第59話 されど地上の種族だぜ!
それから、ろうそく一本が燃え尽きるくらいの時間が過ぎ――戦いは終わりに近づいてた。
魔物たちは五十匹近くが神々の手で、二十匹余りが俺たちの手で討たれ、生き残ってるのは十匹余り。こいつらを倒せば、残るは大将、カリコー・ルカリコンただ一人だ。
だが、奴に挑むにゃもう一人、退けなきゃならねえ人がいるようだ。誰かと言えば、それは――。
「逃がしませんわよ、フランメリック様」
「リアルナさん……!」
「その名はかりそめのもの。正体を明かした今は、セフィーヌとお呼びになっていただきたいですわね」
そう。おっさんの奥さんにしてアステルのお袋さん。神々を統べる天界の王妃にして、夜を支配する月の女神。この人ときたら、魔物の群れに押されて一旦は退いたものの、怪物の数が減ってくると、またこっちに向かってきやがった。まったく、しつこいったらありゃしねえ。
「いい加減にしてくれ! 俺たちゃ、あんたと戦ってる暇なんざねえんだよ!」
「あなた方のご都合など、わたくしにはなんの関係もありませんわ」
こっちの事情を訴えてみても、すげなく一蹴されちまう。この女神様との戦い、今度ばかりは避けられねえようだ。
「さあ――その首打ち落として、主人の足下に転がして差し上げますわ」
俺を袈裟懸けにしようと、斜め上から振り下ろされる大鎌。一歩下がってかわしたが、次の瞬間にはもう、切っ先を返した白刃が目前に迫ってる。
「あぶねえ!」
斜め下から振り上げられた死神の得物を、どうにか剣で打ち払った。刀身が火花を散らし、甲高い悲鳴を上げる。
たった一度打ち合っただけで、腕にしびれが走った。この調子で、果たして何度斬り結べるか。
「メリッ君、セフィーヌ……むうッ!」
こっちへ加勢に来ようとしたおっさんに、魔物たちの生き残りが束になって襲いかかった。奴らも必死なんだろう。しきりにうなって吠え猛り、神々の王に死に物狂いの猛攻をかける。
「これで当面、主人の助けは期待できなくなりましたわね。さあ、どうしますの?」
おっさんが魔物たちに足止めされて、当分こっちにゃ来れねえと踏んだのか。リアルナさんは今が好機とばかりに、俺に斬りかかってきた。
「決まってる! 自分の進む道は、自分の力で切り開く!」
「そんな強がりを言って、果たしてどこまで耐えられますかしら? 退屈しのぎにはちょうどいい見物ですわね……」
普通の人間じゃ持ち上げるのも難しそうな大鎌を、月の女神は片手で軽々と、まるで重みを感じてねえかのようにぶん回す。
「――っ!」
三日月の刃がうなりを上げて、次から次へと尋常じゃねえ速さで飛んでくる。左と見せて右から、右と思わせ左から、そうかと思えば真上から、脳天めがけて降ってくる。
まがまがしい曲線を描く白刃は、こっちへ飛来する度に俺の革鎧を切り裂き、腕や脚に切り傷をつけた。もちろん、手足だけじゃなくて肩や胸、それにむき出しの腹にも……。
「ぐッ!」
「あら……ごめんあそばせ。今の一振りで胴を真っ二つにして差し上げるつもりでしたのに。わたくしとしたことが、手元が狂いましたわ」
「……っ!」
大鎌から逃れようと後ずさっても、なんの意味もなかった。リアルナさんの奴、俺が後ろへ下がると、亡霊みてえに足音も立てず、すうっと床の上を滑るように進み出て、一瞬で間合いを詰めてきやがるんだ。だから、ちょっと離れたからって気を抜くと、瞬きする間にリアルナさんが目の前に――それこそ、あの人の冷たい息が顔にかかるくらい間近に迫ってたりして、背筋がぞっと凍る思いをさせられる。
……ちくしょう! あの凄絶極まりねえ大鎌さばきといい、不思議な歩みといい……あの人のやることなすこと、すべてが魔法じみてやがる。女神なんだから、当然なのかもしれねえが。
