第33話 死の舞踏に誘われて
「――戦いの最中に他人の心配? 余裕があって結構ですこと」
揶揄するような女の声が聞こえたかと思うと、いきなり目の前に黒い影が舞い込んできた。
一瞬、陰鬱に翼を広げた大鴉かと思ったが、振り上げられた嘴を見て、間違いだと悟る。鴉の嘴はあんなに長くねえし、ましてや冷たく輝いたりしねえ。
あれは――嘴じゃなくて、大鎌だ!
とっさに剣を一振り。死神の商売道具を、辛うじて打ち払う。
死神は素早く飛びすさり、翼と見紛う貴婦人服の裾をはためかせた。濡れた唇が三日月の形をつくり、銀糸を張った竪琴の調べにも似た、冷ややかな声を響かせる。
「――お見事。主人が気に入るだけのことはありますわね」
「リアルナさん……!」
死神の正体は、おっさんの奥さんだった。俺たちを危機の穴に突き落とした張本人が、自ら出向いてきやがったか。
「雑兵ばかりがお相手では退屈でしょう? わたくしと一曲踊りませんこと、フランメリック様?」
名指しで死の舞踏に誘われて、俺はごくんと唾を呑み込んだ。剣を握る手に、じわりと汗がにじむ。神々を讃える祭りの大太鼓みてえに、胸がドンツク、ドンツク高鳴った。
昨夜はおっさんでさえ、あんなに苦戦を強いられた人だ。俺が太刀打ちできる相手かどうか。
「さっきはなんで、あんな嘘ついたんだよ? 俺たちが盗賊だなんて。あんたにゃ、俺たちと戦う理由なんざねえはずだぜ?」
どうにか踊りの誘いを断ろうと、じりじり退きながらそう問えば、
「あら、そうとも限りませんわよ?」
と、リアルナさんがじわじわ進みながら答える。あのゆっくりだが、一分の隙もねえ歩き方。まるで、ねずみを追い詰める猫の足取りみてえだ。
「主人がこんなへんぴな森にいるのは、あなた方三人に興味があるからですもの。この戦いであなた方がお亡くなりになれば、主人もきっと、わたくしの許に戻ってくださいますわ」
「――どういうことだ?」
俺の背後、サーラの隣で戦ってたデュラムが振り向いて、疑問を投げかけた。
「あの男は〈樹海宮〉での冒険が目当てで、ここへ来たのではないのか?」
するとリアルナさんの奴、こっちを馬鹿にしきった口調で、こんなことを言いやがる。
「まさか。主人の目当ては、最初からあなた方三人。そうに決まっていますわ」
「その話、本当だって証拠はあるのかしら?」
今度はサーラが、肩越しに疑いの眼差しを向けた。
「わたくしが嘘をつくと思いまして?」
「さっき思いっきりついたじゃない、あたしたちが盗賊だなんて!」
「あれは退屈しのぎの悪ふざけ。ソランスカイアの神々にかけて、今の話は本当ですわ」
いけしゃあしゃあと、よく言うぜ。
「わたくしの主人は好奇心の塊。あなた方のように少しでも興味を持った方には、必ずついていきたがりますの。まったく、困ったものですわね……」
「母さん!」
男にしちゃ、ちょいと高めの声がした。金属と金属が触れ合う、騒々しい音が近づいてくる。
「あら、いいところに来ましたわね、アステル」
リアルナさんは、甲冑鳴らして駆けつけた三男坊に、ちらりと流し目をくれた。それから、俺の背後で戦ってるデュラムとサーラを見やり、
「アステル、わたくしはフランメリック様のお相手をしますから、あなたはあちらのお二人と遊んで差し上げなさい」
さも従うのが当然だと思ってるような口振りで、アステルに言いつける。
「たかが妖精と魔女ごとき、あなたなら一ひねりでしょう?」
「フランメリックさん……」
甲冑の少年は、俺と目が合うと、気まずそうにうつむいた。何か言いてえことがあるのに、上手く言葉にできねえ――そんな顔して、足下に視線を落とす。
「――アステル」
あいつが籠手のはまった両手を握り締め、唇をきゅっと噛むのを見て、俺の胸中を木枯らしが吹き抜けた。リアルナさんと同様、こいつとも戦わなくちゃならねえのか……。
と思いきや、
「――嫌です!」
予想に反して、アステルはかぶりを振った。ついでに拳まで振って、お袋さんに反旗をひるがえす。
「父上と母さんの夫婦喧嘩に、関係ない人たちを巻き込むなんて……やっぱり、ぼくには納得できません!」
柔和な瞳、優しげな雰囲気に似合わねえ、断固とした口調だ。リアルナさんが、意外なもんでも見たような顔をする。
「アステル? まさか逆らうつもりですの、このわたくしに?」
「ぼくだって、いつもいつも、母さんの言いなりになってるわけじゃないんです!」
何やら、あーだこーだと言い争いを始める凸凹親子。
「珍しいこともあるものですわね。明日は雨の代わりに星でも降るんじゃありませんの?」
「星が降ろうと月が落ちようと、嫌なものは嫌なんです!」
「まあ、子供のくせに生意気ですこと。親に向かって、その喧嘩腰はなんですの?」
「大人のくせして方向音痴の母さんに、そんなこと言われたくありません!」
お袋さんと口喧嘩を続けながら、アステルがちらりとこっちを見た。
――今のうちに、逃げてください。
星空を思わせる青金石の瞳が瞬いて、無言でそう語った……ような気がする。
「あんた、もしかして――?」
お袋さんの気を引きつけて、俺たちを逃がそうとしてくれてるのか。
「……かたじけねえ、恩に着るぜ」
だが、そのままあっさり逃げられるほど、世の中甘くねえようだ。




