エピローグ いつか、天空の都へ
視線をこっちに戻すと、サーラがデュラムに呼ばれて泉の向こうへ行くところだった。その背中を、おっさんが顎鬚なでつつ見送ってる。
「デュラム君? あたしに話って、何?」
「いえ、大したことでは。あなたや……後でメリックにも、見せたいものがあるだけです」
サーラの後ろ姿が遠ざかると、おっさんが俺に笑顔を向けてきた。悪意も邪気もねえ、満面の笑みだ。
「これから、どうするつもりかね?」
もうこの先の話をするなんて、気の早い人……もとい、気の早い神様だぜ。
「そうだな――」
俺はちょっと考えて、思いついたことを口にした。
「とりあえず、一旦故郷に帰ろうと思ってる」
噂に聞いたところでは――イグニッサ王国じゃ、俺が出奔してほどなく、兄貴が王になったらしい。上手くやれてるかどうか、様子を見にいこうと思うんだ。
もっとも、俺は親父の跡目争いに嫌気がさして、勝手に故郷を飛び出した身だ。堂々と帰ったりすりゃ、兄貴や妹は俺をののしるだろうな。「今さらどの面下げて帰ってきた!」ってさ。
……それでも。
こっそり帰って、親父の墓前に花を一束、たむけてやりてえ。それから、どうにかして兄貴と妹に、親父の仇が死んだってことを伝えてえんだ。
「もちろん、デュラムやサーラが『いい』って言えば、だけどな」
そう言って、俺は泉の向こうにいる二人を見た。
デュラムは泉に両手を浸して、涼をとってる。サーラは木陰に腰を下ろし、何やらきらきら光るもんをいじってた。デュラムから、何かもらったらしい。
今日はあの二人を、さんざん俺の我がままにつき合わせちまったんだ。そのうえ相談もせずに、里帰りにつき合えなんてことは言えねえ。そんなのは……無礼だ。
「ふむ、そうかね」
神は、「そうしたまえ」とも「やめたまえ」とも言わず、自分の未来について自分で考え、自分で決める権利を、俺の手にゆだねてくれた。
「あなた、そろそろ戻りませんこと? わたくしたちの都に」
「うむ……そうだな」
リアルナさんに急かされて、おっさんは重い腰を上げた。外套を左右に払い、背筋を伸ばす。
「メラルカのことは、私に任せてくれたまえ」
と、おっさんが言うのを聞いて、はっとした。
……そうだ。カリコー・ルカリコンの背後で糸を引いてた、あの火の神。魔法使いに神授の武器を集めさせて、一体何をしようとしてたんだろうか。
おっさんにその疑問をぶつけてみたが、神々の王はかぶりを振った。
「それは、私にもわからん。だが、あやつは必ずひっ捕らえて、真相を吐かせるつもりだ」
「……そっか。わかったぜ」
メラルカについちゃ、何をたくらんでるかってことはもちろん、どこへ姿をくらませたのかさえ、俺たち地上の種族にゃつかみようがねえ。
蛇の道は蛇、竜の道は竜。神のことは、神に任せた方がよさそうだ。
それより、今はもっと聞きてえことがある。何より一番知りてえのは、
「ところでさ……俺たち、もう会えねえのか?」
ってことだ。
姫さんは俺と同じ人間だから、生きてりゃそのうちばったり再会するってこともあるだろう。けど、おっさんは神様だ。リアルナさんも、アステルも――。
神と人間が、そうあっさり再会できるとは思えねえ。
「もう二度と、お会いにならない方が身のためかもしれませんわよ? フランメリック様」
リアルナさんが、冷笑して言った。
「主人も含めて、神々は皆、気まぐれですもの。手にのせて愛しげに眺めていた硝子細工を、次の瞬間には『もう見飽きた』と言って、ぐしゃりと握り潰してしまう――なんてことはよくある話ですのよ? 主人も今度あなたとお会いしたときは、まるで掌を返したように、あなたを潰しにかかるかも……?」
