第19話 どこだよ、サーラ!
サーラの奴、どこ行ったんだ? さっきからずっとあいつの足跡を追って、夜の森を走ってるんだが、どこにも姿が見当たらねえ。こっちは必死に探し回ってるってのに、どこにいるんだよ、あいつ……。
夜の森は、やっぱり不気味だった。月明かりと星の光が照らす暗闇の中に、何十本もの木が黒々とそびえ立ち、枝葉を夜風にざわめかせながら、俺を見下ろしてる。遠い昔、神々に戦いを挑んで敗れた、巨人の一族みてえに。
こんな人気のねえ、寂しい森の中を一人で走ってると、町が懐かしくなる。通りを行き交う様々な種族の姿、お客を店に呼び込む商人の声。市場にあふれる絹の艶、野菜や果物、香辛料の鮮やかな彩り。屋台で炭火に焼かれる骨つき肉の、食欲そそる香ばしい匂い。そして、酒場で吟遊詩人が奏でる竪琴の妙なる響き。そういったもんすべてが、無性に恋しくなってくる。
だが、ここは町の喧騒から遠く離れた森の中。周囲にゃ人っ子一人見当たらず、ただ夜の闇が霧のように立ち込め、木々が枝葉をざわめかせてるだけだ。
そんな中を一人突っ走るうちに、空の雲行きが怪しくなってきた。何が気にくわねえのか、神々の中で最も猛々しい雷神ゴドロムが怒ってる。神のまとう襤褸にも似た暗雲が星々を呑み込み、稲妻がごろごろのどを鳴らし出す。この様子だと一雨降るんじゃねえか――そう思った直後、果たして降ってきやがった。冷たい大粒の雨が。
「やべえ……!」
ぽつり、ぽつりと降り出した雨は、見る間に激しさを増し、豪雨となって地上に降り注ぐ。ただでさえ夜の闇に紛れて見えにくかった、おっさんとサーラの足跡は、それこそあっという間に洗い流され、消え失せちまった。
「……ちくしょう!」
いら立つ俺をあざけるように、稲妻が光る。続けて二度、三度。白熱の雷が暗雲を切り裂き、鉄の蹄を持つという雷神の愛馬さながら、夜空を荒々しく駆けめぐった。
ひっきりなしに閃く雷光、轟く雷鳴。一向に止む気配もなく降りしきる雨。きっと天上じゃ、雷神が怒りに任せて青銅の太鼓を打ち鳴らし、その足下で水の女神が無邪気に水晶の瓶を傾けてるに違いねえ。そして他の神々は、大理石の玉座に腰かけて、優雅に葡萄酒でも酌み交わしながら、地上を見下ろしてるんだろう。
俺たち地上の種族が抱える悩みや苦しみなんざ、わかろうともせずに。
俺の心を読みでもしたのか、雷神が怒りの雄叫びを上げ、燃え立つ稲妻を投げつけてきた。
「うわっ……!」
神の怒りは凄まじい。青みがかった白銀の雷霆が、俺の行く手にそびえる大樹を打ちすえ、樽みてえな幹を真っ二つにする。
引き裂かれた大樹は、パチパチ音を立てて燃え出した。思わず立ちすくんだ俺に、熱い火の粉が降りかかってくる。
「……っ!」
顔を背け、両腕を目の前で交差させて、火の粉が顔にかかるのを防いだ。
幸い、火は雨のおかげですぐに消えたし、雷神が稲妻を投げてきたのもその一度きりだったが、それ以降も俺の頭上じゃ雷光が閃き続けた。繰り返し、繰り返し、夜空に轟く神の怒号が俺の胸中をかき乱す。
サーラの奴……やっぱりデュラムが言ってたように、おっさんに連れ出されたんだろうか。もしそうなら、今頃どこでどうなってる? 本性現したおっさんに襲われて、絶体絶命の危機に陥ってるのか。あるいはもう、おっさんの手にかかって……ああ、こんちくしょう!
俺をこんなに不安にさせて、どういうつもりだよ?
俺を置いていくな、一人にするな!
お前はずっと――ずっと俺のそばにいろって!
そんなことを考えながら、苔だらけの倒木を踏み越えたとき、デュラムが後から追いついてきた。さっきはずいぶんきわどい格好で現れたが、今はもう、しっかり革鎧を着込んでる。
「デュラム!」
思わず、ほっと一息。不安で真っ暗だった胸の奥底に、ぽっと一つ、安堵の灯器がともった。
「真夜中に子供が森で肝試しとは、大した度胸だな。森の神と出くわしでもしたら、どうするつもりだ?」
俺と肩を並べるなり、妖精は皮肉を言ってきやがった。
「樹木と獣の主ガレッセオは、人間が夜の森に立ち入ることを許さない。夜中に森で人間を見かけたならば、巨大な獣に姿を変えて襲いかかり、八つ裂きにするというぞ?」
「へっ、俺はもう十八だ。そんな伝説、怖くもなんともねえよ」
子供扱いされたのが悔しくて、虚勢を張ってみせたものの、
「おわとととととっ!」
その直後、木の根に足を取られてつんのめる俺。どうやら、またしてもガレッセオの不興を買ったらしい。片足浮かせて、両腕を蜻蛉の翅みてえにばたつかせ……た、倒れる、倒れる!
「何をしている、間抜けめ」
俺の左腕をつかんで後ろに引っ張りながら、デュラムが侮るように鼻を鳴らす。
「わ、悪い……助かった」
「次も助けるとは限らんぞ。よく覚えておくことだ――と、貴様に言うだけ無駄か」
「お前、本当に嫌味な奴だな。あんまりねちっこいと、そのうちねばねばの粘魔になっちまうぜ?」
「鬼人並みの記憶力しかない貴様に、そんなことを言われる筋合いはないな」
「う……」
何か言い返してやりてえが、ずばり本当のことなんで反論できねえ。返す言葉に窮した俺は、右手の木立を見たり、左手の茂みを見たりと、あちこちへ視線をさまよわせた。
俺が困ってるのを横目で見て、デュラムがふっと目尻を下げる。
「サーラさんのことが気がかりなのは、私も同じだ。だから、一人で突っ走るな。サーラさんに続いて貴様まで行方知れずになったら、私は――」
「俺のこと、心配してくれてんのか?」
いつになく優しい口調が気になって、そうたずねてみると、妖精のすまし顔に珍しく動揺の色が浮かんだ。
「な……! 馬鹿を言うな、気がかりなのはサーラさんのことだけだ。誰が貴様など――!」
翠玉の瞳が、左右に揺れる。口調も心なしかたどたどしくて、うろたえてるって感じがする。
……へっ。素直じゃねえな、こいつ。
その後もなんだかんだと言い合いながら、俺とデュラムは肩を並べて走り続けた。朽ちた倒木飛び越えて、下草蹴散らし夜道を駆ける。雨で水かさ増した沢を渡り、苔むした岩を踏んづけて、闇の中を突っ走る。
そして――。
「メリック、デュラム君!」
突然、背後からかけられた声に驚いて、ほとんど同時に立ち止まった。




