第21話 貴婦人服の女
「もう逃げられませんわよ。おとなしく、観念なさってください」
白銀の琴線から弾き出される楽の音さながら、玲瓏と響き渡る若い女の声。その後に続いて、木管の笛の音を思わせる、年を重ねた男の深い声が聞こえてくる。
「やれやれ……やはり追ってきおったか。しかも、アステルや他の者たちまで連れてくるとは。ご苦労なことだな、リアルナ!」
男の声を聞いて、俺たちは顔を見合わせた。
「今の、マーソルさんじゃないかしら?」
「そのようですね、サーラさん」
三人で声が聞こえる方へ向かってみると――やっぱりだ! 冴え冴えとした月明かりが差し込む木立の中に、おっさん発見! こっちに横顔向けてて、まだ俺たちにゃ気づいてねえ。
「なんだ、こんなところにいたのかよ」
早速声をかけようとして――のど元まで来てた言葉をぐっと呑み込んだ。おっさんの様子が、なんだか変だったからだ。
「あの人、誰かと戦ってるみたいだわ」
「ああ。相手は……誰だ?」
三人そろって大樹の後ろに隠れ、そっと顔だけ出して様子をうかがう。暗闇に目を凝らしてよく見ると、おっさんの向かいに人影があった。しかも二つ――いや、もっとたくさんだ。
一人は女だな。ほっそりとした顔立ち、体つきの美人だ。流れる銀色の髪に青玉の瞳。象牙みてえに白く滑らかな肩と胸元。夜空を思わせる漆黒の貴婦人服を身にまとい、高貴で近づきがたい雰囲気を漂わせてる。
もう一人は、紺色の甲冑に身を包んだ金髪の少年だった。無数の人影を背後に従えて、女の後ろに立ってる。美形みてえだが、夜の闇に紛れてよく見えねえや。後ろでうごめいてる連中も、ここからじゃ旅装束を着てるってことくらいしかわからねえ。
それよりおっさんの奴、貴婦人服の女と戦ってるようだ。一体、どうして?
「まったく。あなたという人は、本当にどうしようもない方。このわたくしに断りもなく出かけて、何日も何ヶ月も、ひどいときは何年もお帰りにならない。そして、突然帰ってきたかと思えば、すぐにまたお出かけになってしまう。もう我慢の限界ですわ……!」
何やら恨みのこもったせりふを吐きながら、女が手にした武器を振り上げる。月明かりの下で冷たくきらめいたのは、一見して死神――冥界の王ヴァハルの使者たちを連想させる大鎌だ。漆で真っ黒に塗り上げられた長柄の先端にゃ、三日月みてえに湾曲した白銀の刃が輝いてる。
貴婦人にゃ不似合いなその武器を、女は白い手袋に包まれた細腕で、軽々と一閃させた。
「だから、すまんと謝っておるではないか!」
弧を描いて飛んできた白銀の三日月を、難なく剣で弾くおっさん。ところが次の瞬間にゃ、女が再び大鎌を閃かせ、おっさんは危うく首を刎ねられそうになった。
「謝って済む問題ではありませんわ」
「では、どうすればいいのだ!」
「今すぐ、わたくしと一緒にお帰りください」
三度四度、五度六度! 女が立て続けに打ち込み、その都度おっさんが剣を振るって防ぐ。四方八方から飛来する湾曲した刃を、右に跳ね除け、左に払い、頭上に打ち上げたかと思えば足下に叩き落とす。
だが、その度に女は、大鎌を素早く、長柄の武器とは思えねえ速さで手元に引き戻し、次の一手を打ってくる。おかげで、おっさんは防ぐのが精一杯。反撃の糸口がつかめねえようだ。
「残念だが、今はまだ帰る気にはなれんのだ!」
「そのせりふはもう聞き飽きましたわ。我がままを言わずに、お帰りください」
「断る!」
「お帰りください」
「断ると言っておろう!」
火花散る剣戟と同時に、火を吐くような舌戦を繰り広げるおっさんと女。その様ときたら、鼻面を突き合わせ、歯茎をむいてにらみ合う二頭の竜さながらだ。
「――強情な方。それなら襟首つかんで、夜道を引きずってでもお帰りいただきますわ」
「面白い、やれるものならやってみるがよい!」
二人の刃と舌を駆使した争いは、そんな感じで延々と続く。
「あの二人、どういう関係なんだろうな?」
なんだかんだと争っちゃいるが、不思議と気の置けねえ仲って感じがするぜ。もしかして、年の離れた兄妹か、それとも……。




