第40話 ありがとな
「――メリック。今でもあなたにとって、あたしたちは他人? これだけ話しても、あなたとあの魔法使いのことは、あたしやデュラム君には無関係なの?」
俺が自己嫌悪に陥ってるのを見て、ちょっと言いすぎたか――そう思ったのかもしれねえ。魔女っ子は、いくらか声音を優しくして、こう続ける。
「本当はあたし、今みたいなお説教なんて、したくなかったわ。ただでさえ気持ちが沈んでるあなたにあんなことを言ったって、余計に落ち込むだけかもしれないし、あたしのこと嫌いになるんじゃないかって、すごく怖かったから。でも……今はあなたに嫌われてでも、ガツンと言ってあげなきゃだめだって思ったの。だって、あたしたちは――」
俺がサーラを嫌うなんて、そんなことは絶対ねえよ! そう言い返そうとしたが、その前にサーラがこっちへ手を伸ばし、ほっぺたにそっと触れてきた。びっくりして後ずさろうとすると「逃げないで」って引き止められ、そのままほっぺたを優しくなでられる。
「神話や伝説の中じゃありきたりなせりふだし、押しつけがましく聞こえるかもしれないけど……あたしたち、仲間でしょ? 今まで一緒に旅して、冒険して、苦楽を共にしてきた仲じゃない。なのに、あたしやデュラム君には関係ないだなんて、水臭いと思わない? 一人で悩み抱えて苦しんでないで、あたしたちに相談するとか、助けを求めるとかしなさいよ」
「……サーラ」
魔女の手はひんやりしてて、まるで春の雪解け水をすくった後みてえだった。それに対して、さっきまで辛辣だった口調は、今じゃ優しく、温かい。かすかに香るのは、サーラがつけてる香水だろう。甘ったるい花の匂いというよりは、香草のそれに近い。鼻をすうっと通り抜けていく、清涼感のある香りだ。
「――いい、メリック? 人間って種族はね、弱いものなの」
「人間が……弱い?」
「そう。トゥポラ様が手を抜いて、適当につくった種族だから、とにかくもろくて壊れやすい。一人ぼっちで生きてると、怪我とか病気とか、寂しさなんかがもとで、すぐ土に還っちゃう」
遠い昔、月明かりの下、星降る丘の上でせっせと粘土をこねて、人間を創造した大地の女神。その名を引き合いに出して、サーラは人間の弱さを強調する。
「だから人間は、仲間を大切にするの。仲間同士助け合ったりするの。そうしないと、世の中辛くて苦しくて、とてもじゃないけど生きていけないから……」
まるで学び舎の先生みてえな、説教臭い言い草だ。いつにも増して姉貴ぶった口調で、言ってることの中にゃ反発したくなるところもある。人間はそんなに弱い種族じゃねえよ、とかさ。
けど……サーラが俺を諭そうと、一生懸命になってるってことは、あの真摯な表情から痛いほど伝わってくる。それを、余計なお世話だなんて跳ねつけることは、俺にゃできねえ……。
「妖精も仲間は大切にするものです、サーラさん」
「デュラム君は黙ってて!」
野暮な突っ込みを入れた途端、魔女っ子に一喝されて、妖精の美青年は口をつぐんだ。奴の長く尖った耳が一瞬、飼い主にしかられた小犬の尻尾みてえに垂れ下がった……ように見えたのは、俺の気のせいか?
