第27話 おっさん、また謝る
翌日早朝。俺はいつもよりずっと早起きして、朝飯の支度に取りかかった。昨日、おっさんにゃずいぶん世話になっちまったし、デュラムやサーラにも危ういところを助けられたからな。三人が起き出す前に飯の支度を済ませて、少しでも恩を返さねえと。
もっとも、剣術馬鹿の俺につくれる料理なんざ、そういくつもねえ。幸い、昨夜の煮込みに使われた食材が少し残ってるから、そいつを使って羹でもつくるか。
小鍋を泉の水で満たして、焚き火の上につり下げた。お湯が沸いたところで、まず兎の肉を、次に甘藍を入れて、ぐつぐつ、じっくりと煮込む。仕上げに塩と、貴重な香辛料を少々。味を調えて……そら、出来上がりだぜ。
ふわっ。真っ白な湯気と一緒に、食欲をそそる美味そうな匂いが立ち上った。
「さーて、ちょいと味見を」
焚き火のそばにしゃがみ込み、小鍋の中身を匙ですくって、ぱくっ。お味の方は……うん、悪くねえ。俺にしちゃ上出来だ。肉の旨みが野菜にしっかり染み込んでて、なかなか美味い。
「どれどれ、もう一口……」
「なんと、これは驚いたな。君に料理の心得があったとは」
「ぶおっ!」
不意に背後で声がした。びっくりして振り返ると、おっさんが顎鬚をなでながら、こっちを見てるじゃねえか。
「な、なんだおっさんか。おどかさねえでくれよ。朝、起きるの早いんだな」
「うむ。いつも日が昇る頃には目が覚めるのだよ」
おっさんは俺の隣に来て、腰を下ろした。パチパチ音を立てる焚き火を見つめ、決まりが悪そうに、ぼそりとつぶやく。
「昨夜は、その……本当にすまなかったな」
ありゃりゃ。昨日のこと、まだ気にしてたのかよ。一度気に病んだことは、結構後まで引きずる質なんだな。
「昨夜って……なんのことだよ、それ?」
俺はちょっと考えた後、とぼけて、何も覚えてねえふりをしてみせた。
「ほら、俺って忘れっぽい奴だからさ。気にしてねえことなんざ、すぐに忘れちまうんだ」
そう言って、目で笑いかける。
――おっさんらしくもねえ。もう、その話はよそうぜ。
俺が言いてえことは伝わったらしく、おっさんはこっちを向いて、ぎこちなく笑った。それから焚き火の方へと視線を戻し、気まずい雰囲気を振り払うように、別の話を始める。
「そう言えば――今日はいよいよ〈樹海宮〉に挑むのかね?」
「ああ、そのつもりだぜ」
もっとも、入り口が見つかればの話なんだが。
「おっさんも……俺たちと一緒に来てくれるだろ?」
昨夜はおっさんがサーラを連れ出したんじゃねえかって疑ったりもしたが、この人のことは今でも嫌いじゃねえ。温厚な人柄にゃ好感が持てるし、剣を抜いたときに見せる勇猛さも頼もしい。一度ならず二度も助けられて、恩だって感じてる。だから……いつかは手を振って別れなきゃならねえとしても、せめて今日一日くらいは一緒にいたかった。ひょっとしたら神々が、恩返しの機会を与えてくれるかもしれねえからな。
「君たちさえよければ、喜んで共に行かせてもらおう。だが妖精君とお嬢さんは、私が〈樹海宮〉の中までついてくることをよしとするかどうか」
焚き火に薪を継ぎ足しながら、顔を曇らせるおっさん。
「妖精君は、私を信用してくれてはおらん。お嬢さんも、愛想よく接してはくれるが、内心はおそらく半信半疑といったところなのだろう。二人が反対するようならば、そのときは……」
「大丈夫だって。いざってときは、俺があいつらを説得するからさ」
おっさんを元気づけようと、俺は陽気に笑ってみせた。普段、春の太陽みてえに穏和なこの人に、陰気な表情は似合わねえ。
「それはありがたいが、いいのかね? 君にそこまでしてもらって」
「任せてくれって。その代わりと言っちゃ、なんだけどさ……」
ちらちらと横目で、おっさんの様子をうかがう俺。
