第18話 裸の妖精(♂)に迫られて
どのくらい眠ってたのか、よくわからねえ。悪夢にうなされてた俺は、冷たい夜風に首筋をなでられ、目を覚ました。
「またあの夢かよ……」
今朝と同じ、三年前のあの日の夢だ。炎に包まれ、焼け落ちていく城。俺をぶん殴る親父の鉄拳、その人差し指にはまった金の指輪。そして、俺から遠ざかっていく親父の後ろ姿……。
このところ、ずっとだ。毎晩、見たくもねえ夢を見て、思い出したくもねえ過去を思い出しちまう。俺は、神々に向けた憎しみの剣を収めることはできても、捨てることまではできねえのか。
むくりと体を起こせば、夜風がまた、からかうように俺のうなじを一なでした。
「寒っ!」
思わず、ぶるっと身震いする。なんだよ、今夜はやけに冷え込むじゃねえか。俺の革鎧は胸と肩、背中を守ってくれるだけの安物で、腹とか腰がむき出しになっちまう。だから、寒さを防ぐ役にゃ立たねえ。このまま寝てたら、間違いなく風邪を引いてただろう。
火の神メラルカの恵みにあずかろうと、焚き火に薪を二、三本放り込む。俺の捧げ物はお気に召したらしく、気まぐれな赤毛の神は、機嫌よく焚き火を燃え立たせてくれた。
と、そのとき。
「メリック!」
焚き火の向こう、木立の奥で声がした。
「途中で貴様を置いてきたことに気づいて、ひとまず戻ってきたが……無事なようだな」
声の主はフィン……じゃなくてウィンデュラムだった。俺が寝てる間にどこへ行ってたのか、木々の間を縫って、飛ぶように駆けてくる。
「お、お前……? なんだよ、その格好」
どういうわけか、妖精の美青年は裸だった。槍こそ手にしてるものの、身につけてるもんと言えば、糸みてえに細い白銀の首飾りと、黒光りする逆三角形の下穿きだけだ。大理石の彫像と見紛う滑らかな胸やうっすら割れた腹、すらりと伸びた四肢を、恥ずかしげもなく月明かりにさらしてる。
そんな露出過剰にもほどがある格好で、デュラムはどんどん俺に迫ってくる……っておい、ちょっと待て!
「た、太陽神リュファトにかけて、俺は普通の男だ! いくらお前が美形だからって……ど、どぎまぎなんざしねえんだからな!」
「馬鹿か貴様は。こんなときに何を言っている……!」
焚き火のそばまで来ると、奴は開いた脚の膝頭をつかみ、肩を激しく浮き沈みさせて、苦しげにあえいだ。俺が水の入った革袋を差し出すと、礼も言わずにひったくり、のどを鳴らして一気に飲み干……そうとして、むせた。
「息なんか切らしてお前らしくもねえ、一体どうしたんだよ? 何か探しにいってたのか?」
「鬼人並みに鈍い奴だ、気づいていないのか?」
濡れた口許を手の甲でぬぐい、デュラムはいら立たしげに俺をにらんだ。そして――。
「サーラさんがいない! あの男もだ!」
「なんだって……?」
あいつの言う通りだった。いつの間にか、サーラとおっさんがいなくなってやがる!
