第62話 あきらめてはいかん、メリッ君!
「カリコー・ルカリコン!」
「殿下あぁッ!」
俺が向かってくるのを見て、魔法使いが絶叫した。顔を怒りで真っ赤に染め、〈焼魔の杖〉をこっちに向ける。
……神授の武器、か。俺たちがシルヴァルトの森に入って、この〈樹海宮〉まで来たのは、元はと言えば、あれを手に入れるためだったんだよな。
けど……今となっちゃ、どうでもいい代物だ。
「その魔法は、いい加減見飽きたっての!」
速度を落とさず、素早く腰を落として滑り込み! すっ飛んできた火球の下を擦り抜けて、魔法使いの足下へとたどり着く。脚のばねを使って跳ね起きるなり、剣を下からすくい上げるように振り上げた。
この一撃で、あいつの手中から神授の武器を弾き飛ばす――つもりだったんだが。
「甘いですな、殿下!」
魔法使いの奴、負けじと〈焼魔の杖〉を振りかぶり、力任せに打ち下ろしてきやがった。
柄に巻きつき、先端の紅玉にかじりつく真っ赤な竜。その頭が、俺の剣と激突し――。
「お、重てえ……!」
とんでもねえ力が、両腕にかかった。たちまち肘と肩が悲鳴を上げて、膝が俺の意思と関係なく折れ曲がる。まるで天空を支える巨人にでもなった気分だ。こめかみから顎へと汗が伝う。食いしばった歯と歯が軋り、その隙間をうめき声が擦り抜けた。
これは……魔法か? 神授の武器が、カリコー・ルカリコンにこれだけの力を与えてやがるのか。このままじゃ、足が床を踏み抜いちまう。いや、その前に膝が砕けるかもしれねえ。
「残念でしたな殿下。私を倒して、めでたしめでたし、幸せな終幕――そう上手くいくと思いましたか? そのようなことは、神々が許しても私が許しませんよ」
魔法使いが、俺にぐっと顔を近づけてきて、悪意に満ちた言葉をささやく。
「私を打ち倒して、英雄にでもなるおつもりですかな、殿下? だとすれば、これほど滑稽な話はありませんよ……」
「な、に……?」
「貴方は到底、英雄などと呼べる方ではありますまい。剣術に秀でておられるとはいえ、ただそれだけのこと。魔法を使えるわけでなし、他人を惹きつける魅力を持っておられるわけでもなし。いつもやたらと忘れっぽく、転んでばかりの間抜けなお方――それが貴方ですよ。そのような凡人が、メラルカ様の加護を受け、神授の武器を手にしたこの私に、太刀打ちできるとでも?」
……確かに、俺は英雄なんかじゃねえ。たまたま神々の王に興味を持たれて、この二日間、あの神様と一緒に旅することになっただけの、ただの人間だ。素性にしても、三年前まで王子だったって一点を除けば、特別なことなんざ何もねえ。
俺が動揺してるように見えたのか、魔法使いが得たりとばかりに口の端をつり上げる。
「それに、考えてもごらんなさい。この場は人里離れた森の中、光も届かぬ地の底ですよ? 万が一、貴方が私を倒したとしても、一体誰が殿下の武勲を讃えるのです? 貴方の英雄譚は羽根筆で羊皮紙に記されることもなければ、竪琴を弾く吟遊詩人によって語られることもない。骨折り損のくたびれもうけもいいところですよ」
「――」
「私と手を組み、我が主にお仕えする気はありませんかな、殿下? メラルカ様の寵愛を得ることができれば、あの方は殿下を英雄にしてくださるでしょう。その程度、神であるメラルカ様にとっては雑作もないこと……」
「俺は英雄なんかにゃならねえ!」
耳にどろりと滴る、蜂蜜酒みてえに甘い誘惑の言葉を、俺は跳ねつけた。
こいつは放っておいたら、この先も今までと同じことを繰り返す。またどこかの国の王族に取り入り、利用して、用済みになった途端、裏切って殺しちまう。親父や姫さんのように。
そうなりゃ、フェルナース大陸のあちこちで国が乱れる、民が苦しむ。俺の故郷みてえに。
こいつに殺された親父――フランメラルドの息子として、そんなことは絶対にさせられねえ。
俺はただの人間、英雄なんかにゃほど遠い凡人だけど……それでも、目の前にいるこの悪党は、必ずぶっ倒してみせる!
