第53話 土壇場の助っ人
目を開けてみると、俺の前で外套がはためいてた。真昼の蒼穹を思わせる、鮮やかな青一色の大外套。その上では、波打つ金髪に覆われた頭が、太陽みてえに輝いてる。
「やれやれ。牛頭人のときといい、三頭犬のときといい……つくづく君は、絶体絶命の危機に陥るのが好きなようだな、メリッ君」
「おっさん……!」
一体、いつ来たんだろうか。おっさんがこっちに背を向けて、火の玉を受け止めてた。長い両脚を大きく開き、今まで一度も使わなかった円形の盾を、眼前に構えて。
火の玉は、その円盾にぶち当たったまま、周囲に光と熱をまき散らしてる。
「やあ、怪我はないかね? 私がセフィーヌの大鎌から逃げておる間に、何やら面白いことが起こったようではないか」
おっさんは、姫さんとカリコー・ルカリコン、奴の掌中にある〈焼魔の杖〉を順番に見て、思案げに顎鬚をなでた。
「おっさん、実は今、とんでもねえことが――」
「話の前に、まずはウルフェイナ王女の上からどいてあげたまえ。不慮の事故だとは思うが、そのように淑女を床に組み敷いておるのは、いささか無礼というものではないかね?」
「あ……」
言われてみりゃ、その通り。俺は姫さんの上にのしかかったままだった。しかも、右手が何やら柔らかい、触り心地のいいもんを鷲づかみにしてると思ったら、なんとそりゃ姫さんの胸じゃねえか!
「わ、悪い!」
慌てて飛びのき、姫さんに謝る。
俺としたことが、一度ならず二度までも、王女様にこんな無礼を働いちまうなんて。
「か、構わないっ!」
姫さんが両手で胸を隠しながら、顔を赤らめて言った。
「その……先に抱きついたのは、私の方だからな……」
「――ふむ。一体何が起こったのか、おおよその察しがついたよ」
火の玉を円盾で押し留めつつ、俺と姫さんのやり取りを微笑ましげに眺めてたおっさんが、再び顎鬚なでて、口を開いた。
「どうやら、赤長衣の魔法使い君がウルフェイナ王女を裏切り、神授の武器を手に入れたようだな。そして魔法使い君は今、その力に興奮し、まるで牛頭人のように鼻息を荒げておる――違うかね?」
「ああ、大体そんなところだ。おっさんの方は……姫さんの戦士たちは、どうなったんだ?」
「まさか、皆殺しにしたのかっ?」
むぎゅう! 姫さんが俺を押しのけ、血相変えておっさんにたずねる。
「安心したまえ、全員無事だ。命までは……奪っておらんよ!」
おっさんが一声気合を入れると、火の玉は円盾から跳ね返り、カリコー・ルカリコンの傍らを通過。奴の背後にあった、月の女神の浮き彫りを直撃した。
魔法使いもこれにゃ度肝を抜かれたらしい。狼狽の色もあらわに瞠目して、おっさんを食い入るように見つめる。
「あ、貴方は我がしもべたち――牛頭人と三頭犬を退けた、青外套の剣士殿!」
「そうとも、赤長衣の魔法使い君」
剣の鞘を払いつつ、おっさんが不敵に笑う。現れた刀身が日輪さながら黄金の輝きを放ち、陽炎をゆらめかせた。
「う、うぬぬぬぬぬ……!」
竜の背中の上からおっさんを見下ろして、カリコー・ルカリコンはうなった。
「〈焼魔の杖〉は、神々が地上の住人たちに授けた魔法の武器。その力を跳ね返すなど、ただの人間にできるはずがありません。貴方は一体、何者……?」
「火の神メラルカに、神授の武器をつくらせた者だよ」
あっさり返ってきた答えの意味を、理解しかねたんだろう。魔法使いは口をぽかんと開けたまま、その場に立ち尽くした。
奴だけじゃねえ。俺もデュラムも、サーラも姫さんも、その場にいた全員が絶句した。
しばらく沈黙が続いた後、静寂を破ったのはサーラだった。
「メラルカ様に、神授の武器をつくらせた者? やっぱりあなた、神様の……!」
魔女っ子が言い終わらねえうちに――どわっ! おっさんの体が、燦々と光り輝いた。矢のような光輝が方々に放たれ、俺たちの目を射抜く。周囲にちらばる金銀宝石が燦然ときらめき、暗い地の底を明るく照らし上げた。
「鋭いな、お嬢さん。いかにも、その通り」
まばゆい光の中で、おっさんが厳かにうなずく。
「私は神々の王、太陽神リュファト。青き外套で昼の世界を覆う者であり、太陽を第三の目とする者。そして、君たち地上の住人が世界の支配者と見なしておる者だ」
「神々の王って……えぇえぇえっ?」
思わずすっとんきょうな声を上げちまう俺。このおっさんが……リュファト? 俺がいつも誓いを立てる太陽神だって……?
「ちょっとメリック、落ち着きなさいよ」
「お、落ち着いてなんかいられるかよ! ってかサーラ、お前は驚かねえのかよ?」
「そりゃまあ驚いてるけど、あなたほどじゃないわ。あたしは薄々だけど、気づいてたもの」
「へ……気づいてた?」
驚く俺をよそに、サーラはおっさんの方へと向き直った。
「マーソルさん……いえ、リュファト様って呼ぶべきかしら? あなた、今まで何度かその剣の力を使ったでしょ? その魔法の剣に込められた、神様の力を」
昨夜は三頭犬をおののかせ、今朝は森の神の石像を真っ二つにしたおっさんの剣を指差して、魔女っ子は続ける。
「――メリック。この遺跡の入り口を探してるとき、魔法の宝物について話してあげたはずだけど、覚えてるかしら?」
「えっと……魔法のお宝にゃ神の力が封じ込められてて、短い呪文を唱えるだけで解き放てるようになってる――だっけ?」
こいつは確か、そんなことを言ってたはずだ。
「正解。普通に魔法を使うときみたいに、長々と唱える必要はないけど、それでも三言か二言――少なくとも一言は呪文を唱えなくちゃならないわ。だけどリュファト様……あなた今まで、その剣の力を使うとき、何度呪文を唱えたかしら?」
「……!」
言われてみりゃ、そうだ。おっさんが呪文を唱えるところなんざ、俺は一度も見てねえぞ。
「だから、ひょっとして――と思ったのよ。魔法の宝物に封じられた神様の力を、呪文の詠唱なしで解放して使える者がいるとすれば、それは――」
「他でもねえ神自身、ってことか」
「そう。確信までは持てなかったから黙ってたんだけど、どうやら大当たりだったみたいね」
「……驚かせてすまんな、メリッ君」
照れ臭そうに頭の後ろをなでながら、おっさんが俺たちにわびる。
「もっとも、お嬢さん同様、君も薄々勘づいておったのではないかね?」
「……いや」
俺は、どうにか心を落ち着かせた後、首を横に振った。もちろん、ただ者じゃねえとは思ってたが、まさか神様とはな。
「では、あの二人は? 貴公の奥方と息子はどうなのだ?」
「やっぱり、あなたと同じ――?」
デュラムとサーラの問いに、おっさんが答えようとすると、
「ロフェミス、いつになったら主人に追いつきますの?」
噂をすればなんとやら。大広間の入り口から、かしましい足音と話し声が聞こえてきた。