「さすがに主人が目をかけるだけのことはありますわね、フランメリック様。並の人間なら、今頃はもう冥界の門をくぐっている頃ですわよ」
口ではそんな賛辞を述べながら、リアルナさんがまるで本気を出してねえってことは、あの人の表情から丸わかりだった。あれは……捕らえたねずみを前足でもてあそぶ、猫の表情だ。きっとこっちが死に物狂いで抵抗する様を見て、悦に入ってるんだろう。
向こうはあんなに余裕綽々だってのに、こっちは防ぐ、避けるが精一杯。とてもじゃねえが、反撃するなんざ無理だ。
我ながら情けねえ。人間ってのは神の前じゃ、こうも非力な存在なのかよ。
「退け、メリック! ここは私が――」
「無駄ですわよ、ウィンデュラム様」
デュラムが横合いから槍で突きかかったが、神々の女王は素早く貴婦人服の裾を旋回させて振り向き、白銀の穂先をぴたりと受け止めちまう。
恐ろしいことに、素手で――しかも、人差し指一本で。
「ば、馬鹿な……!」
必殺の槍を、指先一つで優雅に受け止められ、さすがのデュラムも驚きを隠せねえようだ。目を見開いて槍を引き、こめかみに一筋、汗を流して飛びのく。
驚きだけじゃなくて、恐怖も感じてるに違いねえ。デュラムの奴、槍を握る手が、かすかに震えてやがる……。
「何をそんなに驚いていますの? 神々の魔法とは、こういうものですわ……」
「それなら、これはどうかしら!」
後退したデュラムに替わり、サーラが前に進み出て、杖を構えた。
「チャパシャ様、あたしに力を――!」
呪文を唱え、水の女神に祈りを捧げて、激流を放つ。だが、月の女神はそれすら片手で跳ねのけてみせた。不肖の弟子が引き起こした洪水をたった一言の呪文で治めちまう、魔法使いの師匠みてえに。
「無駄だと言っていますのに。あなたもわからず屋ですのね、マイムサーラ様」
リアルナさんが右手を掲げ、小うるさい蝿でも追い払うように打ち振れば、目前まで迫った激流は真っ二つ。右と左に引き裂かれ、黒い貴婦人の左右を駆け抜けていく。
「わたくしたち神々が使う魔法とは、生まれながらに持っている、奇跡を起こす能力のこと。それに対して、あなた方地上の種族が使う魔法とは、神々の力を一時借り受けるだけの技術。元から刃を持つ剣と、つけ焼き刃の剣……どちらがよく斬れるか、言うまでもありませんわよね?」
「くっ……!」
「それにしてもパシャ。わたくしの獲物に力を貸すなんて、いい度胸ですわね?」
悔しげに唇を噛むサーラにゃ目もくれず、そのすぐそばにいた水の女神に、大河も凍てつく冷たい眼差しを向けるリアルナさん。途端にチャパシャはびくっと震え上がり、隣に立つ森の神に飛びついた。
「うわ~んガルちゃん、チャパシャ怖い! セフィーヌ様にお仕置きされちゃう! 守って、守って!」
「お、おいこらぁパシャ、俺様を盾にするんじゃねぇよぉ! おいぃッ!」
いきなり首っ玉に抱きつかれて、ガレッセオは寝耳に水でも入れられたような表情になった。自分にまでリアルナさんの怒りが向けられて、とばっちりをくらっちゃたまらねえと思ってか、目に見えてあたふたしてる。
二人の場違いな喜劇から目をそらし、天界の王妃がこっちへ向き直った。俺たちをさげすみの目で見下ろして、
「吹けば飛ぶ塵芥にも等しい地上の種族が、わたくしに勝とうだなんて……思い上がりもいいところですわよ?」
と、余裕たっぷりの口調で嘲弄する。
「わたくしの大鎌は神授の武器と同様、メラルカにあつらえさせた魔法の品。これを打ち砕くことができる武器は、このフェルナース大陸にただ一つ――主人の剣だけですの。この戦い、勝負は見えていましてよ?」
そう言われて、俺はリアルナさんの大鎌に目を凝らしてみた。確かに、火の神その人がつくったもんだとしてもおかしくねえ、見事なつくりだ。三日月を思わせる白銀の刃はもちろん、漆黒に塗り上げられた柄にも傷一つねえ。
……いや、待てよ?