「てめえの悪行もここまでだ! おとなしく、お縄を頂戴しやがれ!」
「ほう? 私の手を取るつもりはない、と」
魔法使いは痩せこけたほっぺたを引きつらせ、ぎょろりとした目に狂気の光を宿らせた。
「ならば致し方ありません。殿下、貴方には……ここで死んでいただきましょう!」
そのまま杖を持つ手に、じわじわ力を込めてくる。
「ぐうぅッ!」
押し留めようにも、体がまるで言うことを利かねえ。こっちを押し潰そうと、容赦なくのしかかってくる魔法の重みに耐えかねて、俺は床に片膝をついた。
ちくしょう。大口叩いておいて、なんてざまなんだ。やっぱり、おっさんが牛頭人の戦斧を軽々と跳ね返したようにゃいかねえのか……。
「――あきらめてはいかん、メリッ君!」
突然、おっさんが声を張り上げた。
「神授の武器は確かに強力だが、今はその力を完全に発揮できてはおらん! 私の助けを当てにせず、自分の力で戦う道を選んだ君ならば必ず勝てる! 魔法に頼りきった小悪党に、格の違いを見せてやりたまえ!」
応援してくれるのは、おっさんだけじゃねえ。
「おうおう、おう――! 事情は知らぬがこの戦い、見ておるうちに燃えてきおったわい!」
「負けるでないぞ、人間の小僧!」
他の神々も、ここでの出来事を見てるうちに、何か思うところがあったんだろうか。雷神が握り締めた拳を振り上げ、海神が床を踏み鳴らして怒鳴る。大地の女神も口調は無愛想ながら、水の女神や森の神と一緒に声援を送ってくれる。
「…………そこの人間、ここがお前の正念場でしょう? そのまま土に還りたくないのなら、もっと気合を入れなさい」
「人間さ~ん、がんばって~♪ チャパシャも張り切って応援しちゃうんだから~♪」
「張り切りすぎて、まぁた水瓶落っことすんじゃねえぞぉ?」
「ガルちゃんひど~い! チャパシャ、そこまで間抜けじゃう~わ~!」
「そら言わんこっちゃねぇ!」
まったく、おかしな神々だ。偉大、高貴、神聖――そんな言葉が全然似合わなくて、祈ったところでご利益があるのか疑わしい連中だけど……それでも、あんなふうに応援の旗を振ってくれるのは、やっぱり嬉しい。なんだか、力が湧いてきたような気がするぜ。
「「メリック!」」
二つの声が、見事に重なった。デュラムとサーラだ。
「もう一度、貴様に妖精の力を貸してやる。今度は上手くやれ!」
「まったくもう。最後まで世話焼かせるんだから……!」
デュラムが槍を投げ、サーラが魔法を使って杖から水を放った。
「……っ!」
白銀の穂が魔法使いをかすめ、奴の気を散らす。激流がカリコー・ルカリコンにぶち当たり、野郎の体勢を崩した。
さらにその後、
「カリコーっ!」
フォレストラ王国の王女様を乗せた二輪戦車が、狼二匹に引かれて突っ込んできた。
手綱を腰に巻きつけた姫さんが、車上で弓を力一杯引き絞り、狙いを定めて弓弦を鳴らす。放たれた矢は魔法使いの右肩を射抜き、奴に苦痛の悲鳴を上げさせた。
魔法使いがよろめいて後ずさり、俺から離れる。
「隙ありだぜ、カリコー・ルカリコン!」
今なら勝てる。剣の柄を握る両手にありったけの力を込め、そして――渾身の一太刀!
「これで、決まりだ!」
響く金属の音、飛び散る火花。神授の武器が、カリコー・ルカリコンの掌中から吹っ飛んだ。宙にきれいな弧を描き、魔法使いの背後、竜を囲む魔法陣の中に落ちる。
俺の勝ち――いや、俺たちの勝利だ!