「あいつらのこと、悪く思わねえでくれよな? デュラムの奴、疑い深くてさ。サーラもおっさんのこと、まだちょっとは疑ってるかもしれねえが……二人とも、根はいい奴なんだ」
太陽神リュファトにかけて、本当だ。それは、三年近く一緒にやってきた俺がよく知ってる。もちろん、デュラムとは反りが合わねえところもあるし、サーラの世話焼きを鬱陶しく感じることだってあるが、それはそれ。俺にとっちゃ、どっちも大切な――絶対に失いたくねえ存在だ。
だからこのおっさんにも、できればあいつらのこと、わかってもらいてえな。
「――わかっておるとも」
どういう反応をされるか不安だったが、幸いおっさんは鷹揚にうなずいてくれた。
「二人とも、よい仲間ではないか。君にとっては、上辺だけのつき合いではなく、素直に本音を言える相手なのだろう? それに、あの二人も君のことを、口では子供だの、世話が焼けるだのと言いながら、本当は大切に思っておる――私にはそう見えるが、違うかね?」
「……へへっ。そう、なのかもな……」
仲間のことをそんなふうにほめられるのは、理屈抜きで嬉しい。自然と顔がにやけちまう。自分が賞賛されたわけでもねえのに、まるで我がことみてえに嬉しくなったんだ。
それからしばらく、俺はおっさんと話をした。思えば、この人と一対一で話すのは、これが初めてかもしれねえ。
話の中心は、やっぱり冒険! お互い、今までどんな危険をくぐり抜け、どんな驚異と神秘を見てきたのか、舌に熱を込めて語り合った。
まず俺が、冒険者になって最初に引き受けた仕事――ラドレの洞窟での双頭犬退治について語ると、おっさんは大怪鳥の巣があると言われるガルダ=ザンドの大絶壁を、三日三晩かけてよじ登ったときのことを話してくれた。お返しに、俺が迷宮都市メイゼルで狡猾な小鬼の宝石泥棒をとっ捕まえた手柄話をすりゃ、おっさんはカロムドゥナ火山に棲む悪名高い火竜を討ち果たした武勇伝を披露する。その次は、俺がデュラムやサーラと三人でイシュレイナの巨塔を探検して、ささやかなお宝――一握りの金銀宝石を手に入れた話。その後は、おっさんが紺碧のウェーゲ海を船で横断中、船乗りたちが恐れる大海魔の襲撃を受け、危うく海の藻屑となりかけた話。そんなふうに、俺とおっさんの間を次々と冒険譚が飛び交った。
比べてみりゃ、話の規模はおっさんの方が断然大きい。この人が経験してきた数々の危機や不思議に比べりゃ、俺の冒険なんざ実にちっぽけで他愛ねえ、子供の探検ごっこも同然だろう。
それなのに、おっさんはつまらねえって顔もしなけりゃ退屈そうな様子も見せず、俺の話に耳を傾けてくれた。時々、こんな質問や感想をはさみながら。
――ふむ。それで君は、その首領格の双頭犬に、どうやって打ち勝ったのかね?
――なるほど。では目当ての財宝は、すでにあらかた持ち去られていたというわけか。さんざん苦労したというのに、さぞかし残念だっただろう……。
時間は飛ぶ矢のように、瞬く間に過ぎていく。やがて、デュラムとサーラが起き出してきた。
「あら、メリックにマーソルさん。二人とも早起きじゃない」
とんがり帽子の下で寝ぼけ眼を擦りながら、そう言ったのはサーラだ。昨日の疲れが、まだ残ってるらしい。「あたし、疲れてるの」って顔してる。
無理もねえか。昨夜は赤長衣の男に魔法の縄で縛られたり、三頭犬と戦ったりと、いろんなことがあったからな。
一方のデュラムは、普段通りのすまし顔だ。焚き火を挟んで、俺とおっさんの向かいに腰を下ろす。それから俺の方を一瞥し、
「肩の怪我はもういいのか?」
と一言、そっけなくたずねてきた。
「ああ。まだ完全に治ったわけじゃねえが……昨夜と比べりゃ、ずっとよくなってるぜ」
昨夜出会ったおっさんの三男坊――アステルが手当てしてくれたおかげだ。また会えたら、礼を言わねえとな……。