よく見りゃ刃の中程に一本、白い線が走ってねえか? そう言えば、さっきおっさんの剣があの大鎌を打ち払ったとき、妙な音がしたっけな。
…………勝てるかもしれねえ、この勝負。
俺は二人の仲間と目を合わせ、それから素早く、リアルナさんの大鎌へと視線を走らせた。
二人とも、さりげなく大鎌を見て、すぐに俺の意図を察してくれたようだ。二人で目線を交わした後、こっちを向いて同時にうなずく。
「三人で何をたくらんでいますの?」
リアルナさんが、再び斬りかかってきた。自分の勝利を確信してるんだろう。唇を三日月の形にして、余裕の笑みなんざ浮かべてやがる。
「何をしようと無意味ですわ。しょせんあなた方なんて――たかが地上の種族ですもの」
「されど地上の種族だぜ!」
俺は即座に言い返し、剣を大鎌にぶち当てた。湾曲した刃のど真ん中に、あらん限りの力を込めて。
その部分にゃ、白い線――ひびが一筋入ってた。多分、おっさんの剣に打ち払われたときにできたもんだろう。あれを狙えば、ひょっとしたら……?
「――フランメリック様?」
前足でいたぶってたねずみに突然噛みつかれた猫さながら、リアルナさんはかすかに驚きの表情を見せた。
「たった一人で、このわたくしと張り合えるとでも? 愚かな方……」
「一人で無理ならば、二人で刃向かえばいい!」
最後まで言わせず、デュラムが狙い澄ました槍の一突きを放つ。
「二人で駄目なら、三人で盾突くまでよ!」
続けてサーラが渾身の力を込め、杖の一撃を叩き込んだ。
ピシリ、ピシリ、またピシリ! 剣と槍、それに杖が、立て続けに大鎌の刃を打ち、突き、叩く。最初は一筋の白線に過ぎなかったひび割れを少しずつ、蜘蛛の巣状に広げていく。
大当たり! 思った通りだぜ。俺たち地上の種族の武器じゃ、神々の得物に傷をつけることはできねえ。けど、神の武器同士がぶつかり合ってできた亀裂を――つまり元々あった傷を、広げることはできるんだ。
「……あなた方、まさか――?」
「デュラム、サーラ、もう一撃だ!」
「いいだろう!」
「任せなさいって!」
ただでさえ、ひびが入ってもろくなってた部分だからな。何度も続けて攻められ、とうとう耐えられなくなったらしい。はっと息を呑むリアルナさんの前で、大鎌の刃はまばゆい閃光を放ち、そして――パキン! 凜と澄んだ音を立てて、砕け散った。
「……信じられませんわ」
リアルナさんの細面が、はっきりと動揺の色に染まる。青玉の瞳が、満月と見紛うばかりに丸くなった。
「地上の種族が神の助けもなしに、わたくしの大鎌を砕くなんて……!」
「見くびるな、マーソルの奥方。いや、天界の王妃」
今なら月光だって切り裂けそうな白銀の槍先を、ぴたりと月の女神に突きつけるデュラム。
サーラも杖を構えて、堂々と啖呵を切った。
「あたしたちのこと、あんまり甘く見ないでほしいわね、セフィーヌ様。妖精も小人も人間も、確かに非力な種族だけど……神様に助けてもらわなきゃ何もできないほど無力じゃないわ」
「――」
そのとき、他の神々が俺たちの周囲に集まってきた。




