第56話 素直じゃねえな、あの姫さん
振り向くと、デュラムとサーラが、武器を手にしてこっちを見てた。
「メリック、あたしたちも行きましょ」
「神々の意思がどうあれ、これは好機だ。魔物たちを倒し、あの魔法使いを叩く――な」
「叩くんじゃないわよ、デュラム君♪」
チッチッと右手の人差し指を振って、サーラがデュラムの誤りを指摘する。
「ぶん殴るんでしょ?」
そう言いながら、魔女っ子がぐっと拳を握ってみせるのを見て、思わず笑っちまう俺。
「……ああ、そうだな」
魔物たちは今、神々の魔法に圧倒されてたじろぎまくってる。奴らを追い払い、カリコー・ルカリコンに鉄拳制裁をお見舞いするにゃ、絶好の機会だろう。
もちろん、このまま大広間の隅でじっとして、魔法使いが神々に成敗されるのを待つこともできるが、そいつはどうも納得がいかねえ。なんて言ったらいいか、その……何か間違ってる気がする。
できることならこの戦い、神様任せになんかしねえで、俺たち地上の種族の手で決着をつけてえな。
「けどサーラ、お前大丈夫なのか? あんな激流呼び寄せといて、疲れてねえのかよ?」
「あら、あたしのこと、心配してくれてるの?」
「あ、当たり前だろ!」
そりゃ、サーラは俺の恋人とか、そんなんじゃねえけどさ……。
心配くらい、させてくれたっていいじゃねえか。
俺がはっきり言い切ると、サーラはとんがり帽子の下から上目遣いにこっちを見つめ、くすっと笑った。喜んでるような、照れてるような、そんな笑顔だった。
「……ありがと。けど、あたしは平気。さっき、あなたが時間を稼いでくれてる間に、一休みさせてもらったから。まだまだ戦えるわ」
本当に大丈夫なのか……? そんな不安が脳裏をよぎったが、今の俺にゃ「無理するんじゃねえぞ」って言うくらいのことしかできなかった。
「――おい、そこの異国人っ!」
ちょっと離れたところで、もはや聞き慣れた声が上がる。
「……姫さん?」
見れば、フォレストラ王国の王女様が、横倒しになった二輪戦車に駆け寄るところだった。戦車を引く二匹の狼は……なんと無事だ! 少々火傷を負ってるようだが、それでもまだぴんぴんしてる。〈焼魔の杖〉の猛火から生き延びるとは、大したもんだぜ。
姫さんが戦車に手をかけて、足を踏ん張り引っ張れば――ガッシャン! 車体はあっさり、本来あるべき状態に。
二輪戦車にひらりと飛び乗る姫さん。狼二匹の手綱を握り締め、きりっとこっちを見やる。
姫さんの顔からは、さっきまで見せてた怒りや悲しみ、それに絶望の表情が、洗い流されたように消え失せてる。一時隠しただけかもしれねえが、それにしたって芯の強い人だぜ。俺も……あやかりてえな。
「カリコーに裏切りの報いを受けさせるまで、お前たちとは休戦だっ! だから、今は――」
「一緒に戦おうってのか?」
「……!」
俺に言葉尻を取られて、姫さんは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに気を取り直したようで、
「か、勘違いするなっ! 別にお前たちと馴れ合うつもりなど、さらさらないぞっ! ただ、お前たちもカリコーを倒すつもりなら、この私と手を組むのが利口だと……そう言おうとしただけだっ!」
と、顔を赤らめ、早口にまくし立てた。それから手綱をさばき、戦車を駆って、魔物の群れへと突っ込んでいく。
「へっ……お前に似て素直じゃねえな、あの姫さん」
俺が肘でデュラムの肩を小突くと、奴は不愉快そうに「ふん……」とそっぽを向いた。
「――フランメリック様」
他の神々と魔物たちの間を縫って、リアルナさんがやってきた。手にした大鎌にしがみつく、アステルをずるずる引きずりながら。
「追いつめましたわよ。鬼ごっこもここまで。あなた方には、ここでお亡くなりになっていただきますわ。そうすれば、主人もきっとわたくしの許へお帰りになってくださいますもの」
今やリアルナさんの大鎌は、白銀の輝きを放つ刃から、寒々とした白煙を立ち上らせてる。
おっさんの剣と同じ、魔法の武器であることは疑いねえ。
「逃げてください、フランメリックさん! 母さんは本気で……わああっ!」
「鬱陶しいですわよ、ロフェミス」
すがりつく三男坊を邪険に振り払い、神々の王の奥さんは、悠然とこっちへ歩を進めてくる。
途中、行く手をさえぎった蛇髪女が、大鎌の一振りで首を刎ね飛ばされた。見るもんすべてを石に変えちまう魔法の瞳を持つ怪物だが、今回は相手が悪かったようだ。髪の代わりに無数の蛇を生やした生首が、床の上を毬みてえに弾んで、俺の足下まで転がってくる。血溜まりの中で断末魔の苦しみにのたくる蛇の群れが、なんとも不気味だ。
「やめてくれ、リアルナさん……じゃなくてセフィーヌ様! 俺たちにゃ、あんたと戦う理由がねえ!」
「あなた方にはなくても、わたくしにはありますの……」
「セフィーヌ、メリッ君! えぇい、道を開けんか馬鹿者ども!」
宴に興じる他の神々を押しのけ、魔物たちを蹴散らして、おっさんが近づいてきた。相変わらず全身を神々しい光に包んじゃいるものの、その顔には焦りの色がにじんでる。他の神々が遊び半分に戦う中、この人は一人、真面目に剣を振るってたらしい。
「うわーっはっは! 爽快、痛快、嗚呼愉快♪ 我らが王よ、そのように急いでどこへ行く? 貴様も一杯やったらどうだ?」
「今はそれどころではあるまい!」
ほろ酔い加減のザバダを一喝し、おっさんは俺たちの前に滑り込む。折りしもリアルナさんは、俺の首筋めがけて大鎌を振り下ろそうとしたところ。次の瞬間、黄金の光をまとう魔剣がうなりを上げて、白銀に輝く魔の大鎌を打ち払った。
魔法の武器同士が激突した刹那、ピシッと妙な音がしたような気がするが……空耳か?
