するM4の群を手もなく粉砕した事は、同じ戦車乗りとして恐怖以上の何かだった。

 

 だが、開戦当初猛威を振るった後、凱旋パレードのため満州に引き揚げたと残地諜者から報告があった。

 事実、博多占領のパレードを新京で行っている姿を捉えたニュース映画も入手された。

 彼らの大本営発表並の下品な放送もそう言っていた。

 

 だがそれは、ダミーか別の部隊だったのかもしれない。

 それともアメリカの爆撃で吹き飛ばされた部隊の変わりがないので、再び舞い戻ったのかもしれない。

 真実は、向こう側に聞くしかないだろう。

 どちらにせよ、北九州に陣取っているという事だ。

 

 加えて言えば、米軍偵察機が見落とすことなど日常茶飯事だった。

 その点に関しては今さら驚くまでもない。

 だが、重戦車旅団の再出現は十分驚きに値した。

 

 そんな思いが顔に出たのか、栗林がコーヒーをすすりながら質問した。

 

「どうかね島田君。君の戦車隊で防げるかね」

「人として正直になって構いませんか?」


 島田は答え、黙ってうなづく栗林を確認すると言葉を重ねる。

 曰く、「出会ったら即、尻に帆かけて逃げたいですね」。

 あまりにアッケラカンと言ったので、聞いた栗林は口にしていたコーヒーを噴き出しそうになった。

 そしてそれを回避すると、そのまま苦しそうに笑った。

 

「そりゃいい。私もごいっしょしていいかい」


 そして二人して大笑いした。

 恐らく扉の向こうの従兵はおかしな顔をしている事だろう。

 ウチの将軍はついに頭のネジが緩んでしまったのかと。

 

 だが、二人とも全く別の意味で本気だった。

 逃げることができないのも理解している。

 だから一通り笑い終えると、島田が決然と口火を切った。

 

「閣下、我々は悪戦します。後方から新しい玩具もいくつかもらいました。易々と突破は許しません。ですから、我々が止めている間に、爆撃と砲撃で何とかしてください」


 そして島田は最後にこう続けた。

 

 場合によっては、我々ごと吹き飛ばしていただいても結構です。

 西さんの部隊を吹き飛ばせばこの冬は乗り切れるでしょう、と。

 


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