「そうなったら、受けて立つぜ。相手にとって不足はねえ」
この先、神々が俺たちの敵になるなら、そのときは迷わねえ。デュラムやサーラと力を合わせて、真っ向から立ち向かうまでだ。たとえどんな結果になろうとも、俺たち地上の種族は神が思うほどやわじゃねえってことを、思い知らせてやる。
「けど……できることならおっさん、あんたとは戦いたくねえな」
俺は言った。
「あんたは俺たちの……命の恩人だから」
それに、神も無慈悲な奴ばかりじゃねえって、わかったからな。神々の中にゃ、アステルや森の神、大地の女神や水の女神みてえに、俺たちに好意を示してくれる奴もいる。今回の一件で、地上の種族について、いくらか考えを改めた奴もいるようだ。
おっさんも含めて、そういう神様とは戦いたくねえ。
「さて、どうだろう?」
神々の王は、顎鬚なでて苦笑した。
「我らとて、未来のすべてを見通せるわけではないのでな。君たちと再び会えるかどうか……もし会えたとしても、そのとき我らが君たちの敵に回るか味方につくかなど、わかるものではない。だが……」
一旦言葉を切って、俺をじっと見つめるおっさん。
「願わくば、またいつか――ここではない、どこかで。そのときは、君たちと焚き火を囲んで、冒険の浪漫について、思う存分語り明かしたいものだな」
おっさんの背後で、二人の神が笑みを浮かべる。
「では――ごめんあそばせ、フランメリック様」
リアルナさんは、冷ややかな微笑を。
「フランメリックさん……他のお二人も、お元気で」
アステルは、温かな微笑みを。
「メリーック! 見て見て♪」
泉の向こうで、サーラが呼んでる。なんだか口調がうきうきしてるし、表情も溌溂としてる。右脚を軸にくるんと一回転なんかして、さっきまでの疲れた様子が嘘みてえだ。
「一体どうしたってんだよ?」
立ち上がって、そうたずねる。
疲れが吹っ飛んじまうような、嬉しいことでもあったんだろうか。
「ふふーん♪ 驚かないでよ――じゃーん♪」
声を弾ませ、生き生きした様子のサーラが両手で広げてみせたのは、大粒の金剛石をいくつもちりばめた首飾り。愛と美の女神ウェルナが首にかけたって恥ずかしくねえような逸品だ。
それだけじゃねえ。魔女っ子の足下にゃ荷袋があって、開いた口から金銀宝石の類が今にもこぼれ出そうになってる。
「そいつは……もしかして、竜のまわりにちらばってたお宝か?」
「ええ、そうよ♪」
と、さっぱりした笑顔で答えるサーラ。きれいな装身具や宝石を見てはしゃぐなんて、そういうところは普通の女の子と変わらねえんだな、あいつも。
「あの大広間を出るとき、デュラム君がこの袋に詰め込んで、持ってきてくれたの。町に戻ったら売ってお金に換えるけど、その前にあたしやメリックにも見てもらいたいって!」
「デュラムがそう言ってたのか? あいつ、しっかり〈樹海宮〉のお宝、いただいてやがったのかよ……」
すました顔して、意外とちゃっかりしてやがる。
「勘違いするな、メリック。私は黄金や宝石など、ありきたりな宝に興味はない」
首飾りと一緒にきらきら輝いてる魔女っ子の傍らで、デュラムが言った。俺と目が合うと、照れを隠すように、ぷいっとそっぽを向きやがる。それから、目だけをこっちへ向けて、こうつけ加えた。
「だが……そんながらくたでも、売れば路銀の足しにはなるからな。それで貴様やサーラさんが喜ぶなら、持っていくのもいいだろう――そう思っただけだ」
デュラムの奴、そんな回りくどい言い方しなくても、俺やサーラを喜ばせたかったって率直に言えばいいのに。素直じゃねえな、本当に。
「――いい仲間を持ったな、メリッ君」