「――私としたことが、不覚だ」
高慢ちきなすまし屋の妖精が、珍しく口調に自責の念をにじませる。
「今夜は寝ずの番をして、貴様やサーラさんを守るつもりだったが……その前に水でも浴びて、汗を流そうなどと考えたのが間違いだった。私が泉から上がってきたときには、もう――」
「サーラもおっさんも、姿が見えなくなってたってわけか」
デュラムの奴、今さらっと嬉しいことを言ってくれたような気もするが、今はそんなことを喜んでる場合じゃねえ。
おっさんが座ってた、大樹の根元を調べてみると、あの人の足跡が見つかった。大樹の前をしばらく右往左往した後、昼間に来た道を引き返してる。
「見ろ、こちらはサーラさんの足跡だ。あの男と同じ方角へ向かっている。今、二人の足跡を途中までたどってきたところだが、どうやらかなり遠くまでいったらしい。どちらも見つからなかった」
「二人がいねえってわかった時点で、なんで俺も起こしてくれなかったんだよ? ……ってかお前、その格好で捜しにいってたのか?」
古代の彫刻家が彫り上げた大理石像を思わせる、すらりと伸びた妖精の肢体を、思わずまじまじと見つめちまう俺。革鎧くらい、着ていきゃよかったのに。
「サーラさんがいなくなったのだ。自分の格好など気にしていられるか」
「おいおい……」
そりゃ確かに一大事だろうが、一人で――しかも下穿き一丁で捜しにいくなんざ、よっぽど気が動転してたに違いねえ。サーラのことになると暴走しがちな奴だとは思ってたが、まさかここまでとはな。
「……貴様、どこを見ている? あまりじろじろ見るな」
どうやら、さすがに気恥ずかしくなったようだ。裸の妖精は俺から顔を背けて、切れ長の目だけをこっちへ向けてくる。
「私の完璧な肉体に、文句でもあるのか?」
「い、いや、別に文句はねえけどさ……」
ってか、今はそんなことを話してる場合じゃねえだろう。
「それよりサーラの奴、なんであの人についていったんだろうな?」
俺が話を戻すと、デュラムも恥じらいの表情を消して真顔になる。しばらく腕組みして考え込んだ後、こんなことを言い出した。
「あの男――マーソルが言葉だくみに連れ出したのかもしれんぞ」
「おっさんが? まさか、そんな……」
「ありえることだ。だが、本当にそうなら、サーラさんは今……」
「……!」
サーラは魔女だ。神々の力を借りて、奇跡を起こす驚異の技、神秘の術――魔法の使い手。だから、たとえ危機に陥ってもそう簡単にゃやられねえ――そんなふうに考えて、どこか事態を甘く見てた俺だが、デュラムの言葉を聞くと、急に胸がざわめいてきた。
最悪の光景が、脳裏に浮かぶ。
あの青い大外套を夜風にはためかせ、頑丈な革靴を履いた足で、一歩、また一歩とサーラに歩み寄るおっさん。口許にはにんまりと残忍な笑みが浮かび、右手にゃ抜き放たれた剣が――。
考えたくもねえことだが、万一そんな事態になってたらまずい! あのおっさんが相手じゃ、いくらサーラでもかなわねえだろう。
「――こうしちゃいられねえ!」
俺は素早く身支度を整えた。緩んでた革鎧の紐を締め直し、枕元に置いてた剣を引っつかむ。
「待て、どこへ行く?」
「決まってるだろ! サーラとおっさんを捜しにいくんだよ!」
おっさんを信じすぎてたことに対する後悔の念や、お人好しな自分への猛烈な嫌悪感。いや、あの人がそんなことをするはずがねえって、おっさんへの疑惑を否定してえ気持ち。それに、とにかく急がないとサーラが危ねえって焦燥感! そういった感情がごっちゃになって、俺をどんどん衝き動かしてた。
「一人で行くつもりか? 妖精ならばいざ知らず、人間の分際で馬鹿を言うな。私ももう一度、今度はもっと遠くまで捜しにいく。明かりを用意するから、少し待て」
「そんなのんきなこと、言ってられるかよ!」
俺もデュラムを笑えねえ。狂おしいまでの衝動に駆られて、いても立ってもいられなかった。
妖精が呼び止めるのにも構わず、俺は焚き火から離れると、魔女っ子の足跡を追って走り出す。
「……神々の馬鹿野郎!」
走りながら、綺羅星が瞬く夜空を見上げ、思わず悪態をついた。
神々ってのは本当に気まぐれで、何を考えてるのかさっぱりわからねえ連中だ。時々俺たち地上の種族にささやかな幸せを与えてくれたかと思えば、それをなんの前触れもなしに、意地悪く取り上げる。
今夜、こんなことが起こったのも、あの聖なる暴君たちが気ままに定めた運命ってやつなんだろうか?
……いや、今はそんなことを考えてる場合じゃねえ。
無事でいてくれよ、サーラ……!
◆
おや……おやおや?
赤い瞳の冒険者殿が、焚き火から離れたようですな。
しかも、こんな夜更けに松明も持たず、森の中を走るとは。いやはや、命知らずな方ですな。
幸い、あの忌々しい青外套の剣士殿も、今はどこかへ行っておられる様子。こちらとしても、今が邪魔者を消す絶好の機会なのですよ。
今度こそ、我がしもべのえじきにして差し上げましょう。
……すべては、我が主のために。




