13.敵襲
タンッ
それは突然だった。
軽い音と共に、馬車のドアに手をかけた青葉の手もとすれすれに矢が刺さったのだ。
野営の片づけをして、そろそろ出発しようかと言う時。
「アオバ様!!」
「アオバ様大丈夫ですか?!」
完全に油断していた。
これはキースの落ち度だ。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと驚いただけ。掠ってもいないし……」
そう答える青葉の顔色はさすがに悪い。
当たり前だ。
青葉がいた世界は優しい世界だった。
矢が飛んでくるなどあり得る事ではない。
「とにかく中へ」
キースがそう言って、青葉をその腕の中に隠すようにしながら、馬車の中へ連れ込む。
「ここから動かないでください。……アオバ様?」
「あ…… うん。分かった。とにかく動かないようにするよ」
そう言って無理やり笑顔らしきものを作る。
キースはかえってその笑顔が悲しいと思った。
と、同時に青葉の手先がわずかに震えていることにも気付く。
「アオバ様……」
「大丈夫。大丈夫だだから。外、アデリナだけでしょ?早く行ってあげて」
「……とにかく状況を見てきます」
それだけ言ってキースは馬車を出る。
どんな時にも笑顔を崩さない、人を気遣える聖女。
それでも、一本の矢に震える若い女性だったのだ。
その事に改めて気付かされたキースは、アデリナの元に走った。
「アデリナ! 敵は?!」
「遠方からの射撃のようです。確認できませんでした…… 風の精霊魔法使いを連れてくれば……」
「そうか。……いない者は仕方ない。それよりアオバ様が震えていらっしゃった。側に行って欲しい」
「……? その震えているアオバ様を置いて、隊長は何でこんな所にるんですか?!」
「い、いや側にいるなら女性の方が……」
その返答を聞いたアデリナが切れた。
「このヘタレ!」
キースには反論の余地は無かった。
「アオバ様?」
アデリナが馬車に入ると、青葉は座ったまま膝に突っ伏して震えているようだった。
「アオバ様、もう大丈夫です。近くには敵はいませんし隊長はアレでも剣の腕は確かで…… アオバ様?」
アデリナが声をかけても反応のない青葉。
いや、肩の震えは大きくなっていく。
「ぷっは、あははっははははっ、へ、ヘタレってアデリナ、ぷくくくそんなホントの事……っ!」
顔を上げた青葉は涙を流して笑っていた。
「聞こえてましたか……」
「そりゃね― 結構馬車の近くで話してたじゃん。聞こえるって。あ―おかしい」
涙を拭きながら、それでもまだ時々外に視線を向けながら笑っている。
アデリナはそんな青葉を微笑ましく見ながら、矢で狙われたショックが残っていない事に安心する。
「……アオバ様、お怪我は本当に無いんですよね?」
「あ? ああ、うんないよ。全然平気。ちょっとびっくりしただけ。や―それでもヘタレの方がびっくりしたかも」
そう言ってまた笑う。
「アオバ様? 怪我の方は笑い事じゃないんですけどね」
「いいのいいの。昨日からキースが変だったじゃない? 多分こんなこと予測の範囲内だったと思うよ?」
「隊長が?本当ですか」
「アデリナは気が付かなかった? 何かどこか緊張してると言うか……」
「気付きませんでした。申し訳ありません……」
「あ、いや謝ることでは無くて」
「それで、隊長はアオバ様に気をつけるようにとか警告を?」
「ん?別に何も。そもそも気付かれてると思ってないんじゃないかな?」
「……やっぱりヘタレですね隊長」
きりきりと眉根を寄せるアデリナ。
がしっと青葉の肩を掴む。
「アオバ様、今後そのような気配を隊長から感じた場合私にもお知らせください」
「わ、分かった。ちょーっと落ち着こうかなアデリナ」
その勢いに圧され気味な青葉は、ポンポンとアデリナの背を叩く。
「とにかく、キースを呼んでくれるかな。今なら事情を話してくれえるかもしれないし」
「分かりました。あのヘタレを連れてまいります」
そう言って馬車から出るアデリナ。
アデリナが出て行った後、大きく息を吐く青葉。
椅子の背に体重を預けて力を抜く。
「は――――」
矢での襲撃は、さすがの青葉でも恐怖を感じるものだった。
アデリナは誤魔化せたような気がする。
でもキースの時は直後だったので、震えていたのはばれただろう。
たとえ相手が誰であろうと弱いところを見せたくは無い。
あれは失態だったと唇をかむ。
「まぁ、見られた所であのコミュ障が人に話しはしないか……」
青葉の呟きは、やっぱりキースに厳しい物だった。
「アオバ様、お呼びと聞きましたが……」
