第68話 次に会うときにゃ、その格好は
「……終わった……のか?」
神々と竜の戦いを遠巻きに見守ってた俺は、竜が息絶えるのを見届けた後、ほっと胸をなで下ろした。
緊張の糸がぷつりと切れ、代わりに疲労の波が押し寄せてくる。思わずその場に、へなへなとへたり込んじまった。
せっかく腰を下ろしたんだから、このままばたんと後ろに倒れて寝転んじまおう。なにしろ今日は一日中、冒険三昧だったからな。姫さん率いる戦士たちとの戦いから始まって、〈樹海宮〉の罠や仕掛けを突破し、地下の大広間で姫さんと対決。その後、魔法使いが召喚した魔物たちと戦い、リアルナさんとも勝負して、一息つく間もなく魔法使いとの決戦。そして最後は火を噴く竜からの逃走劇……。
もう、冗談抜きでくたくただ。明日は間違いなく、体の節々が痛むだろう。
けど、気分はそんなに悪くねえ。親父の仇をぶっ飛ばして、この三年間引きずってきた過去と決着をつけることができた。それに何より、フォレストラ王国の王女様に、親父と同じ運命をたどらせずに済んだしな。ただの自己満足かもしれねえが、俺のやったことは無駄じゃねえ――とりあえず、今はそう思いてえな。
寝転がってそんなことを考えてると、傍らで人の気配がした。
「――異国人」
姫さんだ。くびれた腰に左手を当て、狼の毛皮を揺らして、こっちを見下ろしてる。
まさか、また戦うつもりかよ? 一瞬そんなことを考えたが、どうやら違うみてえだ。
「その……少し、話がある。隣に座ってもいいか?」
フォレストラ王国の王女様は、俺から微妙に視線をそらして、ぶっきらぼうにたずねてくる。
「――別に、構わねえぜ」
投げやり気味に答えると、姫さんは言葉通り、俺の傍らに腰を下ろした。膝を抱えて眉根を寄せ、じっと前をにらむ。何から話そうか考えてる、そんな顔だ。
「……お前には、世話になった。いや、借りができたと言うべきか」
多分、大広間でのことを言ってるんだろう。
「俺は、何もしてねえよ」
あえて言うなら、姫さんを突き飛ばして、魔法使いの火の玉から遠ざけてやったくらいだ。その前に、ちょっとなぐさめたりしたような気もするが、よく覚えてねえや。
それにこの姫さんは、疲れきったサーラを二輪戦車に乗っけてくれた。俺の仲間を、助けてくれたんだ。なら、それで貸し借りなしじゃねえか。
だが、姫さんは「謙遜するな」と言って、俺を見る。
「お前とは、いずれ日を改めて、また会いたいものだ。借りを返すためにもな」
「そのうち会えるって。神々が、そうなるよう運命を定めてくれりゃあな」
俺は、向こうにいる神々を見やって、気軽に答える。すると姫さんは、なぜだかちょっと気を悪くした様子で、
「こういうときくらい、神々は脇に置いてもいいだろう」
と、口を尖らせて、罰当たりなことを呟いた。
「神意は関係ない。私とお前の意思で、またいつか会おう。必ず――約束だ」
「え――えぇえぇっ?」
姫さんと俺の意思で? そんなの勝手に決められちゃ困るって! 俺はこの人のこと、別にどうこう思ってるわけじゃねえのに……。
俺があたふた取り乱すのを見て、姫さんは目を細めた。口許を隠して、くすくす笑う。
「冗談だ、冗談。面白い男だな、お前は。からかい甲斐がある」
「ひでえな、冗談かよ!」
この姫さん、意地悪だ! まあ……こんなきれいな人となら、もう一度くらい、別のときに、他の場所で会ってみてえとか、そんな気もするけどさ。
「けど、次に会うときにゃ、その格好はやめてくれねえか?」
「何?」
きょとんとする姫さん。
「ほら、その格好。人の好みをどうこう言うつもりはねえが……一日中そんな格好してちゃ、風邪引くぜ?」
姫さんの、水着みてえな革鎧のことを言ってるんだ。今まで、なるべく触れねえようにしてたんだが……はっきり言ってきわどすぎる。目のやり場に困って仕方ねえ。この人と戦ってるとき、何度視線をそらしたことか。なんていうか、その……俺も一応、男だからな。
だが、姫さんは俺が何を言いてえのか、すぐには理解しかねたようだ。自分の胸元を見下ろした後、さらに視線を下げていく。革鎧に覆われた胸の谷間から、きめ細やかな腹を経て、紐みてえな下穿きはいた下半身へ……。
「……!」
フォレストラ王国の王女様は、そこでようやく、俺の言いてえことに気づいたようだ。羽織ってた狼の毛皮を、がばっと胸元でかき合わせ、きれいな顔を林檎と見紛うばかりに赤くする。
「ぶっ、ぶぶぶ、無礼なことを言うなっ!」
今度は姫さんが取り乱す番だった。
「こっ、これは南方渡りの流行の型で、動きやすさを極限まで重視した革鎧なのだっ!」
と、必死になって言い訳する。こういうところは、普通の女の子と同じだな。
「流行りに流されるようじゃ、おしまいだぜ?」
俺がぼそっとつぶやくと、
「言ってはならないことを言ったな、異国人~~~っ!」
姫さんが叫び、俺にのしかかってきた! ほっぺたをつかまれ、ぎゅうぎゅう引っ張られて……いぃててててっ!