「よさんか、セフィーヌ!」
「あら、あなた」
夫婦喧嘩、再び。たちまち二人の間で、昨夜の剣戟と舌戦が再開される。
「今はお前と争っておる場合ではない! 昨夜のように、しばし休戦といこうではないか!」
「調子のいいことを言いますのね。このいさかい、原因はどなたにあると思っていますの?」
「それについては、後で話し合おうと言っておるのだ!」
二の太刀、三の太刀と打ち込みながら、おっさんが吠える。剣だけでなく、全身から陽炎を立ち昇らせて、リアルナさんに荒々しい言葉を叩きつける。
「あの赤長衣の魔法使い君は、ウルフェイナ王女を裏切り、〈焼魔の杖〉を手に入れておるのだぞ? あの杖が悪しき者の手で振るわれるようなことになれば、最悪、地上は七日間で火の海だ! それしきのこと、わからんお前ではあるまい!」
「地上で何が起きようと、わたくしの知ったことではありませんわ」
おっさんがどんなに言葉を尽くしても、リアルナさんは冷淡な態度を崩さねえ。アステルと話してるときはいくらか人間臭い顔を見せるのに、おっさんや俺たちにゃ一貫して冷ややかな人だぜ。
「セフィーヌ……!」
そんな奥さんに、おっさんはいら立ちを隠せねえようだ。苦い薬草でも噛み潰すように食いしばった歯が、ぎりぎりと軋んだ。
「地上に対して無関心なのは、幾星霜を経ても変わらんな」
「そう言うあなたは、地上に興味を持ちすぎではありませんの? リュファト……」
勝負の綱はあっちへ引かれこっちへ引かれ、二人の間で行きつ戻りつを繰り返す。
「かわしてみよ、セフィーヌ!」
太陽神が腰のひねりを利かせ、剣を横一文字に振るった。目にも留まらねえ、豪速の一太刀。だが、天界の王妃は上体を大きく弓形にのけ反らせ、黄金の刃を易々とやり過ごす。
「お返しですわ――あなたにこれが避けられまして?」
言うが早いか、反撃に出る月の女神。貴婦人服の裾をひるがえし、右脚を軸にして体を車輪みてえに一回転させる。一瞬神々の王に背を向けたかと思えば、振り向きざまに大鎌を振るい、大神の腰を薙ぎ払おうとした。
「なんの!」
すかさずおっさんは床を蹴って高々と跳躍。青い外套を翼のように大きく広げ、白銀の刃を飛び越える。
「――やりおるな」
「あなたこそ」
手を休め、賛辞を交わしたのも束の間。二人が気合を入れて真っ向から打ち合うと、黄金と白銀の刃が交差して、まばゆい閃光が炸裂した。轟音と共に凄まじい衝撃の輪が広がり、周囲に散らばるお宝を吹き飛ばす。古の王や皇帝の横顔が刻まれた金貨に銀貨、紅玉髄や土耳古石、青金石といった色とりどりの宝石が宙を舞い、きらめきながら床に雨霰と降り注ぐ。
神同士の戦いにゃ、決着ってもんがあるんだろうか。その後も二人の神は、地上の種族にゃ到底真似できねえ、凄絶な剣戟を繰り広げた。旋風巻き上げ、火花を散らし、俺たちの度肝を抜いたのはもちろん、時には他の神々さえも振り返らせる。
だが、その最中――突然二人の許へと、魔物の群れが押し寄せてきた。