そう言って遠慮がちに馬車の扉がノックされる。
「いやその、お呼びと言うか……」
またしても、の姫扱いに青葉のストレス係数が上がる。
「とにかく入って。ドア越しじゃ話もできないわ」
「失礼します」
と、一礼して馬車に入ってくるキース。
その騎士然とした振る舞いに、更に青葉にため息は深くなる。
「アデリナは?」
「外の警護をしております」
「うーん、三人で話したい時はどうしたらいいの?」
「……敵がいる事が判明した以上、三人で集まることは避けた方がよろしいかと思いますが」
「……でも敵がいる事が分かったのは、今じゃないよね」
青葉はまた、まっすぐにキースの目を見る。
やっぱり瞳孔は大きい。
敵襲の後だからと言えばそうかもしれないが、それだけではないと青葉は思った。
「義倉を開けたって言ってたね…… 義倉なんて制度があったのも驚いたけど」
「……はい。そのおかげでアデリナの同行がかないました。でもそれが今回の敵襲と関係は……?」
「ホントに無いと思ってるの? じゃぁ今回の敵に心当たりがあるってことね」
「アオバ様? 何故そう思うのですか?私は別に心当たりなど……」
「うそ。私に嘘や隠し事はしないでって最初に言ったじゃない。誰を信用したらいいか分からなくなるって。……最初は義倉を開ける権限のある領主とかが私を狙っているのかと思ったの。私が雨を降らせたら義倉にため込んでいる食料の値段は暴落するでしょう?そのせいかなって。だけどキースがそれに気付かない訳ないよね。だったらキースは他に明確な『敵』の心当たりがあるってことだわ」
青葉の追及は容赦なかった。
事実その通りだったのだ。
「アオバ様……」
「今朝、時が来たら話してくれるって言ったよね。……ちょっと早かったけど時って襲撃が来たらって意味だったんじゃないの? だったらもう、話してくれてもいいんじゃない?」
青葉は、キースの隠し事は敵襲の事と思っている。
キースはそっと息を吐いた。
聖女の犠牲の事を気付かれた訳ではない。
しかし、この場をどう逃げるか、自分のコミュニケーションスキルが低い事を自覚しているキースには難題だった。
「キース?『敵』って誰? 私は誰から狙われているの?」
「……アオバ様…… 敵、と言うか今回の襲撃はおそらく…… ヴィクトル様の母君、正妃エルヴィラ様とその兄、宰相のラザレス卿の手の者かと思われます……」
「正妃? 王宮に行った聖女の教育をしていると聞いた正妃が何故……?」
「…………それは……」
自分が王家の血を引くとは、言えないキース。
それはすでに捨てたものだ。
「些細な問題ではあるのですが、現在国王には王子が二人居ります。ヴィクトル様が立太子として立たれたので次期国王は決定しているのですが、未だに第二王子を押す一派もおります」
「え……? この国一大事にお家騒動?」
「その様な物ですね。神殿は元々第二王子を圧しておりましたので、神殿側の聖女――アオバ様が国を救うとヴィクトル様のお立場が悪くなるとでも考えたのでしょう」
「うっわー 呆れた。そんなの誰がやってもいいじゃない! って言うか、手伝ってくれてもよさそうな立場の人が!」
背中に汗が流れる、という感覚を久しぶりに感じるキース。
青葉に隠し事はやはりつらい。
けれど、知られたくは無かった。
自分が第二王子だと知られて、態度が変わらなかった人はいなかった。
王子でない自分を知ってほしいと心の片隅で思った事は、キース自身も気付かない程小さな感情だった。
「で。どうするのキース。このまま狙われながら旅をするのは難しいでしょう?」
「そうですね…… 次の街で神殿騎士を借りるか…… いっそここで罠をかけるか」
「……面白そうね」
罠をかけるか、と言った時の青葉は、とても襲われる予定の本人とは思えない程楽しそうだった。
それから三人は、予定通り次の街へ馬車を走らせながら作戦会議をする。
今回、青葉の乗る馬車の御者はキースだ。
アデリナは馴染んだ槍を片手に持ったまま、馬を駆る。
荷物を乗せた小さな馬車は、青葉の乗る馬車につなげられている。
それほど警戒の必要な敵なのだろうか、と若干不安になる青葉。
しかし青葉も今回は参加する気満々だ。
神殿の神官長が貸してくれた青い石のついたロットを握り締めている。
銘は『アクアアルカナ』。
実戦に持ち出すことは初めてだが、降雨の祈りでは何度か使っている。
その効果も。
感想は「こんな危険物を気軽に貸し出すな」だった。
「……来るならさっさと来い」
呟く青葉はヤル気に溢れていた。