一方、サーラは俺の方へと向き直り、話を続ける。
「そりゃね、あたしやデュラム君だって、どんなことでも相談に乗れるわけじゃないし、いつでも助けてあげられるとは限らないわ。たとえば……『デュラム、サーラ、聞いてくれ!』」
何を思ったか、いきなり俺の口調を真似て話し出すサーラ。
「『俺、さいころ賭博にぼろ負けして、一億リーレム借金しちまったんだ! 悪いが肩代わりしてくれねえか?』なんてことを相談されても、あたしたちにはどうにも助けようがないわ。そんな大きなお金、あたしもデュラム君も持ってないもの」
「俺は賭けごとなんざやらねえよ。知ってるだろ?」
「たとえばの話よ。そういう場合は、あたしたちにできることはほとんどないってこと。けど、今はそういうときじゃないでしょ?」
「まあ……そうだな」
右手の人差し指でほっぺたを引っかきながら、あいまいにうなずいてみせる。
「カリコー・ルカリコン、だったかしら? もう、いかにも悪党って感じの魔法使いが現れて、なんとそいつはメリックのお父さんを殺した張本人だった。そういうことでしょ? それなら、あたしにもできることはあるわ。少なくとも――」
そこで魔女っ子は、いつもみてえに片目をぱちっとつぶってみせた。
「あなたの仇討ちを手伝うくらいのことは、できそうね」
「過去のことはどうでもいい。問題は、貴様がこれからどうしたいかだ」
いい加減、自分も話に加わりたくなったのか、デュラムが口を挟んだ。
「奴と戦う意思はないのか。今日まで引きずってきた過去と、決着をつける気はないのか? サーラさんと同様、私にも貴様の仇討ちを手助けする程度のことはできる。あの魔法使い――カリコー・ルカリコンを討ちたいのなら、妖精の力を貴様に貸そう」
「デュラム……」
「……鬼人並みの記憶力しかないとはいえ、貴様も一応、私の仲間だからな」
どう答えるべきか、困った。俺は一体どうしてえのか、自分でもよくわからなかったからだ。
あの魔法使いのことは、心底憎んでる。親父の仇なんだから、憎くないはずがねえ。あいつと戦う意思はあるかって聞かれたら、答えは「もちろん!」だ。
けど……いざ戦って、軍神が勝利を授けてくれたとして、その後は?
仇討ちなんかしたって、むなしいだけ。あいつを殺っても、冥界の王が親父を地上に帰してくれるわけじゃねえんだから――そんなあきらめに近い思いも、心のどこかにある。
じゃあ、どうする? あの魔法使いを、このまま生かして放っておくのか。それとも……?
なかなか煮えきらない煮込みみてえな自分の優柔不断さにいら立ってると、サーラが俺の肩に、ぽんと手を置いた。
「すぐに答えなくてもいいわ――後でもう一度聞くから。今はとりあえず、先へ進まない? ウルフェイナ王女と、魔法使いを追いかけましょ」
魔女っ子がそう言ってくれたのは、俺にとっちゃ救いだった。これからどうしてえのかって答えは、すぐには出そうにねえ。だからもう少しだけ、考える時間が欲しかったんだ。
「……ああ、わかったぜ」
俺は壁から背中を離し、
「――なあ!」
先に行きかけたデュラムとサーラを呼び止めた。
二人が足を止めて振り返る。俺は右手で頭をかきながら、ちょっとの間考えて――そして、こう言った。
「なんていうか、その……ありがとな」
この二人のおかげで、いくらか気が楽になった。少なくとも、うなだれっぱなしだった顔を上げて、前を向けるようにはなった。
こんなときは、やっぱり一言、礼を言うべきだろう。
「ふん……」
妖精の美青年は鼻を鳴らしてそっぽを向き、魔女っ子は涼しげな目をして、ひらひらと手を振った。礼を言われるようなことはしてねえよ、とでも言うように。
……ああ。やっぱり持つべきもんはいい仲間、だよな。
その場を後にする前に、俺はもう一度、天井に刻まれた神々をあおぎ見た。逃げるメラルカと、その後を追うチャパシャの浮き彫りを。
二人のまわりにゃ、太陽神や月の女神をはじめとする他の神々も刻まれてる。火の神が水の女神に追い回される様をみんなで見物して、笑ってるようだ。
……今ここで起こったことも、あの連中が運命として定めたことなんだろうか?
神々の浮き彫りを眺めてるうちに、そんな疑問が脳裏をよぎった。俺がデュラムとサーラに過去を打ち明けたことも、その後二人と腹を割って話したことも、すべては神意――神の思し召しなのかって。
……もう、そんなことはどうでもいい。
俺は首を左右に振って、頭の中の疑問符を打ち消した。
天上の権力者たちがどんな運命を定めようと、俺はこれから何をするべきか、自分で考える。そんでもって……。
自分が進む道は、自分で決めるんだ。