「このこのっ! 森の神ガレッセオにかけて、今の発言、取り消せっ!」
「いへえ、いへえよひへはん!」
訳すと「痛え、痛えよ姫さん!」だ。
「『姫さん』と呼ぶな、この異国人がっ! えーい、こうしてやるっ!」
「いぃてえええ!」
そんなふうに、二人して暴れてると、足音が近づいてきた。
「ちょっと、そこの露出過剰な王女様! あたしのメリックに手を出さないで!」
誰かと思えば、魔女っ子だ。腰に両手を当て、ふっくら焼けた小麦菓子みてえなふくれっ面して、俺と姫さんの前に立ちはだかる。
「サーラ? お前、疲れてるんじゃねえのか?」
「もっちろん! これ以上ないってくらい疲れてるわよ! もう、ふっらふらのくったくた! けど、こーんないやらしい格好した王女様があなたを襲ってるのを見ちゃ、ぐったり伸びてるわけにもいかないでしょ?」
「お、襲うだと? 私はただ、この異国人の無礼に我慢がならなかっただけだっ! お前こそ、なぜそこまでこの男を気にかけるっ?」
「あら。メリックはあたしの弟分なのよ。変な虫がつかないように見張るのは当然でしょ?」
「お前っ! 今、この私を『虫』と言ったなっ?」
「ええ♪ 言ったけど気に障ったかしら、フォレストラ王国の王女様?」
「おのれ許さんっ! ガレッセオにかけて決闘だ、覚悟しろっ!」
「上等! チャパシャ様にかけて、受けて立とうじゃない!」
激突、魔女っ子対王女様。サーラと姫さんは「んんん~っ!」とにらめっこをした後、ぷいっとそっぽを向き合った。この二人、今までろくに言葉を交わす機会がなかったが、いざ顔を合わせてみると相性最悪だな。おかげで間に挟まれた俺はいい迷惑、居心地悪いのなんのって。
「い、いやサーラ、俺はお前の弟分じゃねえんだが……」
と、控え目に突っ込みを入れてみたところ、
「メリックは黙ってなさい!」
「異国人は引っ込んでいろっ!」
と、案の定、左右両方から怒鳴られる羽目に。とほほだぜ……。
神々が仲裁してくれねえかと期待してみたが、天上の権力者たちにゃ、そんな気は毛頭なさそうだ。森の神と水の女神にいたっては、二人の決闘を止めるどころか、早く始めろとばかりにはやし立ててくださりやがる。
「おうおう、決闘だぁ決闘! 俺様が立会い人になってやるから遠慮なくやりなぁ!」
「勝った人には~、一口飲めばすっきり爽快、疲労回復♪ 魔法のお水をあげちゃうよ~♪」
ったく……いい気なもんだぜ、神様は。
どうしたもんかと途方に暮れてると、救いの神が現れた。
「やあ――まぶしいな、君たち。私とセフィーヌの若い頃を見るようだ」
「……! 神々っ!」
姫さんが、泡を食ったような顔して身を起こし、おっさんたち――リアルナさんやアステル、他の神々も一緒だった――の方へと向き直った。
「で、では私はこれでっ……さらばだ、異国人っ!」
神々への挨拶もそこそこに、そそくさと退散しようとする姫さん。その背中に、おっさんが声をかけた。
「待ちたまえ、ウルフェイナ王女」
フォレストラ王国の王女様はびくっと立ち止まり、いかにも恐る恐るといった様子で、ゆっくりと振り返る。
そんな姫さんを安心させるように、おっさんは穏やかな口調でこう言った。
「急いでおるときこそ回り道をした方が、意外に早くめざす場所にたどり着くものだ。それに、君はまだ若い。手っ取り早い解決の道など探さず、じっくり時間をかけて考えたまえ――君の国を守り、民を救う術をな」
何か心に響くもんがあったのか、姫さんがはっと真顔になる。いずまいを正し、天上の権力者たちに、鮮やかな一礼を披露した。
「――ご忠告、ありがたく承る。偉大なる神々の王とそのご家族、並びに臣下の方々よ」
去り際に、姫さんは一度だけこっちを振り返り、声を張り上げた。
「神々にかけて、また会おうっ! フランメラルドの息子フランメリック! それまで私の名を――〈熊王〉ベアトリウスが娘、〈狼姫〉ウルフェイナの名を忘れるなっ!」
それを聞いて、思わずほっぺたが緩んだ。〈樹海宮〉の大広間で一回だけ名乗ったんだが、姫さん、しっかり記憶してくれてたらしい。それだけのことなのに、なぜだか嬉しい。今までさんざん異国人呼ばわりされてたからだろうな、きっと。
「ああ。また会おうぜ姫さん、神々にかけて!」
ひらひらと手を振って、去っていく姫さん。その周囲に、配下の戦士たちが集まってきた。おっさんが言ってた通り、全員無事だったみてえだ。
姫さんはたちまち囲まれて、もみくちゃにされる。
「姫様、よくぞご無事で!」
「あの竜は、一体……?」
「宮廷魔法使い殿は……カリコー・ルカリコン殿は、いずこに?」
そんなにぎやかな声が、風に乗って聞こえてくる。
……へっ、なんだよ姫さん。あんな奴がいなくたって、あんたを大切に思ってる奴なら大勢いるじゃねえか。




