第29話 妖精の勘は当たるのか?
俺たちがそばへ行くと、おっさんは回廊に立ち並ぶ石像の一体を指差した。見るからに聡明そうな女……いや、女神の像だ。右肩に梟、左腕に鴉を止まらせてる。
「知恵の女神クレネの像ね。梟は英知、鴉は狡知の象徴よ」
「この像がどうかしたのか?」
デュラムが腕組みして、おっさんに問いかける。するとおっさんは、石像の台座を指差した。
「見たまえ。ここに、何か書いてあるようなのだよ」
「どれどれ……ああ、確かになんか書いてあるな。擦り減ってて、よく見えねえが……」
「あたしにも見せて♪」
むぎゅう! サーラが俺を押しのけるようにして、台座をのぞき込む。あんまり俺の方に顔を寄せてくるもんだから、内心どきっとした。
そ、そんなにくっつくなってんだ。俺たちゃ別に、恋人同士とかじゃねえんだぜ……?
幸い魔女っ子は、俺の動揺なんかにゃ気づく様子もなく、一心に台座を見つめてる。
「うーん……これまた魔法文字の文章ね」
「な、なんて書いてあるんだ?」
「せっかちね、ちょっとは待つってことを知りなさいよ」
「へいへい!」
やれやれだぜ。
魔女っ子は、消えかかった文章を穴が開くほど見つめた後、溜め息まじりにこう言った。
「読み取れるのは、ごく一部ね。『リュファトは回り、セフィーヌは進む。ロフェミスは退き、道は開かれる』って書かれてるわ」
謎めいた文章だな。どうやら英知と狡知を司る女神は、謎々好きの獅子女のように、俺たちと知恵比べがしてえらしい。
「道は開かれる? 『道』ってのは、この宮殿の入り口を指してるんじゃねえかな?」
「ありえるわね」
だが、それ以前の部分は、なんのことやらさっぱり。俺にゃちんぷんかんぷんだ。
「太陽神は回り、月の女神は進む? 星の神は退き……わけわかんねえぞ」
人間の姿をした神々が、両手を頭上で合わせて「あ~れ~っ!」って回転したり、偉そうに腕を組んでずんずん前進、後退したりする様を想像してみる。
……なんだか、すごく滑稽だな。
特にくるくる回るなんざ、馬鹿っぽくて、とても神様のすることとは思えねえ。
「回る、進む、退く……そうか」
尖った顎に右手の親指、人差し指をそえ、考え込んでたデュラムが、何か思いついたようだ。
「森の神ガレッセオと風神ヒューリオスにかけて、謎はすべて解けたぞ」
「本当かよ?」
妖精の美青年は、自信ありげにうなずいた。
「ここにある石像の中から、リュファト神とセフィーヌ女神、ロフェミス神の像を見つけ出し、この文章の通りに動かす。そうすれば、隠された入り口が現れるに違いない」
「『回る』とか『進む』『退く』とかっていうのは、石像の動かし方を示してるってこと?」
「そういうことです、サーラさん」
「そう思う根拠は、何かね?」
「妖精の勘だ」
「勘かよ!」
それってつまり、なんの根拠もないってことじゃねえか。
「けど、やってみる価値はあるんじゃない?」
「そりゃまあ、そうだけどさ……」
結局、デュラムの言う通りにしてみようってことになった。隠された入り口が現れりゃそれでよし。何も起きなくたって、ちょいと骨折り損をするだけだしな。
まず最初に動かすのは、太陽神リュファトの像。これは、すぐに見つかった。宮殿の右手に、そこそこきれいな状態で残ってたんだ。
神々の頂点に君臨する最高神の像は、日輪みてえな冠をかぶり、右手で太陽をつかんで高々と持ち上げてた。
魔法文字の文章にゃ「リュファトは回り……」とあったよな。ってことは、この像をぐるりと回転させりゃいいわけだ。
「「「「いっちにーのっ、さんっ!」」」」
四人がかりで少しずつ、少しずつ回していく。
「い、意外と回るもんだな。この大きさだから、もっと、苦労するかと、思ってたが……!」
「しゃべってないで、もっと力を入れなさいよ!」
「へいへい! ……ちぇっ、また姉貴面しやがって」
「何か言ったかしら?」
「い、言ってねえって!」
軽口を叩き合いながら、ちょうど一回転させたときだった。何やらゴトンと妙な音がして、像はそれ以上動かなくなった。どうやら、これでいいみてえだ。
「よっしゃ、次いってみようぜ!」
お次は、月の女神セフィーヌの像。これは宮殿の左手――リュファトの像のちょうど反対側にあった。月輪のような小冠をかぶり、両手で三日月を抱えてる。顔にゃ、太古の大らかさと神秘性を感じさせる古拙な微笑み。リュファトの像より一回り小さいが、状態はこっちの方がずっといい。
魔法文字の文章にゃなんてあったっけ? 確か……「セフィーヌは進む」だったな。これは、像が向いてる方へ押せってことなんだろう。
「「「「そーれっと!」」」」
しばらく押すと、再び妙な音がした。
「残るは一つね♪」
リュファトがセフィーヌとの間にもうけた息子の一人、星の神ロフェミスの像。こいつは見つけるだけでも一苦労だった。七つの星がちりばめられた剣を持って、宮殿の裏手に立ってたんだが、三つの中じゃ一番小さくてさ。おかげで、なかなか気づかなかったんだ。
魔法文字の文章にゃ「ロフェミスは退き……」とあった。それなら、像の向きとは逆の方向へ押してやろう。
「「「「いっせーのーでっ!」」」」
ズズズズズーッ! もういいだろうってところまで動かした、ちょうどそのとき。三度妙な音がしたかと思うと、宮殿が――いきなり地響き立てて、震動し始めた!
「な、なんだ?」
最初は地震――大地の女神トゥポラの怒りかと思ったが、違うみてえだ。〈樹海宮〉の中で、何か起こってるらしい。
「危険だわ、離れた方がいいみたい!」
砂や小石が、パラパラと降ってくる。両手で頭をかばい、どうにかその場から逃げ出した。昨夜野宿した泉のほとりまで逃れ、ほっと胸をなで下ろす。
「――ふう。ここまで来りゃ、もう大丈夫だろ」
そう言いながら、俺は〈樹海宮〉の方へと向き直り――そして、見た。〈樹海宮〉の正面に、ぽっかりと穴が開くのを。壁の一部が轟音を上げて左右に開き、隠された入り口が現れるのを。
「驚きの女神ラプサにかけて、なんてこった……!」
どうやら、妖精の勘が当たったらしい。