背後から、そんなおっさんの声が聞こえてきた。
「大切にしたまえ。君があの魔法使いを倒すことができたのも、妖精君とお嬢さん――二人の助けがあればこそだろう。我らなどより、よほど信じるに値する者たちかもしれんぞ?」
「ああ! おっさんにも――」
俺はくるっと振り返り、
――いい家族がいるじゃねえか。
そう続けようとして、口をつぐんだ。
振り返ったとき、おっさんやリアルナさん、アステルたち神々の姿は、跡形もなかったんだ。
途端にあたりが静まり返る。聞こえるのは風のささやきと木の葉のざわめき――それだけだ。
「もう、行っちまったのか……」
この先、また会うことがあるかどうか。そいつは、それこそ「神のみぞ知る」だろう。
「……見て」
サーラが、木々の間から見える蒼穹を指差した。
「――?」
魔女っ子が指差した先には、でっかい雲が一つ、ぽっかりと浮かんでた。真っ白で、雄大で、目を奪われるほど神々しい。
その後ろから、ゆっくりと姿を現したのは、岩山を丸ごと一つひっくり返したかのような、でっかい、でっかい一枚岩。ずんぐりした船のようにも見える、その巨岩の上にゃ、凸凹つきの城壁が三重にめぐらされ、立ち並ぶ館や、無数にそびえるとんがり屋根の塔を守ってる。
鏡のように磨き上げられた、大理石の城壁。軒を連ねる館の壁は、染み一つ見えねえ純白。
窓にはめられた何百もの硝子板は、空の色を映してどこまでも青い。
――それは、天空に浮かぶ城塞都市だった。
「夢でも見てるのか……?」
何度も目を擦り、ほっぺたもつねってみたが、夢から覚める気配はねえ。
これは夢なんかじゃねえ。今、俺たちは確かに見てるんだ。神々が住まう白亜の町、天空の都ソランスカイアを。
都から風に乗って、こんな歌が聞こえてきた。
「赤き瞳の冒険者、此度、数多の苦難に見舞われたり。
立ちはだかるは狼の姫、我らが女王、群れなす魔物、赤き長衣の魔法使い。
苦難の果てに冒険者、共に旅する二人の仲間、妖精と魔女の力を借りて、
たぶらかされし姫君助け、悪しき魔法使いを打ち倒す。
そは大いなる偉業にあらず、ささやかなる善行なり。
されど我ら奇遇にも、かの地に降りて遊びし折、この目でしかと見届けたり。
群がる魔物蹴散らして、我らが女王さえも退ける、あっぱれ見事な戦いぶり。
いざ我ら、こぞりて称え、歌おうぞ。
赤き瞳の冒険者、フランメリックとその仲間、妖精と魔女のいさおしを――!」
まったくもって唐突だが――神々の歌を聴くうちに、俺の脳裏に、ある考えが浮かんできた。
いつか、行けるもんならあの町へ――神々の都へ行ってみてえ。そしてもう一度、おっさんたち神々に会いてえな。
笑って話したいことや真顔で聞きてえこと、怒りに任せて言ってやりたいことが、たくさんあるんだ。
もっとも、俺たち地上の種族が空に浮いてる町へ行くなんざ、一体どうすりゃできるのか、剣術馬鹿の俺には見当もつかねえ。
フェルナース大陸には、天翔ける絨毯や空中を走る二輪戦車、雲の上を進む船といった、空飛ぶ魔法のお宝にまつわる神話や伝説が星の数ほどある。これからの旅の道中、その手の伝承について調べてみりゃ、何かいい方法が見つかるだろうか。
……へっ。俺がこんなことを考えてるって知ったら、デュラムやサーラはなんて言うだろうな。この森を出て、地上の住人たちが住む町に戻ったら、あいつらにも話してみよう。様々な種族が集う居酒屋で、香辛料がきいた骨つき肉と、甘い蜂蜜酒でも味わいながら。
馬鹿なことを言うなって、呆れた顔をされちまうかもしれねえ。それでも……。
いつか行ってみてえな、あの魔法の町へ。
おっさんたちフェルナース大陸の神々が住む都、ソランスカイアへ。




